怨念
その女の子の事はすっかり忘れていた。ばったり十年振りに会うまでは。
その子とは小学五年六年と同じクラスだった。特に親しい訳ではなかったけれど、クラスメイトとして一緒に二年間過ごした。経済的に恵まれていない事は誰が見ても明らかだった。鞄は丁寧に修繕されていたが使い古された物で、着ている洋服や靴は清潔にしていたが、いつも同じだった。給食はいつも残さず食べ、休みの人の余ったパンがあると家に持って帰っていた。そういう事でからかったりする男子がいると、いつも気弱そうに笑っていた。私たち女子の中で、彼女をいじめたりする人は一人もいなかった。でも誰もがどこかで一線を引いていた気がする。
私の家庭はそんなに裕福でなかったけれど、両親とも私にすごく甘くて、ねだれば何でも買ってくれた。母は季節ごとにたくさんの服を買ってくれて、毎日違う洋服を私に着せた。朝も学校に行く前にいつも髪の毛をセットしてくれて、それが自慢だった。
六年生の時、その子の体操服は洗濯のし過ぎで擦り切れていて、体育の時間にすごく恥ずかしそうにしていた。運動会が近くなって来たある日、私は見かねて自分の体操服をあげた。私は体操服もたくさん持っていたから。その中でも比較的きれいな物を洗濯して、放課後こっそり渡した。
「よかったら使って」
そう言って差し出すと、最初びっくりしていたけれど
「ありがとう」
と少し震える手で受け取ってくれた。
――良かった。
帰り道、私は足取りも軽かった。そしてその事は誰にも言わなかった。話したら自分の好意が壊れてしまう気がしたから。
運動会当日のお昼の時間、その子は校庭の隅で一人おにぎりを食べていた。偶然見かけた私は、誘って食事を共にした。父も母も歓待してくれ、食べきれないほどのお弁当のおかずに驚き喜んでくれた。それ以来、その子は私と目が合うとにっこり笑うようなった。
その日は日直でいつもより遅くなった。私が下駄箱へ行くと、その子がそっと私の靴を持ち出そうとしていた。それはお気に入りのフリルがついた物だったけれど、私は何も言わずにそっと見ていた。その子の靴はボロボロでいつも可哀想に思っていたから。私は上履きで帰り、その事も誰にも言わなかった。翌日その子と目が合ったとき、いつも通り笑ってくれてほっとした。
卒業が近くなった二月、私は友達の誕生会に招かれた。その帰り道、学校の裏にある林を通り抜けていると、その子が林の中に一人でいた。何をしているのだろうと見ていると、何かを埋めているように思えた。気になった私は、その子が去ったあとこっそりそこへ行ってみた。目立たないようにしてあったが、少しだけ土の色が違う箇所があった。
次の日曜日、私はシャベルを持ってその場所へ行き掘り返してみた。すると中からビニールに包まれた紙袋が出てきた。開けてみると、私の靴、無くしたと思っていた下敷、ノート、消しゴムなどが入っていた。そしてその全ての物に赤い色で
「死ね」
と書かれてあった。
靴、下敷、ノート、消しゴム、ハンカチ、リボン……。
何もかもに
「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」「死ね」
と書かれているのだ。
私は恐くなって、急いでそれらの物を元通りに埋めた。次の日からその子と目が合っても、恐くてすぐに逸らすようになった。卒業後、私は私立の中学に入りその子と会っていなかった。
偶然の再会では、先に向こうが気付き、一瞬遅れて私も気付いた。
「お久し振りですね。お元気でしたか」
そう話しかけてくれたその子は、見違えるように素敵な女性になっていた。一目で高級品と分かる服に身を包み、きりりとした化粧を施していた。表情は知的で毅然として、はっとするほど美人だった。
「ええ。あなたもお元気でしたか」
私がそう答えると
「おかげさまで。……ではまた。ごきげんよう」
と言い悠然と一揖した。私も会釈を返し歩き始めると、後ろから低く罵るようなつぶやきが聞こえた。
「まだ生きていやがったのか」