第四話 黒幕
「残念ですが、オプションプランの方は失敗に終わりました」
白衣姿の研究者然とした男が、別の白衣姿の男に、申し訳なさそうに頭を下げつつ言った。
「ふむ……やはり細胞レベルでの実験では、正確なデータは得られていないか」
「そうだったのだと思います。動いていたので少し濃度を上げたら、それだけで……」
「死んだか」
「ええ。向日葵は確かに死亡しました」
「闇との同化で消えているだけということはないな?」
「いえ、闇との同化で消えたわけではありません。以前いただいたデータのように突然消えたのではなく、確かに人間の死亡時と同じように、ゆっくりと周囲に拡散していきました」
葵の死亡報告を受け取っている側の白衣の男は、少々残念そうに肩を落とした。ディスプレイの多数ある部屋で、男の前の画面には男自身の後ろ姿が映っていた。やり取りは画面の中での出来事。外の白衣の男本人は、微動だにせず椅子に寄りかかっている。
「仕方ない、他の二人には予定通り施設を制圧させる。時間がかかりすぎているから、葵が失敗したと判断し、影を歩く者も呼び寄せて、強制突入の命令を出す。君たちは手順通り、この通信も含め僕との繋がりを示す証拠を処分後、非常口より脱出しろ。把握されていないことを確認済みだ。完了次第突入命令を出す。事情を知らない奴らに悟られるなよ?」
その映像が突然乱れる。男が話していた相手が変形していき、栗色の髪に焦げ茶色の瞳の少女に変わった。珍しくニヤリと笑うと、呆然とする白衣の男に向かって口を開いた。
「なるほど、そういう手筈だったのね? 一旦幕引きしてしまうつもりだったのかしら?」
「な……こ、これは、一体!? 貴様、どうや――」
画面内ではそこまでしか言わせなかった。リストバンド型の電脳デバイスを小さなダガーが切り裂き、無理やり電子世界との接続を断った。ダガーは瞬時に白衣の男の周囲を巡り、その身体をルナタイトの糸でがんじがらめに縛りあげる。
「信じたかったです。ベア子さんとウサ子さんから聞いても、ネクロファージの系統が同じだと知ってても、それでも疑いたくはありませんでした。でも今のを聞いたら、もう信じられません」
空中に突然現れたのは、葵の顔。悲痛な面持ちで、目の前の新麻調室長、ギルバート・夜来を見ていた。その瞳には、怒りの色も恨みの色もなかった。ただ哀しみだけを浮かべていた。
「ど、どうしてお前がここにいる?」
電子世界との接続を強制的に断ったための混乱ではないだろう。葵の登場という余りにもあり得ない事態に戸惑い、言葉を失っていたのか。やっとの様子で、室長はそれだけを訊いた。
「ベア子さんとウサ子さんが助けてくれたから」
「死亡報告を聞いたのはたった今だ! 助かったとしても、移動が間に合うわけない! 超音速機を使っても無理だ!」
「そういう魔法があるんですよ。時間を操作する魔法が」
「そんなものは存在しない。僕が魔法を使えないからといって侮るな。お前のような野良犬よりは知識がある」
実際のところ、葵にもよくわかっていなかった。視線を泳がせつつ、本人に助けを求める。
「ウ、ウサ子さーん、解説お願いしますー」
「どうも、電子魔法使いの兎澤真綾です」
先程まで電子世界内が映っていたディスプレイに、黒き隼に残っている真綾の顔が現れた。ベアトはおらず、予定通りこちらに向かっているようだった。
「電子世界では出来るのよ。通信を乗っ取ってダミーと会話させる。その記録を元に、時間差で本物と会話。二十分ほど前に一度連絡なかった? もう侵入してるんですかって?」
「確かにあったが……」
「さっきの通信、本来はその時のものなのよ。途中からは私が作った物だけど。それを時間差をつけて、こっちに送った。あなたの注意を引いて、葵が侵入する隙を作るために」
「指向性霊子通信は、遮断は出来ても盗聴は不可能だ。ましてや乗っ取りなど……」
「あたしと真綾が組めば可能なんだよ。あんたには内緒にしていたが、霊子を転送するオリジナル魔法陣が使えてねえ。指向性霊子通信が徒になったな。魔法陣一つで別の場所に飛ばせる。こちらで制圧しているアンテナに送り込み、ダミーと会話させたってこと」
室長室へと入ってきながら、ベアトが答える。その手にはルナタイト製の拘束具があり、葵が縛っている室長に取りつけ始めた。抗うこともせずその様子を眺めながら室長が問う。
「お前らが遮断していたのは、ダミーアンテナの通信のはずだが?」
「物質を透過して通信出来るのに、機密通信用のアンテナを外につけていたら、ダミーだって教えているようなもの。あれを遮断しているように見せかけて、実際には周辺すべてからの通信を乗っ取る準備をしていたのよ。海上都市全体を遮断するのに比べたら、至極簡単でしょ?」
画面の中の真綾が、何を当たり前のことを訊くとばかりに呆れた様子で答えた。葵にもその論理はわかる。怪しいものを怪しいと思ってはならない。目立つものは偽物。本物は別の場所にある。うまくいっているように見える時こそ、深みにはまっている。今回それをよく学んだ。
「指向性霊子通信はね、アンテナの向きで通信先がわかる。今回工場側のアンテナは見えなかったから、正確な向きは把握出来ない。でも時を同じくして反応した通信衛星が、このビルのアンテナに向けて中継しようとしたわ。調べたら、あなたの専用アンテナだった。後は簡単」
「運が悪かっただけだというのか? しかし、別の経路でも通信が来ていないぞ? 工場を制圧し終わる前に、通常通信で報告があるはずだ」
「見逃さないよう頑張ったのに運扱いとか酷いわ。いつもそうやって査定してたのかしら? まあいいわ。他の通信経路からの連絡がなかったのは、あなたが上手くやりすぎたから。それが裏目に出た。あの工場もスケープゴートだったんでしょ? 一旦事件を解決したことにしてしまうつもりだったんじゃないの? 幹部以外は何も知らない。だからあなたに連絡しない」
ギリギリと歯ぎしりの音が聞こえた気がした。葵の位置からでは室長の顔は見えない。しかし、どんな表情かは予想がついた。いつもの温厚な仮面の下の、本性が現れているのだろう。
「中のコンピューター、内側からなら私がハッキング出来るようにしておいたんでしょ? スケープゴートのボスと提供者のデータを記録しておき、それを以て事件を終わらせる算段」
「ふん、確かにそうだが、まさかお前まで潜入したのか? 気付かれずに? 一体どうやって?」
クスリと真綾が笑う。室長の反応をさも面白そうに眺めながら答えた。
「私がそんな危険なことするわけないじゃない。葵が端末持って入っただけ」
「AIでハッキング可能なほど柔にはしていないぞ?」
「意外と頭の悪いお猿さんね。だから、霊子転送だってば。葵には霊子転送出来る箱を持たせ、その中に小型端末を入れておいた。外からそれを通して、私がハッキングしたの」
それから冷徹な顔に変わり、真綾は言い放った。
「すべては、あそこの職員を犠牲にして、自分だけ逃げ切ろうとした罰よ。小細工なんかせず、普通に皆で姿をくらませていれば、見つからなかったかもしれないのにね」
拘束具を取り付け終えたベアトが立ち上がりながら、感慨深げな顔で室長を見下す。
「ま、あんたの計画は完璧だったよ。葵というイレギュラーにもうまく対応した。すぐに殺さず、幕引きに使ったのも正解。あたしら三人が揃わなきゃ解決出来なかったし、決め手となったのもこいつが機転利かせて、うまいこと死んだふりしたからだ」
最後は葵の頭を撫でながらベアトは言った。葵は自然と頬が緩む。
「もしあれがなかったら、あんたが黒幕と把握出来たとしても、逃げられていただろう。ここにもきちんと非常脱出手段を用意していたようだしな。本当、頭の回る奴だよ」
「そう言えば、あれどうやったの? 工場の記録見ても、実際に死んだとしか思えなかったわ」
画面の中の真綾が興味津々といった様子で問いかけてくる。うまく事件が解決して気持ちが緩んでいるのだろうか。今日の真綾はいつになく表情豊かに見えた。
「それ、今言っちゃ駄目ですよね? ここに大悪人いるんですし……」
半眼になって葵が突っ込むと、真綾は苦笑しながら答えた。
「それもそうね。後でこっそり教えて」
「葵、気絶させちまってくれ。ヘリに運ぼう。そうしたら、名無しも解除していい」
「待ってください。少しだけ、私にも話をさせてください」
ベアトの命令に逆らって、名無しを先に解除し、室長の正面へと回り込んだ。予想通り忌々しげな表情で葵を睨んできた。温厚な性格は、やはりただの仮面だったのかもしれない。そう思いながらも、一縷の望みに懸けて葵は問いかけた。
「室長さん、どうして不老不死の薬なんて作ったんですか? どうしてあんなのばら撒いたんですか? そんなにお金が欲しかったんですか?」
「既に誰かから聞いているだろう? 不老不死の薬は万能薬となる可能性がある。僕はネクロファージを利用して、人を助けたかっただけだ。あれは未完成品。副作用がないか、もっと効果の長い不老不死の薬を開発し、大量生産すれば、人類はより上の次元に到達出来る」
言い逃れには聞こえなかった。そう語る室長は、熱い眼差しをしていた。根っこは真綾と一緒。誰かを助けたい、その一心でやったこと。ただし、やり方を間違えた。
「そうなったら人は幸せになれるのかもしれません。でも、だからといって人々を、スラムの人たちを犠牲にしていいわけありません。人体実験してた記録も出てきたって聞きました。……あなたは間違ってます」
「君は本当に何も知らないのだね。彼らはそのために飼われているんだ。元々政府は、人的資源として難民を受け入れた。彼らは家畜のような存在に過ぎない。当然、人体実験のためのモルモットの役目も負っている。正当な利用方法だ」
「そんなつもりでいたわけない! 首相はスラムの人たちを救うと約束してくれました!」
悪びれもせずに言った室長に、葵は激高した。あどけない顔を怒りに歪め、眼に涙を浮かべて、心の底から否定する。真綾とはやはり違う。同じ結果を目指していても、根底にある気持ちが、まったく異なる。
「はんっ、あんな金と権力のためだけに動く人間と、人類の未来のために動く僕と、どちらを信用するのだね?」
小馬鹿にするように鼻で嗤って室長は言ってのけた。葵はそれを見て、この男は自分に酔っているだけだと知った。高度な科学の知識を手に入れて、ネクロファージという究極の魔法的な力も手に入れて、神にでもなったつもりだったのかもしれない。自分の神聖なる血を、愚民たちに分け与えることでも考えていたのだろう。不老不死の薬という死の麻薬を使ってまで。
「……少なくとも今は、あなたの方が信用出来ません」
静かにそれだけ言うと、名無しで魔力を流して室長を気絶させた。葵の心情を思いやってか、ベアトが抱き寄せて何度も頭を撫でてくれた。不思議ともう涙は出なかった。
「気が済んだかしら? それ、黒き隼まで持ってきて。国家安全保障局の情報室から、引き渡し要求がきてるわ。ベアトの方から本物か確認してもらえる?」
画面の中の真綾に向かって、ベアトが睨み付けながら返した。
「なんであたしに頼るんだよ?」
「さあ? 大悪人の前では言わない方がいいんじゃない?」
白々しく答えると、ディスプレイから真綾の顔が消えた。葵はそれを眺めながら思う。
(ベア子さんもしかして、その情報室とかいうのから来てたスパイ!?)
真綾もそうなのだろうか。いかにもスパイをやっていそうな部署の名前に聞こえる。二人とも初めからグルで、この新麻調自体を調べていたのかもしれないと葵は思った。扱っているものが扱っているものなだけに、政府機関同士で監視し合っていたのかもしれない。
室長を軽々と持ち上げ、黒き隼まで運んでいくベアトの背中を、半眼になって睨みつけながら葵は歩いた。
(ぐむむむむ……何も知らなかったのは、私だけですか。そうですか、野良犬のお猿さんですからね!)
心の中で憎まれ口を叩くものの、明かされていたら、どこかで洩らしてしまったような気がしなくもない。なんだかんだで、室長のことも信じてしまっていたのだから。
開け放たれたままの黒き隼の後部ハッチから中に入り、室長を床に降ろす。ネクロファージの回復力の賜物か意識はもう戻っていたが、流石に身動き一つ出来ないようだった。これで拘束されたら、葵でも逃げ出せないと思える厳重さ。不死身なだけの室長にはどうしようもない。
「真綾、出してくれ」
扉が閉じると、ベアトがそう催促した。それでも、まだ離陸のための移動は始まらない。
〔ね、どうしても気になるから先に教えて。葵、さっきの死んだふりどうやったの?〕
後でいいだろうと思いながらも、葵は真綾の質問に答えた。
〔あれはですね、蜃気楼に氣と魔力を纏わせてから、闇との同化を使いました。人が死ぬときは、霊体が突然消えるんじゃなくて、ゆっくりとお空に広がってく感じなので〕
〔そう。先に放出した氣や魔力は、闇との同化に巻き込まれて消えたりはしないってことかしら? 確認して良かった。私は騙されないように気を付ける〕
その言葉の意味を考えるために、首を捻った瞬間だった。集中してしまっていて、もう一つの事象が何を示しているのかすぐに気付かなかった。室内に突如として響いた空気音について。
ばたり、と二人が倒れる音が耳に飛び込んできた。一人は自分のもの。
(そ、そんな……。ウサ子さん、まさか室長の……?)
黒き隼の貨物室内に一気に毒ガスが充満したのか、息を止める間もなく葵は倒れ伏した。工場の時と同じ感覚。身体が動かず、呼吸も思考もうまく出来ず、頭の中がグルグルと回転していた。
ベアトも流石に油断していたのだろう。全てが終わったと思ったタイミング。信頼出来ることが証明されたタイミング。ここにきて真綾の裏切りがあるとは、予想が付くわけもない。
〔くそっ、てめえ誰だ? 真綾じゃないな?〕
何とか魔法は行使出来るのだろうか。空中に白い魔法陣が浮かび、扉に向けて強い魔力が弾けた。しかし、僅かに歪めただけで、破壊は叶わなかった。毒ガスのせいで威力不足なのだろう。
〔私は兎澤真綾本人よ。大丈夫、殺しはしない。私は葵が欲しいだけ。室長とベアトは、ちゃんと情報室に届けてあげるわ。事件は解決したいもの。でも葵だけは貰っていく〕
これはまた別の事件。実は室長の手下であった真綾が、彼を助けようとしているわけではない。彼女は彼女の目的があって、葵を欲しがっている。毒ガス耐性の数値改竄は、確かに葵を助けるためではなかったのだろう。自分が葵を手にする前に、殺されてしまわないためのもの。
(どうして……?)
まとまらない思考の中、それだけを考えた。室長にとって代わり、不老不死の薬売買を牛耳りたいということではないだろう。真綾が何をしたいのか、葵にはさっぱり理解出来なかった。