第二話 罠
貨物室のハッチから下を眺めると、確かに映像で見た通りの建物が山の中腹にあった。疑心暗鬼になっている葵は、自分の目で確認出来たことで、妙に安心感を覚えてしまった。
「表向き、霊子ナノマシン研究を手掛ける企業の研修寮ということになっているが、ペーパーカンパニーで、活動実態がない。にもかかわらず、霊子ナノマシンが週三回も搬入されている。不老不死の薬の材料と、同一メーカーの品だ。ここが工場で間違いないだろう」
スピーカーから室長の声が聞こえてきた。気付かれた気配はないので、安全に侵入する機会を待っているところ。すぐさま突入しようとしたら、室長から制止命令が入った。
「まもなくその納入が行われる可能性が高い。毎週決まった曜日、決まった時間に運び込まれている。人目につかぬようにか、未明のこんな時間だ。それらしき車両も捕捉している。納入に便乗すれば、潜入に気付かれにくいはずだ。まずは証拠を押さえて、一度脱出しろ」
「破壊しないんですか、製造装置?」
意外な指示が室長から行われ、葵は首を傾げつつ問い返した。
「自爆装置などがある可能性を考慮したまえ。破壊すれば気付かれる。君ごと証拠隠滅されては困る。製造方法だけでも確実に持ち帰るのが最優先だ。少なくとも映像を記録、可能なら一部でも回収してくれ。霊子ナノマシンを搬入した者と一緒に出られるようなら、一旦気付かれないまま脱出すること。間に合わないなら、多少強引な手段を使ってでも脱出してよい」
研究者の気質だろうか。製造方法さえ押さえれば大丈夫と考えているようだった。葵としては、それを発明した人間の方をどうにかしないとならないと思う。マフィア街で捕らえた者ではないのだ、製造方法を考案したのは。作った者を逃がしてしまったら、また作られてしまう。
「葵、大丈夫よ。衛星から周辺映像はリアルタイムに監視中。こちらに気付かれずに、製造設備を簡単に移転出来るとは思えない」
真綾がそう言うも、本音ではないように思えた。AIもフル稼働して、かなり広範囲を監視している。逆にそれが真綾の不安を表しているように、葵には見える。
「兎澤君の言うとおりだ。制圧や破壊は後からでもいい。我々の仕事はあくまでも調査。気付かれさえしなければ勝ちだ。影を歩く者の出動指示もまだ保留している。東京に置いたままだ。君が証拠を回収して脱出してから、急いで移動させて合流してもらう」
「とはいえ、敵に動きがあったら、あたしと葵だけでも再突入するぜ?」
「もちろんだ。相手は何をするかわからない。危険な任務となるが、その場合はよろしく頼む。作戦は以上。そろそろ降下し、納入に便乗して潜入せよ。内部は通信不能だろう。健闘を祈る」
黒き隼が降下していき、葵が自由落下から着地可能な高さまでくると、ベアトがさり気なく葵の指輪に触れた。
〔例の通信機、用意したぞ。これがあれば、少なくともあたしとは会話出来る〕
〔助かります。……って、なんか大きいですね?〕
〔お守りが入ってる。作戦の成功を願ってな〕
手渡されたベアト特製の霊子転送を使った通信機は、前回よりも明らかに大きいように感じられた。霊的迷彩を施されていてよく見えないが、不自然に感じる部分で大きさはわかる。
(きっとまた結界爆弾ですかね。中で逃げられそうになったら使うのかも)
地下構造についての情報は一切ない。非常用の脱出口などが何カ所もあって、葵一人ではカバーしきれないかもしれない。そのときはこの中の結界を使って、全体を封鎖するなどといったことを考えている可能性はある。これがあるからベアトは一人泰然としているのだろうか。
カメラで監視されていても悟られないように、自然な動きでルナタイトの糸に手を伸ばし、それを掴んで一気に地上に飛び下りた。研修寮へと続く道路の端を、慎重にゆっくりと進む。
〔入り口前まで行って待機しろ。まもなく車両がやってくる〕
少しだけ急ぎ足になって、葵は建物入り口前の駐車場らしき場所まで侵入した。マフィア街の方にはなかったが、葵を検出可能なセンサーがないか気になって仕方ない。もし見つかっていれば、納入業者の方に動きがあるはず。葵はそう自分に言い聞かせて心を落ち着かせた。
〔来たぞ。うまいこと潜り込んでくれよ……〕
納入業者らしき車が駐車場に停まった。小型のトラックで、後部扉を開けてそこから何かが出てくる。ロボットが大きな荷車を引いているようだった。前後を挟むようにして人が歩く。二人とも、不老不死の薬使用者で間違いなかった。特有の呪いを感じる。
〔組織の施設で間違いありませんね。この人たち、不老不死の薬使ってます〕
葵はこれ幸いとばかりに、背後をぴったりとついていく。扉も開けてくれて、中のエレベーターまですんなりと乗り込めた。
〔かなり大きなエレベーターです。資材の搬入にも使えるようなやつ。入り口ここだけなんでしょうか? ――ってか、これ重さでバレません?〕
エレベーターなら、必ず重量センサーがついている。安全性確保のため、制限重量を越えていないか調べる仕組みがあるはず。
〔それは大丈夫だろ。搬入物や運搬ロボットはかなりの重量に見えた。お前なんて誤差レベル〕
言われてみればそうかもしれない。エレベーター内の搭載重量が本来幾つであるべきか知っていないと、判定も出来ないはず。明らかに異常値に見えるほど、葵の体重は重くない。
とはいえ、大分長く乗ることになったので、葵は不安で仕方がなかった。この狭い空間で襲われたら、対抗出来ないかもしれない。ロボットが実は戦闘用だったりしたらどうしよう。運んでいるのが爆弾だったらどうしよう。そう考えながら、じっと息を潜めていた。
〔下につきそうです。ルナタイトで覆われた空間を感じます〕
〔ここまでは情報通りだな。この先だが、その搬入物についていってくれ。原料となる霊子ナノマシンなら、製造装置のある場所、あるいはその近くの貯蔵庫に持っていく可能性が高い〕
〔そう思います。中に踏み込みました。これもうルナタイトの内側ですね。この箱あって良かったです。ベア子さんと相談しながらやれるし〕
エレベーターを降りると、外の様子はルナタイトに遮られもうわからない。かなり深い地下のようなので、ルナタイトで隠すという不自然な施設も、地上からは感知出来ないのだろう。
セキュリティーゲートなのだろうか。下りてすぐの空間には強い魔力を感じる人間が二人。そして強い氣を感じる人間が二人。計四人の警備兵が守っていた。
魔法使いにも気功術師にも対応可能な、天然の霊子センサーといったところ。仮にハッキング出来て、霊子センサーを誤魔化せたとしても、ベアトではやはり潜入出来なかっただろう。
扉が開き、奥から別の人員が出てきたようで、運ばれてきた資材を受け渡している。それが奥へと持っていかれるのに紛れ込んで、ゲートを通過した。
〔中に入り込みました。このまま搬入物を追っていきます〕
その先にも似たようなゲートが二回もあった。人数は魔法使いと気功術師と思われる警備兵一人ずつに変わったが、かなり厳重な警備に感じる。マフィア街のあの拠点とは大違いだと葵は思った。ここが本拠地であり、組織のボスもいるという情報の真実味が増した。
〔今のところ気付かれてないみたいです。時間が時間だからか、一カ所に集まって眠ってるみたいです。起きてる人たちにも、特に不自然な動きはありません〕
〔外部との連絡も、今のところ検知出来ていない。大丈夫、そのまま製造設備を見つけてくれ〕
中はかなり広いようだったが、ところどころ別途ルナタイトで覆われた空間を感じる。ボスの個室やコンピューター室などの重要施設だろう。そして不老不死の薬の製造室。
〔ルナタイトで囲われた部屋に運び込まれそうです〕
〔そこが怪しいな。製造方法は、内部の人間にも秘匿しているのかもしれん〕
ルナタイト製の扉が開き、葵は物資を運んでいる人物とロボットに続いて部屋の中に入った。特に何もない小さな部屋。後ろで扉が閉まった。検問施設のようなものかもしれない。
〔たぶん今、検問部屋みたいなとこで、センサーで念入りに調べられてます〕
〔あまり無駄口は叩くな。気付かれないように注意しろよ?〕
しゅーっと何か空気音のようなものがした気がした。何だろうと思ったときには、葵の全身は痺れてしまっていた。
〔ど、毒ガ――〕
言い切ることは出来なかった。葵は倒れこみながらも状況を伝えようとしたが、通信箱は手から離れ、転がっていってしまった。
(罠……だったんですか……? これは、私を殺すための罠!?)
身体がうまく動かないだけではない。呼吸もしづらく、思考もうまく出来ず、頭の中がグルグルと回転している。油断していた。毒ガスには気をつけろと、以前ベアトに忠告されたのに。




