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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。

ブランケット症候群の私の毛布が美女になって抱きしめてくる

作者: 玉すだれ
掲載日:2026/03/01

ブランケット症候群を聞いたことがあるだろうか。特定のものに依存し、それがないと不安になるというものである。身近なものでは、例えばそう、スヌーピーに出てくるタオルを引きずっている男の子。あの子の名前にちなんで「ライナスの毛布」と呼ばれるものだ。



かくいう私もそのブランケット症候群なのだろう。子供のころからずっと寝るときはそばにあるタオルがある。かれこれ10年以上使っているだろうか。これがないと夜は何となく落ち着かない。もうとっくに社会人で、可愛げのない大人なのに。


会社の人に知られたら笑われてしまうだろうか。いや、普段から遠巻きにされてるしそれも無いな。私は別に優秀では無い。それ故にミスが無いようにと自分を律し続けて生きてきた。…最後に笑ったのはいつだろうか。遠い昔のように思う。


家に帰っても時折、訳のわからない不安に襲われる。そんな夜は孤独に耐えきれずタオルを握りしめて丸まる。一人が好きだからと好意を抱いてくれた人たちを無碍にしてきたくせに、笑ってしまう。


使い続けたタオルは何度も何度も洗っては干し、洗っては干しとしているため、初めは濃い茶色だった布もいつしか白みがかっていた。




「…けっこうボロボロになっちゃったな」



ふと改めて見つめるとずいぶんとほつれが目立ってしまっている。過去に少しでも直そうと慣れない手で針を通した布も、もはや糸に耐え切れず穴をあけてしまっているのが見て取れた。



あまりにもな状態に、見ていると切ない気持ちが溢れてくる。まあ、それは仕方ないことだけど……。ため息をついて布団に入った。



翌日深夜、一週間の疲れがどっと押し寄せる。玄関を開けた瞬間、張っていた気と共に身体中の力が抜ける。



「ああ…、つ、疲れた…」


開口一番そう言うと、そのままベッドに倒れこんだ。








「…い、おーい、」


「……んん、」


呼ばれる声に重たい日をこじ開けると、見慣れないとてもきれいな女の人が私の顔を覗き込んでいた。


「起きた?」

「うわぁ!!え、あの、どなたですか!?」


眠気が一気に覚めた。慌てて起き上がり彼女と距離をとる。


「どなただなんて、そんな寂しいこと言わないでほしいわあ」


よよよ、と泣きまねをしながらにじり寄ってくる。


「近づかないでください!け、警察を呼ばなくちゃ」

スマホを開こうと手を伸ばすと、ばっと取り上げられてしまった。


「あっ、ちょっ」


「すこし落ち着いてちょうだいよぉ」


そのままベッドに上がりずいと迫られる。にこやかに笑っているけど眉が下がっていて少し悲しそうな表情をしている。


…すぐに危害を加えられるような雰囲気ではない、かな。

この状況と、なにより目の前の彼女の顔を見て上げていた腕をゆるゆる下ろす。


「あ、あなた、誰ですか。なぜ私の家に…」

恐る恐る質問した私に目を輝かせてその女性は言う。


「わたし神さまになったのよぉ!やっと会えて嬉しいわ、咲!」


「わっ、」

抱きついてきた、自称神という明らかな不審者。さらに名前も知られていることに自然と声は硬くなる。


「…それは犯罪者ということでいいでしょうか」


私の胸に頬擦りをしていた不審者はその言葉に慌てて顔を上げた。


「ち、違うわぁ!わたしはただのタオルよぉ!!」


「タオル…?」

どうも話が噛み合わない。目の前で涙目になっている人は自称神で、さらにタオルらしい。


「…なるほど、では警察に」

スマホを素早く拾い上げる。ええと、ひゃくとおばん…「ち、ちょっと待ってぇ!」数字を打っていた手を掴まれる。見ると焦った顔で言った。


「ほ、ほら!わたしの髪の毛とか、タオルと同じ色でしょう!?あと目も!!」


ああなるほど。タオルとは私の使っているタオルのことか。大切にしているものを知っているとは。私の中で警戒度が一段階上がる。


「そんなもの何の証拠にもなりません」

にべもなく言うと間髪入れず話し始める。


「じゃ、じゃあ!わたしを縫ってくれたとき、上手く縫えなくて泣いていたことは!?」


「…は?」

なぜそれを知っているのか。それは私が中学生だったときの…。

「それとも、怖い映画のあと寝室までわたしに顔を埋めて歩いたせいで転んだこと!」

「ちょ、」

「それとそれと、寝相が悪すぎて朝起きたらわたしで首絞めてたこととか!」

「ストップ!わ、わかりましたからそれ以上言わないで…」

顔が赤くなっているのがわかる。誰にも言っていない昔のことを知られている事実に恥ずかしさが込み上げる。

「なんでそれを…」

鋭い目つきで目の前の女性を睨む。羞恥にまみれた顔では怖くも何ともないのか、それとも先ほどの意識返しか、その女性はどこか得意げな顔で胸を逸らして言う。

「咲のことは何でも知ってるわぁ!ずっと隣にいたもの!」


「…」

信じられない、というのが表情に出ていたのか、私の顔を見てぷうっと頰を膨らませると、ポンッと音を立てて件のタオルになった。そのままするりと私の首に巻きついて頰をなぞる。


…なるほど、これは夢か。いや、そうに違いない。


生憎私は非現実的な事象に喜ぶ少女ではないし、そんな柔軟な頭も持ち合わせていない。キャパオーバーを告げる脳内に、意識が遠ざかっていく。


「…きゅう」

「あ、あれ!?咲!しっかりして、咲ー!」


幻聴がやけにはっきりと聞こえる。夢だよな。「さきぃー!」夢であってくれ…。









「…はっ」

目が覚める。周りを見渡すが先ほどの女性はいない。長く息を吐きだす。良かった…夢か…。不安になった時の癖でタオルを手で探す。あ、あれ?無い…


「あ!咲起きた?急に倒れて心配したのよぉ?」


…うふ、うふふふふ

「夢、じゃなかった…」


大丈夫?と心配そうに覗き込んでくるが半眼で返す。誰のせいだと…

「それで、信じてくれたかしら?」


「まあ…はい。あんなものを見せられては…」

自分のタオルが意思を持って話している、ということをにわかには受け入れられず硬い口調になる。

「…よかったぁ。ずっとずっと、こうしてお話がしたかったのよ、わたし」


安心したようにそう言って、ベッドから起き上がったわたしに身体を寄せてくる。改めて見ると髪の毛は明るい茶色で、差し込んだ日の光に照らされて金色に輝いている。同じ色の瞳は切れ長で鋭い印象を与えるが私に話しかける目尻は下がり柔らかく、陽だまりのようだった。それを直視し続けるのはなんだか気が引けて目を伏せる。


「…それで、あなたが…その、神になったというのは」

聞かれた言葉が予想外だったのか彼女は声を上げた。

「あぁ、そのことぉ?わたしずーっと咲と話したいって思い続けて天使長をおど…お話したらこのとおり」


立ち上がって一回転する。ふわりと揺れた髪からはいつも使っている柔軟剤の香りがした。

「付喪神になれたみたい」

「付喪神…」


脳内の浅い記憶を探る。確か長い年月を経た物に魂が宿ったものだったか。

目の前で笑う彼女は、見た目こそ成熟し妖艶な雰囲気を纏っているが話している様子は少女のように瑞々しい。このチグハグさが、かえって人でないものと感じさせる。


「そ、ん、な、ことよりぃ」

「…わっ」

ベッドに腰掛けていた私に向かって抱きついてきた。彼女は私より背が高いため、膝に跨がれると顔が豊満な胸に埋まってしまう。思わず後ろに手をついた私の背に手を回される。


「な、なにするんで」

「ぎゅーーーっ」

「…っ!」

優しく、しかし確かな力で抱きしめられる。埋まった頰から暖かな体温が伝わる。後頭部を撫でられ、身体の力が抜けた。今朝起きてから気が付かないうちに、もしかしたらそれよりもずっと前から、張り詰めていた心が柔くたわむ。



名前のわからない涙が一筋、落ちた。






「…なぜあなたは私の目の前に現れたのですか」

目を赤くさせてテーブルに座る。27歳にもなって年甲斐もなく泣いた私をあやしながら彼女は光の速さで朝ごはんを作ってくれた。目の前に置かれた雑炊を食べる。…美味しい


「さっきも言ったでしょう?あなたとお話したかったって。それにぃ」

頰を緩ませながら雑炊を食べる私を見ていた彼女は言葉を止めて部屋を見回す。


「…こんなになってるのを見過ごせないもの」

部屋はほとんど物がなかった。最低限の家具と日用品が部屋の隅に置かれている。仕事用のパソコンはテーブルの上に王のごとく陣取っていた。それ以外何もない。趣味や娯楽の類は一切なく、クローゼットには異なるスーツが何着かのみ。

目を細めた彼女に気づかず私は首を傾げる。


「ゴミ屋敷にはなっていないはずですけど…」


「…まぁそれは追々ね。それより今日はどうするのぉ?」


「今日は…」


いつもなら土日は次の一週間の仕事の準備をして潰れる。元々人が多いのが好きじゃない質である。それに極度の心配性。友人や家族に再三言われ続けているが、言われて治る物でもない。大事な会議の前の日など眠れることの方が稀だ。

そんなことも知られているのだろう。彼女は言った。


「いつものように家に籠るつもりだったのね?じゃあ今日はハイキングに行きましょ」


「ハイキング…?」



あれよあれよと着替えさせられ、電車に乗り、あっという間に郊外にある豊かな緑のハイキングコースに来た。


「いまさらですが、こんな遠くまで来て大丈夫なんですか?あなたは、その…」


周りの目を気にして伏せるが言いたいことは伝わったらしい。柔らかい眼差しを向けられる。

「平気よぉ?持ち主のそばにいれば実体にもなれるしね」


そう言って手近に咲いていた花を撫でた。花が揺れたのを見てその言葉が確かだとわかる。


「なるほど…、それじゃあなたのことは何と呼べば良いですか?」


「そうだった、名乗ってなかったわねぇわたし」

うっかりしてた、と呟きながら私に向き直る彼女は妖艶な笑みを浮かべながら言う。


「わたしは布守つむぎ、つむぎってよんで?それと敬語はなし。わかったかしらぁ?」

はい、と口を開きかけて彼女のジトッとした目が突き刺さる。

「う…、わ、わかった…。よろしくつむぎ」


「ええ!末永くよろしくね咲」

私の発言がお気に召したようで、上機嫌に手をとり歩き始める。綺麗に整地された道を歩く。風に乗って花の香りがふわりと掠めた。


「…いい、天気」

狭い部屋の中では感じなかった空。家は私にとって安全で居心地が良くて、そして息が詰まる場所。深く息を吸うと澱んだ膜から出た心地がした。


何度も深呼吸している私をみて、彼女…つむぎが微笑んだ。





「さて、お土産を買いましょう」

「…は、お土産?」

森の空気を堪能して昼食を食べたのち、つむぎがこう言い出した。

「だってぇ咲の部屋って何にもないじゃない?だから、行った場所のお土産をひとつ買っていくの」

「…それって必要?」

「もちろんよぉ!これは思い出の証。咲とわたしが一緒に過ごした大切な時間だもの」


そう言ってそばに隣接しているお土産屋さんに吸い込まれていった。彼女を追って店内に入ると、所狭しとさまざまな品が置かれている。よくわからない人形のストラップやおもちゃ、菓子が大量に鎮座していた。

えっと、つむぎは……いた。何やら木彫りの像の前で唸っている。

「うーん、これか…それともこっちかな…いや、やっぱこれか」

悩んでいる棚を覗き込むと猫と狐の中間のような獣が並んでいる。手彫りなのか顔の表情に個体差があり決めかねているようだ。


「…こっちがかわいい」

「あ、やっぱり?じゃあこれにしましょうねぇ」

つむぎが右手に持っていた子を選んだ。他のものと違い何だかふてぶてしい顔をしていて、気に入った。昔からこういう顔の動物が好きだった。社会人になってからはそんなこと考える余裕も無くなっていたけど。



「ありがとうございましたー」


店員の声を背に店を出る。彼女の手にはあの像が入った袋が下げられている。

「…自分から言い出しておいて手持ちがないって」

「い、いやまあ?わたしってほら、咲の所有物だから…ね?」

ね?と潤ませた目で見てくる。…その顔面でその顔はずるい。わかってやっているのだろう、わざとらしくすり寄ってくる。

「まあいいけど…」

「ありがと!また今度も一緒にどこか行きましょうねぇ」

「え、また?」

「当たり前よぉ毎週あんな部屋にこもってると気が滅入っちゃうじゃない。まぁたまに、でいいから。それに今日は外出してよかったでしょう?」

「まあ…」

確かに今日は来てよかった。毎週末の陰鬱とした時間が嘘のように心が晴れているのがわかる。

そう答えると、するりと腕を絡めてつむぎは笑った。陽光に照らされた彼女はとても美しかった。







「氷室さん、なんだか顔色いいですね」


週明け、出勤した私は同僚の田中さんに声をかけられた。

「そうですか?あまり自覚はありませんが…」

「全然違いますよ、何かいいことでもあったんですか?」

いいこと…。頭につむぎのにやけた顔が思い浮かぶ。どちらかというと振り回されてるけど…。

「同居人ができたことくらいですかね」

抱きしめられたときの体温と優しい声を思い出す。今思い出しても、やはりあれは照れ臭い。

「え…!?ひ、氷室さんが笑った…!?」

ざわっ

二人で話していたはずが、オフィス中の人の視線が集まる。少々うるさかっただろうか…。居心地が悪い。

「あぁ戻っちゃった…。ちょっと皆さーん、なに見てるんですかー?」

田中さんが他の人に声をかけ始める。いい人なんだけど、たまによく分からないことするんだよな、この人。

「田中さん、いいから仕事、始めますよ」

「そんなぁー」

「またお昼休みにでもお話しましょう?」

「…!はいっ!」

見えないはずのしっぽが見える。こんな私に懐いてくれている田中さんはやはり変わっている。そんな思考は隅にやり、他の課からの報告に目を向ける。いつもより思考が冴えている気がする。今日は仕事が捗りそうだ。







「ただいま」

通常より大分はやく仕事が終わった。他の同僚を置いて先に帰るのも申し訳なかったが、部長から「もう上がっていいよ」と生暖かい目線で言われてしまった。何なのだろう。

「おかえりぃ!ご飯にする?お風呂にする?それともわ、た、しぃ?」

扉を開けるとエプロンをつけたつむぎがお玉を手にポーズを決めている。

「なーんて、冗談じょうだ」

「…じゃあつむぎを」

「えっ!?」

一日中見れなかった顔が嬉しくて腰に手をそわせる。顔を覗き込むと真っ赤になった彼女と目が合った。そこで、自分のしたことに気づく。

「あっ、これは、その…」

やってしまった。顔に血が昇っていく。ぱっと手を離して自分の手首を掴む。

部屋に妙な沈黙が落ちる。…気まずい。弁明しようと口を開くと

ピンポーン「お届け物でーす」

「…あ、ごめん、ちょっと出てくるね」

「え、ええ」

助かった、と内心呟きながら出るとこの前頼んだものだった。思ったより早く来てよかった。部屋に戻るとつむぎは何事もなかったかのように夕食を準備していた。



「今日はスペアリブを作ってみたの」

「やった。いただきます……美味しい。今更だけど、どうして料理作れるの?私より全然上手いし」

「まあ…練習したしねぇ?」


目線を逸らしピョーと下手な口笛を吹いているのが気になったがすぐに味覚に意識を持っていかれる。ほんとに美味しいな…。

つむぎは食べる私をにこにこしながら見つめている。

元々人と同居するのが苦手で同じ部屋にいるだけでストレスを感じていたのに、つむぎといるのは苦痛にならない。むしろ安心する。彼女が来てから私の生活は前では想像もつかないほど暖かい。



「ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした。ところで、さっき届いたのはなんなのぉ?」


つむぎがリビングに置かれた小包に目をやる。ああ、そっか、言ってなかったっけ。食器を片付け洗い物をしながら答える。

「新しいタオルだよ。やっぱり手元にないと違和感があって」

ふとした瞬間に手が寂しいというか。いやまあ元はつむぎがそのタオルだから元の姿に戻ってもらうか手を握らせて貰えたら一番いいんだけど。ようやく人の姿になれたって喜んでるのを前には言いづらいし、手を握るのは何だか心臓がうるさいし。


「つむぎと同じメーカーのを選んで見たんだ。流石にぴったりとはいかないだろうけど無いよりマシかなって」

「…ふーん」

洗い物に目を向けていた私は、つむぎの怪しく光る双眸に気が付かなかった。







「ふう…いいお湯だった」

入れてくれたお風呂に入った。前につむぎにねだられて買った入浴剤が入ってていい香りだった。入浴剤って入れる意味あるんだな。髪を乾かしてベッドに腰掛け、スマホで明日の予定を確認する。ええと、明日は総務課の人と打ち合わせをして…頭の中で整理していると、いつのまにかつむぎが隣に座っていた。俯いていて何だか様子がおかしい。

「どうしたの?…わっ」

声をかけるとベッドに押し倒される。仰向けになった私に彼女が跨った。彼女の手が顔に添えられ、唇を指でなぞられる。

「ひゃっ…!つ、つむぎ、なにして」

「咲が悪いのよぉ?わたしを差し置いて浮気するなんて」

「え…?う、浮気ってなんのこと…あ」

新しく買ったタオルを思い出す。まさかあれのこと…!?慌てふためく私をよそに彼女の手が私の身体を這う。

「ちょ…どこ触って…ん」

「咲だってわたしのこと散々撫で回してきたじゃない」

「そ、それは、あなたタオルだったじゃ…んむっ」

うるさいとばかりにキスされる。頭と身体が沸騰したように熱い。潤んだ視界の中、彼女は唇を舐め艶やかに笑った。








「あれ氷室さん、今日は布面積百パーですけど寒いですか?」

「は、はい…ああすいません、ありがとうございます」

今日冷えますもんね、と言いながらエアコンの温度を上げてくれる田中さんに申し訳ない…と心の中で詫びる。結局新品のタオルはクローゼットに封印されてしまった。あれを使える日はくるのだろうか…。









(布森つむぎ視点)


初めて自我が芽生えたのは彼女が社会に出て少し経った頃だろうか。新しい環境に奔走する彼女は次第に余裕を無くしていった。この身体に刻まれた記憶から、元は多いとは言えないが笑顔溢れる子供だったとわかる。でも今は無表情。無機質な瞳でこの殺風景な部屋にいる。


彼女は、咲は昔から極度の心配症だった。独り立ちする前は家族や友人に声をかけられていたためそこまで酷くならなかったけど。今はもう仕事以外に心が向かないみたい。毎晩わたしに縋りついて子供のように丸まって眠る彼女をこれ以上見たくなかった。


『この時代に付喪神の卵かぁ珍しい』

知らない声が響く。見ると羽の生えた男が宙に浮かんでいた。

『…あなた、誰』

『まだ生まれて五十年も経ってないじゃないか。面白いなぁ』

わたしの言葉が聞こえてないのか夢中で周りを飛び回るのが鬱陶しい。

『誰って聞いてるんだけど』

怒気が力となって空間を揺らす。ギシ、と嫌な音がした。彼は目を丸めると慌てて腰を折った。

『えっ、しっ失礼しました、まさかお目覚めになっているとは知らず』


話を聞くと、彼は天使長とやらで最近生まれた神の気配を確認に来たらしい。

『神々のサポートをするのが我々天使の役目ですから』

そう言って胸を張るがどこか抜けている雰囲気の彼は続けた。

『それにしてもこんな短期間に自我を獲得するに至るとは。この調子ですと、もう二、三十年で顕現できるでしょうね』

二、三十年…?それじゃあ遅すぎる。わたしは今のあの子を支えたいのに。このまま見守り続けるだけなんて耐えられない。

『…それを早める方法はないの?』

『これよりさらにですか…!?まあ、有ることはあらますが…あまりお勧めしません』

『なぜ?』

『本来なら付喪神は一度顕現すると永続的に存在できますが、無理に早めると持ち主の寿命に引きずられる事になるので…』

つまりあの子と一緒に死ねるという事か。むしろ好都合ね。

『その方法教えて』

『で、ですが勿体無いですよ。今どき付喪神様が現れるのは極めて稀で…』

『いいから、早く』

言葉に力を乗せて放つ。空気が重く沈み、彼の喉が鳴った。

『う…、わ、わかりました』







かくして人の姿を手に入れたわたしは勢い込んで咲の元へ行こうと駆け出しかけ、彼女が一人、死んだ目で生野菜をかじっているのを目にした。

ぼりぼり ぼりぼり…

うん、お料理の練習しましょうか


『…それで僕が呼び出されたんですか』


一応天使長なんだけどな…という呟きは聞こえなかった事にして、彼の領域に割り込む。天使長は伊達ではないのかその領域内では彼が思い浮かべたものが召喚できるようだ。


『はい、まずはこれ』

簡単だと咲の母が言っていたカレーを作ってみた。何だか色が紫になったけど問題ないはず。出されたものを見て何故か顔を青ざめさせた彼にスプーンを握らせる。

『食べて』

『い、いただきまぁーす』

口に入れた瞬間彼の顔色が青から緑、紫に変わった。真っ白だった羽がみるみる灰色になっていく。うーん、何がいけなかったのかしら…


『それじゃあ次はこれ』

『ま、まだあるんですか…』

『当たり前でしょう?咲には美味しいものを食べて欲しいもの』

『ひいぃぃい』



そして何回か数えてなかったが、彼が萎びた椎茸みたいになった頃ようやく満足のいくものが出来上がった。試しに彼に出してみる。いつからか彼の羽と輪っかがどす黒く濁っているが、まあ気のせいね。


『…うぅ、あむ、え…?お、美味しい』


萎びた椎茸がみるみるうちに蘇っていく。羽と輪っかが光を放ち始めた。よし、これなら大丈夫かな。


『それじゃ世話になったわ』

『ああ…行かれるのですね、僕を堕天させかけた神はあなたが初めてですよ…』

後半の言葉がよく聞こえなかったが、わたしの頭は咲のことでいっぱいだった。そうして降り立った場所は咲の枕元。険しい顔をして寝ている彼女を起こしたくて声をかける。


「さきぃー?おーい」


繰り返し声をかけると徐々にその瞼が開く。ああ、ようやくあなたに触れられる。大好きよ、咲。









(田中ひより視点)

うちの部署には氷の君がいる。と言っても女性だけど。スラっとした手足に整った顔立ち。お名前を氷室咲さんという。仕事ができてパワハラもしないので大変人気がある。でもその名の通りいつも無表情で淡々と仕事をこなすため話しかけにくいみたい。


そんな氷室さんをもっと知りたくて、以前勇気を出して話しかけてみたら思っていたよりずっと話しやすい人だった。それ以来仕事の合間によくお話ししている。




週明け、氷室さんはいつもより雰囲気が柔らかかった。聞いてみるとなんと同居人ができたらしい。控えめに笑う顔は、いつもの鋭利さが鳴りをひそめどこかあどけない。

う、美しい…!

思わず大きな声が出てしまいオフィスにいた人たちの目線を集めてしまった。いや、これは聞き耳を立ててたな。興味ありげにチラチラと氷室さんに視線を送っている。そのせいかすぐに元の顔に戻ってしまった。やってしまった…


それから氷室さんは変わった。と言っても少しだけ表情が柔らかくなったくらいだけど、それでも随分親しみやすくなった。それに比例するように、氷室さんのデスクによくわからないものが増えた。大体ちょっとシュールな顔をした動物の付箋やペンとか。普段の凛とした姿とはズレたギャップがまたかわいいな、と思う。



「今度の週末、飲みに行きませんか?もう何人か誘ってて…あ、いや別に無理にとは言わないんですけど」

他の参加者の熱い視線を背に氷室さんを誘う。こんな時だけ私を盾にして…

「え…、私行ってもいいんですか?」

「もちろんです!むしろ来てくれないと私が危ういというか…」

ああ、全然理解されてない。頭の上にはてなマークが見える。

「?…じゃあ是非、ご一緒させてください」

「本当ですか!ありがとうございます!」

嬉しい!よかった…と胸を撫で下ろす。後ろでハイタッチしてるあいつらは後でシバく。





「…今日はありがとうございました、楽しかったです」

アルコールのせいか、薄く紅が差した頰で氷室さんが言う。夜はすっかり更けてお開きになった店の前で話す。


「こちらこそ、ありがとうございました!…あの、よかったら駅までお送りしましょうか?」


今日飲んだ人たちの中で、氷室さんだけ反対方向の駅を利用している。繁華街とはいえ、一人で歩かせるのは少し心配になる。


「いえそれだと田中さんが一人で帰る事になってしまいますし、迎えが来ますから」

迎え…?と思った瞬間「咲ぃー」と声がした。

目をやるといつの間にか氷室さんの隣に女の人が立っていた。氷室さんより背が高く、系統が違うが同じく美人だ。


「ああ、もう来たの?」

「だってぇ…思ったより遅かったんだもの」

親しげに会話する様子からこの人が氷室さんの同居人かとわかる。愛おしげに話しかけ、氷室さんも口元に笑みが浮かんでいる。

ああ、そうか。この人が氷室さんを変えたんだ


「それじゃあ、失礼します。また週明けに」

「あ…はい。お気をつけて…」

後ろで待っていた同僚たちが私を呼ぶ。

「はやくー行きますよー」

「ちょっと待ってくださーい!」

氷室さんを呼んだのは私なのに。まったく調子がいいというか何と言うか。慌てて駆け出す。チクリとした胸の痛みには…気が付かなかった、ことにした。

クローゼットの中のタオル(………)



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