1話
今日は入学式だった。着慣れないスーツに腕を通した俺はキャンパスをブラブラと歩いていた。さすがに国立大学なだけあって、キャンパス内は広い。至る所でサークルや部活の勧誘が行われていた。
俺はビラだけ貰って、どのサークルに入るか決めあぐねていた。スポーツもありだし、文化系のサークルもいいなぁ……。
ちょうどよくベンチがあったので、俺はそこに座ってビラを吟味することにした。まだビラを貰っていないところも、配布された資料に全てのサークルと部活が載っているから、それを見ることにした。
悩ましいな。どこにしよう。
「やっと見つけたっ! あなたが倉持琉ね」
俺がビラとビラを見比べていると、頭の上から声が降ってきた。顔を上げると、そこには真っ黒で真っ白な人が立っていた。
真っ黒で真っ白。よく分からない表現かもしれないが、そう表現せざるを得ないのだ。黒いワンピースに黒いストッキング、黒いハイカットブーツ。黒い髪。しかし、肌は真っ白で透き通るような色だ。真っ黒で真っ白。
唯一、白でも黒でもない色なのがその眼で、こちらを見据える双眸は夕焼けのような赤だった。
「どちら様で?」
というか、なんで俺の名前をご存知なんだろうか。エスパーか何か?
「私の名前は睦月むつき玲奈れいな。ここの学生よ」
そんなの見りゃ分かるんですがね。年の頃は俺の一つ二つ上くらいだろうか。年齢的に教授じゃないだろうから、学生一択だろう。
しかし綺麗な人だ。雑誌のグラビア欄からそのまま飛び出してきたような、周りとは違う、頭抜けた美しさがある。スタイルもグラビアアイドル顔負けで、豊満な胸部がこれでもかと黒のワンピースを押し上げていた。
「悩ましい……」
悩ましいボディをお持ちだ。
「悩ましい?」
「いえ、サークルの話です」
つい本音が出てしまった。
「それで、何の御用でしょう。サークルの勧誘ですか?」
俺は彼女の赤い眼を見据えて尋ねた。不思議な眼だ。光の加減でそう見えているわけでもないみたいだし、カラコンか何かなのだろうか。それにしたって赤って。奇抜な色を選ぶこの人のことだ、勧誘されるサークルも変なヤツだったら嫌だな。
「違うわよ。用があるのは私じゃなくて別の人。私はあなたをその人の所まで案内するよう頼まれただけよ」
「別の人?」
「私が所属している研究室の教授よ。あなたと面識があるはずだわ」
面識があると言われても、この大学に入ってまだ一日目、というか数時間。知り合いなんて一人もいないし、心当たりは全く無かった。
「ま、ついてくれば分かるわよ。案内するわ」
「なんか怪しいな……」
「怪しいって何よ」
「新興宗教とかに入れさせられそうだなって」
大学のサークルにはボランティアなどを装った、宗教がらみのサークルがあると聞く。俺もそういうところへ連れていかれて、取り返しのつかないことになってしまうのではなかろうか。
「失礼ね。教授は確かにおかしいし、研究内容もちょっとアレだけど、全然大丈夫よ」
「いや、大丈夫な気がしないんですが」
「うるさいわね。いいからついてきなさいな」
そう言って彼女は俺の腕を掴んで、俺を無理矢理立ち上がらせた。色白で細身だから運動なんてできそうにないと思っていたが、彼女の力は想像以上に強く、踏鞴を踏んでしまった。彼女の細腕のどこにこんな力があるというんだ。彼女の腕をまじまじと見たが、特段変わったところはなかった。
睦月先輩の黒い背中を追いかけてやって来たのは、研究室が並ぶ棟の隅。一〇八番研究室だった。薄暗い廊下を抜けた先にあり、ドアについた小窓からオレンジ色の光が漏れていた。
ガチャリと睦月先輩がその扉を開けて、ドアから光の束が溢れてきた。
「ここよ」
そう言った睦月先輩は、ツカツカと靴を鳴らして部屋の中へと入っていった。
「いらっしゃい。お待ちしてました」
俺がドアの隙間から中を覗くと、奥の椅子に座っていた女性と目が合った。
「ど、どうも」
俺はおっかなびっくりで部屋に入る。研究室と言っても、理系の研究をしているような場所ではないようで、棚の中に大量の古びた資料が置いてあるだけだった。扉の正面に机があって、そこに女性が座っている。
「お久しぶりですね」
女性はそう言った。睦月先輩が言うには、俺はこの人と面識があるらしい。はて、どこかで見たことがあるような、ないような。
「もしかして、覚えていませんか? ほら、受験の時の」
「受験……?」
「うちの宿に泊まってくれたじゃないですか。それに裸の付き合いもした仲でしょう」
「あ!」
完全に思い出した。来ている物が和服じゃなかったから気が付くのが遅れたが、受験の際に泊まった宿の女将さんだ。
「どうして女将さんがここに?」
「私、本業はこの大学の教授なんです。向こう宿は副業で」
大学教授が副業で宿の女将を? 異色の組み合わせでわけがわからない。それとも今の教授の間では副業は当たり前なんだろうか。
「この人がおかしいのよ。普通はみなし公務員なんだから副業は禁止よ。だから言ったじゃない、変なヒトだって」
俺の思考を読んだかのように睦月先輩は言った。その言葉に女将さんは口を尖らせる。
「おかしいってひどいわ」
「事実ですもん」
俺は二人のやり取りを黙って見ていた。今の会話だけで、この二人がかなり仲がいいことが窺えた。
「それで、俺は何のために呼び出されたんでしょう」
二人がじゃれ合うのをいつまでも見たかったが、堪えて質問をぶつけることにした。
向かい合っていた二人がこちらを向く。きっと俺のことを忘れていたんだろう。そんな表情を二人とも浮かべていた。俺は苦笑いを返した。
「コホン。ごめんなさいね。ええと、それで……。どこから話したらいいんでしょう」
言葉に詰まった女将さんに、先輩が助け舟を出した。
「簡単に言うわ。倉持くん、あなたはもう人・間・じ・ゃ・な・い・んの」
「はぁ……? エイプリルフールなら一昨日ですけど」
意味不明だった。何を言っているんだろう、この人は。先輩はえらくまじめな顔をしていた。
「それが、嘘じゃないのよね。半分、なのだけれど」
「半分?」
先輩の言葉に女将さんも同調して、俺はますます意味が分からなくなった。
「もしかして俺、強烈にディスられてます?」
お前人間と思えないくらいヒドイ、みたいな。
「そうじゃなくて、ホントなんです。どうしたら信じてくれるんでしょう……」
「見せてみるのが早いんじゃないですか? それが一番手っ取り早い」
そう言って、先輩はツカツカと靴を鳴らして俺に近づいてくる。
睦月先輩は俺の左腕を掴んだ。
「?」
何をするのか疑問に思っていると、視界の端で何かがクルクルと飛んだ。それはドサリと少し水っぽい音をさせて床に落ちた。
「腕、見てみなさいよ」
睦月先輩にそう言われ、俺は自分の腕を見た。
腕が無かった。
「は? え?」
腕が無い。肘から先がすっぱりと刃物で切断されたように、綺麗に無くなっていた。しかし痛みは全く感じない。無くなった肘から先を探すと、床の上でピチピチと跳ねていた。視界の端に見えたのは、切断された俺の腕だったのだ。
「どう? これで自分が人間じゃないってわかったでしょ?」
「ちょっとちょっと、玲奈ちゃん。やりすぎよ。倉持くんも混乱してるじゃない」
そう言って女将さんは、陸の上の魚のように跳ねていた腕をむんずと掴んで、断面と断面を押し合わせた。
「ほら、これで大丈夫ですよ」
俺は腕が動かせるのを不思議に思いながら、切られた痕を指でなぞった。その痕も徐々に消えていき、数秒で跡形もなくなった。俺の腕は断面を押し付けただけで簡単にくっついてしまった。
「なんなんですか、今の……?」
「何って、そのまんまよ。私があなたの腕を千切って、あの人がくっつけた。それだけよ」
「それだけって。それじゃあまるで――
「人間じゃない。そう言ったでしょ?」
どうやら俺はいつの間にか人外になってしまっていたらしい。
続きます。