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婚約破棄を宣言された令嬢は持っていたメイスで口元を隠した。

作者: 青漣

 という状況に、ざわついていた大広間はぴたりと静まり返っていた。

 付け加えるならばこれが社交シーズンの始まりを告げる夜会であり、本来ならば婚約破棄したこの国の第二王子と婚約破棄された侯爵令嬢の婚姻の祝祭について大々的に発表される予定でもあった。

 ついでに王子の腕には豪奢なドレスに『着られている』少女がしがみついている。先程までは侯爵令嬢に怯えつつも、たゆんとした胸をあえて押し当てていますといった風情だったが、突然のメイスに本気の逃げ腰であった。

 まぁメイスだしな。


「き、ききき貴様!そそそそれをどこから持ち込んだ!王城への武器の持ち込みは帯刀許可を得た者のみ、大広間への武器の持ち込みは護衛騎士以外禁止されている!!」

 流石にパーティ会場での婚約破棄は非常識であっても、メイスへのツッコミは至極真っ当な王子。

「護身用でございます」

 対して令嬢も揺るがない。口元の表情はメイスのせいで見えないが、その目はしっかりと王子と隣の少女を見据えている。

 いや確かに護身用の武器は、特に令嬢や夫人であればドレスに隠せるような小刀の携行は慣習として許されている。

 しかしそれって護身用と言いつつ、要は貞操を奪われそうになったときの自害用、という意味合いの方が強い。だいたい隠せるような細く短い刃物で襲ってきた相手を倒すのは護身どころか達人の域。複数人ならなおのこと。

 だがメイスは違う。あれは殺傷用武器である。複数を相手取っても熟練者なら倒せる。逆にメイスで自害する方が難しい。というか怖い。襲おうとした女が目の前でメイスで自分の脳天かち割って死んだらトラウマで不能になりかねない。

 まぁそんな奴は不能になっていいと思うがそこはそれ。

「そんなものが護身用で通ってたまるか!」

「ですがこちら小ぶりなものですし」

「そうじゃない!」

「装飾も多めにしてドレスと合わせても違和感もないようにしておりますし」

「そうじゃない!!」

 確かにしれっと持っていても小道具かな?って思うようなフォルムである。薔薇の蔦が巻き付いたような立体的な造形に、正八角形の頭部は純銀かあるいはプラチナか、ミスリルかというように美しい白銀に光を弾き、そこに薔薇が彫り込まれている。色は王子の瞳と同じドレスに合わせた蒼だが、魔力を流し念じることで色を変えてその日のドレスに合わせることができる。

 芸術品と言っても過言ではない美が確かにそこにある。

 だがメイスはメイスだ。


「ああ、それとわたくし、既に帯刀許可と護衛騎士の認定を頂いております」

「そうじゃな……そうなのか!?」

 反射的にツッコミを入れようとした王子が思わずそれを途中で止めた。

 観衆と化した周囲の貴族達も目を丸くしている。

 ただし、それはメイスで口元を隠したままの侯爵令嬢に対してではなく。


「まぁ……殿下、もしや知りませんでしたの?」

「あの方が侯爵邸と王城それぞれでのご教育の合間に騎士としての実績を上げ、護衛騎士を目指していらっしゃったのは有名な話ではなくって?」

「ええ、一昨年の護衛騎士選抜に見事合格なさった時はわたくしもお祝いをお送りさせていただきましたわ」

「わたくしも!」

「わたくし雑務のお手伝いとして会場に伺いましたの……他の方は騎士の制定鎧にて参加されている中、ただお一人ドレスで試練に挑むあの方の凛々しさと美しさと言いましたら……」

「まあ!そんな手がございましたのね……見たかったわ……」

 本来ならば王子妃という妬みを買ってもおかしくない立場。しかしかの侯爵令嬢は、第二王子のポンコツさと本人不断の努力、そして大変残念ながらどちらもそういった部分を隠すことがそれぞれ結構下手だったことによって、むしろ令嬢達の敬愛と憧れの象徴となっていた。


「むしろかの侯爵家は武勲の血筋、ご令嬢もそれゆえに殿下の婚約者に選ばれたというのに……」

「ご成婚後は第二王子が外交を担われる、かのご令嬢は護衛能力のみならず語学にも堪能であると聞くぞ」

「侯爵領は農産こそ弱いが、代わりに鉱山を数多く有し未だ見つかっておらぬ鉱床もまだかなりあろうと言われている。地下に住む魔物や盗掘屋とも戦うがために鉱夫はいっぱしの戦士でもあり、またその金属による武具の生産も侯爵領で、貴金属の精錬や加工は奥方の出身である子爵領に職人が多く、そちらで行われているのであろう?」

「その質も上がり、また魔法付与の素地としても適した加工ができるようになったゆえ、子爵家の方はそろそろ陞爵の可能性もあると聞いたぞ」

 王都は消費の中心地ではあっても生産においては生活必需品であれ贅沢品であれ圧倒的に他の領地に頼り切っており、貴族を敵に回せばその分だけ物流が滞るシステム上、王家の権力は絶対ではない。むしろ王都の他にまともな直轄領を持たないこの国の王権は相当に弱い。

 それを補うために、後ろ盾としての軍事力も経済力も、また貴族同士の人脈もしっかりとした侯爵家の、さらに武術と語学に長けた娘を第二王子の婚約者に据えていたのである。既に立太子し婚姻も済ませた第一王子の妃はここより王権のしっかりとした国の王女であり、こうして妃の地位に差をつけることで継承争いが起きないようにという配慮もあった。

 こういった婚姻を始めとした細やかな国内外との調整を以て、この国の王家は王家たり得たのである。

 つまるところここで婚約破棄とか、王家の立場すら揺らぐくらいやばいやつだった。


 そのことを第二王子としがみつく少女はわかっていなかった。

 少女は男爵令嬢の中でも麦作に特化した地域の出身であり、そういった地域の領主はいくつかの村をまとめてはいるが村長さんよりちょっと偉い、みたいな認識である。害虫や病気の関係で隣近所の領地とはとても密に連携をとっているが、実際に薬品などが必要になれば寄親となっている上位の貴族に依頼して取り寄せてもらうし、また生活必需品などもそういった貴族が行商人を世話してくれたりその領地まで出向いて買い物をしたりするのだ。

 婚姻もあまり離れた地域同士で結ぶことはない。男爵令嬢なら近隣の男爵家や寄親の贔屓にしている商家に嫁ぐことも多く、ちょうど寄親の家と子供同士の年齢が近くて見初められたりしたら玉の輿と言われるくらいだ。

 要するに地方の男爵家は交流の範囲が狭く、だいたい世間知らずなのである。


 令嬢が夫人となった時に求められるのもほとんどは庶民との交流であり、何なら男爵夫人が自ら村の学校の教壇に立っていることすらある。でもって男爵家の子供達はその学校で一緒に学んでいたりする。読み書き計算はそうして身につけ、最低限の貴族としての嗜みは家族から教わるというのがそういった令嬢子息の子供時代。

 なお子息が当主になった時に求められるのも領民の陳情を取りまとめたりトラブルが起きたら解決に動いたり、あとはそれに多少の帳簿付けが加わる程度である。女当主が立って婿を取る場合は令嬢と子息の役割がくるっとそのまま入れ替わるが、どっちにしろだいたい庶民と関わるのがメインのお仕事だ。


 そんな彼らの一生に一度の晴れ舞台が王都で行われるデビュタントである。

 この国でのデビュタントは成人のお披露目であると同時に貴族として国家と王家への忠誠を誓う儀式でもあるので、一年に一度、その地点で十六歳である貴族の子息令嬢の全てに出席義務がある。もちろんベッドから起き上がれないような重病などであればその年の出席義務は免除されるが、二十歳までにデビュタントを済ませなければ継承権を失い貴族としての地位も持たないということになる。実家との縁が切れるわけではないが、家族と同行しなければ貴族としての扱いも受けられない。

 なお上位貴族ではそれを利用したお家騒動などが複数起きたせいで、デビュタント欠席の審査は文官と騎士と魔術師と宮廷医を派遣して本人の状況を確認し、何らかの魔法や薬物の影響がないか確認した上で可能なら本人の口頭と署名による申請が行われるという、厳重極まりない手続きが例外なく取られる。こちらは下位貴族だろうとどんな僻地だろうときっちりフルメンバー派遣されてくる。


 各家の経済状況を鑑みた祝い金という名目の旅費と衣服を仕立てる金も王家から払われるし、家族も含めて滞在できる部屋を多数持つ専用の離宮も整えられている。なお平時は迎賓館として使われている。

 そういう何もかもが王家の計らいで王都に招かれ、きらびやかな夜会にオーダーメイドの礼服やドレスを纏って参加し、王族の前で直に祝福を受けて忠誠を誓うという経験を一生に一度の思い出として、地方貴族はせっせと領地のために働くのである。

 そうなってしまえば夜会といえば、王宮で新年を迎える夜会を行っているのと同刻に、寄親の貴族が主催となって当主夫妻の代わりに前当主が、あるいは次期当主が寄子の家族達を招待して行うものくらいだ。もちろんオーダードレスなんぞ夢のまた夢、毎年同じのを着てきてるとか誰も気にしない。忘年会とかお疲れ様会とかの方が近いようなやつ、それが地方貴族の社交なのだ。


 さて、もちろんかの男爵令嬢も田舎で領民の子供達と泥だらけで走り回って育ったのであるが、デビュタントで初めて来た王都の賑わい、王宮の煌びやかさ、挨拶した王族達の美貌にすっかり心を奪われてしまった。

 無論そんな子息令嬢は毎年山ほど現れて、けれどまぁ結局あれは一夜の夢、美しい思い出だよねって割り切って田舎に帰って行くのである。男爵令嬢とてそのはずだった。

 それが思い出作りにとこっそり王都の賑わいの中に飛び出していき、見事迷子になったところをお忍びの第二王子と出逢っちゃったのである。

 そのままあれよあれよという間に王子の恋人ポジションになってしまった男爵令嬢、あるいは夢見る田舎娘が我に返るタイミングなんてなかった。

 そも王族とかデビュタントで間近で顔を見たからといって、彼女達くらいの身分の人々には庶民と同じく雲の上の人という認識でしかないのである。

 その雲の上の人から「本当に愛しているのは君なんだ」とか言われたら、自分も雲の上まで舞い上がっちゃった気分にならずにいられるだろうか。

 無理である。

 もちろん忠告する人は多々いたのだが、王子に「私の愛する人を侮辱するな!!」とか言って後ろに庇ったりされちゃえば、それは「なるほど王子様に愛されているからいじめられているのね!!」って思っちゃうわけである。成人したって言っても所詮は世間知らずのティーンエイジャー。婚約者がいてそれなりに交流してたりしたならまだしも、初めての恋と書いて初恋です!とばかりの経験値。

 そして彼女は第二王子と二人三脚で、この婚約破棄に至るまでの無謀な道を駆け抜けてここまで来ちゃったのである。


 もちろん第二王子は、まずそのスタートラインに立ってはいけない側である。

 まぁ仮に惚れてしまったとして、侯爵令嬢と婚姻してから手順を踏んで愛妾として召し上げるくらいならまだ行けた。臣籍降下する予定はないので、王族として本当に愛する人に一応の公的な地位くらいは与えることができたのだ。

 とはいえ本当に男爵令嬢に心底惚れてたのかというとまた別だ。

 第二王子は確かにポンコツである。出来が悪いというほどではないが、有り体に言うと本人が担うことがその意思とは関係なく決まっていた「外交」というジャンルへの適性があまりなかった。それでいて「有能な婚約者がなんとかしてくれるだろ」というくらいには何とかなってしまった。

 でもってそれを受け入れてのほほんと公務に励んでいられるなら平凡ながらも幸せでいられたのだろうが、割り切れず鬱屈した思いを抱えていたところに男爵令嬢と出会ってしまった。

 きらきらおめめで常に自分を物語のヒーローみたいな存在だと思ってくれてる女の子。

 芋っぽいし垢抜けないけどその分話してて楽だし、飽き飽きするほど馴染んだ王宮や王都のひとつひとつに目を輝かせているところを見れば、自分にもそれが煌めいて見えてしまうのだ。

 自分より明らかに優秀な侯爵令嬢がメインで、自分は外交に王家のお墨付きを与えるためのお飾りです、みたいな扱いをされているような思いに苛まれていた王子もまた、恋に恋する男の子だったのである。

 難しい年頃だしな。


 なお侯爵令嬢は別にそんな風に第二王子を見下していたわけではない。

 だが第二王子と比較して褒めそやされる彼女とて万能ではなかった。妃として、また外交の実質的な責任者であり顔となる存在としての能力は確かに秀でていたが、実のところ孤高の存在であるとも言えた。

 要するに「出来るから自分でやっちゃえばいいかー」である。

 そもそも王子の足りないところを補うための政略結婚であることは承知している。でもって補うための能力に支障はなかった。王子が嫌がらせというか僻みというか、気付けばアイツも怒るだろという要は単なる構ってムーブで混ぜ込んだ公務も「あら、混ざってるけどまぁやっちゃいますか」とばかりにあとは王子のサインがあればいいところまで仕上げて届けさせた。

 侯爵令嬢としてはまるっきりの善意である。

 しかし第二王子からしたら当て付けに見えたのである。

 一応男兄弟もいたし父親もいたのだからそういう思春期の男子の複雑な気持ちにどう向き合うべきか、もうちょっとばかりアドバイスできたら良かったのだが、いかんせん武勲の家柄。揃いも揃って竹を割ったような脳筋であった。

 なお侯爵令嬢もだいたい同じ性質だった。さらに高位貴族は子供の社交もあまり男女の交流がないように進められる。例外は家族と婚約者。

 ま、婚約者のメンタルケアまで同じ年齢の令嬢が出来るかと言ったらだいたいは無理であろう。


 令嬢と王子が、わかりやすい良い子とポンコツと周囲の大人が解釈できてしまったのもまた不運だった。

 ただでさえ王宮の管轄って複雑で、第二王子とその婚約者についての情報をちゃんと擦り合わせて問題点を洗い出すとか自然とできる立場の人も、やろうと思う人もいなかったのである。

 結局は噛み合いすぎちゃったものと、ひたすら噛み合わなかったものがそのまま突き進んだがゆえの事故みたいなものだった。

 なお結局は調整の失敗なわけで、王家として致命的なアウトになりかねないのは変わらなかった。だって王家、そういう調整で地位を保ってるんだもん。

 もちろん調整役というのはそれはそれで忙しいので、上手く回っているように見えてたら身内のことまでちゃんとチェック出来なかったという側面もあるのだが。

 ある意味では王家や王宮のシステム不備を洗い出す貴重な事件ではある。

 このまま王家潰れなければだけど。


 なおその辺りに気付いてしまった国王夫妻と王太子の顔は真っ青である。いざとなったら母国に帰ればいい王太子妃は、扇で――こちらは間違いなく普通の扇で口元を隠しつつも、どうなるのかしらこれ、と好奇心が隠せない顔でその騒動を眺めている。

 が、ポンコツと脳筋と田舎娘にそこまで咄嗟に思い至る判断力はなかった。まだデビュタント済ませて間もないミドルティーンには荷が重かった。

 ゆえに当事者達は、大真面目に茶番の次幕に突入してしまっていた。


「貴様は彼女の私物を壊し、私の前に二度と現れるなと脅しをかけた!」

「そんなことをしなくてもメイスで殴れば排除できますのに?」

 男爵令嬢の腰が引けている。それでも王子の後ろに隠れたり逃げ出したりしないとこは頑張っている。

「それに取り巻きの令嬢子息を使って陰口を広め!」

「メイスで殴れば解決ですのに?」

「む、むむ、他にもその身に危害を加えようと階段から突き落とし」

「メイスで殴れば解決ですのに?」

「な、なんなら破落戸を雇って彼女を亡き者にしようと」

「メイスで殴れば解決ですのに?」


 あれっこれもしかして漫才の余興かな?という空気が全体的に広がり始めた。 

 というかメイスの説得力が強すぎる。

 そりゃ王命の政略結婚の間に入り込もうとしたとか理由があれば、メイス一発で葬り去ってから「なかったことにする」のも可能だし、何ならそのまま王子に危害を加えるために近付いたとかで全部男爵令嬢のせいにしちゃうのがある意味一番簡単な解決方法なのである。

 なおその場合は事実がどうであれ男爵家も連座でお取り潰しの上みんなで毒杯である。

 王宮ってば伏魔殿。


 そういう「穏便な」解決をせずにこうして表沙汰になっているのは、むしろ本当に婚約破棄なんかしないからでは?と裏の裏あたりまで読んだ老獪な貴族達は思ってしまったのだ。

 なおそんなとこまで考えてない。

 ちなみに一応全て侯爵令嬢からしてみれば冤罪なのだが、冤罪を着せたという意識もなかった。

「あの女ならこんなこともやりかねない!」

「そ、そうなんですか!?怖いです殿下!!」

 というやりとりが第二王子と男爵令嬢の間で何度か繰り返された結果、そんなこともあったな!って気持ちになっちゃってただけなのである。

 だからポンコツなんだよ。

 まぁその点ではわざわざ律儀にツッコミを入れてる侯爵令嬢も茶化しているとかではなく完全に真面目なのでどっこいである。


 という至極真面目に行われていた茶番劇の中、あれこれちょっとこのままだと収拾つかなくない?って思って動いたのは。

「も、申し訳ございません!それにつきましては全てわたくしの誤解でございました!!」

 なんと男爵令嬢である。

「確かにわたくしにそのような低俗な嫌がらせをするような理由、全くございませんこと理解いたしました!申し訳ございませんでした!!」

「お、おい!?」

「ですがこれはわたくしが思い込んだこと、それを殿下が全てわたくしのためを思って、この場で真実を明らかにしようとしてくださっただけのことなのでございます……」

 第二王子と侯爵令嬢が一番流れについて行けてない中、男爵令嬢はとにかく「このままでは第二王子がとにかくやばいことになる」ということは理解しちゃったのである。

 田舎の狭い人間関係というのは意外と面倒であり、その中で多少なりと揉まれた男爵令嬢が、そういったカンは一番鋭かった。

 ついでにメイスの圧に屈しかけていたが、良く考えたら本当に「メイスで殴れば解決」だということにも気付いてしまったのである。畑を荒らす熊がいたとして、毒矢があるのにわざわざ拳でぶん殴りに行かないだろという単純なる真理。

 つまり自分は生かされていたし、命を狙ってくる悪辣な婚約者とかいなかったのだという事実に、男爵令嬢は一足先にたどり着いてしまったのである。おのぼりさん補正で浮かれ上がっていたとはいえ、実質的な対人経験が一番高いのはこの三人の中で彼女に違いなかった。


「か、彼女は悪くない!悪いのは……」

「わたくしまだ殴ってませんわ」

「殴ってるとも言ってないだろ!?」

 というかこの二人のボケツッコミ、案外息合ってるのでは?とも思った男爵令嬢である。


「うふふ、まぁ素人の即興劇なんて、ちょっと余興としては攻めすぎてしまいましたわよね」

 そのなんかどうしようもない空気の中、ふわりとそれを全て流し出すような優雅さで進み出たのは、王太子を伴った王太子妃である。

「実はね、わたくしの国からワインを送ってもらっていたのだけれど、届くのが遅れてしまうと言われてしまってね、それで少し余興をお願いしたの。流行りの恋愛小説みたいな流れを見てみたくてお願いしたのだけれど、無茶を言ってしまってごめんなさいね」

 もうみんな流石に無理があるだろうと思うような大法螺である。そんなこたぁわかってるのだ。

 大事なのは「王家がそういうことにした」ということなのだ。

「ちょうど今、ワインの準備が出来た。さぁ、乾杯と行こうではないか!」

 鳴り響くファンファーレと共にゆっくりと開く正面扉。場を制圧しにかかるワインカート。第二王子と侯爵令嬢が唖然としているその間に、男爵令嬢は超早業で王子を侯爵令嬢の隣に押し込むと侯爵令嬢の手を王子の肘に添えさせる。そしてさりげなく周囲を囲んだ護衛騎士や従僕、侍女と共に、そそくさと大広間の裏口から退場していったのであった。

 後から「二人はお色直しの途中でどちらも体調を崩してしまいこの後は欠席させてもらうことに」とかアナウンスされ、そういうことになるのである。


 そしてその後、二人の婚約はどうなったのかというと、どうにもならなかった。そんなもんである。

 その次の大規模な夜会では、二人揃って入場して何事もなかったかのように婚姻の祝祭について発表された。

 もちろん何事もなかったのは表面だけで、裏では大変色んなことが起きまくっていたのだが、そこでなんと急に男爵令嬢がおのぼりさんドリームから覚醒し、第二王子と侯爵令嬢からまずは個別にヒアリングを行ってそれぞれの話を相手に伝えた上でしっかり話し合いの時間を設けた。本人曰く「村でトラブルがあったらだいたいこれで解決します!」とのことで。

 で、まぁ話し合ってもやはり思うところとかはあったとはいえ、それなりに解決しちゃったのである。

 結局「追うなよ!絶対追ってくるなよ!」って言いながら逃げる第二王子と「ではいない間にわたくしができることはやっておきますわ」と追いかけない侯爵令嬢が全力で噛み合わないまま空回っていただけで、話してみたら思ったよりちゃんと話せたのである。

 そしてその功績で、男爵令嬢は愛妾を飛び越して側妃に抜擢された。


「いや何でですか!?」

「いえ、愛妾は公務に連れて行けませんけれど側妃でしたら外交の場にいても問題ありませんので」

 それを報告すべく呼び出した小さめのティーサロンで、響き渡る男爵令嬢の叫びを予想していたかのようにあっさり答えつつ侯爵令嬢は優雅にティーカップを傾けた。ちなみにメイスは腰に下げてある。これが本来の定位置らしいが、ふと見るとやはり扇替わりに口元を隠していたりするのでどう考えても手癖になっている。男爵令嬢もそろそろ慣れた。


「それこそわたし、いえわたくしが、外交の場とかいても仕方ないのでは……」

「いえ、むしろわたくしと殿下だけではどう考えても足りないのです。おもてなしが」

「おもてなし」

「わたくし、心から思い知りました。そもそもわたくしも殿下も、独りよがりで言葉足らずな部分が多いのです」

「そんなことは……」

「あなたが一番わかっていらっしゃると思いますけれど」

 否定できなかった。

 実際、今回のことでどちらも自覚したし、また周囲にもだいぶ伝わったのだが、王子も侯爵令嬢もどちらも一人でドツボに入るタイプである。

 その発露の方向性はそれなりに違うものの。

「おそらくそれはお互いの間でもこれからも問題になるでしょうし、外交の場でも致命的な事態を起こしかねません。なのでそこにあなたも同席してもらうことで、場の空気を取り持ってもらい建設的な話し合いに向かえるようにするのです」

「じゅ、潤滑油……」

「はい」

 そんな職場で目指したいポジションとか自分を物品に例えると、とかで人気のやつに抜擢されるとか明らかに荷が重い。

 しかしだからといってこのカップルだけ置いとくのは確かに怖い。

 微力でもいいなら何とかしてあげないと――そう思う地点でどう足掻いても潤滑油であった。


「それに、別に殿下のこと嫌いになったわけではないというか、むしろ今も好きなのでしょう?」

「えっはっはいすみません!!」

「謝らなくてよろしいのですよ、愛のない婚姻よりある方がよっぽどよろしいですもの」

 ええー正妻内定してる人がそれ言うの、と複雑な顔になる男爵令嬢である。

「殿下もやはりあなたにお側にいてほしいとのことですし」

「こ、光栄です……」

 ぶっちゃけキラキラフィルターが一旦すこーんと外れたせいで、何しても輝いてるヒーローではなく等身大の同い年の男の子として第二王子を認識し直したわけだし、侯爵令嬢との仲を取り持つ過程でそれなりに以前よりキツい話もしたしツッコミも入れたし、向こうも一心に自分を慕ってくれる女の子じゃなくなった自分にもう恋心とかきえてるんじゃないかな……と思っていたのだが。

 まぁ初恋ムードは消えた気もするが、それでもお互いやっぱり好きだったのである。

 ちなみに男爵令嬢のお胸は身長にしては割と豊かでスレンダー長身の侯爵令嬢とは対照的なのだが、ちょっとエスコートの時に胸が当たってお互いドキドキ、とかそういうイベントはあってもあとはお手手繋いだりせいぜいほっぺたにキッスくらいの清いお付き合いであった。

 無論それも婚約者ではない未婚の男女としてはめちゃくちゃ近すぎるわけだが、このたび側妃としてではあるが婚約者に無事収まったので問題ない。

 そも本来は側妃の輿入れは正妃の婚礼と一年以上は空けるものなのだが、主に当の侯爵令嬢の強い希望でほぼ同時の、具体的には新婚休暇後すぐの輿入れが決まっている。絶対に公務に連れていくぞという強い意志が感じられた。

 外国語はとりあえず挨拶と自己紹介くらいで、あとはおいおい慣れそうなら身につけてくれればいいし、出来なくても侯爵令嬢が自ら通訳するとの気合いの入り具合である。


「それに、やっぱり殿下はあなたの前では随分と優しいお顔になるんですもの」

「え、あ、ええと……」

「ふふ、十年以上も婚約していたのに知らなかったのですもの、正直惚れ直しましたわ」

「は、はぁ……」

「わたくしも夫婦として殿下としっかり向き合いたいと思わせてくださったことも、感謝していますのよ」

 とりあえず、光栄ですと頭を下げた男爵令嬢だが。

 嫉妬とかより「それってどうなんだ」の方が先に来るのもほんとどうなんだ、と思いつつ、ようやく自分の前のティーカップを手に取ったのであった。


「やぁ、二人とも。遅れて済まない」

 先触れから暫し、ティーサロンに姿を現した第二王子は二人が立ち上がるより先に手でそれを制し、座礼を取る二人に楽にするよう言いつつ空いた席へと座る。

「ごきげんよう殿下、それではわたくしはこれで……」

 がし。

 婚約者同士の語らいに席を外そうとした男爵令嬢の手をしっかりと王子が掴み、立ち上がろうとする椅子の背は侯爵令嬢が掴んで止めていた。

 いや何故に。

 というかなんで椅子三つ等間隔なの?と今更気づいた男爵令嬢である。あと王子の手はともかく、侯爵令嬢が掴んでる椅子の背が全く動かない。どういうパワーなの?やっぱりメイスのおかげなの?

「あなたも今や殿下の婚約者ですもの、遠慮はございません」

「これからのこともある、このまま暫し三人で過ごしつつ話そうではないか」

 手を掴まれたままずっと持ち上げて甲にキスされ、思わずぴえっとか奇声を上げそうになる男爵令嬢。それを微笑ましげににこにこ見ている本来の婚約者。いや確かに一度は浮かれまくって唯一の王子妃の座なんか目指しちゃった自分が言うことでもないけど、冷静さが戻ってきた今は「どうしてこうなった」で頭がいっぱいだ。

「安心してくれ、君の働きは王宮でも評判だ。私達に欠かせない存在であると皆が理解している」

「いやそれですよ。私一体なにしちゃったんですか」

「はい、お言葉。『わたくし何かしてしまいまして?』ですよ、もう一回」

「わ、わわわたくし何かしてしまいまして?」

 いや今の絶対なんかニュアンス変わってない?と首を捻る男爵令嬢。

「それにご安心なさい。わたくし、ちゃんと二人を守り切れるよう、これからもメイスに磨きをかけますので」

 そういう護衛みたいなのこそどっちかっていうと側妃の仕事じゃないのかな!?

 王子は「君の武術に期待しているよ」とか嬉しそうに言ってるし、もう何が正しいのかわからないまま、結局またメイスで口元を隠している侯爵令嬢と幸せそうな王子を交互に見つめつつ彼女は考えるのをやめたのだった。


 臣籍降下しなかった王子には側妃を娶ることが認められているが、適用例は少ない。しかも第二王子、後の王弟が二人の妃を娶ったのに対し、後に国王となる兄は隣国の王室から嫁いだ妃を唯一の伴侶とした。これは王国史でも唯一の例である。

 記録には愛妾は子を産まぬ限り記載されないため実質は多くの妻を持つ王族はいたようだが、当時の貴族や侍女などの日記や記録を見る限り、かの兄弟は愛妾を持つことはなかったようだ。

 そして王妃の出身国には友好条約を向こう有利に変えているものの、その他の外交では著しい成果を上げたのがかの王弟である。正妃と側妃は可能な限り王弟の外交公務に帯同し、彼の外交に大変貢献したと記録されている。なお帯同できなかったことも割とあるのは、二人の妃のどちらにも多くの子が生まれているからだ。

 本当に異例なことであるが、正妃と側妃の子供達は隔てなく育てられ、それぞれ王子や王女の身分として国内含め各国の貴族に嫁いだり、臣籍に降りて文武の高官となったりとそれぞれに王家を支える礎となった。


 なお同盟の相談に訪れた国でそのまま人質に取られかけた彼らが、観葉植物と王家に伝わる毒から強力な睡眠薬を王子が調合し、それを側妃が焼き菓子に混ぜ込んで差し入れと銘打って見張りの多くを無力化し、正妃が薔薇を模した美しいメイスで血路を開き本国まで帰りついたという逸話が有名である。

 流石にフィクションであるという説も多いが、その直後にかなり王国側に有利な通商条約が結ばれたのは事実。

 謎多き人物ではあるが、少なくとも正妃と側妃が生涯睦まじく、王弟とも良好な関係であった事を、特になぜか王弟も正妃も側妃への寵愛がしばしば度を越したというような記述は多くの同時代史料に残されている。


「あっ殿下の適性そっちだったんですね」

「それは王族教育ではわかりませんわよね」

「君達褒めてるの?馬鹿にしてるの?」

「褒めてます」

「凄く褒めてます!」

 なんて会話がなされていたというのは、さらに当人達しか知らないところなのであった。

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[一言] 番外版、筋肉はすべてを解決する♪ ある意味『三位一体』ですね。
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