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スラム街の見えない天使  作者: 月夜野桜
第二章 この場所にいる理由
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第三話 百万分の一の奇跡

「葵、お前これ乗って一人で上までいけるか?」


 エレベーターを待っていると、ベアトが突然そんなことを言い出した。


「ささやかだが、お祝いしようぜ。銀座まで行って、ケーキ買ってきてやるよ。せっかくだから一緒に行って店で食いたいが、今連れ出すと室長に怒られそうだからな」


「ケーキ……それって、豪華なお菓子ですか?」


 名前だけは聞いたことがある。確かおめでたいときに食べるもの。


「一人で待ってられるか?」


 エレベーターの使い方は、見ていて覚えた。一人で待っているのなんて、至極簡単なこと。葵は心外に思い、頬を膨らませて抗議する。


「そんなの心配されるほど、子供じゃありません!」


「じゃあ、あたしは近道して別のエレベーターで外に出るから」


 扉が開くと、背中を押されエレベーターの中へ入れられた。葵は手を振ってベアトと別れる。


(そうだ、丁度いいですね、これ……)


 室長に少し訊きたいことがあった。先程の吸血鬼ヴァンパイアについて、気になることがある。あの男のネクロファージは、室長のものと同じに感じた。それが何を示すのか知りたい。


 上につくと、葵は室長を探して廊下を歩いていった。今朝行った室長の部屋の場所は覚えているのだが、途中の扉が閉まっていて、開け方がわからない。周辺をペタペタと触ってみていたら、真綾の声がした。


「不審な行動とってると、つまみ出されるわよ」


「あの、室長さんにちょっと訊きたいことがあるんですけど?」


「ちょっと待って、連絡を取るわ。……会議室で待っているようにって。案内表示するわ」


 また床に緑の矢印が出たので、葵は礼を言ってからそれに従い移動した。今朝エレベーターで上がってきた付近の部屋へと誘導され、自動的に開いた扉の中に入る。部屋には大きなテーブルが一つ。周囲に沢山の椅子が並んでいる。葵は一番手近な椅子を引き、そこに座った。


 五分ほど待っただろうか。スピーカーから室長の声が聞こえてきた。


「用件は何だね? 私に直接訊きたいということは、何か特殊なことだと思うが?」


「えっと、その……もしかして私の能力を試すために、室長さんが吸血鬼ヴァンパイアを作ったのかなって思って」


「ベアト君が捕まえてきた売り子だと、先程伝えたはずだが?」


 確かにそう言っていた。ベアトも特にそれを否定してはいなかった。しかし、自分とベアトと室長、三人ともネクロファージが違うのに、あの吸血鬼ヴァンパイアは室長と同じ。それが暗示することが、どうにも不穏な感じがしてならない。


「でも、さっきの吸血鬼ヴァンパイアのネクロファージって……その……」


 どう伝えれば要らぬ軋轢を生まないのか迷いつつ、葵は言い淀む。すると扉が開いて、室長が中に入ってきた。


「その話、もう少し詳しく教えてもらえないだろうか。はっきり言ってくれて構わない。この部屋での会話は、誰にも聞かれない」


「……室長さんのと、同じものに感じました」


 俯いて上目遣いで様子を探りながら、葵は小さな声で答えた。室長の眉がひそめられる。


「君は、系統の判別が出来るのかね?」


「系統……?」


 葵の頭が傾いでいく。また知らない概念。室長は葵の座っている席とは反対側に移動し、椅子に腰かけてから話を続けた。


「ネクロファージが一種の生物だということは、もう学んだだろう。生物が子孫を残す方法には色々とあるが、ネクロファージの場合は単純分裂で増える。マザーが二つに分かれることによって、子孫を残す。与えた側と与えられた側、つまり親子で全く同じものになる。同じマザーネクロファージが分裂したものを、同じ系統という呼び方をしている」


 説明を聞いて、余計に不安になってきた。やはり室長があの吸血鬼ヴァンパイアにマザーネクロファージを与えたということに聞こえてしまう。


「僕が確認出来ている範囲では、ネクロファージには三系統しかない。僕と、君と、ベアト君。その三系統だけだ。他の夢幻の心臓イモータルたちにいるのも、全てそのどれかと同じものだ」


「え……一人一人違うんじゃなくて?」


「人間側の適合性の話であれば、一人一人違う。しかし、ネクロファージ自体は三種類ということだ。もしかしたら未確認のものがあるかもしれないが、そうたくさんは存在しないだろう」


 ネクロファージは三種類だけ。ならば、吸血鬼ヴァンパイアのものと室長のものが一致する確率は、三分の一もある。特に不思議でもないということになる。


夢幻の心臓イモータル自体、とても数が少ないが、ベアト君は自分と同じ系統の人間を二人知っているという。僕も同じ系統の人間を何人か知っている」


「室長さんは、系統っての区別出来るんですよね? 私のと同じ人に会ったことありますか?」


 会ったことがあるのなら、その人が自分の生命の恩人なのかもしれない。そう思って葵は訊ねたが、室長はゆっくりと首を横に振った。


「残念だがない。元々僕が確認出来ていたのは、自分とベアト君の二系統だけだ。彼女は少なくとも三系統の人間を知っていると言っていた。君と出逢ってそれは証明された。しかし、彼女は系統の判別がまだ出来ない。彼女の知る三番目というのは、実は君とは違う可能性がある」


「私、もしかしたら四番目かもしれないってことですか?」


「可能性としてはある。それで、採用の有無にかかわらず、ネクロファージのサンプル提供者としては、協力を願おうと僕も考えていた。少々、虫が良すぎる話かもしれないがね」


 真綾が葵に期待していたというのは、それも含めてなのかもしれない。ますます協力する理由が増えてしまった。そして多くても四系統しかないのなら、室長を疑うのはやはり早計。


「しかし、聞いていたのよりも、君はもっと年上という可能性があるのだね。系統の判別が出来るということは、マザーネクロファージとの信頼関係が築けているということだ。そうなるには時間がかかる。ベアト君もまだなのだから」


「あれ……私、十五歳から十七歳くらいって言われたんですけど?」


「その説も否定出来ない。映像を見る限り、確かにあの時夢幻の心臓イモータルになったように思えた。信頼関係を築くのに必要なのは、年月だけではないのかもしれないね。過酷な生活の中で、通常より早くその力に目覚めた可能性がある。とても興味深い事象だ。ちなみに、もうマザーネクロファージは産み出せるかね?」


 真綾には出来ないと言ってしまった。訂正した方がいいのかどうか迷い、視線を泳がせる。


「答えたくないのならそれでいい。悪用を恐れるのはわかる。もし産み出せるのなら、適合するかどうかの判別も出来るはずだ。やたらに人に与えてはならないよ。完全適合でない限り、安定しているように見えても、いずれ吸血鬼ヴァンパイア化する」


 深く詮索されずに済み、葵はほっと胸を撫で下ろした。同じことが出来る室長には、気持ちがわかるのだろう。室長自身も、あまり他人には知られたくないのかもしれない。


「どれくらい危険なのか、はっきり知っておいてもらおう。適合者は、百万人に一人しかいないとされている。それ以外は夢幻の心臓イモータルにはなれない。すぐに吸血鬼ヴァンパイアになるか、いずれ吸血鬼ヴァンパイアになる運命の真祖と呼ばれる存在になる。君は奇跡のような確率で救われたということだ」


「百万分の一……ですか?」


 まさに奇跡としかいえない確率と思える。葵にネクロファージをくれたという人物は、当然適合すると判断してからやったのだろう。しかし、死の間際に出逢ったこと自体が奇跡。


「正確な数字はわからないが、それくらいに低い。しかし、単純計算だと、世界には各系統の適合者が、数千人ずつはいることになる」


 室長の言う通りだと思った。世界全体で考えれば、意外と多い。少なくとも三系統ある。一万人を超える夢幻の心臓イモータルがいても、決しておかしくはないということだ。


「君はこの先長い人生を送ることになるだろう。恐らく適合者にも出逢う。しかし、もし見つけても、やたらに増やすべきではない。どう利用されるかわからない。一見善人に見えても悪人かもしれないし、いずれ変わるかもしれない。力を持つと、人は変わるものだ」


 葵は、司祭の元に出入りしていた優し気だった人たちも、暴動に加わっていたことを思い出した。毎日恩を受け感謝していたのに、教会を襲った者もいた。人は生きていくためなら、どんなことでもしてしまうもの。室長の言っていることは、とてもわかる気がする。


「室長さんは、その……もしかして……」


「幸い僕はまだそういう後悔の経験はない。夢幻の心臓イモータルになってすぐに、その辺りのことを詳しく教えてもらえたからね。だから、適合者に出逢っても、仲間にしようとはしなかった。それで正解だったと今は思う。不老不死の薬エリクシル事件を考えるとね」


「あの、不老不死の薬エリクシル事件のネクロファージって、もしかしてみんな同じですか?」


 室長は珍しく哀しげな表情を見せた。瞼を伏せ、何かを堪えるようにしてゆっくりと話す。


「とても哀しいことだ。その数千人の中の、ネクロファージの繋がりでは、僕の親戚にあたる誰かが、事件に関わっているということになる。だからこそ僕は、この事件を自分の手で、早期に解決したい。そして出来れば、ネクロファージをもっと人の役に立てたい。不老不死の薬エリクシルは現時点では死の麻薬だが、可能性は秘めている。私はそれに生涯を捧げたい」


 最後は強い意志を籠めた視線を葵に向けた。室長はやはり本気であるように見える。いつも白衣を着ていて、ただの研究者にしか見えないのに、不老不死の薬エリクシル捜査の長を任されているのは、この熱意を認められたからなのだろう。


「疑ってごめんなさい」


 深く頭を下げて、葵は謝った。下げ過ぎてテーブルにぶつけてゴツンと音が鳴った。顔を上げると、室長はいつも通りの温和な表情で、そんな葵を見ていた。


「念のため、ベアト君に確認してみるといい。あれを捕まえてきたことは覚えているはずだ。系統の話についても」


「一応、訊いておきます。もしかしたら、私が四番目なのかどうか、わかるかもしれませんし」


「それから、マザーネクロファージを産み出せるとしても、他人には言わない方がいい。永遠の命を欲しがる者は多い。不老不死の薬エリクシルに手を出すのも、そういう人間だ。不老不死の薬エリクシルだけなら、手に入れるのは難しくない。マザーを植え付けるよう、誰かに強要されても困るだろう?」


「確かに……」


 不老不死の薬エリクシルの売買情報自体は、簡単に手に入ると説明された。気を付けなくてはならない。もし組織に知られたら、攫われて利用されてしまう可能性すらある。


「それでは、僕は仕事に戻るよ」


「あ、ついでなので、もう一ついいですか?」


 悪いと思いながらも、葵は室長を引き留めた。せっかくだから、今訊いたほうがいい。


「あの、わんちゃん探しにいきたいんです、スラム街に。野良犬って、誰のものでもないってことですよね? 私が連れてきちゃってもいいのかなって」


 室長は立ち上がったまま、少しだけ考える素振りを見せてから答えた。


「ベアト君の家で飼うことになるのだろうから、その許可自体はベアト君に求めてくれ。探しにいく許可は、今はまだ出せない。自由な外出は、もう少し色々と学んでからだ。当分はここと、ベアト君のマンションの往復だけ許可する。一人での移動もまだ認められない」


「そうですか……」


 予想はしていたが、それでも悲しいものがある。


(大丈夫、そんなに急がなくても、きっと元気に暮らしてるはず)


 そう思い直した。葵が腹を空かせているのを知っているのか、時々食べ物を持ってきてくれたりまでしたのだ。葵よりも余程したたかに生きているに違いない。


「もういいかね?」


「あ、はい、引き留めて済みませんでした」


 葵は立ち上がってもう一度頭を下げ直した。室長が出ていくと、入れ替わるようにしてベアトが踏み込んでくる。扉が閉まるのを待ってから、葵の耳元で囁いた。


「室長はまだなんか文句言ってんのか?」


「いえいえ、違いますよ」


 ぶんぶんと首を振って葵は否定した。


「ネクロファージのこと、もっと教わってただけです。一番詳しいみたいだから。マザーネクロファージがどう増えるのかとか、系統とかいうのとか」


「ああ、その辺は実際のところ、室長しかわからねえな。あたしらは他人から聞いた知識しかない。室長はマザーネクロファージを産み出せるようだからな。……あたしはいつになったら、そういうの出来るようになるのかな?」


「仲間……作りたいんですか?」


「いや、別にそういうわけじゃないが、系統の判別出来ると便利そうだろ? 仲間は……そうだなあ。助けたい奴に限って適合しないもんだろうから、逆に出来るようになると辛いかもな」


 そう言ったベアトは、確かに辛そうな表情を浮かべていた。きっと助けられなかった人がいるのだろうと葵は思う。確率は百万分の一。まず適合はしない。


 葵はこの先のことが少し心配になった。どうしても助けたい人がいた時に、不老不死の薬エリクシルの使用を考えてしまうかもしれない。止めたら吸血鬼ヴァンパイアになってしまう。しかし止めなければ、ずっと生きていけるのだ。助けたい気持ちが、後ろめたさに勝らないとは限らない。


「やっぱりお前なんか言われたのか?」


 そのままふさぎ込んでしまったからだろうか、ベアトが屈んで葵の顔を覗き込みながら問う。


「え? いえいえ、何もないです。……あ、強いて言うなら、まだ一人でお外出ちゃ駄目って言われました。わんちゃん探しにいっていいかって聞いたら、駄目だって」


「それはまだ仕方ないな。あたしもお前を一人で外に出したくないよ。何しでかすかわからねーもん」


 全く信用がない。葵は頬を膨らませて抗議の意思を示すも、的確な反論は出来ない。


「そ、そのうち大丈夫になります。……もしお出かけしてもよくなったら、ベア子さんのお家で飼ってもいいですか? それはベア子さんに許可取れって」


「唯一の友達って言ってたやつか……きちんと面倒を見るのなら、飼うこと自体は構わない。だが犬の方が喜ぶかどうかだな……。他にも可愛がっている奴がスラムにいるかもしれないし」


 本人の意思次第。確かに、ローラがそれを喜ぶかどうかはわからない。他の人たちがどう思うかも。葵の自己満足だけで連れてきていいものではない。


「今度会ったら、本人に訊いてみます。それから決めます」


「よし、じゃあお祝いだ。一番高いケーキ買ってきてやったぞ」


 ベアトが持ってきた大きな箱の、横にある蓋を開ける。葵の目に入ったのは、真っ白い大きな何か。赤いものが上にたくさん載っていて、黒っぽい粒やオレンジ、緑など様々な色のものを使って、カラフルに飾り立ててある。


「こ、これが、ケーキ……」


「おい、真綾も来いよ。これ見えるだろ? 一緒に食おうぜ」


 箱から引きずり出すと、甘酸っぱくて爽やかな果物の香りが漂ってきた。当然葵の口は半開きになり、だらだらと涎が垂れてくる。


「要らない。私、忙しいの」


 スピーカーから真綾の声が流れた。監視システム経由で、部屋の様子はわかるのだろう。


「照れるなって。祝ってやれよ」


「それ以前に、あなたの分すら残りそうもない顔を、主賓がしてるけど?」


 ベアトの視線が葵に向く。もう鼻が触れそうなくらいに顔を近付け、じっと凝視していた。


(い、いったい、どんな味がするんでしょう……)


 ベアトは小さく溜め息を吐くと、フォークを取り出し、葵の顔くらい大きなケーキに添える。


「ほれ、一人で全部食え。お前の祝いだ。ただし、フォークはちゃんと使えよ?」


「いけません、いけません! こんなの食べたら、一年は食べちゃ駄目になっちゃいますー!」


 と拒否してはみたものの、ベアトに一口突っ込まれると、抗えずに叫んだ。


「ふおおおお! なにこれなにこれ!? チョコバーより甘くて美味しいの食べたの初めて!」


 フォークを奪い取り、夢中になって口に運ぶ葵。ふと、その手を止めてベアトに訊ねた。


「これは、チョコバーいくつ分ですか?」


「お前の計算だと一年半分」


 つまりは十八本分。葵は十八人のスラムの住人に心の中で詫びた。


(私は今日、十八人分の贅沢をします……。許してくださいー!)


 このケーキを形作っている生命に感謝して涙しながら、記憶にある限り生まれて初めて食べるケーキの美味さに絶叫を上げ続けた。皆と一緒にこれを食べられる日が来ることを祈りつつ。


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