表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スラム街の見えない天使  作者: 月夜野桜
第二章 この場所にいる理由
5/22

第一話 ネクロファージの生態

「ふおおおおお! 早くみんなに見せたいですー! このお洋服、ベア子さんがくれたって自慢しちゃいますー!」


 他に乗り合わせている者がいなくなると、葵はエレベーターの中でくるくると回りながら叫んだ。フリルのついたスカートがふわりと持ち上がり、その動きが楽しくて何度も回り続けた。


 嬉しくて仕方がない。こんなに綺麗で可愛らしい服を着るのは初めてだった。スラムではいくら金を積んでも手に入りそうにない。そして雪でも風でも何でも来いと言いたくなるほど温かくて、フカフカな上着。靴だけは邪魔くさいが、履いていた方が寒くはない。


「はしゃぎ過ぎだ。それに、あたしじゃなくて、真綾だぞ」


 意外なことを言われて、葵は首を傾げてベアトを見る。


「あたしじゃ女の子らしい服なんて選べないから、あいつに任せた。金は払うって言ったのに、ギフト扱いで送ってきやがった。直接面倒を見ない代わりに、それくらいはするってことかな」


 この服は真綾のプレゼント。葵に似合うものを選んでくれた。そう思うと、余計に嬉しくなってきて、眼を見開いて顔を輝かせた。ベアトだけでなく、真綾も自分に優しくしてくれる。


 今まで人と関わりを持たなかったことを、葵は後悔した。想像していた以上に、人とは優しいものなのだろう。もっと貧しくても、同じ気持ちをスラムでも味わえたのかもしれない。


 気を引き締めてから、室長の部屋へと真っすぐに向かった。もう決意は固まっていた。中に通されると、慎重に葵を観察している様子の室長に向かって、はっきりと意思を述べた。


「私をここで使ってください。何でもします。もう司祭様みたいな人を生み出したくありません。スラムのみんなが利用されるのも嫌です。私の能力で事件が解決出来るのなら、いくらでも頑張ります!」


 室長は腕組みをしたまま、何も答えずにじっと値踏みするように葵を眺め続ける。大分長いことそうしていた後、ゆっくりと口を開いた。


「可能な限り身元調査はした。ほとんど何も出てはこなかったが、少なくとも万引き以上の悪事を働いた記録はない。家族でも見つかればと思ったのだが、残念ながら手掛かりはなかった」


 家族を探してもらうという発想は、葵にはなかった。司祭の問い合わせでは不明でも、警察や政府機関の調査能力なら、見つかる可能性があるというのを失念していた。


「あ、ありがとうございます。あの、私……」


「礼は要らない。君が信用出来るかどうかの調査だ。あくまでもこちらの都合に過ぎない」


 そうしてまた室長は押し黙る。調査の結果、自分はやはり信頼出来ないと判定されたのだろうかと、心配になってしまう。


「信用調査に関しては、これ以上過去を探り続けても意味はないだろう。あとは、実際に態度で見せてもらうしかない。当面は厳しい行動制限をつけるが、それでもやってみるかね?」


「はい! 頑張ります!」


 満面の笑みを浮かべ、元気よく答える葵。しかし温和な表情で、室長は残酷なことを言う。


「ただし、試験に合格することが条件だ」


(し、試験……。これ、実質お断りってことですか!?)


 今の葵の知識で合格出来るわけがない。ちょっとした計算なら得意だが、恐らく自分がしていることは、どこの子供でも当たり前にやれることのはず。


「え、えっと、その……し、試験は、そのうちってことに出来ませんかね……? 先にお勉強しないと、ちょっと、その……」


 視線を泳がせ、しどろもどろになって慌てる葵に、室長はにこりともせずに事務的に返した。


「心配しなくても、学力テストではないよ。今やっても仕方あるまい」


 ほっと胸を撫で下ろす葵。では何の試験なのだろう。その疑問に答えるように室長は続ける。


「作戦遂行能力を見るためのものだ。準備もあって今日は遅い出勤にしたが、予想よりも遅れている。先に予習として、ネクロファージについて兎澤君からもう少し深く学んでくるといい」


「おい、てめー、予想よりって、まさか!?」


 ずっと後ろで黙って聞いていたベアトが飛び出し、室長に掴みかかって気色ばむ。


「け、喧嘩は駄目ですよ、ベア子さん!」


 余りの剣幕に葵が腕を掴んで制止するも、ベアトは収まらない。


「お前、先に真綾のところへ行ってろ。あたしはこいつとちょっとばかり話をしたい」


「で、でも……」


 話をする雰囲気にはとても見えない。葵は躊躇するも、ベアトに激しく睨み付けられてしまった。怒りを露にしているのはベアトの方だけ。室長は至って落ち着いた表情。仕方なく、穏便に済むことを祈りつつ、ぺこりと頭を下げてから部屋を出た。


(どっち行くんでしょ?)


 廊下に出たはいいものの、真綾がどこにいるのかわからない。葵がきょろきょろと見回していると、近くにスピーカーがあるのだろうか、真綾の声がした。


「床に矢印が出るから、それに従ってこっちに来て」


 確かに床の一部が緑色に光っていて、奥へ誘う形に点滅していた。それを追って白い壁の通路を進んでいく。途中で扉が自動的に開き、その先は大きな窓のついた部屋が並んでいた。


 中には複雑な形の機械が置いてある場所が多く、白衣の人たちがそれを使って何かの仕事をしている。その様子を眺めながら、矢印の示す部屋へと入った。


「ようこそ。私は普段ここにいることが多いわ。まだ採用してもらえるかどうかわからないけど、一応覚えておいて」


「こんにちは、ウサ子さん!」


 出迎えてくれたのは当然真綾。専用の部屋なのか、他には誰もいない。何に使うのかわからない機械が多数あり、葵の視線はついついそちらに吸い寄せられる。


「触らないでね。精密機械だらけだから。とりあえず今日は、昨日の続きを話しましょう」


 触ってみたい好奇心を抑えつつ、真綾が示した椅子に葵は腰かける。壁面に嵌め込まれたディスプレイに、またネクロファージらしき映像が映し出された。


「昨日は詳しい説明をする機会がなかったけど、仕事をする上で大切なことだから、ネクロファージの生態について学びましょう。これを見て」


 大きなネクロファージから、小さなネクロファージが次々と生み出されていく。それが身体中に散っていき、そこで働いている様子だった。本物の映像ではなく、模式図のようだ。


「この大きいのがマザーネクロファージ。これが本体みたいなもの。マザーは人間の心臓にいて、こうやって子供のネクロファージをたくさん産み出すの。それを全身に行き渡らせて、細胞を活性化させて治癒能力を高めたり、テロメアを含め遺伝子までもを常時修復する。宿主の身体を、寄生した時のまま完璧に保存し続けることで、不老不死になる」


 真綾の瞳が葵の顔に向く。葵はすっと視線を逸らした。理解するとは期待していないだろうことが、探るような表情でわかる。画面が切り替わり、真綾は別の話を始めた。


「蜂や蟻は知ってるでしょ? 女王蜂や女王蟻が巣の中にいて、働き蜂や働き蟻を産み出す。それらが巣を拡張したり、壊れたら修理したりして、住処を維持していく。あなたの身体は、さしずめ蜂や蟻の巣のようなもの。常時メンテナンスをして、自分たちの家を守る」


 その様子が画面に映っているようだが、残念ながら蜂や蟻自体は見たことがあっても、巣は見つけたことがないし、どう暮らしているのかも当然知らなかった。


「わかった。生態についてはいずれ知ってもらうとして、今日必要な最低限のこと、もうずばり答えからいくわ」


 見捨てられた気がして、葵は俯いた。学校に入れてもらえても、何も学べず帰ってくることになりそうな気がして悲しい。


「これを見て。親分と子分ということにしましょう」


 画面には銃を持ったマフィアらしき人間が何人も表示された。真ん中に一際大きな太った人物。葉巻を咥えてふんぞり返り、いかにも偉そうに周りに命令しているようだ。


「例えばマフィアを潰すなら、親分を倒さないとならない。子分はいくら倒しても次々と雇って補充されてしまう。ネクロファージも同じ。宿主を殺すには、マザーネクロファージを破壊しないとならない。手足などをいくら攻撃しても、再生されてしまう」


 マザーネクロファージが親分。そう考えるとわかりやすい。棲んでいるという心臓を破壊すれば、殺せるというのはわかる。しかし身体のどこを失っても、心臓さえ無事ならそれでも平気なのだろうか。他にも致命的な急所はある気がする。葵はその疑問をぶつけてみた。


「頭とか攻撃しても、再生されちゃうんですか? 脳みそ無くなっちゃったら、死にますよね?」


「並の吸血鬼ヴァンパイアなら、頭部を破壊すれば流石に死ぬことが多いわ。死ななくても行動不能にはなるから、無力化は出来る。でも不死性が高い個体は、条件次第でそこからでも再生する」


 まさに不死身のモンスター。血は吸わないとしても、自分も同じだと考えると、恐ろしいものがある。頭を大怪我しても生きていたのは、そのせいだったのかもしれない。


「それに関連して……これは伝えた方がいいのかどうか、判断しづらいんだけど……」


 いかにも言いにくそうに真綾は切り出す。同じ連想をしたのではないかと葵は思った。


「あなたが保護された日、特定出来たわ。三年半ほど前で、教会が襲われ、吸血鬼ヴァンパイア騒ぎもあった暴動。調べてみたら、二一八〇年の七月十八日だった。十日いたというから、その辺りの映像を探したら、七月七日のものにあなたが映っていた。その……頭を撃ち抜かれたところが」


 やはりそのことだった。真綾の語った内容は、聞いていた話の通り。きっと自分はその時に記憶を失ったのだ。そして、ネクロファージのお陰で死にはしなかった。


「何も覚えてないのは、そのせいですか?」


「そう思う。記憶というのは脳の色々な部分に分散されて保存される。あなたの場合、エピソード記憶という、いわゆる思い出が保存される部位が損傷したと考えられる。映像からはそう解析出来た。物理的に破損し、ネクロファージが細胞だけ修復したから、記憶は多分戻らない」


 ネクロファージは、記憶までは修復してくれない。あくまでも身体だけ。だから自分は全てを忘れた。


「でもそう悲観することはないわ。こう言ってはなんだけど、失った記憶は恐らく少ない。あなたはまだ若いらしいということもわかったの。たぶん、十五歳から十七歳くらい。きっと、これからいくらでも埋め合わせられる。永遠の寿命を持つのだし」


 年齢がわかる。家族は見つからなかったと、室長は言っていたのに。そこから葵が導き出せる答えは、一つだけだった。


「私の家族……その時、死んじゃってたんですか?」


「ああ、ごめんなさい、勘違いさせてしまったわね。あなたがいつ夢幻の心臓イモータルになったのかわかった、という意味だったの。家族のことは、調べられなかった」


「そう……ですか……」


 葵は俯きながら言った。しかし、家族は死んだということがわかっても、意味などないとも思う。何も覚えていないのだから、知らないままの方がいいのかもしれない。


「あなたが頭を撃たれた直後、誰かが血を与えている様子が映っていたの。蜃気楼ミラージュを着ていたみたいで、手しか映ってなかったから、誰なのかは特定不能だった。あなたが元々夢幻の心臓イモータルだったとすると、その行動の意味が説明出来ない。だから、三年前の七月七日に夢幻の心臓イモータルになったと考えていい」


 教会で目覚めた時、十二歳か十三歳くらいではないかと言われた。それから見た目は歳を取っていない。だから、三年半を足せば、十五歳から十七歳くらい、という意味なのだろう。


「映像を見た時、普通なら即死の状況に思えたから、少し期待したのだけれど、残念ね……」


 自分が頭を撃ち抜かれる光景を見て何かに期待するとは、意味がわからない。趣味が悪い気もする。そう思ったものの、ベアトの言葉を思い出した。今着ている服のことも。悪気はないのだろうと解釈して、不満は顔に出さないよう注意して葵は訊ねた。


「えっと、何が残念なんですか?」


「あなたが見た目よりずっと長生きかもしれないと思ってたの。マザーネクロファージを生み出すには、長期間共生を続けて、信頼関係を築く必要がある。ベアトは夢幻の心臓イモータルになってもう十七年経つというけれど、まだ出来ない。彼女より年上だったら、もしかして、と思って」


「……それが出来ると、何がいいんですか?」


 上目遣いで見上げながら、恐る恐る問う。最悪の答えを言われないように、念押しもした。


「まさか、吸血鬼ヴァンパイアを作りたい……とか言わないですよね?」


「私、そんな悪人に見える? ……見えるのかもしれないわね」


 小さく溜め息を吐き、残念そうに視線を逸らす真綾。自分の疑いの眼差しで傷つけてしまったと気付き、葵は慌てて手を振りつつ否定した。


「そ、そんなことないです! お洋服、ウサ子さんがプレゼントしてくれたって聞きました!」


「内緒にしてって言ったのに……」


 この場にいないベアトに対するものだろうか。真綾は半眼になって毒づいてから、葵の方を向き直した。


「一応言っておくと、あなたをそんな風に利用するつもりはないし、する必要もない。室長は夢幻の心臓イモータルになって二十五年以上経つと聞くわ。見た目の歳と足すと、あれでもう六十前後ってことね。既に信頼関係を築けていて、マザーネクロファージを生み出すことも出来るの」


 それなら、吸血鬼ヴァンパイアを作るのに自分は必要ない。では一体何に期待していたのか、またわからなくなってしまった。


「じゃあ、なんで残念って言ったんですか?」


「サンプルは多い方がいいでしょ? それだけ」


 ネクロファージは色々いる。自分のものとベアトのもの、室長のものと全部違う。言っていることはわかる。


「ここの研究室ではね、不老不死の薬エリクシルを投与された人間を救う方法を探してるの。詳しい仕組みはいずれ教えることにして、ネクロファージを除去出来るかもしれない理論が存在するのよ。今までは夢物語だったけれど、あなたのネクロファージは室長のとは違うと聞いたわ。あなたのも研究すれば、先へ進めるかもしれないと思ったの」


 作りたいのは吸血鬼ヴァンパイアではない。しかし、不老不死の薬エリクシルの実験をするということは、人を使うのだ。人体実験。とてもそんなことに使われたくはない。


「出来ません! 私、マザーネクロファージっての、作れません!」


 葵は激しく首を振りながらそう答えた。嘘だった。出来そうな気がする。やってみたことはない。しかし、心臓にいると自然に気付いていた。そこにいる何かが語り掛けてくるのを感じていた。それは、信頼関係が築けているということなのかもしれないと恐れた。


「そんなに怯えなくても……。無理強いしたって出来るようにはならない。何もしないわよ」


 少し違う方向に解釈されたようだが、嘘を吐いたことは見抜かれていないようだった。葵はほっと胸を撫で下ろして、呼吸を整えた。


「でもね、マザーがなくても、実験には使える。結界の中でなら、数時間程度は正常活動を続けるの。ここにはその装置があるから、あなたのネクロファージを、検体として提供してもらえないかしら? もし入隊することになったら、定期的に採血させてくれれば、それでいい」


 それを聞いて、何か騙されている気がしてきた。本当はマザーネクロファージなんてものは、必要ないのではないかと。司祭は葵の血だけで、吸血鬼ヴァンパイアになったのだ。必要なのは血だけ。


 葵がどう答えようかと迷っていると、真綾は小さく首を傾げながら問う。


「痛いのは嫌? 昨日の、多分ほとんど何も感じなかったと思うんだけど?」


「えっと、その……考えさせてください。昨日のあれ、すごく気持ち悪かったんで」


「まあ、ショックよね、あんなのが身体の中にいたら。私も初めて見た時には、CGかと思ったもの。宇宙怪物みたいって。サンプルの件は、いつでもいいわ。その気になったら、教えて」


 自分の考えすぎなのだろうかと葵は悩んだ。真綾は表情に乏しく、感情が読みづらい。だが、言っていることは優しく感じる。葵の気持ちを考えてくれているのがわかる。


 ネクロファージの話は、ベアトに確認すればいい。真綾の言ったことがすべて本当なのなら、悪い人間ではないし、悪いことに使う気でもないのだ。不老不死の薬エリクシル使用者を助けたいだけ。吸血鬼ヴァンパイアにせず元の身体に戻したいだけ。きっと優しい人間に違いない。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ