第三話 初任務
「なかなか見つからないなあ……。葵、ちょっと飯食おうぜ。腹減った」
ベアトがそう言いながら葵の手を掴む。そのまま近くの建物に引っ張っていきながら、指輪を通して語りかけてきた。
〔そこの店の中は、新麻調の監視装置の死角となっている。あたしは中で待っているから、葵は予定通り、蜃気楼を着て一人で受け渡し場所へ向かえ。例の物も中で渡す〕
食事処なのだろうか、入る前から美味そうな匂いが漂ってきた。葵はそれが何なのか興味津々だったが、狭い店内を素通りして、奥のトイレへと連れていかれた。
そこで、ルナタイトの糸を受け取った。下に何かぶら下がっている感触はあるが、物理的に見えないだけでなく、霊的にも不可視。完全透明という感じではなく、歪んだガラスのように心の眼では見えることから、何かの仕掛けでそうなっていることがわかる。
〔通信テスト。聞こえるか? 電脳デバイスの方は、この先ずっとオフにしとけよ?〕
ルナタイトの糸からベアトの声が聞こえてくる。そのベアトも同じものを持っているようで、直接繋がっているようには見えないが、それでも通信が出来るらしい。
〔聞こえます。これ、どういう仕組みなんですか?〕
〔霊子を転送する特殊な魔法陣を両面に張ってあるんだ。箱のこっちから来た霊子は、こっちの面の魔法陣に転送されるから、素通りしてしまったかのように感じる〕
指でその様子を示しながらベアトが説明する。原理を知ると、確かにそうであるように感じてきた。立方体の六面に張ってあるから、斜めからだと、心の眼には不自然に映るようだ。
〔ほうほう。霊的迷彩ってとこですかね? もしかして、通信もいっしょ? こっちの中身と、そっちの中身が、転送されるんですか?〕
そう推測を述べると、ベアトが満足そうな微笑みを浮かべて、葵の頭を強く撫でまわす。
〔お前アホかと思ってたが、意外と頭いいな。その通りだよ。この箱はメタマテリアル製だから、光学的にも見えない。お前と一緒で、光学カメラにも霊子モニターにも映らないのさ。霊子を飛ばさず通信出来るから、盗聴や妨害はもちろん、通信していることすら検出不可能〕
自覚はあったものの、アホ呼ばわりされるとは心外。葵は頬を膨らませ、口を尖らせた。
〔アホは余計です。それにしても、超技術な気がするんですけど……? 秘密兵器ですか?〕
〔その通り。いざという時のための切り札だ。これの話は誰にもするな。室長や真綾にも内緒だ。余り長時間は結界が保たない。今日の作戦は、最長でも一時間以内とする。箱自体には決して触れるな。霊体まで転送されてしまうかもしれない〕
ならば、急がなくてはならない。ベアトから蜃気楼を受け取って着込むと、フードを顔まで下ろして完全に透明になる。通信箱も念のため蜃気楼の内側に入れた。
〔よし、そのまま誰にも気付かれないように、目的の店に行け〕
〔隠れるのは得意ですよー! まさかチョコバーを盗む技術で、人助け出来るようになるとは思いませんでした〕
事前に覚えてきた地図と、ベアトが行っておいたマーキング。それらを目印に、通信での案内もあって、目的の場所までスムーズに進むことが出来た。人が少ないのも幸いした。
入っていったのは、大きな非合法酒場。事前に聞いた情報によると、密造酒にドラッグを混ぜて飲ませる類の場所らしく、海上都市の外からも客が来るそうだ。マフィアが占領・管理している旧軍事施設の地下部分を通って、スラムを経由せずとも出入り可能と聞いている。
アルコールと煙草の臭いが漂う店内を、こっそりと歩き回ってみる。店内の隅に、確かに不老不死の薬使用者特有の、呪いのかかったマザーネクロファージを感じた。
〔ベア子さん、いました。不老不死の薬使ってる人〕
〔ブツ自体は持ってるか? 今日これからそこで、売り子たちに配布するはずなんだ〕
〔たくさん持ってます。使ってる人、こんなにいるんですか……?〕
不老不死の薬の保存期限は約二日。そうすると恐らく、これが毎日どこかで行われている。単純計算、この七倍の量が供給されていると考えられる。どれほど多くの人間が不老不死の薬の魔力に囚われているのか、葵は心配になった。売り手側の分は、これとは別管理だろうに。
〔そいつは多分、ハブと呼ばれる運び屋だ。元締めと売り子の間を繋ぐ役目。売り子が来てもすぐには動くな。全て捌き終わった後、そのハブを尾行してくれ〕
〔わかりました。それで手掛かりの掴める場所へ行ってくれればいいんですけど……〕
このままねぐらに帰るだけかもしれない。今日もう一度運ぶために、追加の不老不死の薬を受け取りに行くのであればよいのだが、そうでない場合にはどうするのか、葵は心配になった。
しばらくすると、売り子らしき人間が次々と来て、不老不死の薬を受け取っていった。皆から呪いを感じる。逃げ出されないよう、保険の意味があるのだろう。その場で購入しているのか、それとも前回の売り上げの回収なのか、何かを渡している。
(もしかして、さっきのプリペイドカード?)
マフィア街独自流通のもので、少なくとも内部での資金の流れは掴めないと、マーヤから教わった。ネットワークが独立しており、真綾でも中のハッキングは行えず、コンピューターシステムの調査は困難。外への送金は監視出来なくもないものの、既に金は混ざっており、資金源が不老不死の薬であるやり取りのみを抽出するのは、不可能ということだった。
〔動きそうです。多分あれが最後〕
売り子は残り一人。ハブの手元にある不老不死の薬も、売り子一人分のように思えた。葵はハブのすぐ背後にそっと近づく。渡している不老不死の薬を奪い取り、叩き割って台無しにしてやりたい気持ちを抑えながら、取引完了を待った。
足早に店内奥へと移動するハブの後ろにぴったりと付き、扉が閉まる前に葵も滑り込む。
〔中に入れたか? その先の情報はない。恐らくセキュリティはかなり厳しいはずだ。少しでも危険を感じたら、追跡を放棄して即座に逃げろよ?〕
〔そう簡単には死なない身体ですから、大丈夫です。それ以前に、見つかりませんから〕
無論、強がっただけである。不安で今すぐにも逃げ出したかった。室長は、葵を検出する手段などいくらでもあると言っていた。もし葵のような存在を相手が警戒していたとしたら、そういうセキュリティがあるかもしれない。スパイがいるのなら、これは罠かもしれない。
〔一番気をつけなくちゃならないのは、爆発物と毒ガスだ。正確な位置がわからなくても攻撃してこれる。そこを放棄するつもりでなければ爆弾はないが、毒ガスはあり得るぞ〕
〔毒で死ぬんですか、夢幻の心臓でも?〕
〔常人より大幅に耐性は高いが、物によっては死ぬ。最低でも行動不能にはなる。異常を感じたら、呼吸を止めつつ、とにかく全力で来た道を引き返せ。死ぬ前に必ず助け出してやるよ〕
その間にもロックを解除しつつ、ハブはいくつもの扉を通り抜けていく。地下へと向かっているようだった。何度か階段を下りて、扉を潜り抜けた先は、地下道のような空間だった。車らしきものが一台止まっていて、中には三人いる。上位の人間なのだろうか、話を始めた。
「若頭、今日の売り上げです。確認してください」
〔若頭って人に、売り上げ渡してるみたいです〕
葵は目の前の出来事を、ベアトに説明した。様子を見る限り、この若頭という人物は、売り上げの回収だけなのだろう。追加の不老不死の薬は持ち合わせていない。
〔流石に元締め自身は来ないか。だがお手柄だ。今までハブより上位に辿り着けた奴はいない〕
〔この先、若頭の方を尾行しますか? 車乗ってますけど、余裕で勝てるくらい脚速いですよ〕
元締めのところに、売り上げを持っていく可能性がある。そうすれば、一気に流通網の心臓部に食い込める。ここまで見つからなかったことで、葵の能力への対応はされていないと確信していた。それが示すことは、スパイはいないということでもあり、やる気に胸が躍る。
〔いや、今日はそいつらを捕らえて終わりにしよう。車と同じ速度で走ったら、流石に見つかるかもしれない。かなりの武装をしているはずだ。逃げられてしまうのも困るが、お前の生命はもっと心配だ。まずはそいつらがどこまで情報を知っているか、聞き出そう〕
振り切られない速度は出せるものの、足音や風切り音まで完全に消せる自信はない。今まではそこまで気にしたことがないのだ。攻撃された場合、避けながら追い続けるのも困難だろう。
〔わかりました。この場で捕らえます。名無しで痺れさせればいいですか? 中に三人乗ってますけど、多分同時にやれます〕
〔おいおい、無茶すんな。そもそも一人相手にだってやったことないだろ? 初めてで三人同時は賭けになる。殺してしまっては元も子もない。用意はしてあるさ。他に車は通ってるか?〕
〔いえ、いません。――って、もう走り出しちゃいましたよー!?〕
慌てて車を追いながら、そう通信で叫んだ。ベアトからは冷静な指示が返ってくる。
〔その通信箱を車の屋根の上に置いたら、すぐに逆方向へ逃げろ。三秒後に発動させる〕
〔発動? 発動って、なんですかー!?〕
叫びを送ったものの答えを待つ暇はなく、葵は車に並走しつつ跳び上がって、指示通り屋根の上に箱を置いて手を放していた。きっかり三秒後に、葵の背後で魔力が弾けるのを感じた。
(おお、こんな仕掛けが中に……。結界爆弾ってとこですかね?)
振り返った葵の前方では、結界が発生しているのを感じる。心の眼に緑色の光の壁として映るこれは、いつもの対物結界だろう。その中に車が閉じ込められて、タイヤが空回りしている。
車ごと捕らえたのはいいものの、この先どうすればいいのかわからなくなった。もうベアトと通信は出来ない。真綾のバックアップで中継してもらえるかもしれないが、それは最終手段。
結界を破壊されてしまうようであれば、改めて尾行する心の準備をしながら、葵は道路端に寄って息を潜めた。対向車がやってきて、救出部隊かと思って身構えたものの、そのまま何も気付かない様子で、すれ違っていった。一般人には、結界自体見えないと聞いている。
ハブは先に上に戻ったようだった。あの結界が通信も遮断するようであれば、もしかしたら誰にも気付かれていないのかもしれない。霊子モニターには結界が映るのかどうか気になった。
(あれは……ベア子さん?)
葵が出てきたのとは異なる、少し離れた場所にある扉から、ベアトが出てくるのが心の眼で見えた。葵には気付かず素通りしていき、結界を重ねて補強しているように感じる。
それが終わると、葵を探しているのか、辺りを手探りし始めたようなので、蜃気楼の隙間からそっと名無しを伸ばした。すぐに気付いたベアトが、ダガーに触れる。
〔葵! お前、お手柄だったな! こんなにうまくいくとは思わなかったぜ〕
〔えへへへ、あれです。ビギナーズラックってやつです〕
葵は蜃気楼のフードの下で、照れ笑いを浮かべた。見られていないので思い切り笑う。
〔これ、どう逮捕するんですか? 結界解いた瞬間に、車動いて逃げちゃいますよね?〕
〔あたしが今までどうしてたと思うんだ?〕
ベアトは改めて結界に近寄ると、何やら車内の人間、正確には服の表面に魔法陣を描いていったようだった。それが発動すると、全身を淡い紫の光が包んだ。
〔対人用拘束結界。これは他人の猿真似だから、あんま強力じゃないけど〕
世界一の結界術師、と真綾が言っていたのを思い出した。色々な結界が使えるようだ。もっとも、言葉通り、これは苦手なのかもしれない。一人に展開するのに、たっぷり十秒以上はかかっていた。先に得意な結界に閉じ込めてから、改めて人だけ拘束するのだろう。
〔よし、拘束完了。車の方はどうしようもない。結界を解いたら、屋根に飛び乗れ。たぶん解いた瞬間動き出す。自動運転のはずだ。運が良ければ、アジトまで連れていってくれるかも〕
〔おおお! このまま乗り込んじゃいますよー!〕
実際その通りで、結界を解いた瞬間、元の速度以上で走り出した。ベアトは事前に進行方向に回り込み、そこから転がるようにして屋根の上に。葵は後ろから追って飛び乗った。
ベアトが屋根の上に小さな結界を張って、自分たちを守りながら、車が進むのに任せる。
〔可能なら独自に確保して自白を取りたいんだが、そこまでやると怪しまれるな。多分この辺はもう、真綾のテリトリーだ〕
今回真綾に内緒で行動し、結果的に成功してしまった。自信過剰かもしれないが、今回の成功の要因は、自分の闇との同化にあると葵は思う。売り子全員に捌き終わるのを待ってから、ハブが地下道に下りるまで見つからないことなど、闇との同化を使わないと無理と思える。
対葵用のセキュリティがなかったことも併せると、少なくとも真綾はスパイではない。そうベアトが考えてくれると良いのだが、今の言葉を聞く限り、期待出来ない。葵が真綾のことを話そうかどうか迷っていると、ベアトから再度接触通信が入った。
〔車の制御が取れたそうだ。特定の行き先は設定されず、周回するようになっていたらしい。捕らえられた時点で変えたのかもしれないな〕
〔えっと、あの、それって……〕
〔ん? ああ、誰がやったのかって話か? 真綾に決まってんだろ。マフィア街の地下を抜けて通信可能になったから、連絡取ったんだ。このまま地上に出て、車ごと回収してもらうぞ〕
葵はほっと胸を撫で下ろした。事ここに到ってから、何かすることは出来ないと判断しただけなのかもしれない。しかし、最後まで信用せず連絡しないという考え方はしなかった。
〔流石ですね。いつもこういうこと出来ちゃうんですか?〕
〔電子世界の申し子みたいな奴だからなあ。とりあえず、こうなった経緯はあたしが適当にでっち上げて説明しておいた。だから今後は、相手の話に合わせてくれ。室長がお前と話したいと言っているから、覚悟が出来たら電脳デバイスをオンにしろ〕
迂闊なことを口走らないよう何度も自分に言い聞かせてから、電脳デバイスをオンにした。
〔やあ葵君。お手柄だったそうだね。野良犬を探しにいって、組織の犬を捕らえるとは驚いた〕
〔え、えへへへ、お褒め頂き、恐縮なんとかでございます……〕
〔だからこいつがいれば、事件は進展すると言っただろ?〕
ベアトが割り込んできてそう主張した。これはもう通常の電脳通信になっている。聞こえる元が、首のチョーカーからだというのがわかるようになった。
〔多分今まで捕まえられなかった、流通の上位の人間だ。若頭って呼ばれてたらしい。売り子が複数集まっていくのを偶々見かけたから、葵に調べさせてみて正解だった。こいつらから引き出せる情報をうまく使えば、元締めを捕らえ、工場の場所やマザー提供者の居場所まで押さえられるかもしれない。タイミングが良ければ、提供現場に踏み込むことすら可能だ〕
上機嫌にベアトは捲し立てる。葵に余計なことを言わせないという意味もあるのかもしれない。訊かれたこと以外は答えないようにしようと、葵は改めて気を引き締めた。
〔野良犬を連れて帰る暇がなくて残念だったな。しかしその犬、実は不老不死の薬捜査の麻薬犬だったりしないか? 誘導してくれたのかもしれんな〕
ローラが麻薬犬。ありえなくもないかもしれない。こっそりスラムやマフィア街を捜査していたのかも? 葵はその発想を聞いて、一つ疑問に思ったことを訊ねた。
〔不老不死の薬って、匂いするんですか?〕
〔冗談だ。霊子ナノマシンに匂いはない。保存に使うのもただの生理食塩水だ。犬なら水の匂いを感じ取る可能性はあるが、不老不死の薬のものかどうか区別はつかないだろう〕
室長が冗談を言った。その事実から、室長も浮かれているのだと葵は思った。どんな顔をしていたのか見てみたかった。温厚だがいつも生真面目そうで、笑っている顔を見たことがない。
(あれ……でも、もしかして、魔法の匂いを嗅ぎ取る魔法使い犬っていたりしませんかね? 私のことも、それで見つけてた……?)
訊いたら絶対に笑われる。そう判断して、この疑問は電脳デバイスには載せなかった。
〔済まないが、今日はこのまま拠点に帰ってきてくれ。もしかしたら、泊まり込みをお願いするかもしれない。得られた情報次第では、すぐに再出動を命令することになる〕
定時にうるさい室長がそう言ったことで、葵は緩んできていた気持ちを引き締め直した。今の逮捕劇を組織が見ていたかもしれない。情報を得たら、すぐに動かないと逃げられてしまう。
〔祝いにケーキくらい用意してやってくれよ。初任務でこの手柄だ。高級品で頼むぜ?〕
冗談とも本気ともつかぬベアトの言葉に、相変わらず室長は生真面目に答える。
〔致し方あるまい。それくらいは経費で落とせるだろう〕
〔へっ、ケチんなよ? スラム街の見えない天使は、あたしたちにも幸せを運んできてくれるのかもしれない。しっかり歓迎しとかないとな〕
久々に言われたその綽名に、葵は蜃気楼の下で頬を染めて照れ笑いを浮かべた。
スラム街の見えない天使。その名に恥じぬよう、この先も活躍したい。葵は強くそう願った。スラムの皆を幸せにする。それを自分の生涯の最終目的としようと。