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69 痛みこそ救いなり

 春になり、人類領と魔族領を隔てるエーギ山脈に積もった雪が溶ける頃のことだった。魔王軍は、昨年までの大人しさが嘘であったかのように、大規模な攻勢を仕掛けてきていた。

 現在の戦地は、秋にジェーンが魔王軍を一掃したヤカテ平原だ。だだっ広い平原には、大地を埋め尽くさんばかりの魔物が並んでいた。

 俺にとってはもはや見慣れた光景だ。



 今日も今日とて、魔物を切り裂き、魔族を魔術で狙撃し、騎士どもに目を配る。


 死が、俺の目の前にある。魔物たちが俺を殺そうと殺到してくる。時折掠める攻撃に、俺の脆い体から血が流れる。

 ──ああ、やはり俺の居場所はここにあった。この世の地獄である戦場で、俺は俺の罪への罰を受ける。痛覚だけが、俺の身を蝕み続ける罪悪感を赦してくれる。

 どうしてこんな大事なことを忘れていたのだろう。どうしてジェーンが死ぬまで思い出せなかったのだろう。


 魔物を蹴散らし、傷を受けながら戦場をひたむきに前に進んでいくと、気づけば周囲には魔物の姿しかなかった。殺気立つ魔物たちの目が俺を囲み、襲い掛かる時を今か今かと待っていた。

 孤立無援。あるいは絶対絶命。そんな言葉が今の俺には相応しいだろう。


 やがて、数えきれないほどの小柄な影が俺を囲む。その正体はゴブリンだ。魔物の中でも最弱に近いような弱い種族だが、とにかく数が多いのが厄介な種族だ。

 知能に劣るゴブリンは、目の前にいる獲物を相手に我慢できなかったらしい。取り囲んだにも関わらず、一体が、醜い雄叫びを上げながら、突出してくる。


「フンッ!」

「ギギャ!」


 手始めに、飛び掛かってきたゴブリンを斬り捨てる。勢い良く振り下ろした大剣は、ゴブリンの薄い体を容易く切り裂いた。

 まずは一体。だが、敵はまだまだたくさん襲い掛かってきている。


 息絶えたゴブリンの体を持ち上げ、火を着ける。脂の乗った体は、煌々と燃えだした。そして俺は、燃え続けるゴブリンの死体を、同族の元に投げつけてやった。

 密集するゴブリンの群れに着弾した燃焼する死体。炎はただちにゴブリンたちの体を包み、その体を伝って延焼していく。勢い良く燃え上がる炎が、ゴブリンたちの緑色の矮躯を蹂躙した。


「ギィアアアアアアアア!」


 次々と上がる悲鳴が、まるで合唱のように戦場に響き渡る。黒煙が狼煙のように戦場の一角に上がり、あたりを悪臭が漂った。


「ハハハ、臭いな。ゴブリンの丸焼き。とても食えそうにない」


 肩をすくめて言う。すると、人語を理解する頭はあったらしいゴブリンたちの瞳が、憎悪に染まった。その数も相まって、なかなかの迫力だ。

 炎に蹂躙されたとはいえ、まだまだ生き残りは多い。俺は、胸中を支配する高揚に任せて、高々と叫んだ。


「ハハッ!いいぞ、来い!」

「ギィ!」


 ゴブリンたちは、その身に似合わぬ知能を発揮し、息を合わせた攻勢を仕掛けてくる。

 正面から三体。左右に一体ずつ。さらに、息を潜めて後ろから一体迫ってきている。


「『炎よ!』」


 正面から突っ込んでくるゴブリンに、火球を放つ。一体に直撃し、その身を燃やす。先ほどの惨事を見ていたゴブリンたちの足が鈍った。


「そこだ!」


 動揺するゴブリンへと走り、素早く剣先を突き出す。確かな手ごたえ。さらに、翻り一閃。背後から迫ってきていたゴブリンが、醜い断末魔を上げた。

 切り裂いたゴブリンの体からは血と臓物が飛び出し、俺の体を濡らした。強烈な悪臭に、俺は哄笑した。


「ハハハハハ!」


 血の赤に包まれる視界に、憎悪に顔を歪ませたゴブリンたちが殺到してくるのが見える。いつの間にか数は先ほどよりも増えて、十体以上いた。その勢いは凄まじく、戦えばきっと俺は無傷では済まないだろうと予感した。


「──ああ、最高だ」


 俺は目の前の死へと向けて、一歩踏み込んだ。





「──ハッ!」

「ギギャッ!」


 頭上に掲げた大剣を振り下ろす。剣の重さを利用した一撃は、ゴブリンの脳天に直撃すると、頭蓋骨ごと脳を破壊せしめた。

 赤黒い肉片を体に浴びながら、俺は大剣を大きく振るい、血を払った。疲労した腕に走る痛みに少し顔を顰めながら、周りを素早く見渡す。


 あれほど群れていたゴブリンは、俺の周囲で骸と化していた。死骸に死骸に積み重なり、悪臭が漂っている。その異様な光景に恐れをなしたのか、他の魔物たちは近づいてくるのを躊躇しているようだった。


 死骸を踏みつけて、俺は新たな得物を探すべく、一歩を踏み出した。すると、仲間の死体を踏みつけたことに怒っているかのように、ゴブリンたちが再び押し寄せてきた。先ほどの再現のような光景に、俺は違和感を覚えた。


 ゴブリンのような知能の低い魔物は、自分よりも遥かに格上だと悟った相手に対しては、逃げ腰になるのが普通だ。野蛮な種族だからこそ、強者に対して決して立ち向かうことはせず、上官の命令を無視してでも逃亡し始める。


 違和感はそれだけではなかった。先ほどから思っていたことだったが、知能の低いゴブリンたちにしては、統率が取れすぎている。

 ただ野蛮なゴブリンを力で従えているだけではないような感覚。記憶の中から似た状況を探し出し、推察する。ゴブリンの裏にいるのは何か。


「ゴブリンロードか……」


 ゴブリンロードは、ごく一部の長い時を生きたゴブリンが成長した姿だ。ゴブリンらしからぬ知能と戦闘能力を持ち、下級のゴブリンたちの指揮を執ることができる厄介な個体だ。あれがいるなら、このゴブリンたちの息の合った攻撃にも納得がいく。


 思考を巡らしている間に、いつのの間にか囲まれていた。見渡す限りの、ゴブリンたちの敵意の籠った目。


「……ちょうどいい。どの道俺から出向くつもりだったんだ。来いよ、劣等種」

「ふざけるなよ脆弱な小娘が!仲間の仇、取らせてもらうぞ!」


 勇ましい声と共に、駆け出してくる。ゴブリンたち。……仇、か。


「──仇?それは俺の台詞だ!」


 同じ思考を抱きながら全く相いれない両者は、やがて激突する。たとえゴブリンたちが固い絆に結ばれていて、死者の無念を晴らそうとしていたとしても、それは俺には関係のないことだ。そんな葛藤は、とうの昔に切り捨てた。


 ゴブリンの粗末な短剣を身を屈めて避ける。頭上を掠めた刃先が、髪を数本切った。攻撃を終え無防備なゴブリンに、俺は低い姿勢のままで体当たりをかました。緑色の矮躯が吹き飛ぶ。俺はそれを追うことはせず、素早く振り返った。

 視界いっぱいに映る、ゴブリンの姿。十を優に越えるそれは、並みの騎士ならば死を覚悟する光景だろう。でも、俺にとってはもはや見飽きた光景だ。


「炎よ!」


 先ほども見せた詠唱をするふりをすると、俺の周りの惨状を見ていたゴブリンたちの動きが鈍る。しかし俺は魔術を発動するわけではなく、大きく飛び、弧を描きながらゴブリンたちの元へと向かう。


「魔法じゃないのか!?……クソッ、迎え撃て!」


 魔術が来ると思い、逃げようとしていたゴブリンたちは、俺の突貫への対処が遅れていた。


「ォオオオオオオ!」


 中空から振りかぶった大剣を、着地と同時に力任せに地面に叩きつける。地が震え、ゴブリンたちがふらつき、転倒する。

 隙だらけのその体を作業の如く切り裂いていく。だが、敵もやられっぱなしではなかった。


「調子に乗るなああああ!」


 態勢を立て直した小さなゴブリンが、短剣を突き出してくる。ちょうど他のゴブリンの腹を掻っ捌いている所だった俺は、それを避ける手段がなかった。


「グッ……クソがっ!」


 脇腹に突き刺さる短剣。体に異物を差し込まれたままで、俺は決死の反撃をしてきたゴブリンを殴り飛ばした。人外の力で振るわれた拳は、その矮躯を軽々と吹き飛ばした。

 これ以上の反撃を警戒して周囲を観察した後で、俺は痛みの元である短剣を引き抜いた。とたんに、傷口から血が溢れ出してきて、服を赤く染めた。……痛みの他にも体に違和感がある。じくじくという痛み。脳に靄がかかったように、考えが纏まらない。これは毒か……?


 毒物の類は、勇者だった頃の俺には全く効かなかないものだった。女神に祝福された体は、人間の作った毒程度に害されるほど柔ではなかったのだ。しかし今、俺の体は魔物の作った毒に冒されている。


「……悪くない」


 継続的に痛みに苛まれる体。奪われていく思考能力。──失敗した俺にふさわしい罰だ。


 僅かに震える両手できつく剣柄を握りしめ、俺は再び駆け出す。足元の感覚はなんだかふわふわとしていたが、俺の体は確かに目の前にある魔物の大群という死に向かって、確実に歩んでいた。


「──ああ、最高の気分だ!」


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