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スラム街の見えない天使  作者: 月夜野桜
第六章 天使からのクリスマスプレゼント
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第三話 天使からのクリスマスプレゼント

 分厚い強化ガラスの向こうには、ベッドに横たわる昴の姿があった。楽しそうに笑っては、その動きで痛みを感じるのか、顔を歪める。それでも何度も繰り返していた。きっと幸せなのだろう。真綾とそうして談笑することが。どこか翳のある笑顔ながらも、真綾も同じく幸せそうに見えた。


 入り口横には看守が常駐するという厳重警備。ここは東京郊外の医療刑務所。収監されているのはもちろん、病人である昴ではなく、真綾の方だった。二人を共に居させてあげるための、特別な計らい。彼女が不老不死の薬エリクシル事件解決に尽力した功績が認められたのだ。


 葵は二人の様子をじっと眺めていた。転院が終わったというので面会に来たつもりだったが、会わずに帰ろうと思った。しばらくして、隣で同じように見ているだけのベアトに問う。


「これで良かったんですかね?」


「あたしがお前の立場だったら、同じ選択をしていたと思う」


 部屋の中へ視線を向けたままベアトは答えた。その言葉を聞いて、葵は安堵した。少なくとも間違いではなかったのだと知って。心配していたのだ。助けられる生命を見捨てたことで、怒られやしないかと。


「正直、意外だったな。お前のことだから、昴を助けると思っていた。……どうしてネクロファージを与えなかった? また吸血鬼ヴァンパイアになってしまうかもしれないと恐れたのか?」


 ゆっくりと首を横に振って、葵はその疑問を否定する。その心配もしたことはしたが、もっと別のところで違うと思った。葵の口から、必死に考えて辿り着いた答えが明かされる。


「私のネクロファージは、『欲しいもの』でしかないと思ったんです。ウサ子さんにとって『欲しいもの』。きっと『必要なもの』じゃない。昴さんにとっては、『必要なもの』でも『欲しいもの』でもない。なら、答えは決まってます」


 葵の方に視線を向けて、ベアトが問う。その顔は少し誇らし気に微笑んでいるように見えた。


「『必要なもの』は何だと思ったんだ?」


「愛なんだと思います。昴さんにはウサ子さんの、ウサ子さんには昴さんの。短くても、ああやって仲良く一緒に過ごす時間こそが、愛し合う二人が一緒にいることが、必要だったんじゃないかって。……私にはまだ、男女の愛はよくわかりませんけど、多分私が知ってるのと一緒」


 誰かと一緒にいると心が温かくなる。優しくしてもらえると嬉しい。他人が喜んでくれると幸せ。葵にとって『必要なもの』もまた、そうだったのかもしれない。


「短い間に随分とまあ……。見た目通り成長期かよ」


 ベアトが頭に手を伸ばしてきて、白い髪をぐしゃぐしゃに掻き回された。整え直すのが面倒。それでも何故か嬉しい。葵は照れて笑いながらも、少しだけ残る不安を口にした。


「でも合ってる自信はありません。私が『必要なもの』だと思ってるだけ。本当にそうなのかは、まだわかりません」


「人は、必ずしも生きることが幸せとは限らないのさ」


 そう思う。だからこそ葵は、昴にネクロファージを押し付けなかった。相手の意思を尊重するベアトを真似たというのもある。しかしそれだけでもない。


「もしかしたら、定着しなかったかもしれません。本人に生きる意志がなければ、マザーネクロファージは何もしてくれないのかも。私、ネクロファージにも心がある気がするんです。苦痛なだけの永遠の生なんて、ネクロファージも望まない気がします。一緒に生きてくんだから」


「さあな。あたしにはそれはわかんね。あたしの中のマザーネクロファージは、何を考えているのやら」


 そう呟くように言ったベアトの横顔は、どこか寂し気に見えた。生きているのが辛いのだろうか。ベアトは毎日精力的に働き、家に帰れば酒を飲んで映画を観たり、葵をからかったりして、いつも楽しそうに見える。


(そっか……ベア子さんも一人だったんですね……)


 自分が拾われる前は、あの広い家に一人で住んでいたことを葵は思い出した。ベアトもまた、最低限の人付き合いしかしていないのかもしれない。仕事に関係のない友人の話は聞いたことがない。見た目はちょうどいい年頃とはいえ、結婚も無理だろう。歳を取らないというのは、不便なものなのかもしれない。


「だが今回に限っては、ネクロファージも同じ答えを出したと思えるな。誰かのために死ねるなら、その方が幸せなこともある。昴にとっては、きっとそうなのさ」


「昴君はね、マスターの命の恩人でもあるんだよ!」


 突然、腕に抱いていたぬいぐるみのマーヤが話し出した。真綾の仕業ではない。彼女の電脳デバイスは、一部パーツが外され、物理的に停止させられている。二人の話を聞いていて、自己判断で割り込んできたのだ。


「そうなんですか、マーヤさん?」


 マーヤを持ち上げて、視線の高さを合わせて問いかける葵。ベアトがその話題に沿って話を続ける。


「あいつら二人は、同じブラックボックス開発施設にいたそうだ。中で生まれた真綾と違い、昴は外の生まれ。幼い頃に施設に連れてこられて、製作者にされたらしい」


「そうそう。二人が開発したブラックボックスはね、バックドアへのアクセス方法が一緒だったんだ。パスワードまで全部! 同じ教育を受けたから同じことを考えただけだって、マスターは言ってたけど、アタイは運命で結ばれてたんだと思う!」


 その確率がどれくらいのものなのか、葵には判断出来ない。しかし、とてつもなく低いことだけはわかる。仕掛けているのは暗黙の了解のようなものとはいえ、バックドアが確認されてしまったら、それは販売出来ない。厳重に検査しても、他人には見つけられないようになっていたはず。表向きには、解析もハッキングも不可能なパーツとして普及しているのだから。


「二人は最初からラブラブになるって決まってたんだよ! 食事を運んできたりするロボット、ハッキングされないよう、他の人が作ったブラックボックスが搭載されていたんだけど――」


 頭の中でアイデアが閃く。マーヤの言葉を遮って、葵が答えを言ってしまった。


「わっかりました! ウサ子さんのとこのには昴さんの、昴さんのとこのにはウサ子さんの作ったやつが入ってたんですね!」


「葵ちゃん、それアタイが言おうと思ってたのに、ズルいよ!」


 目を赤く点滅させてマーヤが抗議する。そこまで重なると、もはや運命としか言えない。ネクロファージに適合する確率よりも、ずっと低いと思える。本物の奇跡。


「まあそんなこんなで、それに気付いた二人は、ロボットを通してラブレター交換するようになったわけ! 昴君はね、幼心に知っていた遠い記憶を探り、マスターに外の世界の素晴らしさを教えてくれた。二人は綿密に計画を練って、力を合わせて施設を脱け出したってわけ」


 なんと美しい話だろうと葵は思った。愛し合う二人が外の世界を夢見て、共に手を携え、監獄のような場所を脱出する。


 葵にはその時の真綾の気持ちがわかる。自分がベアトに拾われた時と一緒。彼女の温かさと、真綾の優しさに触れ、人の心の素晴らしさを知り、世界が変わった。それは、生命を救われたと表現しても差し支えない。人としての生を授かったのだ、その時に。


「その事件はあたしも知ってる。表沙汰にはなっちゃいないが、政府の暗部では有名な話だ。施設の情報が流されて、開発者を別の場所に移送する途中で、何者かの襲撃があった。……昴は、その時に被爆したらしいな」


 被爆。その事実を葵は失念していた。ただ脱出して、めでたしめでたしではなかったのだ。


「昴君はね、核融合炉が破損して、放射性物質が漏れてるのを知ってて、車を奪ったんだ。マスターだけは安全な場所に乗せて、それで逃げた。その時にもう死を覚悟してたんだとアタイは思う。自分が死んでもマスターを自由に出来るのなら、それで本望だって」


 マーヤのこの説明は、昴が語ったことなのだろうか。それとも真綾の推測なのだろうか。あるいは、このAI自体の考えなのだろうか。なんとも判断はつかないが、きっと疑いようのない事実だと葵にはわかる。病室の昴を見ていて、そう確信していた。


「その後、どうなったんですか?」


「記録によると真綾は、ブラックボックスへのアクセス方法を人質に、政府と交渉したらしいな。昴への最高レベルの治療を要求したようだ。代わりに、自身はその能力を生かし、総理直属の諜報機関である、内閣情報調査室勤務となった」


 あの病院を突き止めるために真綾の過去を調べて、一緒に知ったのだろう。ベアトがそう答えると、マーヤが応じる。


「さすがベア子君、よく調べてきたね! でもなんで新麻調に移ったのかは知らないでしょ?」


「自分で希望したって話は出てきたぜ?」


「そうだよ。不老不死の薬エリクシル事件が明るみに出たとき、マスターは仕事の一環として独自に調査を始めた。そして不老不死の薬エリクシルやネクロファージの特性を知り、昴君を救うカギになるかもしれないと考えるようになったんだ。内調での正式な捜査を要求したけど、管轄外として却下されちゃったってわけ」


「まあ、内調は主に政策に影響するようなことを中心に扱うからなあ」


 その辺りの政府の組織構造は、葵にはよくわからない。今回扱ったような事件は、本来公安警察の管轄だということは聞いた。国内の治安を守るのが警察の仕事。表沙汰には出来ないことを扱うのが、秘密部隊である影を歩く者シャドウウォーカー


「でもね、内閣府の中で、公安調査庁に新式麻薬調査室を設立して、不老不死の薬エリクシル事件の捜査を一本化する案が出てきたんだ。それで、情報収集担当要員として転属を認められたんだよ!」


 マーヤがそう答えた直後、ベアトが葵の指輪に触れて、接触通信を行ってきた。


〔これはオフレコ。多分新麻調の設立自体、捜査妨害のために室長が画策したことだと思う。厚生労働省関係で、政府にパイプがあったらしい。隠し通せない場合には、今回のように自分だけ逃げられる形での、偽の解決を図るつもりだったんだろう〕


〔室長さんも、昴さんのこと知ってたんですね、きっと。ウサ子さん、捜査よりも不老不死の薬エリクシルやネクロファージの研究の方に没頭するの、明らかですもん〕


 そう考えると辻褄が合う。研究員でもないのに、情報収集をおろそかにしてまで研究室に入り浸りなのを許していた。その方が捜査は進展しづらく都合が良いと考えたのだろう。


 そして目論見通りに捜査は滞った。葵というイレギュラーが現れなければ、ずっと解決しなかったのかもしれない。ベアトには後ろ盾の組織があるようだが、不老不死の薬エリクシル販売網自体は潰せても、室長に辿り着くことは難しかったと言っていた。その場合、ほとぼりが冷めた後に、事件はもう一度起きていたかもしれない。


「さて葵ちゃん! そろそろお仕事の時間だよ!」


 目を赤く点滅させながら、マーヤが催促を始めた。葵は名残惜し気にガラス窓の中を覗く。外には出られなくても、二人はとても幸せそうに見えた。真綾の量刑は決まっていない。昴が天寿を全うした後に内密に起訴され、非公開裁判が行われる。


(幸せ過ぎて、これ懲役にカウントしてもらえないですね……)


 不謹慎ながらも、葵はそう考えてしまった。ベアトも似たようなことを思ったのだろう。葵の頭に手を置きながら、感慨深げに零した。


「あいつらにとって最高のクリスマスプレゼントだな」


「そうですね。ケーキ、差し入れ頼んでおきましょうか」


 マーヤの目の点滅が速くなってきたのを見て、怒られる前にベアトと共にその場を去った。


 これから頻発するだろう吸血鬼ヴァンパイア事件に対応しないとならない。マフィア街には今まで通りの売り場情報を流し、発信機を仕込んだ偽の不老不死の薬エリクシルを渡している。人気のない場所まで追跡して、個別に捕縛という方法。


 しかし、慎重にやったとしても、勘のいい者は異常に気付き、買いに来ないと思われる。それらの者が不老不死の薬エリクシル切れを起こし、この先最低一週間は続く。すぐに吸血鬼ヴァンパイア化しない者もいるかもしれない。巧妙に隠れ続ける者もいるかもしれない。実際にはもっとかかるだろう。


 祓魔師エクソシスト影を歩く者シャドウウォーカーも協力してくれる。恐らくそんなに多くの被害は出ない。皆真剣に人々の生命を守ってくれる。それでも、犠牲になる者は一人でも減らさないとならない。誰かを襲う前に必ず見つけて、捕らえるのだ。


 葵とベアトの担当は、海上都市アクアポリスのマフィア街周辺。不老不死の薬エリクシルの売り場があっただけに、最も被害が多いと思われる激戦区。


 黒き隼ファルコ・ネロの代わりのステルスヘリを停めてある屋上へ出ると、そこでは美しい夜景が待っていた。いつもより鮮やかで、色とりどりに感じる地上の星たち。


「クリスマスだってのに済まないな。本来ならパーティーの一つくらいやってやりたいところだが。……やったことないだろ?」


 ベアトもその夜景を名残惜し気に見ながら葵に問いかける。もちろんない。しかし必要ない。


「私はスラム街の見えない天使ですから、プレゼントする側ですよ!」


 正直、あの光の洪水の中に行って、イルミネーションを楽しみたい。街を駆けまわって、場所によって違うという景色を眺めたい。そこで紡がれる人々の幸せを見物したい。


 しかし、少なくとも今年は、葵がいるべき場所は違う。光の渦など存在しない場所で、見えない天使として活動しなくてはならない。闇に紛れて蠢く者たちを処分しなくてはならない。退廃的な街並みの派手な原色に群がる、吸血鬼ヴァンパイア予備軍を捕らえなくてはならない。それが葵の選んだ仕事なのだから。


 マフィア街周辺を担当することは、葵自らが希望した。スラムの人たちを守るために。マフィア街に潜み、吸血鬼ヴァンパイア化した者たちが狙うのは、きっと抵抗する力のないスラムの人たち。すぐ近くに迷える羊たちが多数いるのだ。襲わないわけがない。


 彼らには理不尽な暴力から生命を守ってくれる人が必要だ。食べていくための方法は、お金を稼ぐための方法は、得意な人に教えてもらう。葵には出来ない。


 だから葵は、そのための初めての寄付を、明日しようと思う。初めての給料を使って。



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