1 紫陽とハナ
誰かがこの世界を終わらせようとしている。
被害者が増えるにしたがい、そう考えるしかなくなった。
「やられた。5人目だ」
俺は顔をしかめた。現場は校舎の裏庭、被害者が花壇の前にたっている。
彼女は俺の同級生で、ウサギ少女の形をしていた。赤い目をひらき空を見あげ、ピタリととまっている。
これはクラッシュと呼ばれる現象だ。
しかし、俺が追っている事件そのものではない。彼女が固まってしまったのはかなり以前のことだ。
事件は、クラッシュの先で起こる。
俺は被害者を観察した。
髪から伸びていたウサギ耳、その片方が消えている。耳のはえていた場所は黒く塗りつぶしたようになっていた。
「とられたのは右耳だな。ハナ、ほかになにか消えてないか? 服のかざりとか」
俺がふりかえると、ハナがこわごわとのぞきこんできた。
「大丈夫みたい。でも、シロちゃんかわいそう。よく聞こえる自慢の耳なのに……」
ハナはブレザーを着た腕をのばし、友人の頭をなでる。
悲しげな横顔の上で、アジサイを輪にした冠が水色に変わった。
このパーツは感情のバロメーターだ。ノーマルタイプの女子学生というハナの形に特徴をあたえている。
「どうする、紫陽くん?」
俺はノーマルタイプの男子学生で、紫陽という名前以外に特徴はない。
「まわり調べておこう。ハナはそっちを頼む」
「わかった」
ハナは、被害者を気にかけながら花壇にしゃがみこんだ。
俺は校舎に手をふれる。
平板な外壁も、それをなぞっている俺も、つくられたオブジェクトだ。
ここは仮想空間。かつて人間たちの交流の場として栄え、役割を終えた。
ぬけがらになった世界で起こる変化は、欠落と停止だ。
構造物のあちこちに、虫くいのような黒い穴がある。
空は永遠の晴れ。校舎の内外には、動きをとめたたくさんの同級生が点在していた。
俺たちはクラッシュによって仮想分身としての死をむかえていく。
そして今、誰かが死者のパーツを奪いつづけているのだった。
しばらくして、俺とハナは校舎の階段をのぼっていた。ハナが口をとがらせる。
「なんにもなかったね、証拠」
「ここは跡が残りにくい仕組みしてるからな」
「もう、犯人も自分の耳落としていけばいいのに! そしたらすぐ解決だよ」
アジサイに赤みがさしていて、俺は肩をひいた。
「落ちつけよ」
「だって許せないもん。みんなかわいそう」
「ハナはやさしいな」
俺は少しほほえみ、表情をひきしめる。
「犯人の落としものを待つより、奪ったパーツの隠し場所をつきとめる方が早そうだ。5人分となると、それなりのスペースが必要だから……」
「さすが紫陽くん! それどこ、どこにいったらとりもどせるかな?」
顔が近すぎる。俺はもう一歩距離をとろうとした。
すると、にぎやかな声がふってきた。
「ひくなよ紫陽、押せよ!」
「あーあれは地味にドキドキしてる顔だね」
「ときめきまで地味でいいのか、紫陽」
踊り場からあおってくるのは、数名の同級生だ。
学校にいるので学生なのだが、鎧や剣、ひらひらしたオプションパーツなど、とにかく見た目が派手だ。羽もはえている。
「羽組さん、ひさしぶり」
ハナがうれしそうに手をふる。俺は踊り場へあがった。
「また事件だ。裏庭のシロが耳をとられた。あのあたりでなにか見てないか」
「いや、俺たち地面にはおりないから」
相手は元気に答えた。
学校にはまだ数十人が活動しているが、事件を事件としてとらえているのは、俺とハナだけだった。
クラッシュした友人がパーツを奪われるのは、気の毒なことだ。
しかし、やっきになって犯人を探すよりも、今を楽しんでいたい。彼らはそう考えていた。
俺は羽組にうなずいた。
「わかった、お前たちも気をつけろよ」
「平気平気、空は安全」
彼らは雑談にもどり、俺もハナにむきなおる。
「図書室、帰るか」
「うん……」
と言いかけたハナが、目がさめたようにまばたきした。
「その前に、屋上いこう。ハイドくん元気かな」
屋上へつながるドアはいつもひらいている。
最後の階段をのぼっていくと、広々した明るい床と、切りとられた青空が目に入る。
「ハイドくん、おはよう」
ハナが光をあびて駆けていく。
俺はその後ろ姿を見つめた。視線を先に送ると、フェンスにもたれる白いシャツの背中があった。
人間の分身として使われることがなくなり、俺たちは自然と似たものどうしで集まった。
ハイドもノーマルタイプのグループのひとりだ。制服の上着の有無をのぞけば、俺とうりふたつだった。
クラッシュしたあいつに、ハナは以前とおなじように話しかける。
「晴れてるね。いつも青」
あいつはフェンスに両ひじを乗せ、片腕を虚空へさしだしている。
その手首から先は、ない。消失している。
そう、事件はハイドの右手からはじまった。
クラッシュしたのは最近だが、なぜか第一の獲物に選ばれた。
発見したのは俺とハナだ。ハナは、あいつがクラッシュした時よりもショックを受けていた。少しでもはげましたくて、俺は言った。
「ハイドの手、俺たちで探そう」
それから事件はつづき、捜査に進展はない。
「ごめんね。私、頭が悪いから役にたってないの」
ハナがハイドに言い、俺にふりむく。
「でも大丈夫、紫陽くんはかしこいから」
「全然だよ、まだなにもわかってないし。一緒に推理してくれ。ひらめきとか、ハナの方が強そうだ」
「わあ、それじゃあがんばる! ぜったい解決するからね、ハイドくん」
ハナが親しげにあいつを見あげる。あいつはまぶしそうに遠くをながめていた。