第一話 怪我の功名
「帰らせちゃっていいんですか?」
公安調査庁が入っている合同庁舎の前で、三人の男女が無人タクシーに乗り込んでいく。葵はその様子をディスプレイで眺めながら、隣に立つベアトに訊ねた。
捕らえた三人は、マフィア街に不老不死の薬が運び込まれてくる拠点に出入りしている人間だったそうだ。その場所は訊き出せたというが、帰してしまう意味がわからない。捜査の手が入る前に引っ越してしまうに決まっているのだ。早速端末でどこかと通信していた。
「あいつらが捕らえられたことには、組織も当然気付いてるだろう。マフィア街の地下には、マフィアたちが勝手に設置して管理している監視センサー類がある。それで現場を見ていた可能性は高い。そうでなくても、一定時間置きに連絡を入れるなどのルールがあるかもしれない」
どうせ気付かれてしまっているのなら、聞き出した情報にはそもそも意味がないから、帰してしまうということなのだろうか? ベアトを見上げる葵の首が傾いでいく。
「あたしとしては、予定通りの行動だよ。あれはな、別件で誤認逮捕してしまったことにしたんだ。あいつらがどこへ帰っていくか見張っていれば、拠点を移されても、そこがわかるだろ?」
安心させるように頭を撫でながらベアトはそう言うも、葵の首は更に傾いでいく。
「でも、大人しく組織には帰りませんよね? 自白させられたこと、覚えてるはずですよ。誤認逮捕したことにするっての、無理がありません?」
「お前、あたしらを何だと思ってるんだよ? 魔法使いだぜ?」
自信ありげにベアトが笑う。何かまた便利な魔法が登場するのだろうかと、葵の胸が躍った。
「外部協力者なんだが、強力な幻術が使える人間がいるんだ。情報を引き出したのはそいつ。掛けられると意思に関係なく話してしまう。そしてそのことを忘れる。その後あたしらが、別のマフィアの人間と間違えたって、謝りを入れたのさ。あの時間にあの場所を通るとタレコミがあったから、捕らえてみたらどうも人違いだったようだ、って」
「覚えてないから、それそのまま信じちゃう。魔法で騙し続けてるわけじゃないから、相手に魔法使いがいても、見破られないってことですか?」
「そういうことだ。売り子に何度か同じ手を使ってみたが、バレた気配はない」
ということは、この三人が帰る先に元締めがいなくても、そこにいる人間に同じことをすれば、元締めの居場所を知り、なおかつ逃げられずに済むかもしれない。いや、同じ手はもう通用しないだろうか。どちらにしろ、そのマフィア街での集積所のような場所は判明しそうだ。
「当分の間、お前は今まで通りの生活に戻ってくれ。あの三人、警戒してすぐには組織に戻らないだろう。しかし、一週間以内には戻る可能性が高い」
「不老不死の薬の効き目、切れちゃうから? 吸血鬼になっちゃうのは、嫌なはずですもん」
「そういうこと。三人が同じ場所に繰り返し出入りするようになるまで待つ。それが今まで通りの仕事に戻った証だ。確信が持てたら緊急出動になる。夜中だってあり得るぞ。いつでも出られるようにしておいてくれ」
(ということは、わんちゃんは当分迎えに行けないですね……)
単独行動が許されるわけがないし、スラムでは連絡も取りにくい。すぐに作戦参加することも難しい。泊まり込みにならないだけマシと考えなくてはならない。
「じゃあ、今日はお家に帰ってもいいんですか?」
「ああ。帰って少しゆっくりしてから飯にしよう。そろそろもっとマシなもん食わせてやりたいが、外食はもうちょい落ち着いてからだな……」
葵としては、いつも食べている冷凍食品でも充分な御馳走。昼に配達される、庁舎の弁当やら何やらはもっと豪華に感じる。これ以上の贅沢は必要ないと思いつつも、どんな味か想像すると、涎が垂れそうになる。
その後家に帰り、早速コタツムリ状態になる葵。ベアトは冷蔵庫からビールを取り出してからコタツへ。缶を開けながら、中で葵の指輪に触れてきた。
〔やはり室長か真綾がスパイだったと考えるべきだな。今回は情報が洩れなかったから、あの三人を捕まえることが出来たわけだ。この先の作戦も、そうするぞ〕
くると思っていた。やはりベアトの中の疑いは晴れていない。
〔あの……少なくともウサ子さんはぜったい違います〕
〔どうしてそう思う?〕
〔……事前に教えました。今日初任務だって。内容も聞いてた範囲で〕
〔葵……流石に冗談じゃ済まされないぞ? これが秘密通信じゃなきゃ、お前をぶん殴ってやりたいくらいだ。スパイだったらどうしてたんだよ?〕
恐らく涼しい顔で酒を飲んでいるのだろう。しかし指輪からは、必死に抑えた感じのベアトの怒りが伝わってくる。自分は顔に出てしまいそうで、頭まで中に潜り込んでから話を続けた。
〔あんなに一生懸命な人がスパイなわけないです。私にも優しくしてくれます。このマーヤさんだって、忙しい中用意してくれたんです〕
葵はコタツの中でマーヤを抱きしめながら主張する。熱暴走したらどうするの、とマーヤが喚いているが、それは気にせず言葉を続けた。
〔そもそもスパイなんて、いないんじゃないかと思います。いたら、今日の自白もさせないよう、何か邪魔したんじゃないですか?〕
〔今日は手を出せる状況ではなかったんだろう。幻術師は身元が割れてるし、あたしの前で誤魔化すことは出来ない〕
〔なら、連行する途中で奪い返しにきてるはずです。何もないのは逆におかしいです〕
真綾や室長は違うと断定出来ると葵は思う。後から知ったとしても、重要な情報を持った人物が捕まったら、手を打たないわけがない。そして、葵が採用された時点で、取引場所には対策をしているはずなのだ。葵を検出するためのセンサー類を設置して。
〔誤認逮捕にしたこととか、追跡出来るようにしたこととか、何人が知ってるんですか?〕
〔一部の人間だけだ。研究にしか関わっていない奴らは知らない〕
〔ウサ子さんは信頼出来ます。その人たちを監視してもらえばいいんじゃないですか? もしスパイがいたら、その情報を組織に伝えないわけがありません。この先のことも〕
〔そうするか。状況的に、真綾がスパイってことはないだろう。充分な時間があったし、今日は休みで外にいたのだから、組織への連絡もしやすかったはず。放置するはずがない〕
とりあえず、真綾の疑いは晴れたようだった。それだけでもこの先、ずっとやりやすくなる。真綾の能力は、捜査に必要不可欠と思える。スパイがいるのならなおさら。見つけ出すのは、彼女が一番得意なはずなのだ。
〔言い訳するつもりはないですけど、ウサ子さんが信頼出来るってわかっただけでも、よかったんじゃないでしょうか? 怪我の功名ってやつですよ〕
〔そう前向きに考えるよ。あいつに事情を話して、協力を願うか。室長の方は、今回の件だけでは何とも言えない。念のため、真綾とも秘密裏に会話したいな……。いざという時の連絡手段を設定してあるから、それ使ってみる〕