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スラム街の見えない天使  作者: 月夜野桜
第五章 スケープゴート
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第四話 黒幕

「残念ですが、オプションプランの方は失敗に終わりました」


 白衣姿の研究者然とした男が、別の白衣姿の男に、申し訳なさそうに頭を下げつつ言った。


「ふむ……やはり細胞レベルでの実験では、正確なデータは得られていないか」


「そうだったのだと思います。動いていたので少し濃度を上げたら、それだけで……」


「死んだか」


「ええ。向日むかいあおいは確かに死亡しました」


闇との同化ダークネスで消えているだけということはないな?」


「いえ、闇との同化ダークネスで消えたわけではありません。以前いただいたデータのように突然消えたのではなく、確かに人間の死亡時と同じように、ゆっくりと周囲に拡散していきました」


 葵の死亡報告を受け取っている側の白衣の男は、少々残念そうに肩を落とした。ディスプレイの多数ある部屋で、男の前の画面には男自身の後ろ姿が映っていた。やり取りは画面の中での出来事。外の白衣の男本人は、微動だにせず椅子に寄りかかっている。


「仕方ない、他の二人には予定通り施設を制圧させる。時間がかかりすぎているから、葵が失敗したと判断し、影を歩く者シャドウウォーカーも呼び寄せて、強制突入の命令を出す。君たちは手順通り、この通信も含め僕との繋がりを示す証拠を処分後、非常口より脱出しろ。把握されていないことを確認済みだ。完了次第突入命令を出す。事情を知らない奴らに悟られるなよ?」


 その映像が突然乱れる。男が話していた相手が変形していき、栗色の髪に焦げ茶色の瞳の少女に変わった。珍しくニヤリと笑うと、呆然とする白衣の男に向かって口を開いた。


「なるほど、そういう手筈だったのね? 一旦幕引きしてしまうつもりだったのかしら?」


「な……こ、これは、一体!? 貴様、どうや――」


 画面内ではそこまでしか言わせなかった。リストバンド型の電脳デバイスを小さなダガーが切り裂き、無理やり電子世界エレクトロ・スフィアとの接続を断った。ダガーは瞬時に白衣の男の周囲を巡り、その身体をルナタイトの糸でがんじがらめに縛りあげる。


「信じたかったです。ベア子さんとウサ子さんから聞いても、ネクロファージの系統が同じだと知ってても、それでも疑いたくはありませんでした。でも今のを聞いたら、もう信じられません」


 空中に突然現れたのは、葵の顔。悲痛な面持ちで、目の前の新麻調室長、ギルバート・夜来やらいを見ていた。その瞳には、怒りの色も恨みの色もなかった。ただ哀しみだけを浮かべていた。


「ど、どうしてお前がここにいる?」


 電子世界エレクトロ・スフィアとの接続を強制的に断ったための混乱ではないだろう。葵の登場という余りにもあり得ない事態に戸惑い、言葉を失っていたのか。やっとの様子で、室長はそれだけを訊いた。


「ベア子さんとウサ子さんが助けてくれたから」


「死亡報告を聞いたのはたった今だ! 助かったとしても、移動が間に合うわけない! 超音速機を使っても無理だ!」


「そういう魔法があるんですよ。時間を操作する魔法が」


「そんなものは存在しない。僕が魔法を使えないからといって侮るな。お前のような野良犬よりは知識がある」


 実際のところ、葵にもよくわかっていなかった。視線を泳がせつつ、本人に助けを求める。


「ウ、ウサ子さーん、解説お願いしますー」


「どうも、電子魔法使いの兎澤真綾です」


 先程まで電子世界エレクトロ・スフィア内が映っていたディスプレイに、黒き隼ファルコ・ネロに残っている真綾の顔が現れた。ベアトはおらず、予定通りこちらに向かっているようだった。


電子世界エレクトロ・スフィアでは出来るのよ。通信を乗っ取ってダミーと会話させる。その記録を元に、時間差で本物と会話。二十分ほど前に一度連絡なかった? もう侵入してるんですかって?」


「確かにあったが……」


「さっきの通信、本来はその時のものなのよ。途中からは私が作った物だけど。それを時間差をつけて、こっちに送った。あなたの注意を引いて、葵が侵入する隙を作るために」


「指向性霊子通信は、遮断は出来ても盗聴は不可能だ。ましてや乗っ取りなど……」


「あたしと真綾が組めば可能なんだよ。あんたには内緒にしていたが、霊子を転送するオリジナル魔法陣が使えてねえ。指向性霊子通信が徒になったな。魔法陣一つで別の場所に飛ばせる。こちらで制圧しているアンテナに送り込み、ダミーと会話させたってこと」


 室長室へと入ってきながら、ベアトが答える。その手にはルナタイト製の拘束具があり、葵が縛っている室長に取りつけ始めた。抗うこともせずその様子を眺めながら室長が問う。


「お前らが遮断していたのは、ダミーアンテナの通信のはずだが?」


「物質を透過して通信出来るのに、機密通信用のアンテナを外につけていたら、ダミーだって教えているようなもの。あれを遮断しているように見せかけて、実際には周辺すべてからの通信を乗っ取る準備をしていたのよ。海上都市アクアポリス全体を遮断するのに比べたら、至極簡単でしょ?」


 画面の中の真綾が、何を当たり前のことを訊くとばかりに呆れた様子で答えた。葵にもその論理はわかる。怪しいものを怪しいと思ってはならない。目立つものは偽物。本物は別の場所にある。うまくいっているように見える時こそ、深みにはまっている。今回それをよく学んだ。


「指向性霊子通信はね、アンテナの向きで通信先がわかる。今回工場側のアンテナは見えなかったから、正確な向きは把握出来ない。でも時を同じくして反応した通信衛星が、このビルのアンテナに向けて中継しようとしたわ。調べたら、あなたの専用アンテナだった。後は簡単」


「運が悪かっただけだというのか? しかし、別の経路でも通信が来ていないぞ? 工場を制圧し終わる前に、通常通信で報告があるはずだ」


「見逃さないよう頑張ったのに運扱いとか酷いわ。いつもそうやって査定してたのかしら? まあいいわ。他の通信経路からの連絡がなかったのは、あなたが上手くやりすぎたから。それが裏目に出た。あの工場もスケープゴートだったんでしょ? 一旦事件を解決したことにしてしまうつもりだったんじゃないの? 幹部以外は何も知らない。だからあなたに連絡しない」


 ギリギリと歯ぎしりの音が聞こえた気がした。葵の位置からでは室長の顔は見えない。しかし、どんな表情かは予想がついた。いつもの温厚な仮面の下の、本性が現れているのだろう。


「中のコンピューター、内側からなら私がハッキング出来るようにしておいたんでしょ? スケープゴートのボスと提供者のデータを記録しておき、それを以て事件を終わらせる算段」


「ふん、確かにそうだが、まさかお前まで潜入したのか? 気付かれずに? 一体どうやって?」


 クスリと真綾が笑う。室長の反応をさも面白そうに眺めながら答えた。


「私がそんな危険なことするわけないじゃない。葵が端末持って入っただけ」


「AIでハッキング可能なほど柔にはしていないぞ?」


「意外と頭の悪いお猿さんね。だから、霊子転送だってば。葵には霊子転送出来る箱を持たせ、その中に小型端末を入れておいた。外からそれを通して、私がハッキングしたの」


 それから冷徹な顔に変わり、真綾は言い放った。


「すべては、あそこの職員を犠牲にして、自分だけ逃げ切ろうとした罰よ。小細工なんかせず、普通に皆で姿をくらませていれば、見つからなかったかもしれないのにね」


 拘束具を取り付け終えたベアトが立ち上がりながら、感慨深げな顔で室長を見下す。


「ま、あんたの計画は完璧だったよ。葵というイレギュラーにもうまく対応した。すぐに殺さず、幕引きに使ったのも正解。あたしら三人が揃わなきゃ解決出来なかったし、決め手となったのもこいつが機転利かせて、うまいこと死んだふりしたからだ」


 最後は葵の頭を撫でながらベアトは言った。葵は自然と頬が緩む。


「もしあれがなかったら、あんたが黒幕と把握出来たとしても、逃げられていただろう。ここにもきちんと非常脱出手段を用意していたようだしな。本当、頭の回る奴だよ」


「そう言えば、あれどうやったの? 工場の記録見ても、実際に死んだとしか思えなかったわ」


 画面の中の真綾が興味津々といった様子で問いかけてくる。うまく事件が解決して気持ちが緩んでいるのだろうか。今日の真綾はいつになく表情豊かに見えた。


「それ、今言っちゃ駄目ですよね? ここに大悪人いるんですし……」


 半眼になって葵が突っ込むと、真綾は苦笑しながら答えた。


「それもそうね。後でこっそり教えて」


「葵、気絶させちまってくれ。ヘリに運ぼう。そうしたら、名無しネームレスも解除していい」


「待ってください。少しだけ、私にも話をさせてください」


 ベアトの命令に逆らって、名無しネームレスを先に解除し、室長の正面へと回り込んだ。予想通り忌々しげな表情で葵を睨んできた。温厚な性格は、やはりただの仮面だったのかもしれない。そう思いながらも、一縷の望みに懸けて葵は問いかけた。


「室長さん、どうして不老不死の薬エリクシルなんて作ったんですか? どうしてあんなのばら撒いたんですか? そんなにお金が欲しかったんですか?」


「既に誰かから聞いているだろう? 不老不死の薬エリクシルは万能薬となる可能性がある。僕はネクロファージを利用して、人を助けたかっただけだ。あれは未完成品。副作用がないか、もっと効果の長い不老不死の薬エリクシルを開発し、大量生産すれば、人類はより上の次元に到達出来る」


 言い逃れには聞こえなかった。そう語る室長は、熱い眼差しをしていた。根っこは真綾と一緒。誰かを助けたい、その一心でやったこと。ただし、やり方を間違えた。


「そうなったら人は幸せになれるのかもしれません。でも、だからといって人々を、スラムの人たちを犠牲にしていいわけありません。人体実験してた記録も出てきたって聞きました。……あなたは間違ってます」


「君は本当に何も知らないのだね。彼らはそのために飼われているんだ。元々政府は、人的資源として難民を受け入れた。彼らは家畜のような存在に過ぎない。当然、人体実験のためのモルモットの役目も負っている。正当な利用方法だ」


「そんなつもりでいたわけない! 首相はスラムの人たちを救うと約束してくれました!」


 悪びれもせずに言った室長に、葵は激高した。あどけない顔を怒りに歪め、眼に涙を浮かべて、心の底から否定する。真綾とはやはり違う。同じ結果を目指していても、根底にある気持ちが、まったく異なる。


「はんっ、あんな金と権力のためだけに動く人間と、人類の未来のために動く僕と、どちらを信用するのだね?」


 小馬鹿にするように鼻で嗤って室長は言ってのけた。葵はそれを見て、この男は自分に酔っているだけだと知った。高度な科学の知識を手に入れて、ネクロファージという究極の魔法的な力も手に入れて、神にでもなったつもりだったのかもしれない。自分の神聖なる血を、愚民たちに分け与えることでも考えていたのだろう。不老不死の薬エリクシルという死の麻薬を使ってまで。


「……少なくとも今は、あなたの方が信用出来ません」


 静かにそれだけ言うと、名無しネームレスで魔力を流して室長を気絶させた。葵の心情を思いやってか、ベアトが抱き寄せて何度も頭を撫でてくれた。不思議ともう涙は出なかった。


「気が済んだかしら? それ、黒き隼ファルコ・ネロまで持ってきて。国家安全保障局の情報室から、引き渡し要求がきてるわ。ベアトの方から本物か確認してもらえる?」


 画面の中の真綾に向かって、ベアトが睨み付けながら返した。


「なんであたしに頼るんだよ?」


「さあ? 大悪人の前では言わない方がいいんじゃない?」


 白々しく答えると、ディスプレイから真綾の顔が消えた。葵はそれを眺めながら思う。


(ベア子さんもしかして、その情報室とかいうのから来てたスパイ!?)


 真綾もそうなのだろうか。いかにもスパイをやっていそうな部署の名前に聞こえる。二人とも初めからグルで、この新麻調自体を調べていたのかもしれないと葵は思った。扱っているものが扱っているものなだけに、政府機関同士で監視し合っていたのかもしれない。


 室長を軽々と持ち上げ、黒き隼ファルコ・ネロまで運んでいくベアトの背中を、半眼になって睨みつけながら葵は歩いた。


(ぐむむむむ……何も知らなかったのは、私だけですか。そうですか、野良犬のお猿さんですからね!)


 心の中で憎まれ口を叩くものの、明かされていたら、どこかで洩らしてしまったような気がしなくもない。なんだかんだで、室長のことも信じてしまっていたのだから。


 開け放たれたままの黒き隼ファルコ・ネロの後部ハッチから中に入り、室長を床に降ろす。ネクロファージの回復力の賜物か意識はもう戻っていたが、流石に身動き一つ出来ないようだった。これで拘束されたら、葵でも逃げ出せないと思える厳重さ。不死身なだけの室長にはどうしようもない。


「真綾、出してくれ」


 扉が閉じると、ベアトがそう催促した。それでも、まだ離陸のための移動は始まらない。


〔ね、どうしても気になるから先に教えて。葵、さっきの死んだふりどうやったの?〕


 後でいいだろうと思いながらも、葵は真綾の質問に答えた。


〔あれはですね、蜃気楼ミラージュに氣と魔力を纏わせてから、闇との同化ダークネスを使いました。人が死ぬときは、霊体が突然消えるんじゃなくて、ゆっくりとお空に広がってく感じなので〕


〔そう。先に放出した氣や魔力は、闇との同化ダークネスに巻き込まれて消えたりはしないってことかしら? 確認して良かった。私は騙されないように気を付ける〕


 その言葉の意味を考えるために、首を捻った瞬間だった。集中してしまっていて、もう一つの事象が何を示しているのかすぐに気付かなかった。室内に突如として響いた空気音について。


 ばたり、と二人が倒れる音が耳に飛び込んできた。一人は自分のもの。


(そ、そんな……。ウサ子さん、まさか室長の……?)


 黒き隼ファルコ・ネロの貨物室内に一気に毒ガスが充満したのか、息を止める間もなく葵は倒れ伏した。工場の時と同じ感覚。身体が動かず、呼吸も思考もうまく出来ず、頭の中がグルグルと回転していた。


 ベアトも流石に油断していたのだろう。全てが終わったと思ったタイミング。信頼出来ることが証明されたタイミング。ここにきて真綾の裏切りがあるとは、予想が付くわけもない。


〔くそっ、てめえ誰だ? 真綾じゃないな?〕


 何とか魔法は行使出来るのだろうか。空中に白い魔法陣が浮かび、扉に向けて強い魔力が弾けた。しかし、僅かに歪めただけで、破壊は叶わなかった。毒ガスのせいで威力不足なのだろう。


〔私は兎澤真綾本人よ。大丈夫、殺しはしない。私は葵が欲しいだけ。室長とベアトは、ちゃんと情報室に届けてあげるわ。事件は解決したいもの。でも葵だけは貰っていく〕


 これはまた別の事件。実は室長の手下であった真綾が、彼を助けようとしているわけではない。彼女は彼女の目的があって、葵を欲しがっている。毒ガス耐性の数値改竄は、確かに葵を助けるためではなかったのだろう。自分が葵を手にする前に、殺されてしまわないためのもの。


(どうして……?)


 まとまらない思考の中、それだけを考えた。室長にとって代わり、不老不死の薬エリクシル売買を牛耳りたいということではないだろう。真綾が何をしたいのか、葵にはさっぱり理解出来なかった。


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