2 ハイド
ノーマルタイプは図書室を拠点とし、図書組と呼ばれていた。
仲間が次々とクラッシュして、ついに3人だけになった時、ハイドが言った。
「組の名前、変えようか。紫陽どう」
「必要ない」
「願かけだよ。専用の名前にしたら、長く生き残れそうじゃないか?」
「そうでもない」
「お前は真面目だな」
「別に普通だ」
「“そうでもない”」
「口真似するな」
不毛なやりとりを聞いていたハナが声をあげた。
「アジサイ組にしよう」
「え?」
俺は馬鹿みたいにふりむいた。
「紫陽くん、教えてくれたよね。
私たちの名前くっつけると、漢字の紫陽花になるって。それに、ハイドくんのハイドは英語のアジサイ…… あれ、なんだっけ」
「hydrangea」
あいつの助け舟でハナが笑顔になる。
「そう、ハイドランジアのハイドとおなじ。だからアジサイ組、どうかな紫陽くん?」
「ああ、いいけど」
「やった、決まり! あーあ、花冠がつくれたら3人おそろいにできるのに」
「それは嫌だ」
「それいいね」
俺とハイドが同時に答えると、ハナはとても楽しそうに笑った。
今、図書室は2人だけの拠点になった。
現場からもどった俺は、事件をはじめから考えなおすことにした。
「それほど長くないあいだに、5人も被害にあった。犯人は焦ってるみたいだ」
「そんなに世界を壊しちゃいたいのかな」
ハナは頬に手をあてて考えこむ。頭のアジサイが赤みをおび、パッと顔をあげた。
「もしかしたら、ちがう目的があるのかも」
「たとえば?」
「ええっと。みんなのことが大好きで、ちょっとずつの部分と一緒にいたい、とか……」
「猟奇的な愛情だな……」
「あ、たしかそんな本あったよ!」
ハナの集中力は切れた。踊るように本棚を渡り、タイトルを探す。
本にかこまれている俺たちだが、楽しめるのは背表紙だけだ。情報を閲覧する機能はとっくに壊れている。
手近な本をながめていると、ハイドの声を思いだした。
「今日の一冊、これ読もう」
あいつはタイトルから内容を推測する遊びを読書と呼んでいた。巻きこまれるのは俺とハナだ。
ハイドが本棚からふりかえる。
「“星の海の底”。はい、紫陽」
「星だから宇宙の話」
「宇宙の底ってどんな?」
「宇宙に底とかないだろ。終わり」
どんなにそっけなく答えようが、あいつは好奇心で受けとめた。
「一行で完結、斬新だな。ハナはどう?」
「光る海にお城があって……」
「学校じゃないんだ」
「うん、王様は紫陽くん」
ハイドがふきだす。
「おめでとう紫陽、城が手に入った」
「くれるならもらっておく」
ハナの本の登場人物は、たいてい俺たち3人だった。
「ハイドくんは門を守ってて、私はお庭係。みんなで海の底のお花を育てる、そういうお話だといいな」
と、少しさみしそうにほほえむ。
ここはもう、なにかが育つ世界ではないのだ。
俺は言葉につまったが、ハイドは自然に笑った。
「アジサイなら咲くかもしれない。いつか雨がふれば」
その後、俺はあいつに忠告した。
「ハナに期待もたせるなよ。そんな変化起きないんだから」
「そうかな」
「まわりを見ろ。オブジェクトも機能も壊れていってるし、クラッシュの件数だって増えてる」
俺たちは屋上にいた。ベンチに座ったあいつが俺を見あげてくる。
「状況はわかってる。でも、キリキリしない方がいいよ」
「俺の機嫌が悪いのはお前を探すのに苦労したからだ」
「ごめん。ちょっとひとまわりしたくて」
“ひとまわり” はあいつの癖だった。
これといった用事もないのに、しょっちゅう出歩く。しかもなかなか帰ってこず、ハナを心配させるので、俺は腹がたった。
「お前、そんなに動きまわる必要がどこにあるんだよ」
「僕が歩くのは……」
と、ハイドが空を見る。
「どこかになにかがありそうだから」
「意味がわからない。学校にあるオブジェクトなら、暗記するほど見てるじゃないか」
あいつはしばらく黙っていた。
視線がすばやく流れ、俺をつかまえた。
「見えないものを信じないのか、紫陽。それはとても虚しいことだよ」
「紫陽くん、どうしたの」
気がつくと、ハナが目の前できょとんとしていた。ふいをつかれた俺のまぬけな顔を見て、ハナはあわてる。
「そっか、推理中だね! 邪魔しちゃった」
「いや、色々思いだしてた」
「ハイドくんのこと?」
俺は素直にうなずく。
「あいつが言ったんだ、見えないものを信じろって……」
その時。耳が気配をとらえた。
反射的にふりむく。
窓のむこうから同級生が飛んでくる。先ほど階段で会った、羽組のひとりだ。様子がおかしい。俺は急いで席をたった。
つれていかれたのは渡り廊下だった。
案内役が上をさす。
「クラッシュなんだけどさ。遊んでる最中で、みんな同時だったから、驚いて……」
青空の中に、羽を広げた数人が浮かんでいた。髪をなびかせ武器をかざし、楽しげに凍りついている。
ひとり残された案内役が声をおとした。
「いつかは起こるんだもんな。さわいでごめん、紫陽」
「動揺してあたり前だ。一度に複数のクラッシュは聞いたことない」
羽組を見つめていたハナが、水色の冠の下でつぶやいた。
「見まわりしなきゃ。みんなの羽、とられないように」
残った仲間が、ハッとして俺の腕をつかむ。
「なあ、もしあいつらが無事なら、犯人は飛べないやつってことになるよな」
「まだわからない。あえて手を出さず、ミスリードを誘うかもしれない」
「そうか……」
うつむいた彼の肩に、ハナが手をかける。
「図書室おいでよ、少し休もう。紫陽くんも」
「俺はひとまわりしてくる。ほかに異変がないかたしかめるよ」
ハナはまばたきして俺を見た。
「どうした?」
「ううん、気をつけてね。待ってるから」
ハナが身をかえす。揺れたアジサイにいくつもの色がせめぎあった。