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スラム街の見えない天使  作者: 月夜野桜
第三章 見えない天使は幸せを運ぶ
9/22

第一話 初任務は野良犬救助

「ぁぁあああぁぁ……あったかーい……」


 家に帰るなり早速コタツムリと化す葵。やっと信頼を得られてきたのか、今日は一人で帰宅することを許された。ベアトに夜の任務が入ったのもあるが、この二週間ほどでの成長を認められた結果と葵は解釈している。


 十二月に入り、街では早くもクリスマスのイルミネーションが始まった。地下道を出てからマンションまでのわずかな地上部分も、街路樹が美しく飾り立てられている。帰宅の時間には色とりどりの電飾が点滅して、今まで見たこともないような幻想的な雰囲気を醸し出していた。


 道沿いの商業ビルには、色々と美味しいものを売っている店があるらしいが、今はまだ我慢。イルミネーションを鑑賞しつつも、真っすぐに帰宅してきた。


「マーヤさん、グラタンどこー?」


 コタツムリしたまま、名無しネームレスだけを動かして、器用に冷凍庫を開ける。流石に中身はパッケージを見ないとわからないので、室内カメラとリンクしているマーヤに訊ねてみた。


「横着しないで、自分で確かめてよね!」


 やはりAIのモデルは真綾なのだろう。なかなか甘やかしてはくれない。


「これは名無しネームレスの運用訓練なのです。見えなくても出来ないといけないのです」


 などと言い訳しつつ、名無しネームレスで持ち上げてみてから、二番目の袋を電子レンジへと放り込んだ。解凍が終わると、そのままの姿勢で、名無しネームレスを使って手元へと持ってくる。重さでなんとなくそうだと思った通り、二番目のがグラタンだった。


「いただきまーす!」


 コタツムリしたままフォークを手に取ると、見かねたのかマーヤが大きな声を上げる。


「葵ちゃん、流石にお行儀悪いよ!」


「今日はいいのです。ベア子さんいないんですから、たまにはコタツムリを堪能するのです」


「マナーも教えろって言い付かってるんだよ! 室長への報告プログラムダウンロード中……」


 慌ててがばりと起き上がって、葵は正座して食べ始める。


「そ、そんなの要りません。消してください。葵さんはお行儀よくお食事してるのです」


「証拠映像は確保したよ! これで葵ちゃんは当分、アタイの下僕だね!」


 こんな感じですっかり仲良く――というより、ぬいぐるみの尻に敷かれて、葵は教育されている。真綾が作っただけあって、AIのくせにやたらと頭が回る。しかもやり方が人間臭い。実はAIではなく、本人が電脳経由で制御しているのではないかと葵は疑っている。


 もう拠点とマンションでの生活に関しては何も不安なところはなく、すっかり適応出来た。通販の頼み方も覚えて、ベアトから貰った小遣いを少し使い、試しに菓子などを取り寄せてみた。以前はコンビニで眺めるだけだったものを実際に口にすると、とても感慨深い。


 贅沢をしてしまっているという感覚は、なかなか抜けない。しかし、今の葵にとっては仕事ともいえる、勉強やトレーニングの後に食べると、格段に美味しく感じる。労働の対価として得たことになるからなのか、それとも単に腹が減ることをした後だからなのかはわからない。何か特別な充足感があり、この感覚を知れば、皆働きたくなるのではないかと思える。


「ベア子さん、お帰りなさい!」


 エレベーターが上がってくる時点でもうベアトの氣を感じ取り、扉が開いた瞬間、葵は声を掛けた。基礎知識を身に付けたからだろうか。経験則でなんとなく利用していただけの今までと比べ、心の眼はより遠く、より詳細に見分けることが出来るようになっていた。


「ただいま。飯はもう食ったか?」


「はい。ベア子さんの方は、また成果なしですか……」


 訊く前にもう任務の結果はわかってしまった。特段機嫌は悪くもないし表情も暗くはないが、上手くいっていたらもっと喜びを表しているような気がする。何より、帰りが早過ぎる。


「もぬけの殻だったよ……。ん、グラタン食ったのか。あたしにもくれ」


「私が行けば、捕まえられたんですかね?」


 コタツから這い出し、冷凍庫のグラタンを探しながら葵が問う。ベアトは上着をハンガーにかける手を止め、少々考えるように遠くを見るような眼になった。


「どうだろうなあ。そんなせいぜい数分単位の問題ではなかった気がする。押収したコンピューターも、徹底的にデータが消されてて、中身は空っぽだったそうだ。あたしがマフィア街に踏み込んだ時点ですぐに気付いても、そこまで痕跡を残さず消せるもんじゃないらしい」


 そうすると、ベアト自身がもう顔を覚えられ、マークされているのだろう。もっと早い段階で強制捜査と判断し、証拠隠滅に動いたということになる。どんな手段で移動したのかは知らないが、どこか途中で見られているのだ。


(ということは、顔を覚えられてない私なら、やっぱり可能性ある気がしますね……)


 早いところ室長の信頼を勝ち取り、作戦に加えてもらわないとならない。一度でうまくいくとも思えないが、何をきっかけに逃げ出しているのか、というのはわかりそうな気がする。


「あ、そうだ。仕事の方は空振りだけど、これは朗報かもしれない。犬ってこいつか?」


 ぱあっと葵の顔が喜色に包まれる。ベアトが見せた端末に映っているのは、間違いなくローラだった。毛むくじゃらの愛嬌のある顔で、嬉しそうに見上げている。


「そうそう、この子です! よくわかりましたね」


「葵の臭いが移ってるのかな? マフィア街の外で待機してたら、勝手に寄ってきたんだよ」


 任務はまだ任せてもらえないだろうが、ローラを探しにいく許可くらいなら下りるかもしれない。単独行動は無理でも、ベアトと一緒でなら、可能性はある。


「元気そうでよかったです! 明日、探しにいっていいか、室長さんに訊いてみます。ベア子さんの付き添いが必要だって言われたら、一緒に行ってもらえますか?」


「んー、気持ちはわかるが、今は忙しいから、もう少し待ってくれないか」


「そうですか……仕方ないですね……。はい、これどうぞ」


 グラタンをベアトの前に出すと、葵はコタツムリ状態に戻った。その葵の手を、ベアトが掴んでくる。左手の指輪に触れられると、ベアトの声が聞こえてきた。


〔返事はするな。これは通常の霊子通信じゃあない。お前の指輪を通して行っている。夢幻の心臓イモータル同士だけが使える接触通信。ルナタイトを通して、こうして会話が出来る。聞こえていたら、電脳デバイスをオフにしてから、指輪に言葉を載せてみろ〕


 言われた通り電脳デバイスに停止コマンドを送ってから、指輪に向かって念を送ってみた。


〔こんなこと出来たんですね〕


名無しネームレスなら、伸ばしている状態でも出来るはずだ。これは盗聴不可能。秘密の会話をするときには、今後これを使うから覚えておいてくれ〕


 真綾から聞いた、電脳デバイスの原理を思い出した。霊子ナノマシンは、ネクロファージの機能を模倣したものだと言っていた。これを誰でも出来るようにしたのが、電脳通信なのだ。


〔それで、内緒の話って何ですか?〕


 穏やかではない。自分の部屋なのに秘密通信を行う。ここを安全と思っていないという証拠。


〔近々、極秘作戦を行いたいんだ。誰にも教えず、あたしと葵、二人だけでやる作戦だ。今の犬を探しにいく話、その時に海上都市アクアポリスに出かける口実にしたい〕


 口実まで用意する。それが意味することは、葵にも予測がついた。内部からの情報漏洩をベアトは疑っている。今日の空振りもそのせいだと言いたいのだろう。


〔スパイ……ですか? それなりの人数が出入りしてますけど、みんなちゃんと信用調査はした人たちなんですよね?〕


〔一番やりやすいのは、真綾じゃないかと思っている。前に話したが、あいつはかつて自分が作ったブラックボックスの搭載されたデバイスを、容易にハッキング出来る。日本にあるデバイスの一部に過ぎないが、間接的な攻撃も含めれば、結構な割合で制御を奪えるとのことだ〕


 ベアトは何食わぬ顔でグラタンを口に運んでいるようなので、葵も緩んだ表情でコタツの温かさに身を委ねる。しかし、頭の中身はフル回転していた。


〔でもハッキングして情報を盗む必要って、そもそもないですよね? もしかして今日の任務の内容、ウサ子さんには内緒にしておいたんですか?〕


〔いや、当然あいつも知っている。今日は黒き隼ファルコ・ネロでサポートに入っていた〕


 黒き隼ファルコ・ネロはベアトたちが使っているステルス戦闘ヘリ。葵が連れてこられた時、乗せられたもの。外壁は蜃気楼ミラージュと同じメタマテリアル加工がされていて、光学的には見えない。上空から監視や情報収集などのサポートをしていたのだろう。


〔気付かれずに情報を盗めるってことは、逆に気付かれずに置いてくることも出来るということだ。外部への連絡を悟らせない能力が一番高いのは、真綾だ〕


 言われてみればそう思える。スパイとして常駐するならば、情報収集以前に、まず自分の正体を隠し通す必要がある。拠点内の制御を奪えていれば、外へ連絡しても気付かれない。


〔他に疑うべきは室長。正規に色々な権限を持っている。二人ともその気になれば、この部屋の会話も拾えるだろう。だからこうして盗聴不能な方法で会話している〕


 それも一理あると思った。トップの立場を得ることがまず難関だが、一度なってしまえば、あとは一番楽と思える。上位組織との連絡などは、当然部下たちにはアクセス権のない機器を使っているだろう。それを使って、不老不死の薬エリクシルの売買組織に情報を流せる。


 二人とも事件解決にかける熱意は本物に見えた。しかし、一般研究員よりもずっとスパイがしやすい立場であるのは確かだとも思う。アクセス出来る情報も多く、監視の目を逃れやすい。


〔ベア子さんが押さえたいのって、単なる売り子じゃなくて、上位の人間のいる場所ですよね? それってウサ子さんが突き止めてるんじゃないんですか? 室長に内緒で調べてもらって、それでどうなるか試すんですか?〕


 真綾がスパイだった場合には、どうしようもない。そして、それを頼むには、室長がスパイだと疑っているということを、真綾に打ち明けなくてはならない。なかなかに難しい気がする。


〔独自の情報源がある。捕らえた売り子を見逃す代わりに、情報を集めさせ、金で買っている。単独行動で踏み込んだ時には、消去が間に合わなかったのか、爆破という形で処分された〕


〔いつもは違うんですか?〕


〔普通に仕入れた情報ということにして、新麻調の正規の作戦として捜査した時には、もっと丁寧な方法でデータを消された。爆破じゃデータが残った部品を回収される恐れがあるからだろう。正規の作戦の情報は、事前に洩れているという証拠だ〕


 以前からベアトは、スパイの存在を疑っていたのだろう。葵を引き込んだのは、スパイではない可能性の高い、新しい仲間が欲しいというのもあったのかもしれない。


〔夜遅くに上の階に行ってるときがあるのは、その情報源との連絡ですか?〕


〔お前、気付いていたのか……。魔力と氣、どちらを見ているのか知らないが、そこまで把握出来るのなら、やはり適任だ。お前一人で潜入し、現場を押さえてくれないだろうか?〕


(私一人で……? まだ一度も任務なんてやったことないのに?)


 ベアトが信頼を寄せてくれることは嬉しい。しかし、真綾や室長を試すというのは気が進まない。もしこれでうまくいったら、ベアトはどちらかをスパイとして認定する。スパイなんて存在せず、偶然や、葵の隠密能力のお陰で成功してしまうだけかもしれないのに。


〔情報が入ったら、その日に合わせて、犬を探しにいく申請を出す。真綾が休みの日だと都合がいいな。許可が下りなければ、下りるまで何度でも繰り返すぞ〕


 それからの数日、葵は考えに考えた。どうするのが最も穏便に済むのか。優しい真綾を疑いたくない。哀しみに立ち向かう室長を疑いたくない。しかしベアトの期待にも応えたい。事件も早く解決したい。それらの想いの狭間で、揺れ続けた。


〔ウサ子さん、私、今日初任務なんです。お休みだから邪魔するなってベア子さんは言うんですけど、やっぱり私不安だから、助けてもらえないかと思って。ぜったい怒られるから、ベア子さんには、内緒にしてください〕


 作戦決行当日。葵はやはり疑い切れず、真綾にそう通信を送った。真綾とベアトの関係がこじれないよう、必死に言い訳を考えた。室長には、虚偽の申告をすることになる。それに対するものはどうしても思い浮かばず、今回は諦めることにした。結果が出れば、はっきりとする。うまく捕らえることが出来れば、スパイの情報も得られるはずなのだから。


〔また気遣ってるのね、ベアトは。前にも私が休みの日に単独行動してたし。わかった、衛星とドローンを使って、上空から見張っとくわ。何かトラブルがあったら言って。たぶん霊子通信もドローン経由で届く。ベアトには気付かれないよう、さり気なくバックアップしてあげる〕


〔ありがとうございます。心強いです〕


 話してみた感じ、やはり真綾は違うと思える。ベアトの単独行動を把握していたのなら、その情報を流すことが出来たということだ。なのに相手の対応は遅れた。だから真綾は違う。確信を持った葵は、聞いている範囲で任務の内容を伝えた。


〔ベアトも成功したことがない。もし失敗しても、そう気落ちしないことね。まずは自分の生命を最優先に。情報を得られても、あなたに何かあったら意味がない。次の作戦をやる人、いなくなっちゃうでしょ?〕


〔仇はベア子さんがとってくれますよ。でも、ありがとうございます、心配してくれて!〕


 葵はその会話を、ベアトと二人談笑しながら出庁する途中でこなした。ベアトを騙す形になり心苦しかったが、葵なりに精一杯考えて出した答えだった。


 拠点に入ると、すぐに室長の部屋へと向かった。ベアトがローラの写真を見せながら言う。


「昨日、スラムで偶然見つけたんだ。葵の臭いに気付いて寄ってきたみたいなんだよ。そろそろ探しに行かせてやってもいいだろ? いい加減、信用してやってくれよ」


「ふむ……勤務時間中というのが気になるが、見つけるあてはあるのか?」


(よく考えたら、お仕事中に行っちゃまずいじゃないですかー!?)


 そこまでは思い至っていなかった。これは断られる。葵は戦々恐々としつつも、顔には出さないようにして心の中で叫ぶ。ベアトは自信ありげな笑みを浮かべながら返した。


「当然、マーキングしてきた。長くは保たないから、今日行く必要がある。昨日見た付近を歩き回れば見つかるはずだ。そんな遠くまでは行ってないだろうし。マフィア街の近くだったから、場合によっては中まで行くかもしれない。葵の教育にも丁度いいだろ?」


 既に対策済みだったようだ。今日でないと駄目な理由をでっち上げてある。当然マーキングの話は嘘だろう。何日も前の写真なのだから。自分の教育も兼ねているということなら、許可が下りるかもしれない。葵はベアトの用意周到さに舌を巻いた。


 そして同時に、許可が下りてから真綾に伝えればよかったと、自分の迂闊さに呆れた。許可が下りなかった場合、何も出来ないのだから、真綾にどう説明すればいいのかわからない。


(許可してください、許可してください、許可してくださいー!!)


 心の中で必死に叫びつつ、考え込む様子の室長を見守る。顔に出ていたのか、室長はやや呆れたような表情で葵に問う。


「そんなにその犬が大切なのかね?」


「たった一人の友達だったんです。これからも一緒にいたいです。御飯もたくさん食べさせてあげたい。でも、連れてくるかどうかは、あの子の意思に任せます」


「野良犬を友達と呼び、一人と数え、意思まで尊重するか……」


 小さく溜め息を吐くと、室長は葵の瞳を真っすぐに見つめながら言った。


「ならば行ってこい。この野良犬の救助が、君の初任務だ」


「ふおおおおお! ホントにいいんですかー!?」


 多数の理由が重なり嬉しくてたまらず、葵は大声で叫びながらずいと顔を寄せて訊ねる。


「ただし、マフィア街では何があるかわからない。充分に気を付けろ」


向日むかいあおい、只今より、初任務に赴いて参っちゃいますー!」


 興奮して部屋から走り出る葵の背を、室長はもちろんベアトまで肩を竦めつつ見送った。


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