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78 最悪の夢

 気づけば俺は、見覚えのない場所に立っていた。まず視界に入るのは、地平線の先まで広がる、燃えるような夕焼けだった。

 雲は一つとして見えず、空にはただ橙色が漠然と続いている。

 不思議と、不安になってくる光景だった。


 ふと足元に違和感を覚え、下を見る。──そこには、視界いっぱいを埋め尽くすように、人骨らしきものがちりばめられていた。白いそれは何層にも重なっているようで、底が見えない。いったい何人分の骨が俺の足元に転がっているのか、見当もつかなかった。

 異常な光景に、唾を呑む。

 この不気味な場所は、地獄、なんて言葉が形容するのに一番相応しいかもしれない。



 唐突に訪れた状況に、頭を捻る。

 俺は元々どこにいて、何をしていたんだっけ。

 ……ああ、思い出せないということは、きっとこれは夢だ。夢だと分かれば、この状況にも説明がいく。見覚えのない景色と、連続しない記憶。


 でも、こんな夢は初めて見た。いつからだか悪夢しか見なくなった俺だが、その悪夢とは、つまりは過去の経験に他ならなかった。

 失敗した記憶たち。死んでしまった記憶たち。成し遂げられなかった記憶たち。それらが警告のように脳裏に浮かび、俺の心を刺激してくる。それが俺の悪夢だ。


 けれど、今見ている夢はいずれの過去とも違った。見覚えのない場所と、見覚えのないシチュエーション。

 そして何よりも、感触がある。足元にはゴツゴツとした感触があり、自分の頬をつねれば痛みが走った。


 とにかく、歩こう。俺は足元に積み上げられた人骨を踏みしめながら、あてもなく歩き始めた。


「どうして直前の記憶がない? 戦いの最中だった気はするが……」


 ブツブツと呟きながら、ゆっくりと歩く。応える人などいるはずもなかった。風すら吹かないこの場所には、俺が白骨を踏みしめる音だけが響いていた。しかし。


「……なんだ?」


 唐突に、目の前の景色には変化が訪れた。


 俺の前方に敷き詰められていた人骨が、竜巻のように巻きあがった。人の身長程度の大きさの、小さな竜巻だった。

 螺旋のように浮かび上がった人骨は、やがて意味のある形を為していく。


 頭蓋骨の下に、背骨。肋骨が付いていき、人体の形が浮かび上がる。そして、どこからともなく皮膚が構成されていき、人骨はやがて一人の人間となった。──いや、そこにいたのは、カレンだった。


 しかし、様子がおかしい。首元には大きな傷があって、そこから新鮮な血を流し続けている。


「カレン? 何をやっているんだ。治癒魔法を……」


 しかし、言葉は途中で打ち切られた。虚ろな目をしたカレンが、殺意を持って俺に襲い掛かってきたのだ。


「カレン!?」


 ひとまず彼女を組み伏せようと素手で応戦しようとした俺は、そこではたと気づいた。

 聖剣が、俺の手の中に収まっていた。それを認識すると同時に、俺の腕が意思と反して持ち上がった。まるで、聖剣を振り下ろす前動作のように。


「まっ……」


 そして、俺はカレンめがけて聖剣を振り下ろした。最悪の感触と共に、目の前にいるカレンは、血を流して倒れ伏した。倒れる直前まで、彼女の虚ろな瞳は俺を捉え続けていた。

 息絶えたカレンの幻影は、急激に分解されていった。皮膚がなくなり、内蔵が消え失せ、骨だけが残る。それもバラバラになって、足元に敷き詰められた人骨の中に紛れていった。


 ……ああ、最悪だ。守るべきものを殺すのは、何度やっても最悪の気分だ。

 しかし、今の出来事には見覚えがあった。確か、初めて吸血鬼と戦った時もこんな事があったはずだ。

 ということは、やはりこれは過去の記憶の再現。


 けれど、何かいつもの悪夢とは決定的に異なる何かを、俺はすでに感じていた。

 なんというか、この空間自体に誰かの悪意を感じるのだ。ただ自然に発生する悪夢とは根本的に違うような、そんな予感。


 そんな思考を巡らせていると、再び目の前で人骨が小規模な竜巻に巻き上げられていた。


「……今度はなんだ」


 正直見たくもなかったが、いつの間にか、俺の体は一切動かなくなっていた。後ろを向くことも、目を塞ぐこともできない。どうやら俺に身体の自由はないらしい。

 やがて、人骨が人の形を取った。その姿は、あまりにも見覚えのあるものだった。


「……オスカー?」


 もう一人の勇者。あるいは、過去の俺。黒髪黒目の少年は、暗い瞳で俺を見つめていた。


「……なるほど、今までの悪夢とは違うわけだ」


 今までが俺がオスカーとして体験した過去だったのに対して、今回の悪夢にはオスカーが登場した。

 さて、どんなことが起こるのか。少しも体を動かすことができないままで俺が見ていると、オスカーが口を開いた。


「──メメ」


 声には、溢れんばかりの憎悪が籠っていた。そして、口調からは、どこか俺ではないオスカーらしさがあった。

 俺は確信する。こいつは俺じゃなくて、俺がメメとして出会った、あのオスカーだ。


「君の記憶を全部見た」

「そうか」


 なら、口調に乗る憎悪も当然か。

 やがて、静かに言葉を紡いでいたオスカーが、感情を爆発させる。


「──どうして君は平気な顔で生きていられるんだ!? カレンを殺して、オリヴィアを殺して、数えきれない人を殺して、それでよく勇者だなんて名乗れたものだな!」


 お前が、俺を否定するのか。俺の原点である、お前が。

 誰に言われた言葉よりも、オスカーの言葉は俺に重くのしかかった。

 だって、それは俺のやってきた全ての否定に他ならない。俺自身が俺を否定するのなら、俺のやってきたことはいったいなんだったのだ。


「何が魔王を殺すためだ! 何が人類の未来のためだ! なかったことになった過去の私怨を勝手に引き摺っているだけじゃないか!」


 だからなんだ。黙れ。


「足元を見てみなよ! 見渡す限りの骨骨骨! これは君が殺した人たちの骨だ! 君のせいで死んでいった人たちの成れの果てだ! 全部全部全部、君が殺したんだ! なかったことになったからって、君の罪が消えたわけじゃない!」

「──分かってる!」

「いいや! 傲慢な君は何も分かっていない! どうしてのうのうと生きていることができるんだ! どうしてカレンやオリヴィアと何事もなかったように話すことができるんだ! 恥知らずのクソッタレ! 今すぐにでも腹を掻っ捌いて死んで詫びろ!」


 その言葉がキーとなったのだろう。聖剣を持った俺の腕が、ゆるゆると動き出す。切っ先は、自分の腹へ。ああ、比喩でもなんでもなく腹を搔っ捌いて死ねということか。しかし。


「……止まった?」


 まさに自分に刃を突き刺そうかというその直前、刃は俺の目の前で停止した。途端に、体の自由が戻った。けれど俺は、剣を下ろす気にはなれなかった。


「……自分で死を選べと、そういうことか」


 急に、選択の自由を与えられた。そのことに、俺は何か大事な意味を感じ取った。

 例えば、この悪夢が誰かの悪意によって与えらえたものだったとして、ここで俺自ら自害させることが目的であるような、そんな予感がするのだ。


 ちら、と先ほどまで凄まじい形相で俺を罵っていたオスカーを見る。彼は、先ほどまでの剣幕が嘘だったかのように、黙って俺を凝視していた。

 その目には憎悪が凝縮されていて、俺が自ら死を選ぶのを、絶対に見届けてやるという意思を感じた。


「俺が今ここで死ねば、終わるのか?」


 オスカーは、黙って頷いた。

 かつての俺なら、あっさりと一蹴できる誘いだっただろう。しかし今の俺は、少し黙って考えてしまう。


「この、敷き詰められた人骨が全部俺が殺した分だって言ったな」

「そうだよ。これは君が百年以上かけて積み上げた罪の数だよ」


 覚悟はずっと前から決まっていた。けれど、改めて見ると自分の罪の重さに震えてしまう。慣れたはずの罪悪感というやつに押し潰されそうになる。


 俺がしばらく黙っていると、目の前のオスカーが静かに口を開いた。


「少し整理しようか、臆病者。君がここで死ななければならない理由。君の罪深さについてだ。勇者としての君の罪の重さについては、さっき話したな。でも、君の失敗はそれだけじゃない。つい最近のことだ。君は、油断のためにジェーンを殺した。過去に学ばずに、油断した結果だ。しかもそれは、覆らない。取り返しがつかない」

「……そうだな。あいつが死んだのは、俺のせいだ」

「次に、君は怨霊に憑かれてるとロゼッタに言われたな」

「……そうだった、気がする」


 なぜか、そのことを思い出そうとすると、頭に靄がかかったように中途半端にしか思い出せなかった。


「その怨霊というやつが形を持ったのが、僕だ。僕は君に殺された命たちの恨みの集合体のようなものだよ。君に向けられた恨みや妬み、怨嗟、殺意は蓄積し、やがて怨霊と呼べるまでに成長した。まあ、百年も戦い続けていれば当然だね。つまり君は、たとえ世界を越えようとも君の罪からは逃れられなかったんだ」

「……もとよりそのつもりだ」

「本当にそうか? 過去の自分を教え導くなんて息巻いて、カレンやオリヴィアと仲良くして、本当に君は一秒たりとも自分の罪を忘れたことなんてないと断言できるのか?」

「それは……」

「君の魂に憑いていたものとして断言するよ。答えはNOだ。君は、自分の罪深い過去を忘れて未来に生きようとしていた」

「……」

「そして、そんな恥知らずな日々ももうおしまいだ。君の仲間たちは、君の過去を知った。君が罪人であることを知った」


 そう、だった気がする。そのことを思い出そうとすると、また思考がぼんやりとしてくる。


「君は魔王討伐を以て自分の贖罪を遂げようとしていたな。しかし、それは君の過去に報いることにはならないよ。なぜなら今君が倒そうとしてるのは、君が何十回も挑んだ魔王じゃない。ジェーンに言われただろう。今いるこの世界は、君の生きた世界とは違うんだって」


 厳粛に、最終判決を告げる裁判官のように、そいつは断言した。


「だから、君のできる贖罪は、今ここで惨めに死ぬことだけなんだ。分かっただろう?」


 不思議と言葉が胸にすんなり入ってくる。オスカーの、自分の姿をした存在に言われているからだろうか。

 俺の胸に浮かんだのは、深い深い、納得だった。

 そうか、死ぬべきなのに生きているから、こんなに苦しいんだ。生きているから、恨まれる。生きているから、罪を重ねる。だから。


「──そう、だな。俺は今ここで、死ぬべきだ」


 決意が決まると、周囲の骨たちがカタカタと音を立て始めた。風一つないこの空間で振動するその様は、まるで俺の死に喝采しているようだった。


 最期に語る言葉は自然と出てきた。


「俺の過去に、贖罪を」


 握った聖剣に力を籠めて、俺は──。


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