第三話 海上都市(アクアポリス)封鎖作戦
(これは間違いありませんね……)
ベアトのマーキングが施された三人は、葵が見張る建物の前に車を停めた。二人が中へと入っていく。しばらく待つと、不老不死の薬を大量に持って出てきて、車で去った。ベアトと真綾から聞いた推測の通り。それが正しいのを確認すると、見つかる前にその場を撤収した。
彼ら三人は、解放後、当日のうちにマフィア街に消えた。一旦別れて個別に潜伏したのち、バラバラのタイミングと場所で行動を再開。最終的に同じ一帯に毎日出入りするようになった。
独自の監視網はまだ穴だらけで、主に確認可能なのは屋外と、一部の地下道のみ。とはいえ、こちらのセンサーの位置は把握されていない。撤去されないよう、光学迷彩付きの超小型タイプ。データの回収も指向性霊子通信を使い、ランダムな時間間隔で最低限に抑え、発覚しにくくしてある。
そのため、彼らは死角を知らず、それなりに監視センサーの前に現れていた。詳細な内容こそ不明なものの、映っていない間の行動を補間して繋ぐと、かなり狭い範囲に絞り込めた。
真綾による行動予測に従い、ベアトが張り込んで、監視網に映っていない部分をカバー。結果、とあるクラブハウスから持ち出していると推測された。自白にあった、不老不死の薬が運び込まれている場所と一致する。最後に葵が持ち出しの現場を間近で確認し、ここが集積所で間違いないと確定したところである。
葵は隠れたままマフィア街の外まで走ると、スラムのバラックの屋根の上を跳んで移動しながら、真綾のドローンへと通信を行った。
〔間違いありません。やっぱりあの場所から持ち出してました〕
〔ご苦労。すぐに合流して、家に帰りたまえ。予定通り、パーティーといこう〕
返答は室長からあった。これから拠点で作戦会議ということだ。葵も正式に参加することになっている。同時に見習いの身分を解かれ、作戦終了後は、晴れて行動制限も解除される。
〔今のところ、チョコバーが盗まれた気配はないわ。早く上ってきて〕
降下してきた黒き隼号から降ろされた縄梯子に、補佐で来ていたベアトが掴まっている。葵は真綾の指示に従い、それを上っていった。途中で名無しを伸ばし、ベアトに秘密通信を送る。
〔これではっきりしますね。スパイがいるかどうか〕
〔ああ。あの場所を引き払う気配があれば、室長がクロだ。真綾に気付かれずに外部に連絡出来る人間は、他にいない。室長がスパイなら、もう連絡しただろう。上層部に作戦のための根回しをすると言って、通信中だそうだ〕
とはいえ、ここまで何日もかかっている。葵による最終確認が行われる前にも、上層部への通信というのは繰り返していた。とっくに逃げ出すよう情報を与えており、今日彼らは来なかったはずである。スパイがいるとしたら、真綾に監視されていて動けない職員たちの中だろう。室長に唯一残る疑いは、突入作戦決行直前まで連絡をしないというものだけ。
拠点へと戻ると、早速会議室に人員が集まった。とはいえ、指揮を執る室長の他には、葵とベアト、真綾の四人だけ。着席すると、すぐに室長が話し始めた。
「これより作戦会議を始める。あのクラブハウスに踏み込めば、工場の場所を知っている人間か、それを示すコンピューターの記録、少なくとも捜索に使える何かしらの手掛かりが見つかる可能性が高い。場合によっては、提供者の情報も得られるかもしれないだろう」
普段温厚な表情を崩さない室長も、今日ばかりは厳しい顔をしている。失敗は許されない、シビアな作戦となるということだ。葵にもそれくらいは判断出来る。
「一度動けば、当然工場や提供者にも気づかれる。移動可能な製造設備であれば、即座に工場を移転するだろう。無理ならば証拠を破棄後、捜査不能なように爆破でもする。提供者もどこへ消えてしまうかわからない。いざという時に、追手から逃れて身を隠す方法くらい、用意しているはずだ。それを防ぐために、情報封鎖が必要と僕は考える」
そこが最も重要なところ。あの場所へどう不老不死の薬を運び込んでいるのか、という情報は得られていない。それが追えていたら、少なくとも工場の場所は事前に知り、同時作戦を行える。しかし、無理な以上、順番に対応するしかない。それには時間が必要だ。
「あたしの結界で、クラブハウス自体を完全に結界に閉じ込めれば、内部からの通信はカット出来る。電波でも有線でも、霊子通信でもだ。二種類重ね張りすれば両方防げる。だが、外からそれを目撃して連絡される恐れがある。あの中以外にも、当然組織の人間はいるだろう」
発言したのはベアト。これまでも、そうやって閉じ込めてから踏み込んでいたらしい。しかし成功したのは、単独行動のときだけ。それでも、中にいたハブによって、証拠は隠滅されてしまった。そしてハブから得られた情報の場所に、上位の人間はいなかった。見られていて、逃げてしまったのだ。
「そこで僕から提案がある。海上都市全体を情報的に孤立させる。主に再開発地区に混乱が起こることが予想されるが、ネットワーク障害などよく起きている事象だ。怪我の功名とでもいうべきか、政府は本土の復興にばかりかまけて、海上都市の再開発はそれほど進んでいない。ネットワーク封鎖による損失は少ないだろう」
「おいおい、流石にそれはやりすぎじゃないか? そこまでの権限は持ってないだろ?」
驚くべき提案にベアトがそう反応するも、室長は本気のようで、至って真面目に答える。
「僕にはない。しかしある人間もいる。今回の件について、政府はかなりの危機感を持っている。内密に政府の許可を取り、多少の迷惑は省みず、海上都市情報封鎖作戦を実行する」
「室長のことですから、既に取ってあるということですね? その仮定で話します。有線ケーブルはごく少数の橋やトンネルなど決まった位置にしかありません。元がメガフロートの浮島ですから。それはベアトの結界で容易にカット可能でしょう。でも無線通信が問題となります」
情報封鎖ということで、その辺りに詳しい真綾が作戦の問題点を指摘した。流石にすべてをハッキングして通信不能にすることなど出来ないというのは、葵にだってわかる。つまり物理的に遮断してしまうしかないということ。しかし、空を飛ぶ電波や霊子はどうするのか。
「流石に海上都市全体を覆う結界は作れないぜ? 時間をかけても無理だ」
世界一の結界術師といっても、やはりそこまでは出来ないようだった。規模が大きすぎる。半径四キロメートル以上の結界が必要となる。都心がすっぽり入る大きさ。それも、電波を遮るのに対物結界、霊子を遮るのに対魔結界と、最低二つは必要になる。
「相手が行うのは、機密通信だ。静止衛星経由での指向性霊子通信を想定していい。上空だけでも塞げはしないだろうか? それが出来ないと、作戦は振り出しに戻る」
室長の言い分は、既に作戦方針自体は決まっていて、具体的な方法を考えるだけの段階まできているように葵には思えた。独断で検討出来る内容ではない。もう既に上が動いているのだ。
「それでも大きさは変わらない。上空すべてを覆う大きさの結界は無理だ」
ベアトの返答を聞いて、葵は一つ思うところがあり、怒られないかと怯えながらも発言した。
「あの、衛星の方を止めちゃうことは出来ないんですか? ハッキングしたりして」
「無茶言わないで。海上都市以外の通信も封鎖することになる。そもそもすべての衛星は把握出来ないから無理。外国のスパイ衛星だって飛んでるんだし。仮に把握出来ても私には無理」
真綾に反論されて、葵は浅知恵だったと知って俯いた。止める方法自体は、ハッキングではなく結界でもいいと言おうとしたが、位置が把握出来ていないのなら無理だと思い直した。
「でもそれヒントになったわ。今、位置さえわかれば、ハッキング出来なくてもいけると思って聞いてたのよ。その発想で、すべての場所にあると仮定して封鎖が出来るかも」
「え、どういうことですか?」
すべての場所にあると仮定、といっても、それは全体を覆うことに他ならないので、葵の首が傾いでいく。
「ベアト、小さいものをたくさん作ることは出来るわよね? 結界を埋め込んだドローンを多数用意して、それで埋め尽くすってのはどう? 立体的に見て隙間があってもいい。静止衛星軌道と結んだ直線を、必ずどれかで遮ることが出来れば」
その真綾の提案を聞いて、葵はあの三人を捕らえた時のことを思い出した。
「そうですよ、この間の結界爆弾みたいの、たくさん作れば!」
結界を遠隔発動することが可能なら、あれを大量に用意して空に飛ばせばいい。準備している間に、不発弾になってしまわないのが前提となるが。葵は期待の眼差しをベアトに送る。
「発動用の魔力パルスをすべての結界に届かせるのは現実的じゃあない。だが時限式なら可能だ。その時間になったら必ず発動してしまうし、時間を変えることも出来ないというものなら」
数自体は用意出来るという趣旨のベアトの発言。葵は目を輝かせて室長の反応を探る。室長にとっても求めていた答えなのだろう。満足そうな表情で応じた。
「それで充分だ。どちらにせよ、実行が決まったら、もう後戻りは出来ないのだから。兎澤君、会議が終わったらすぐにベアト君と相談して、必要なドローンの数を計算してくれ。最高レベルのステルス性能のものを、急いで手配させよう」
「予備も最低二割はお願いします。不発や故障の可能性は拭えません」
「もちろんだ。……それで結局、通常の電波無線、および無指向性の無線霊子通信については、遮断する方法がないということになるかな?」
ベアトと真綾が目を見合わせるも、互いに首を横に振る。葵も特に何も思いつかなかった。同じ要領で、横方向すべてを、結界ドローンで覆い尽くすのは無理がある。
「ふむ……致し方あるまい。リスクは小さい。工場への秘密通信を、そんな方法で行うわけがない。とはいえ、無視も出来ない。こちらについては、政府に対応してもらおう。国内すべての諜報機関に依頼をして、海上都市から外への通信を可能な限り遮断してもらう」
根回しというのはこのことだろう。越権行為どころではない。葵は、この作戦の本当の指揮官が誰なのか、大体想像がついてきた。そこまでやれる人物は、一人しかいない。
言及しないところを見ると、ベアトも真綾も同じことを考えているのだろう。そんな依頼が可能かどうか確認することもなく、話を詰めていった。
「最後に残る懸念が、人間による伝令っつー古典的な手段だが……当然やってくれるんだろ? 物理的な封鎖も?」
ベアトの指摘は室長、いや真の指揮官にとっても想定内だったのだろう。即座に対策が説明された。
「作戦発動後にトンネルと橋を封鎖する。名目は、海上都市全体に通信障害を起こした、大規模サイバーテロ犯の逃亡阻止。内側からの犯行の可能性を考慮し、移動禁止措置を取るという建前だ。航空機や船舶についても発着許可を出さず、警察のヘリが上空巡回を行って逃亡を防ぐ」
「トンネルや橋の封鎖を実行するのは警察でしょうか?」
「陸と空はそうだ。海については、海上保安庁になる。どちらも、上層部には事前に情報を与えるが、現場が動き出すのは作戦開始後となる。封鎖完了までに、どうしてもタイムラグが発生する。本命については、これで逃亡阻止が出来るとは思わないでくれたまえ」
あのクラブハウス、およびその地下にあるだろう秘密の施設から逃がしてしまった時点で、作戦失敗のようなもの。海上都市は地下も含めれば相当に広い。潜伏する場所はいくらでもあるように思える。
不老不死の薬自体、海上都市内で作られていてもおかしくはない。クラブハウスに運び込む方法が判明していないのは、あの中で製造しているからと考えると説明がつく。提供者も隠れ潜んでいるかもしれない。
(責任重大。外に逃がさないのはベア子さんの役目でも、中は私のお仕事)
現在の地下構造は判明していない。海上要塞当時の資料だと、すぐ近くに車両進入可能な地下道はない。しかし、地下同士で繋がってはいたので、どこまで組織の占有範囲が広がっているのかわからないのだ。速やかに心臓部を探し出し、証拠隠滅前に捕らえなくてはならない。
「念のため、警察庁公安部の隠密部隊、影を歩く者を待機させるよう依頼しておく。工場は遠くにあるかもしれない。提供者も同時に確保する必要がある。君たちが間に合わない場合、及び海上都市全体の捜査が必要な場合に備え、いつでもどこにでも出動出来る体制を整えておく」
「それ、こっちの作戦の内容は教えちまうのか?」
ベアトの質問に、室長は首を横に振った。
「無論、詳細は知らせない。海上都市にて、何らかの破壊活動の計画があるとの情報を掴んでいるということにする。我々は阻止および犯人確保のために隠密裏に動くが、失敗した場合の収拾に協力してもらうという建前だ」
「随分と手際がいいな? 作戦会議って言っても、これもう作戦始まってるんじゃねーの?」
ニヤリと意地悪そうに笑いながら、葵が訊きたかったのと同じようなことをベアトが言う。室長も同じように笑いながら答えた。
「今更僕に言われても困る。すべては首相の意向だ。僕は君たちの能力を考慮し、具体的な方針を提案しただけ。既に首相直属の専任チームが発足している。現場指揮は僕が執るが、意思決定は首相だ。作戦の目的については各機関には知らせず、専任チーム内の機密事項とする」
「チーム名は?」
「好きに決めたまえ。名前などない。公には存在しないチームだし、実行されない作戦だ。首相は本気だ。不老不死の薬一掃に向けて、今回は徹底的にやるつもりだ。これは国家規模の作戦となる。心して準備したまえ。それでは、各自行動開始」
その言葉を最後に作戦会議という名の最終調整は終了。各員は当日に向けての準備にかかった。とはいえ葵は特にやることはなく、隠密行動と戦闘のトレーニングを積んだだけ。もし工場もあるのであれば、相当な警備がされているはず。戦いは避けられないと考えた方がいい。
ベアトは真綾と一緒にドローンの試作と必要数を計算。通信ケーブルの封鎖手順なども打ち合わせ終わったということで、今日は早めの帰宅となった。ドローンが届き次第、ベアトは膨大な数の時限式結界の準備に入ることになる。休める内に休んでおく必要がある。
その晩、真綾の部屋にまた三人が集まった。作戦の成功を祈り、結束を強めるための激励会という名目。鍋を囲みながら、三人で裏の作戦について協議した。
「どうだった、真綾?」
ベアトが不明瞭な質問を飛ばす。意味のわからない葵は、首を傾げつつ真綾の答えを待った。
「こっちもシロ。手持ちの情報源だと、室長が言ってたことを否定する材料はない。あの作戦の内容自体は本物だわ。新麻調に異動してくる前、私が内調にいたのは知ってるわよね? 当時の同僚に確認したけど、通信遮断依頼は、確かに伝わっていた」
どうやら首相が動いているか、各機関に協力要請が出ているかなど、裏を取っていたようだ。
「なら、室長はシロか、自分だけ逃げ切る腹積もりということだな」
「そう思うわ。詳細は専任チームのみしか知らないとはいえ、各機関を巻き込んだのは事実。少なくとも今回は、情報を漏らす気がないか、事前に連絡済み。踏み込んでみて有益な情報が得られれば、そういうことになる」
ここまでには目立った動きはなかった。この先もそうであれば、葵が思っていた通りスパイなどいないか、今回の作戦の情報には触れられない者のみ。とはいえ、罠という可能性もある。
あの三人を捕らえた時点で連絡されていて、偽の拠点に誘導されようとしているのかもしれない。その場合、激しい抵抗が予想される。葵とベアトを葬るためのものだったとしたら、文字通り命懸けの仕事となる。それでいて、空振りに終わる。
(だとしても、ぜったい生きて帰ります。そして本当の犯人を捕まえるのです)
例え罠であっても、それを打ち破れば、犯人の手掛かりはきっと得られる。どちらにせよ、この作戦こそが勝負どころ。葵は口の中いっぱいに肉を頬張りながら、そう心の中で決意した。
「葵、食べ過ぎよ。もう半分も残ってないじゃない……」
冷たい眼で葵を見ながら、真綾がそう指摘する。葵は何故責められるのかわからず、首を傾げて問い返した。
「へ? これ、私の分ですよね?」
「鍋って、みんなで分けて食べるんだけど……?」
一人分にしては量が多すぎると思っていた。他の二人が手をつけていないこともあって、葵はてっきり鍋全部が自分の分だと思って、既に二人前近く平らげてしまっていた。
「ごめんなさいー! お給料入ったら、私が鍋パーティー開催しますー!」
そう叫んでぺこぺこと頭を下げる葵。真綾もベアトも苦笑しながら、残り少ない鍋の中身に手を付け始めた。
葵は思う。どちらにせよやりたいと。皆で食べる食事は、格別に美味い。作戦が成功した後なら、なおさらだろう。




