第一話 スケープゴート
「どうですか、ウサ子さん?」
「大丈夫。重要部分は消されているけど、冗長化されているから、復元の手掛かりは多数ある。そんなに時間を掛けずに、ほとんどを元に戻せるわ。障害対応システムが徒になったわね」
真綾の言葉に、葵の首が傾いでいく。言っていることのほとんどが意味不明だが、とりあえず組織のデータは取り出せるということだけはわかった。
提供者らしき夢幻の心臓たちは、ベアトが黒き隼へと引き上げた。葵が制圧した部屋は組織の中枢部だったようで、真綾が下りてきてコンピューターを解析中。葵はその護衛である。今頃黒き隼では、同乗してきた幻術使いが、捕らえた者たちから情報を引き出しているはず。
急がなくてはならないのに自分は見守ることしか出来ず、気が焦ってうろうろしてしまう。真綾が部屋の制御を乗っ取って、奥の扉を開けてくれた後、潜水艦まで行って自分の目で確認してきたが、誰もいなかった。この先は予想通り一本道で、逃亡用の隠し通路のようだった。
〔取得完了。提供者と工場の場所が判明したわ。ベアトの方はどう?〕
真綾の発言を聞くと、コンピューターのディスプレイの前まで行って、葵は食い入るように画面を見た。この情報はベアト側が得た自白との同時交換をする。互いに信頼はしている。しかし、片方が先に伝えてしまうと、それに合わせたのではないかという疑いが残る。
〔供述をまとめたものと、その録音データをストレージにぶっ込んだ。同時にアドレス交換だ〕
画面の表示が切り替わった。趣旨は今までの物と一緒。提供者は、やはり先程の夢幻の心臓だった。この場所で、不老不死の薬販売の管理をするとともに、必要な場合にマザーネクロファージを生み出して提供していたようだ。
工場の位置も、座標や特徴まで完全一致する。神奈川県相模原市の丹沢山地の大深度地下に、ルナタイトで覆った空間があり、そこで製造を行っている。組織の本拠地も兼ねていて、地上部分は霊子ナノマシン研究を行っている企業の研修寮という扱い。
〔どうやらうまいこといったようだな。葵、改めてお手柄だ。あたしじゃあ、制圧する前に復元不可能なまでにデータを消されるか、良くても提供者には逃げられていただろう〕
〔えへへへ、そんなことないですよ。私はベア子さんの指示通りに動いただけ。考えた人が偉いのです!〕
手放しで褒められると、ついつい顔も気持ちも緩んでしまう。工場を押さえないと終わらない。まだやることは残っている。葵は頬をパンっと叩いて、気を引き締めた。
〔済まないが、引き継ぎの手配が済んだら、三人ともすぐに工場の方へ飛んでくれたまえ〕
室長の言う引き継ぎの手配とは、ここにサイバーテロの実行犯がいたと見せかけるための偽装。このクラブハウスを放置していくわけにはいかず、影を歩く者に後を任せる必要があるが、工場を押さえるまでは情報を渡したくない。組織関係者が食い込んでいないとも限らない。
情報封鎖は工場制圧まで継続。この通信障害は、とっくに世間の認知するところとなっており、マスコミ各社はもちろん、一般ネットユーザーまで大騒ぎをしている。解除してしまったら、工場の方から安否確認があって然るべきだろう。
〔終わったわ。工場へ急ぎましょう。ベアトも準備いい?〕
〔ああ。奴らは拠点で追加調査をしてもらう。既に引き渡した。黒き隼はすぐに動けるぞ〕
「ということで、失礼しちゃいます」
葵が真綾を抱き上げ、階段を駆け上がる。自分より小さく、外見年齢も幼い葵に持ち上げられたからか、微妙な表情で見上げる真綾。しかし、これが一番速い。少しでも急ぐ必要がある。
外に出ると、黒き隼はもう着陸していて、後部ハッチから飛び込んだ。コックピットに行く間もなく、ハッチを閉じながらすぐに離陸を始める。
「あれが本当に提供者だったのかどうか、室長が追加確認を行ってくれるそうだ。マザーネクロファージを生み出せる夢幻の心臓なのか」
コックピットに入るなり、ベアトがそう話しかけてくる。真綾が操縦士席へと着きながら応じた。
「助かるわね。私たちだけじゃ確認出来ないもの。あの人が室長なのって、結局は夢幻の心臓であり、ネクロファージ研究の第一人者だからなのかしら」
葵もそう思う。詳しくないと捜査は出来ない。偽者を用意された場合にも見抜けない。室長は、数多くの吸血鬼を見てきているだろう。ある意味、最高の取調官ともいえる。
〔さて、このコックピットの中での霊子通信は安全よ。不自然に思われないよう、音声や映像のモニタリングはカットしてないから、気を付けてね。で、内密な話って、何かしら?〕
目の前にいるのに真綾が霊子通信で語り掛けてくる。話の流れ的に、ベアトの方から秘密通信を要求したのだろう。恐らくは、室長がスパイかどうかの件について。
〔自白の件だが、何か違和感があるそうなんだ。余りにも簡単に情報を引き出せたから、不老不死の薬事件と関係のない質問についても行わせた。その中に一部、霊体に残された記憶と一致しないものがあるらしい。もしかしたら、記憶操作を受けているのかもしれない〕
〔穏やかじゃないわね。記憶操作って、幻術とはまた別の方法ってことかしら? あの人が見抜けないのならば〕
〔やり方は色々とあるからな。夢幻の心臓であれば、物理的消去後に、VR体験などで植え付け直すことも可能だ〕
物理的消去。ベアトの言葉が意味する行為を想像して、葵は両腕で身を抱くようにして震えた。脳細胞の再生時に、記憶を保持するニューロン構造までは復元されない。ネクロファージは、そこは完全保存しない。したら、新しく何かを覚えることが出来なくなるからだろう。
〔コンピューターの情報を確認し直してるけど、改竄の様子は見られないわ〕
〔幻術師の方も、勘違いかもしれないと言っていた。霊体の記憶は曖昧で、正確には引き出せない。脳の記憶の方も曖昧だ。昨日の朝飯が何だったかさえ、間違えることもある。どちらにせよ、ここで捜査の手を止めるわけにはいかない。急いで工場に潜入して調査を行う必要がある〕
工場までは、直線距離で七十キロ強。ステルス性を保ったままの飛行だと、二十分弱。残り十五分と表示されている。ディスプレイには現地の衛星映像が映し出されているが、特に誰かが出入りしているということはなく、まだ気づかれていないように思えた。
〔でも私も不安なの。何かスムーズにいきすぎていないかしら? 葵の能力があったから掴めた手掛かりから、用意周到な計画で連鎖的に進展したというのはわかる。それにしても、よ〕
確かに簡単すぎた。あのルナタイトの扉は、本来なら逃げたりデータ消去したりするだけの時間を稼げるくらい、破壊が難しいものだったのかもしれない。
そうだとしても、あの場所にまだ居座っていたこと自体に違和感がある。販売は続けるにしても、提供者は一旦身を隠し、工場の場所も消去して、末端の人間のみにしておくはずと思う。
〔新麻調が発足してから、一年近くになるわ。その前にも最低三か月以上は、各諜報機関が捜査していた。今だってうち以外にも秘密裏に動いているところがあるはず。それだけ捜査していて尻尾が掴めなかったのに、今回に限って余りにも順調すぎない?〕
真綾は先程からずっと現地の映像を確かめている。地上からは見えていないだけで、既に逃げ出していないか心配なのだろう。
〔あたしも同感だ。今回は首相も巻き込んで、大掛かりなことをしたからというのはわかる。しかしそこまでの経過がな……。もしかして、あの提供者もスケープゴートだったりしないかな? 本物はあれを囮に逃げ切るつもりなのかもしれない。室長に確認してみてくれ〕
「室長、取り調べの方はどうでしたか? 確かにマザーネクロファージを生み出すことの出来る、夢幻の心臓でしたか?」
真綾の問いかけに、黒き隼のスピーカーを通して、すぐに室長の声が返ってきた。
「夢幻の心臓だと確認した。この感覚だと、僕よりも夢幻の心臓になってから長い。過去の経験上、マザーネクロファージを生み出すことが可能なくらいに、信頼関係を築けているように感じる。系統も不老不死の薬事件に使われているものと一緒だ」
「感覚だけの話なんですか? 他に確定する方法は?」
「人体実験をするわけにはいかんからな……」
「それもそうです」
そう答えたものの、真綾は納得がいってなさそうだった。論理で動くタイプのようなので、科学的な証拠が欲しいのだろう。葵だって欲しい、今回は。
「うまくいきすぎていることが心配かね? 私もそう思う。何か見落としがないか、詳細は告げずに影を歩く者にクラブハウス周辺を探索させている。しかし、今のところ何も出ていない。急激な進展は、葵君のお陰と考えよう」
「だから言ったろ? 葵の闇との同化が決め手になるって。誘ってみて良かったぜ、本当」
ベアトは陽気にそう応じるも、本音ではないように葵には思える。名無しをそっと伸ばして、ベアトだけに秘密通信を行った。
〔室長はああ言ってますけど、私はあれ、夢幻の心臓じゃないかもしれないって思うんです。真祖ってやつかも〕
〔どうしてそう思う?〕
表情を変えないまま、ベアトが問い返す。葵は自分の左胸に手を当てながら答えた。
〔言ってるんです、私の中のマザーネクロファージが。……この間は嘘吐きましたけど、たぶん私、マザーネクロファージ生み出せます。だって、系統っての判別出来るもの。室長と不老不死の薬使用者、それからさっき捕まえた提供者っての、全部同じ系統だってわかります〕
すぐに返答はなかった。代わりに驚愕とも動揺ともつかぬ感情だけが流れ込んできた。
〔本当なのか? 夢幻の心臓になってたった三年半で、そこまで出来るようになるとも思えないが。あたしはもう十七年になるが、まだ無理だ〕
〔もしかしたら私、記憶がないだけで、もっと年寄りなんでしょうか……?〕
ずっと心配していたことだった。系統のことについて、室長に話を聞いてから。真綾は失った記憶は少ないと言った。しかし、本当はもっと多かったのではないか。大切な何かを自分は失くしてしまっているのではないか。それが不安でならない。
〔そのことは深く考えないようにしよう。お前が言わなかった理由は察しが付くし、今そんな嘘を吐く必要性も感じない。その感覚が正しいか検証しようはないが、あれは室長が作ったスケープゴートだと仮定して動けばいい。あたしに任せておけ、秘密を暴いてやる〕
力強い言葉とともに、強い想いが名無しを伝わってきた。ベアトは何か隠し玉を用意していると葵は確信した。元々室長がスパイと仮定して、それでも成功させられるよう作戦を練ってくれていたのだ。
「真綾、ボスも工場にいると言ったが、不在の可能性がある。他にも関連組織などがあるかもしれない。潜入が発覚したら、通信を行うだろう。それを全部拾ってくれよ?」
「指向性霊子通信を使いそうね……。映像見る限り、アンテナ付いてるもの」
「見えてるんなら好都合だ。どっちに飛ばすかわかる。遮断しちまおう」
自信ありげにニヤリと笑いながらベアトが言う。それからコックピット内だけの霊子通信で付け足した。
〔言ってる意味わかるな? あれやろうぜ、真綾〕
〔もちろん。念のためのブラフだってことくらいわかるわ。ぶっつけ本番だけれど、やってみましょう。私たちならやれる。葵だけにいい格好はさせないわ〕
映像が監視されていることを危惧したのか、はたまた単なる素なのか。真綾の方は表情も変えずに言ってのけた。葵は何も聞かされていないが、二人だけの奥の手が何かあるようだ。
(これって、もしかして私がスパイって説も、二人の間ではあるってことですかね……?)
自分にも教えてくれないことで、葵はふと不安になった。しかしそれでいいとも思う。スパイがいるとしたら、全員での化かしあいでいい。スパイ以外が勝てば、それが誰だとしても、皆の勝利ということになるのだから。