sunflowerー寒気がするほどの口惜しさー
夏を象徴する一つである、ひまわりという黄色い花は、実に小さな双葉の段から陽を追うのですが、一度開花すると基本的には東を向いて咲き続けます。しかし「本物の太陽の妖精」と対峙したとき、何かの作用により、あるいは何かが作用しなくなってしまうかで、彼らは全く反射的に、本能的に反応してしまうのでした。太陽の妖精サンソンくんにとって、真っ直ぐな、あるいは真っ直ぐでいたいと願う彼らをからかうのは本当に楽しい夏の恒例行事なのでした。
「おいおい、なかなかしびれるいい笑顔じゃないか、サンソンくん。でもちょっと退いてくれないかな?」誰にも笑顔で負けてはいけない、と強く自負している、他よりもかなりおしゃべりな一本のひまわりは言いました。
「すみませんいま退きます」サンソンくんは青い背景の左右へズレず、少し高度を上げただけでした。
「ごめんよ、サンソンくん。上にいかれても太陽は隠れちゃうんだ。右か左にお願いできないかな」ご機嫌だった別のひまわりが言いました。
「こういうことですか?」サンソンくんは、そぉ~と左へ動きました。動きの速さで、自分を追いかけてしまう花の数が違ってくることをサンソンくんはよく知っています。
全体の1/4くらいの花がまんまと追いかけてしまいました。サンソンくんの笑顔はさらに弾けるのでした。
笑顔で負けることのできないさっきのおしゃべりは、突如現れた宙に浮かぶライバルの動きにつられてしてしまった一本でしたが、そんなことよりも、相手の満面の笑顔が気になりました。あいつは全く心から笑っているじゃないか! 力むことも意識することもなく、湧き上がるうれしさを我慢しきれずに炸裂する笑顔じゃないか! 彼は太陽ではなく太陽の妖精に向けて全力で力み、沸騰しそうな嫉妬心を隠そうと意識した、猛烈な笑顔で対抗しました。
「ねぇ、ぼくの笑顔の方があいつよりも最高でしょ?」彼は隣の花に確かめました。
「あなた、太陽はそっちじゃないわよ」右隣の花は夏の笑顔を保ちつつ左へ流した横眼はどうしても冷めてしまいます。
「あっ、もっとこっちの方がよかったですか?」サンソンくんはしらばっくれて今度はもっと速くさらに左へ動きました。
全体の1/3ほどが一斉に顔を向けました。サンソンくんは口を開けてゲラゲラ笑いました。決して上品な笑顔とは言えません。
「なんだあいつの笑い顔は! 下品なもんだな。やっぱりぼくの方が勝っているぞ。品格が違うんだ。心の火が桁違いに違うんだ! ぼくの笑顔に勝てる笑顔なんてどこにもあるもんかっ! 君もそう思うでしょ?」彼はもう一度同じ花に聞きました。二つの花は顔半分くらいが向き合う状態になってしまいました。
「ねぇ、さっきからどっちを向いているのよ、どうしたの他のみんなも!! そもそも太陽はあっちよ!! みんなが見ているあの子は偽物よ!! しっかり東を向きなさいっ!!」右隣の花は、顔を向き合わせそうになっている自称No1に飛沫を飛ばす勢いで訴えました。
大きな声で偽物呼ばわりされたサンソンくんが腹を立てないわけなどありません。
「君は、今ぼくのことをなんて言ったの? 偽物って言わなかったかい?」
偽物の太陽が、顔の高さスレスレで真上へ降りてくると、夏の笑顔はやはり強張りました。全体の半分ほどのひまわりが中央やや西側の一点に向けて首を振りました。
「だって、あなたは本物の太陽じゃないでしょ? 本物の太陽はこんなに低くい所にはいないわよ。みんなが騙されても私は騙されないわ!!」彼女は勇ましいのです。
「ねぇ、君。ぼくの笑顔は最高でしょ? 負けを認めてもらってもいいかな?」
勇ましい花の隣に咲く花は、どうやら本物のバカだったようです。機嫌を損ねムッとしている、すぐそこのライバルに声を掛けたのです。
「私はこんな偽物の子が何を言ってきたところで全く平気だから、みんなはちゃんと自分の心と向き合って、今このとき向き合える本物の太陽を見上げてちょうだい! さぁ、こっちばかり見ていないであなたたちの心を、お空を見上げるのよ!!」張り上げた彼女のその声で、逆により多くのひまわりが注目してしまいました。毅然と東の空を見上げているのは僅かな数だけでした。殆どの花は声を張りあげるほどのモメ事に慣れていなかったのでドキドキし、少しワクワクもしながら、勃発前夜のような一点に向けた首を固定し、あるいはあらためて振り向いてしまったのです。
この子はとんでもなく生意気な花だぞ! サンソンくんは口には出さず、何かの匂いが漂うトンネルの入り口よりも不敵な笑みを漏らしました。
「やっぱりぼくの笑顔の方が勝ってるぞ!! ねぇ、みんなもそう思わないかい!!」
ふっ、といやらしさの影が過ったように見えたライバルの失点的な笑顔と、勝利への執念を源とする、笑っている場合なんかではない渾身の作り笑顔を沢山の花に見比べてもらいたかったのでした。ちょうど隣の花に注目が集まっていたので、自分が勝っていると全員から認めてもらいたかったのです。
「わかったよ。ぼくは偽物だからどこかに消えるよ。本当は君たちの笑顔がぼくはとても好きなんだ。ああようやく大好きな夏がやってきたんだ、って思えるのは君たちの素晴らしい笑顔の……おかげだからさ……まさか怒らせてしまうなんて、本当にぼくはダメなやつだったよ。もうぼくは君たちのお空から立ち去る。だからまたこの夏の為に素晴らしい笑顔を絶やさないで、全ての命を励ましたり喜ばしてあげてください。ああ、ぼくが偽物じゃなければどれほどよかったことだろう!!」サンソンくんは途中で笑い出さないよう必死でした。抑えきれなかった可笑しみが顔で揺れ始めたとき、咄嗟に目を閉じて言葉が詰まったふりをしたのでした。
「ねぇ、そんなに落ち込まないで。私も悪かったわ。あなたは偽物なんかじゃないわ。本物よ。あなたが夏を愛する気持ちも、優しい心も本物だったのね。だって私たちひまわりが思わず振り向いてしまうほどだったんですもの。意地悪なこと言ってごめんね。あなたの笑顔は最高だったわよ!!」勇ましい彼女は心も優しい花だったのでした。
「えぇ!! 嘘だろ、ぼくの笑顔を忘れちゃったのかい? ぼくの笑顔は誰のどんな夏の日よりも最高なんだぞ!! ここにいるみんながたった今そう認めてくれたじゃないか(もちろん誰からも何の評価をうけてはいません。そしてそれは思い込みですらなく、勢い余った口が勝手に自分自身を追い越してしまっただけでした)!!」彼は思わず歩き出してしまうくらい、根の先から葉脈の一本いっぽんまであらん限りの力を込めて、すぐ隣の花と太陽の妖精に(笑顔に見えなくもない、蠟で出来たような怖いくらいの)笑顔を見せつけました。はっきり言って、この時間に向き合える太陽なんてもうどうでもよかったのでした。
「さようならひまわりさんたち。きっと君たちの笑顔が地上にあるから、お空は青くて美しいんだねっ!!」サンソンくんは元気に手を振り上昇しました。
へんてこな「太陽」から、自覚している以上の賛美を受けたおよそ2000本のひまわりは、一本を別にして全員が清々しい気持ちで空に向け笑顔で見送りました。
「バイバイっ!!」先ほどの手頃な高さにまできた太陽の妖精はもう一度笑顔で手を振りました。
「君は自ら負けを受け入れたってことでいいんだねっ!!」最高の笑顔が弾けたというよりは重圧から解放される安堵の微笑みでした。
ぼくはこれからも常に勝ち続けなければならない。いつ、いかなる時も、誰の挑戦も受けようぞ……蠟の溶けた彼は自分に酔いました。
「首を折らないように注意してね!!」
誰もがその一言は意味不明でした。言葉足らずだけれど、さらに労ってくれたのだろうか、と推測した花もいたくらいだったのでした。
これまでの長かった退屈を愛しても構わない、と思えたくらいの輝く笑顔で大きく手を振る偽物の太陽は、自分がとうとう笑い疲れるまで彼らの上空に留まり、時にゆっくり時にスピードを上げ、ウロチョロウロチョロ、グルグルグルグル、上昇降下を繰り返しました。地中に根を張る彼らは悲鳴を上げました。目を回し首を振ったり捻ったり、フラフラしました。目を閉じても、双葉の段から開花するまで、朝と夜は体内にしかなかったその間ずっと培ってきた陽を追う能力が発揮されてしまい、彼らに出来ることはいかさま太陽に嘆願するか罵倒するかでした。ただ勇ましい彼女は自分も酷い目にあいながら、みんなを励ましました。隣のバカは生れて初めて作り笑顔なんかでは表せられない心からの表情を剥き出し、対極にある最高の笑顔で楽しむ空の意地悪へ、それこそ誰にも負けないほどの罵声を浴びせました。
たとえば風の予兆がある夕立よりも全く突然に起こった、侮辱的で自尊心も傷ついた災厄は、多くの黄色い笑顔が(一見笑顔に見えるだけで)悲鳴で声を枯らし、心の底にあることを知らなかった類の罵倒も弱々しいつぶやきにしかならなくなり、いよいよすすり泣きの始まるころようやく終わりました。終わり方も余りに突然だったので、寒気がするほどの悔しさを覚えました。ただ、それでも彼らは「請け負う仕事」に忠実でしたから、冬になっても、いや何回冬になっても許せる気のしない迷惑な太陽の妖精が西の空へ消えた今もまだ目を回していて、そのようなことに留まらず、急激な動きを追いかけすぎた首がぽっきり折れてしまいそうな激痛に耐え、再び笑顔(もちろん作り笑顔でした)で東の空を見上げるのでした。虚しくて悲しい気持ちを偽り、笑顔を絶やすことなく太陽の寡黙を真似しながら……
一方、散々に意地悪を楽しんだ太陽の妖精は、自分が立ち去った後、彼らが受けた苦痛や屈辱、それでも放棄できない責任感への葛藤等を知ることはありません。大概の迷惑ってやつはそのような諸々が似ているものなのです。
ところで自称No1の彼は、よくも悪くも心と繋がる表情をたっぷり経験したことで前と後の笑顔はガラリ変わりました。まるで双葉から生まれ変わったかのように、今の彼は今の彼の笑顔とよく馴染んでいました。隣の勇ましい彼女が横目で見やり「あなたの笑顔は素敵よ」と初めて褒めました。