74 復讐者と復讐者の出会い
「貴女のような小娘に名乗った覚えはないわね。どこかで顔を合わせたかしら?」
「気にすんな。今から死ぬお前には関係ない話だ」
相対するのは、もはや見慣れた顔だった。細身の体。褐色の肌。整った顔立ち。横に伸びた耳。切れ長の目は、嗜虐的に細められている。
ロゼッタは、少し考えこむように黙り込むと、やがて得心がいったようにぽんと手を叩いた。
「ああ、見覚えがあると思ったら、隕石であの男を殺した時に一緒にいた女の子ね。生きてたんだ」
「ああ。やっぱりあの魔法はお前だったのか」
「ええ、そうよ。どうして分かったのかしら。……あら、もしかして、あの男を殺したこと、怒ってるの?」
俺の顔を伺ったロゼッタが、耳障りな高音で聞いてくる。沈黙で返すと、ロゼッタは突然笑い出した。
「アッハハハハハ! そう、そうだったの! じゃあ今ここに来たのは、さしずめ復讐のためといったところかしら? じゃあ、せっかくだから教えてあげましょう。元々殺すのは赤髪のあなたのはずだったのよ。私自身、情報の齟齬でターゲットがあなただと思っていたからね。それがあのノッポの男に邪魔されて、いやあ、任務失敗かと思って焦ったけれど、ターゲットのジェーンとかいうのはあの男の方だったらしくって、本当に助かったわよ! だからね、あなたには礼を言わないとね」
そこで言葉を切ると、ロゼッタは満面の笑みで聞いてきた。
「男に守られて気持ちよかった? 無能なお姫様」
「──貴様ァ!」
その挑発は、俺にとって聞き流すことができなかった。
「『炎よ、我が敵を燃やし尽くせ!』」
小さな火球を出して、ロゼッタに撃ちだす。それと同時に、二十歩程度の彼我の距離を詰めるべく、俺は走り出した。
「『炎よ、我が敵を燃やし尽くせ』」
ロゼッタの方からも全く同じ詠唱が聞こえてくる。生み出される火球は、俺のものとは比べ物にならないほどに大きかった。炎が交錯し、衝突する。爆音が響き渡り、爆風は俺の方へと飛んできた。
「ガッ……クソッ!」
軽い体が容易く吹き飛ばされる。地面にしたたかに打ち付けた背中が痛んだ。俺は素早く立ち上がり、ロゼッタの方へと向き直る。
しかし、追撃は訪れなかった。
「……期待外れね」
心底失望した、と言いたげに、ロゼッタは呟いた。
「勇者パーティーのメメってあなたよね? 魔王様直々に殺せって命令が来るくらいだから、もっと虐めがいのある人間が来ると思ってたんだけど、こんなひ弱そうな小娘だなんてね」
「不満か」
「ええ、もちろん。魔力は貧弱。体の丈夫さは勇者に遠く及ばず。拷問したら一時間も持たずに死んじゃいそう。期待外れで、つまらない」
ロゼッタの言葉には、徹頭徹尾失望が籠められていた。
「──ハッ。くだらないな!」
再び、地面を蹴って走る。ロゼッタは魔王軍の中でもトップクラスに魔法の扱いに長けている。距離を縮めなければ、一方的になぶり殺されるだけだ。
「アッハハハハハ! 直進しかできないのか!?」
当然、ロゼッタからは凄まじい威力の魔法が飛んでくる。正面からは砲弾のような大きさの岩石。そして左右からは同じようなサイズの火球だ。
「──舐めるなあああああ!」
お前の技なんて、何度食らって何度死んだと思ってるんだ。狙うべきは、巨大な岩石。俺は正面へと突進すると、岩石に向かって思い切り大剣を振り下ろした。
勢いづいた岩石は、俺など軽く圧殺しそうな迫力があったが、しかし強度は大したことはなかった。俺の振り下ろした刃と接触して、あっさりと真っ二つに砕ける。
──ロゼッタは、トドメを刺すのに炎を使う傾向がある。だから、岩石は張りぼてのフェイクだと信じていた。きっとコイツは、隕石の魔法を覚えられていることから俺が岩の方を警戒すると思ったのだろう。
目論見通りに魔法による迎撃の第一陣を乗り越えた俺は、全速力でロゼッタに肉薄する。
「近づけば勝てるとでも思った!?」
接近すれば当然、魔法の発動から直撃までのタイムラグはなくなる。回避は一層難しくなるだろう。
続けて発動された、放射状に広がる炎に対して、俺は素早く魔術を行使する。
「『水よ! 燃え滾る炎を清めたまえ!』」
次に炎が飛んでくるのも、予想済みだ。俺は魔術で水を出すと、前方へと広げる。消火に特化した水は、速やかに俺とロゼッタの間を隔てる炎を消し去った。
相手の戦略を知り尽くしているような俺の動きに、ロゼッタの顔が驚愕に染まる。
「──もらった!」
最後の一歩を踏み出し、突き出した剣先は、真っ直ぐにロゼッタの首筋へ。魔法の扱いはトップクラスのロゼッタだが、本人の身体能力はさほど高くない。
相手が慢心しているうちに、一撃で、決める。
しかし、俺にとっての想定外は、勇者の頃よりも少しだけ剣先が届くのが遅いことだった。最大の力を籠めて放たれた刺突は、あとわずかのところで阻まれた。
「ッ!」
詠唱すらなく瞬時に形成された薄い岩が、一瞬で俺とロゼッタを隔てる。等身大の小さな岩壁は、しかし俺の剣を弾くには十分すぎた。
予想外の障害物に、剣が弾かれる。それに伴い、俺の体勢も崩れる。──その僅かな隙は、ロゼッタが反撃するには十分すぎる時間だった。
「劣等種があああああああ!」
暗い感情の籠った声と同時に、ロゼッタの反撃が始まる。
先ほど防御のために形成された岩壁は、すぐさま攻撃のための武器となった。まるで生き物のように一瞬で形を変えた岩壁から、無数の棘がせり出してきた。勢いづいたそれは、一つ一つが俺の大剣の一撃と同じくらいの威力が籠められているようだった。
状況から不利を察した俺は、後ろに引こうとしたが、全く同じ岩壁が背後からも迫っていることに気づいた。
──その構図は、さながらアイアンメイデンと呼ばれる拷問器具のような形状だった。
「くっ……」
身を翻し、横へと飛ぶ。挟み込むように迫りくる棘が、俺の右肩のあたりを鋭く抉った。
──痛い。しかし、それどころではない。
地面へと倒れ込みながらロゼッタの方を向いた俺の目に映ったのは、視界を埋め尽くさんばかりの灼熱の炎だった。
まずい、魔術を──
「ッ『水よ──』」
「遅い! 燃え尽きろ!」
瞬間、俺の体は信じがたいほどの高熱に犯された。
「おい小娘。死んでないのだろう? 今からが私の楽しみの時間なのだから、早く起きろ」
声に起こされて、俺は自分が意識を失っていたことに気づいた。覚醒と同時に、痛みにもう一度意識を失いそうになる。焼けただれた全身が、稼働を拒んでいる。
こちらに呼びかけてきたロゼッタの声は、そう遠くなかった。気づかれない程度に顔をあげ、状況を確認する。俺の身を包んでいた、全て焼き尽くさんばかりの炎は、いつの間にか消えていた。
──まだ、動ける。
俺の体の丈夫さを、ロゼッタは見誤ったらしい。勝利を確信しているらしいロゼッタは、俺の動きを警戒する様子はない。
今は勇者という肩書きを持っていないことが、ロゼッタの慢心を生んだだろうか。
好機。けれど、俺の体の状態は決して軽傷とは言えない。高温に炙られた体は痛くない場所を探す方が難しいくらいだったし、朦朧とする意識は、油断すれば飛んでしまいそうだ。
でも、動ける。それだけで十分だ。
ロゼッタの軽い足音が少しずつ近づいてくるのを、息を殺してじっと待つ。俺はどくどくとうるさい心臓の音がロゼッタに聞こえないか心配になるほどに緊張していた。
次の一撃を決めなければ、このまま嬲られながら殺されるだけだ。そのことは、身をもって知っている。
やがて足音が、手が届きそうなほどの距離まで近寄ってきた。
「おい小娘、拷問の時間だぞ……」
「──ハアアアア!」
慢心から無防備に近寄ってきたロゼッタに、素早く大剣を突き出す。
自分の魔法の威力に自信を持っていたらしいロゼッタは、驚愕に顔を歪め、慌てて回避行動を取る。──しかし、遅い。
「あああああああ!」
剣先は胸元に深々と突き刺さり、たちまち鮮血が溢れ出した。
目を閉じ、後ろ向きに倒れていくロゼッタ。
「終わったか……?」
俺は魔法の予兆を見逃さないように、ゆっくりと倒れたロゼッタへと近づく。仰向けに倒れたロゼッタは力なく瞼を閉じていて、一見死んでいるようだった。
トドメを刺すために、俺は大剣を高々と掲げた。
ロゼッタの閉じられた右目が、不自然な光を放っていることに気づかないままに。




