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シャケ

作者:
掲載日:2023/03/15

ホワイトキングサーモンは実在します。



 それなりに大きな集落の中、今日も私は小間使いを命じられます。


「マスノ! 洗い物はまだなのかい!?」

「マスノ! 洗濯が終わったら皿を洗っておきな!」

「マスノ! アンタの飯は後だよ後! 飯を食わせてもらえるだけでもありがたいと思いな!」


 そんなおかみさんの声に、はい、と私は答えます。私にはそれ以外の返事をしてはいけないからです。

 洗い終わった洗濯物を一つずつ手に取って、皺を伸ばし、物干し竿へと干していきます。

 お店の方からはいつでも賑わう声が聞こえてきます。

 お店に居る人達や、お店に入っていく人達を眺め、私は自分の髪を見てため息を吐きました。

 今日もまた、私の髪は白いのです。

 この世界には様々な国があり、それぞれの集落にはそれぞれの集落の人達が住んでいます。

 そして一つの集落には、それぞれの特色が出るのです。それは、主に髪の色という形で出ます。

 私が居るこの集落、私の生まれたこの集落はサーモの民が集う集落でした。

 サーモの民の特徴は、幼い時は白い髪であるものの、集落特有の食事である赤い食事を摂る事でその白い髪が赤く染まってゆく、というものです。

 そう、本来サーモの民は、大きくなる頃にはその白い髪が真っ赤に染まっているものなのです。

 赤さの程度には多少の個人差こそあれど、白い髪のままなサーモの民など居ないのです。

 そう、私以外には、居ないのです。


(どうして私は、私だけは、いつまでも白い髪なのでしょう)


 身長だって体格だって、私はサーモの民と遜色ありません。

 他の集落の人達にも赤毛の人は居るけれど、サーモの民で無い人達は、やはりそれぞれの特色として体格にもそれぞれ違いがあります。

 少し向こうの人達は小柄だとか、もう少し向こうの人達は男女共に筋肉質だとか、それぞれに違いがあるのです。

 だから私は、間違いなくサーモの民なのです。サーモの民であるはずなのです。

 けれど私は、サーモの民特有の赤い食事をどれだけ食べても、赤い髪にはなりませんでした。

 最初は少し成長が遅いのかと思われましたが、日常的に赤い髪を食べていれば、例え成長が遅かろうと髪は赤く染まるはずなのです。

 なのに、なのに、どうしてでしょう。どうしてなのでしょう。どうして私の髪は、大人になっても白いままなのでしょう。


(……いけない)


 滲んだ涙を袖で拭い、ぐず、と鼻を鳴らしました。

 大丈夫、大丈夫です。こんな事はいつものこと。私の日常。

 私は洗濯物を干し終わって空っぽになった洗濯籠を持ち、お店の方に戻ります。

 私が働いている宿屋は人気のお店で、私はシーツを洗ったり、皿洗いをしたり、そういった裏方のお仕事をやらせていただいているのです。

 一向に赤く染まらない髪のせいで仲間外れにされ続けた幼少期。

 大人になっても白い髪のままだと皆から指をさされ、私は腫れ物に触るような扱いを受けました。私は出来損ないとして扱われました。

 親にすら、見捨てられました。

 奇妙なものを見るように扱われ、子供のように扱われ、厄介なものとして扱われ、私は行く先がありませんでした。

 そんなところを、宿屋のおかみさんに拾われました。

 良い暮らしだとは言いません。

 朝から晩まで働いても、少しの食事と物置きの一角、そして最低限の着替えがあるだけです。

 それでも、住まわせてやっているから、とお給料が出ない私では、他に行くところが無いのです。

 どこに行ったところで、私のこの髪では雇ってなどもらえません。

 集落はほとんど皆が親戚のようなもので、家族のようなものだから、私を真っ当に扱ってくれる人などここにはどこにも居ないのです。

 だから今日も、仕事が終わってふらふらになった私は、少ない赤い食事を詰め込んで眠ります。

 物置きの隅に薄っぺらい布が敷かれた空間。ここが私のお部屋です。

 寒々しいそこに横になって、私は寝ます。

 とても寒くて硬い場所ですが、屋根と壁があるだけ、お外よりはマシでした。

 横になっても、働いた仕事量よりも圧倒的に少ない食事量に、お腹がくうくうと空腹を訴えます。

 それでも仕方がない事なのです。

 だって私は、どれだけ食べたところで髪の色が変わる事など無いのですから。

 食べたところで意味など無い私だから、ほんの少しでも、食べさせてもらえるだけありがたいのです。

 自分をそう納得させて、空腹を訴えるお腹を押さえて、少しでも暖かくなるように小さく丸まって、私は眠りにつきました。

 明日もまた、夜明け前から働かなくてはなりません。

 生きる為には、他に方法など無いのです。








 いつもと変わらない日常の中。

 けれど最近、ほんの少しだけ変わりました。


「よ、マスノ」


 気さくにそう声を掛けてきたのは、最近この集落に滞在している旅人です。

 近くの集落の出だという彼は、白い髪でした。

 白い髪といっても私と同じように特殊な体質のサーモの民というわけではなく、ギンダーラの民です。

 ギンダーラの民は白髪で、しっかりとした体格の方が多く、引き締まった体に魅力的な脂肪が重なっているお体が特徴的です。

 彼、ナミアラという名の彼もまたギンダーラの民らしく、筋肉のついた肉厚な体格の持ち主でした。

 サーモの民に比べて頭一つ分大きいギンダーラの民だけあって、ナミアラもその分だけ高い身長の持ち主です。

 俯いている事が多い私ですが、ナミアラの顔を見ようとするとしっかり上を向かなくてはならないのが困りものです。

 私はナミアラと話すことも無いのでわざわざ顔を見る必要もないはずですが、彼は赤毛ばかりなサーモの集落では珍しい白髪の私を見て、何を気に入ったのかよく話しかけてきました。

 故郷の人と同じ髪色だから、どこか故郷を感じる事が出来て嬉しく思うのかもしれません。

 私が異常だと気付いていなかった過去を懐かしく思うならともかく、折角出る事が出来ただろう故郷を恋しく思う気持ちは、さっぱり共感出来ませんけれど。


「相変わらず血の気が引いた顔してるな」


 爽やかな笑みではありますが、あまりにも失礼な言動です。

 サーモの民が相手なら私は「はい」と肯定するばかりですが、彼はサーモの民ではありません。

 何より、彼自身が、ナミアラ自身がそういった対応を嫌がるのです。

 私自身も今の言い方には少しばかりムッとしたので、逆に、滅多に浮かべない笑みを浮かべてやりました。


「髪が白いままなので、他の赤毛の方々と比べたら、そう見えると思いますよ?」

「!」


 嫌味とわかるような笑みを浮かべ、慣れない嫌味を言ってやりました。

 あまりに久々に表情を動かしたので頬が少し引きつりましたが、笑みの形にはなっているはずです。

 そんな私の態度にナミアラは驚いたように目を見開き、次いでとても嬉しそうに笑顔を弾けさせました。


「マスノ! お前、笑った!?」

「笑う時は私だって笑います。笑うタイミングが無いだけですよ」


 笑いたいと思う時も無く、今だって嫌味の為に頑張って作った笑顔でしたが、何だかそんな気も失せてしまいました。

 ナミアラはとても嬉しそうに、何なら花が咲いたような笑顔を浮かべていますけれど、一体何がそんなに嬉しいのでしょう。

 それとも私の笑顔がそんなに面白いものだったのでしょうか。


「……私の笑顔は、そんなに笑える程滑稽でしたか?」

「違う違う! なんでお前はそうネガティブになるんだよ!」


 心外だ、とナミアラは拗ねたように頬を膨らませました。


「俺は、お前が俺に笑顔を見せてくれたのが嬉しいんだ。ほら、今までずっと、干物みたいな乾いた表情ばっかりだったし」

「馬鹿にしてませんか?」

「してないしてない」


 どうだか、とため息を吐けば、ナミアラは辛抱堪らんというように顔をニヤけさせました。

 嫌なニヤニヤでは無く、嬉しくて嬉しくて、顔がニヤけてしまうのを止められないといった様子でした。


「ヘヘヘ、何か嬉しいな」

「何がですか?」

「お前とこうして話せるのが、だよ。話しかけても最初は無視されたし」

「まさか私に話しかけようとする奇特な方が居るとは思いませんでしたから」

「はい、としか返事してくれないし」

「それ以外の返答は無かったので」

「だからこうして、お前が俺の声に反応して足を止めて、俺の言葉に反応を返してくれるのが凄く嬉しい」


 ヘヘヘ、と頭の後ろで手を組んだナミアラは照れ臭そうに笑います。

 ナミアラが私の反応一つで楽しそうにしてくれるのは、私にとっても嬉しい事でした。

 私の異常がまだ発覚していない頃の、代わり映えしない日常を思い出させてくれるやり取り。

 それはとても幸せで、キラキラしていて、嬉しくなって、ここ数年すっかり忘れていた楽しいという気持ちを思い出させてくれるもの。

 けれど、それは期間限定のものです。


「ん、マスノ? どうした急に顔色暗くして」

「……いえ。ナミアラの背が高いからそう見えるんでしょう。角度の問題だと思いますよ」

「そうかあ?」


 幼少期の楽しい日々は、とっくの昔に失いました。

 ナミアラとの楽しい日々だって、ナミアラがここでの調べものを終えて立ち去れば、それで終わってしまうものです。

 いいえ、例えナミアラがこの集落に居続けたとしても、ナミアラの方から話しかけるのをやめればそれで終わるような儚いもの。

 私はサーモの民としておかしいのだと、そう告げてもナミアラは話しかけてきてくれました。

 けれどそれは旅人だからで、サーモの民では無いからで、ただ私の髪色に懐かしさを感じているか、あるいはサーモの民には珍しい髪色を面白がっているからなのでしょう。

 いつかナミアラも、私とは話さなくなるのでしょう。

 それを想像すると悲しくて、けれど慣れ親しんだ苦しさで、今更涙など出ませんでした。

 私が置いていかれるのも、誰にも手を差し伸べてなんてもらえないのも、いつものことです。

 ただの、日常でしかないのです。








 ある日、ナミアラが真剣な顔で言いました。


「俺はこの集落を去る」

「そうですか」


 ええ、ええ、知っていました。わかっていました。

 ナミアラはいつも身軽な恰好をしていましたが、今のナミアラは旅立つとわかる恰好をしています。

 曰く、ナミアラは様々な集落の歴史を研究しているそうです。

 あちこちを歩き、調べ、その地特有の、そしてそこの民特有の文化を知りたいんだそうです。

 ある程度調べたら、ナミアラがこの集落を去ってしまうのは知っていました。

 ナミアラは失礼な言い方をする時が多い癖に、こういう時ばかり律儀なのです。

 律儀に、挨拶をしに来たのでしょう。


「マスノ」

「何ですか? ああ、行ってらっしゃい。お気をつけて」

「そうじゃなくて」


 あー、とナミアラは唸りました。

 落ち着かないといった様子で足をこすり合わせ、頭をガリガリと掻き、視線を忙しく彷徨わせています。

 一体何を言いたいのでしょう。

 何かを言いたい様子なのはわかりますが、さようなら、という言葉以外に告げる言葉などあるのでしょうか。


「……マスノは、この集落の外を知ってるか?」

「いいえ」

「他のところの民は……外には、髪が白いヤツも居るっていうのは?」

「それは知っていますよ、流石に。ナミアラだって白い髪ではありませんか」

「そうなんだけどさ」


 ええ、知っています。白い髪の民も居るのです。赤い髪の民も居るのです。

 サーモの民は白い髪から赤い髪へ変わる民。

 けれど外には、生まれつき真っ赤な髪の民も居ます。

 この集落にも普通に旅人は立ち寄るので、体格も髪色も様々な方々が居るのは、私だって知っています。

 いくら私でも、そのくらいは流石に知っているものです。


「……外には、生まれつき髪が赤い民が居る。俺みたいに生まれつき髪が白い民も居る。赤や白の髪に、縦線みたく青が入ってる民も居る。食べ物だって、赤い食べ物じゃないのは色々あるんだ。白い食べ物も、緑の食べ物も、好きなように食べられる」

「私は先立つものがありませんから」


 嘘です。

 先立つものが無いのは本当ですが、他の集落へ出るくらいは出来るでしょう。

 他の集落へ行けば、サーモの民の中では異常とされる私でも、ただの旅人でありよそ者だという扱いを受けるでしょう。

 そう、仲間外れとかではなく、真っ当に、そういう扱いを受ける事が出来るのでしょう。

 でも私は、もう抗う気も無いのです。

 頑張る気力はとうの昔に尽き果てました。


「マスノ」


 ナミアラが私の手を取りました。

 洗い物でガサガサになっている私の手。皮膚がところどころ切れている私の手。

 そんな手を、ナミアラの大きく肉厚な手がしっかりと握りしめました。


「俺は、マスノが好きだ。マスノと一緒に生きていきたい」


 ナミアラが私を見つめています。真剣な顔で見つめています。まるで射貫くように、真っ直ぐに、私の目を見ています。


「同じ民なら子を作れる。一部は違う民でも子を作る事が出来る。それでも出身が違い、民が違う者では暮らしも文化も価値観も違うもので、子は作れないのが普通で、一緒に暮らしていく内にすれ違うこともあるかもしれない」


 その射貫くような目は力強くて、眩しくて、目を逸らしたいと思っているのに、何故か逸らす事が出来ません。


「それでも」


 痛くない程度の力で、しかし確かに強い力で、ナミアラは私の手を握っています。


「それでも俺は、一緒になって欲しい。俺と共に歩いてほしい。俺はお前に、外を知って欲しい。外を知り、色々を知り、その上で俺の隣を歩いてほしい」

「……外を知った私は、ナミアラじゃない人のところへ行くかもしれませんよ」

「その時は俺の魅力不足だから仕方ない。そうならないよう、お前にとって魅力的な俺で居るつもりだ」

「デリカシーのない言動をしがちですよね」

「そ、れは、不満な時は言ってくれ。言ってもらわないと何が不快かわからん。いや、言われても完全には改善出来ないかもしれないが、頑張る」


 うろたえたようなナミアラの顔。

 そして私の手を握ったままの大きな手が焦りからか少し湿ってきて、


「、ふふ」


 思わず、笑ってしまいました。


「そんなにもデリカシーが皆無な方には、私がそばについていないとですね?」

「ああ。頼む」

「……今の、怒るところですよ? もしくは否定」

「俺はお前にそばに居て欲しいからな。デリカシーが無いのも事実だろ。怒る理由が無い」


 真っ直ぐ過ぎる言動に、私は言葉を失いました。

 何だか全身がむずむずして、口元がもにょもにょして、薄手の服だというのに暑くって、今すぐ逃げ出したくて堪りませんでした。

 今すぐ手を振りほどいて走って逃げたい心地なのに、今この瞬間をずっと続けていたくもあるような、そんな不思議な感覚です。


「……私、迷惑ばかり掛けると思います」

「俺が一切の迷惑を掛けずに生きてるならともかく、生きてたら多かれ少なかれ誰もが迷惑を掛けるものだ」

「お世話になった宿屋を勝手に出て行けません」

「なら勝手に連れていく。持っていくような荷物も無いと言っていたのを覚えてるぞ。これでも研究家だから記憶には自信がある」

「外での生き方を知りません」

「外は広い。俺だって行った事の無い場所での生き方なんて知らないからな。現地人に聞けばどうにでもなる」

「私は」


 私は、とまで言って、喉で言葉が詰まってしまいました。

 何かを言いたいのに、どう言えば良いのか、何を言いたいのかが急に霧の中へと隠れてしまったような感覚です。

 拒絶したいわけではないのに、頷いて良いのかわかりません。

 迷子になったような心地で見上げれば、ナミアラは相も変わらず真っ直ぐに私の事を見つめていました。

 その射貫くような目と目が合って、気付けば言葉が出ていました。


「私は、好きがわかりません。ナミアラと居るのは楽しいです。でも、私がナミアラを好きなのか、わかりません」

「嫌いじゃないならそれで良い」


 私の発言はあまりに酷いものだと思ったのに、ナミアラは気にする様子も無く、あっさりとそう言いました。


「俺はマスノが好きだ。マスノは俺を嫌いじゃない。今わかっていれば良いのはそれだけだ」

「一緒に居ても、ナミアラを好きと思えるか、わかりません。私には好きがわかりません」

「そんなもの誰にもわからんから今更だろ」

「え?」

「可愛いから好き。可哀そうだから好き。痛々しいから好き。綺麗だから好き。魅力的だから好き。貧相だから好き。そんなのは個人の好みの問題で、他人の好きは理解出来ないものだと思った方が早い」

「それと私が好きをわからないことと、何の関係が?」

「好きってのは、数値化出来ないものだ。形の無いもの。結局、本人が好きと言い張ればそれで成立する」

「はあ」

「だから」


 ナミアラは私の手を引き、私の背に腕を回し、私のことを抱きしめました。


「だから俺は、マスノが好きの感覚を掴めないままでも、そうだったら良いなと思って俺を好きだと言ってくれるように頑張る。それはマスノの問題じゃなく、マスノに好きだと思ってもらえる俺であれるかって問題だ。マスノが気にする部分じゃない」

「……それで、良いんでしょうか」

「お前、今俺に抱きしめられてるの、嫌か?」


 ナミアラの腕の中、体温を感じる程近い距離の中で、私はナミアラの言葉への返答を考えました。


「嫌では、ないです」


 むしろ、体がほっと緩むような気がしました。


「だったら今はそれで良い。俺はそれが嬉しい。嫌になったらその時に言ってくれ」

「言っても良いんですか?」

「言われないのが一番だが、そうなった時は仕方ないからな。そう言われない俺であるよう頑張るだけだ」


 その言葉に、胸の奥が熱くなりました。

 急に胸の中に熱した鉄が出現したかのように熱くて、ぎゅうっとなって、苦しくて、でも嫌じゃなくて、何故かナミアラに強く強く密着したくて堪らないような、前代未聞の感覚です。


「ナミアラ」

「どうしたマス、ノ?」


 私はナミアラの服の裾を掴みました。私はナミアラの肩に頬を寄せました。

 誰かに甘えるなんてもうずっと長いことやっていないから、これで合っているかわかりません。

 けれど、ナミアラに対しては、こうしたいと思ったのです。


「私を、つれていってくれますか?」

「本気の拒絶が無い限りは担いで連れていくつもりだった」

「何ですかそれ」

「ここに居続けさせたくなかったんだよ」


 私は思わず笑いました。ナミアラもヘヘヘと笑いました。

 支えてくれる相手が居て、そんな相手に寄り添う事が出来て。

 それはとても暖かいものなのだと、私は初めて知りました。













 マスノを連れ、俺はサーモの民が住まう集落を後にした。

 マスノは結局宿には戻らず、俺と一緒に来てくれた。


「何も持ち物なんてありませんから」


 そんな会話を思い出しつつ、森の中、焚火に薪として乾いた枝を放りながら、俺の膝を枕にして寝ているマスノを見る。

 最初は不安そうにしていて、寝てもすぐに起きてしまう事が多かったが、三日もすればぐっすりと眠るようになった。

 慣れない旅の疲れもあるんだろうが、俺の膝でこうして安心して寝てくれるのは嬉しいものだ。

 男心としては複雑だが、安心出来る相手と認識されるのが嬉しいのも事実だからな。


「ちょっと遠回りだしまともな道も無いが、あと二日くらいで到着するかな」


 地図を取り出し、行き先を確認する。

 近くの集落へ移動する案もあったが、近い場所ではマスノを知っているヤツが居るかもしれない。

 そもそもサーモの民が交易なんかで行き来する場所は避けたかった。

 夜逃げみたいな動きだったのもそうだが、ようやくサーモの民から、あの集落から解放されて落ち着いたマスノに、あの場所での暮らしを思い出させたくはない。

 だから、森を突っ切るコースを選んだ。

 森の両側は山となっていて、森を突っ切らない場合はかなり遠回り。かといって森は整備されていないので、商人はこのルートを避ける。


「整備されてる外回りルートじゃ遠回り過ぎて、サーモの民な商人も向こう側までは行かないしな」


 商人は元が取れない事などしない。

 元々向こう側で調べたい事は山ほどあったので、サーモの民から離れるにも丁度いい位置だった。


「到着したら宿と、あと着替えか」


 今は俺の着替えを紐やベルトで調節してマスノに着せているが、ギンダーラの民に比べると頭一つ分小柄なサーモの民だからか、俺の服を着せるにはサイズが合わない。

 そもそも男女の違いもあるので、早く着替えを用意してやらなければ。


「……お前を神にさせてやれなくて、ごめんな」


 マスノが居た集落のサーモの民。サーモの民はあちこちに居るものだが、マスノが居たあの集落は、サーモの民の中でも王族の末裔ばかりという少し特殊な集落だった。

 勿論それは昔の話で、今は王族の末裔であるという事実こそあれど、彼らはそれを意識せず、何なら知らないまま普通に生きている。

 そんな、かつてあった王族の伝説には、こうあった。


「……かの王族に生まれし、赤に染まらぬ者。その者こそ神の化身である……」


 口の中で呟くように、古い文字で記されていた本の内容をなぞる。

 そう、白い髪のままで居る者は、極稀ではあるもののあり得ない事では無かった。

 むしろ神の化身と言われる程に尊くて、ありがたがられるもので、断じてあんな粗雑な扱いを受けるものではない。

 だが、それを俺が伝えて何になる。

 信じない誰かが、逆にマスノへの迫害を強めるかもしれない。

 仮に信じてくれたとしても、マスノは自身が崇められるのを受け入れるのか。


「そういう性格じゃないもんな、お前」

「むにゃ」


 マスノの白い髪を乱さないよう優しく撫でれば、マスノは口元を緩めて膝にぐりぐりと頭を押し付けた。

 そんな可愛らしい、気を許してくれているとわかる動きに、口の端がニヤニヤと緩むのを止められない。

 思わず口元を手で覆ったが、それでも尚ニヤニヤし続けている自覚があった。


「……絶対、幸せだって笑わせてやるからな」


 マスノは神になれたかもしれない。けれどそれはたらればの話。

 俺は何も言わなかった。言わないを選んだ。マスノが神にならない道を選んだ。

 マスノが俺の妻になってくれるかは、まだわからない。

 それでもお前が俺の隣に居るのを選んで、幸せだと笑ってくれるよう頑張ろう。

 俺には俺に出来る事しか出来ないが、出来る事からコツコツやるさ。



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