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68 とある新米騎士の初陣

新章です

 魔王軍の動きは、気候が穏やかになるのに合わせて本格化していた。小手調べのようだった冬の戦いからは一転、春の大攻勢が始まっていた。

 まるで魔王軍の抑止力となっていた、超大規模魔法の術者であるジェーン殿が死んだことを知っているかのような動きだった。


 騎士団、魔法使い、聖職者、それから勇者パーティーによって構成される王国軍は、冬の間に夜闇に紛れて襲ってくる狼たちを一掃した。春になり、次に侵攻してきたのは、ゴブリンを中心とした大量の魔王軍だった。



 春の穏やか日差しの下、魔物と人間の軍隊がぶつかり合い、血飛沫がそこら中で舞っていた。


「前進せよ、前進せよ!貴様らの前にいるのは脆弱な人間だけだ!どうして我々が足を止める必要があるのか!」

「怯むな、勇敢な騎士たちよ!この戦場には我らが勇者様がいらっしゃる!どうして敗北を恐れる必要があるか!」


 魔物の側からも、勇ましい檄を飛ばす声が聞こえる。数は多いが知能に劣るゴブリンのような魔物の後ろに、高度な知能を持つ魔族が控え、指揮を取っているようだ。



 しかし、今日初めて戦場に立つ新米騎士である自分にはそんな雲の上の話は関係がないだろう。

 怒号と悲鳴が入り混じる戦場のど真ん中。俺は震えそうになる手で必死に剣を握り、眼前に迫る恐ろしい魔物を見た。


 俺の方へと迫ってきているのは、一匹のゴブリン。魔王軍の中でも弱く、下等な魔物だ。しかし、今目の前に迫ってきているゴブリンは、とても弱そうには見えない。人間の腰ほどまでしかない緑色の矮躯。しかし赤い瞳は、凄まじい殺気を放っている。手に持つ短剣が鈍い光を放ち、俺を威圧しているようだった。


 あたりを見渡す。周囲の騎士たちは、自分の目の前にいる魔物の相手で忙しそうだ。誰も助けに来ない。


「ギィギィギィ!」

「……クソッ!やってやるよ!」


 ゴブリンが、怯える俺を笑うように、醜悪な声を上げる。この春から騎士になった俺にとっては、初めて相対する魔物だった。

 正直、舐めていた。厳しい訓練を乗り越えた自分ならば、ゴブリンのような低級の魔物なんて簡単に打ち倒していけると思っていた。

 しかし、初めて見た本物の殺意は、俺の体を鉛のように重くさせた。ゴブリンの赤い瞳に滾る、野蛮な憎悪と殺意。

 命の保証のあった訓練とは明らかに違う命の取り合いの気配は、俺の体を重くさせた。


「う、うおおおおおお!」


 全身にへばりつく恐怖を振り払うように、俺は雄たけびを上げながら剣を大上段に構えた。それを見たゴブリンの顔が、醜悪に笑った。


「おおおおお!」


 そして、剣を渾身の力で振り下ろす。しかし、手ごたえはなかった。


「ギィギィ!」

「なっ!?」


 ゴブリンは俺の一撃を俊敏に避けると、そのまま背後にまわってきていた。思い切り剣を振り下ろした直後の俺は、ゴブリンに対してあまりにも無力だった。

 死の予感に頭が真っ白になる。ゴブリンは聞くに堪えない醜い笑い声を上げると、俺の背中の中心めがけて短剣を突き出してきた。思考が加速し、迫りくる短剣がゆっくり見える。──死ぬ……!


「──ハアアアアア!」

「ギィ!?」


 しかし、死を覚悟した俺の目に赤髪が飛び込んできた。ビュンと風を切る音。その太刀筋は、加速した思考でも全く捉えられなかった。

 その影は、細枝でも扱うように軽々と大きな剣を振るうと、あんなに恐ろしかったゴブリンの小さな体を真っ二つにした。体の動きに追従するようにふわりと舞う赤色のポニーテールに目を奪われる。勇ましいその横顔は、驚くほどの美しさだった。


「め、メメ殿……」


 言葉が思うように出ず、ただ茫然とその名前を呟く。勇者パーティーの一員。雲の上の存在。最も狂気的な戦いをする人類最高峰の剣士の姿が、そこにあった。

 鮮烈なその姿をぼんやりと眺めていると、暗い瞳を細めた彼女が小さく呟いた。


「──ケビン」

「なぜ、俺の名を──」

「おい新兵!こんなところで何をしている!」


 俺の問いかけは、メメ殿の荒々しい言葉に遮られた。それでも自分の名前を知っていた理由について問いかけようとすると、絶対零度の黒い瞳に睨まれる。強者の放つ凄まじい威圧感に、思わず口を閉じる。


「なぜこんなに前に出てきた!早く自分の部隊に帰れ!いいな!?」

「しかし、仲間がどこにいるのかも……」

「騎士どもはあっちだ、馬鹿が!命の危機に何回も助けが来ると思うなよ!分かったらさっさといけ!」

「……はい」


 俺の返答も待たずに、メメ殿は背を向け、魔物の群れへと突っ込んでいった。少し、その背中を眺める。目で追うのも困難なほど高速で動く影が到達するたびに、魔物たちは死体へと成り果てる。それは、接触したもの全てを破壊しつくす、巨大な嵐のようだった。


「──綺麗だ」


 その背中は、いくらでも眺めていられるほどに美しかった。重力など存在しないように軽やかに舞う足も、流れる水のように滑らかに動き続ける両腕も、それを支える、柳のようにしなやかな腰まわりも。返り血に塗れ、それでも尚ギラギラと殺気を発し続けている顔も。全てが彼女の魅力を増しているようだった。


「……いかん、戻らないと」


 彼女に言いつけられたことを思い出すと、俺は自分の部隊を探して、戦場を駆け始めた。



 ◇



 戦いを終えた騎士たちが真っ先に向かう先と言えば、兵舎に存在する大浴場だ。メメ殿のおかげで初陣を生き残れた俺は、湯に浸かり、自分がまだ生きていることの喜びを噛み締めていた。

 湯の中に体を沈め、なんとなく自分の体を見下ろす。体質なのか、長い訓練を経ても体はあまり大きくならなかった。やや太い程度の足に、細い腕。正直、騎士としては及第点ギリギリだろう。まあ、田舎上がりの凡人にしてはよくやっている方だろう。


 物思いに耽っていると、俺の横に大きな影が現れた。


「おお、ケビン。お互い生きて帰ってこれて良かったな。お前が部隊から離れたどっか行っちまった時は、死んだもんだと思っていたぜ」


 大きな手のひらが軽く俺の背中を叩く。隣に腰かけ、話しかけてきたのは、同じく新米騎士、マイクだった。


「ああ、正直俺も終わったと思ったよ。でもさ、俺に女神様がほほ笑んだんだよ」

「不信心もののお前には珍しい言葉だな。何があったんだ?」

「聞いて驚くなよ。あの勇者パーティーのメメ殿が助けてくれてたんだよ!」


 浴場に軽く反響するほど声を張り上げたが、マイクの反応は薄いものだった。


「なんだ、メメ殿か……」

「なんだその反応の薄さは。雲の上の人だろ」

「いやまあそうなんだけどな。せっかくならオスカー殿なら良かったのになと思ってな。ああ、ただの平民から人類の救世主へと成り上がった十代目の勇者!平民上がりの騎士の希望だよ!」


 メメ殿の話をしたのに、なぜかマイクはオスカー殿を賞賛した。


「なんでだよ。可愛いだろ、メメ殿」

「いや、容姿がやたらいいことは認めるが。しかしあの見る者全てを敵だと思っていそうな冷たい目、正直俺は怖いぞ」


 メメ殿は、騎士の間では近づき難い人間と認識されている。勇者パーティーの仲間と話している時以外にはほとんど口を開かず、味方であるはずの騎士に向ける視線には、時折殺気すら混じっているように見える。

 そんな態度に反感を覚える騎士も少なくない。プライドの高い騎士などは、「どこの馬の骨とも分からぬ小娘が生意気だ」と言ってはばからない。


 マイクが言葉を続ける。


「頼もしいのは確かなんだけどな。強いし、周囲をよく観察してるし。実際、お前みたいにメメ殿に守られた騎士はいっぱいいる。──でもさ、彼女の戦い方、恐ろしくてたまらないと思わないか?」

「いや、綺麗だったが」


 戦場で垣間見た、彼女の戦いを思い出す。紙一重で敵の攻撃を避け、一撃で敵を沈めるその様子は、今でも鮮明に思い出せる。


「カーッ!お前もその口か!信者タイプ!」


 マイクは呆れた、とでも言いたげに、自分の額を叩いた。大きな手のひらに叩かれた皮膚が、いい音を鳴らす。


「……信者タイプ?」

「メメ殿のあの、死なんて恐ろしくもなんともないって戦い方に魅了されちまうやつのこと!」

「そんなやつがいるのか」

「いるらしいぞ。それで大抵長生きしない。あんな狂人の戦い方を真似するもんだから、みんなあっさり死んじまう。──あの英雄様は、ある意味死神だよ」


 勝手に憧れられて勝手に死なれるメメ殿も気の毒だな、なんて言葉に出さずに留める。また異常者を見る目で見られそうだったからだ。

 それに、俺は信者か、と言われるとそうではない気がする。


「いやでも、俺は別にメメ殿に憧れて死に急ぐような勇ましい人間じゃないぞ」

「本当か?」

「ああ、彼女の戦い方が綺麗だったのは確かだが、自分もああなりたいとは思わないな。正直、今日の初陣で自分の無力さは散々味わったしな」


 過酷な訓練を乗り越えた、という自信は、あの殺意漲るゴブリンと対面した時点で粉々に砕かれた。俺はきっと、戦争の主役になれるような特別な人間ではない。


「──瞳がさ、壊れそうだったんだよ」

「は?」


 戦場で言葉を交わした、その美しい顔を思い出す。燃えるような赤髪とは対照的に、黒い瞳は深い闇を湛えていた。


「メメ殿の黒々とした瞳はさ、目の前にある死をしっかり見据えていて、その上でなお、死に向かっていっている。──それが、たまらなく綺麗だったんだよ」


 つい熱くなって語ってしまって、すぐ我に返る。湯の熱さにあてられただろうか。

 マイクが胡散臭いものを見る目で見てくる。


「……何言ってんだお前」

「……何言ってんだろうな、俺。初陣のプレッシャーでおかしくなったのかもな」


 ハハハ、と誤魔化し笑いをする。それを見たマイクは、本当に大丈夫かよなどと言いながらも肩まで湯に浸かり出した。

 ……マイクがねちっこいタイプじゃなくて助かったな。正直、自分でも何言ってんのか分からなかったし。


 手で軽く湯を掬って、顔にかける。雲の上の人間にばかり気を取られるのは止めて、自分のことに集中しなければな。明日また、俺は一歩間違えば死んでしまう戦場に行くのだから。


 そんな俺の考えは、あっさりと無駄になった。



 浴場を出て、マイクと雑談しながら歩いていた俺を迎えたのは、意外な人物だった。


「め、メメ殿……?」


 見覚えのある、小さな影だった。周囲の騎士たちの目を惹く赤髪が、こちらの姿を確認すると、ずんずんと近づいてきた。誰を探しているのかと思えば、メメ殿の黒い瞳は真っすぐに俺を見つめているようだった。やがて、俺の目の前で彼女が止まる。

 平時に会うと、メメ殿の背が案外小さいことが分かった。

 慌てて、上官にするように敬礼をする。


「敬礼などいらん。俺は騎士じゃない」


 凛とした声だ。簡潔に言いたいことだけを言うその態度は、彼女の無駄を削ぎ落した剣術にも似ていた。


「ハッ。……何用でしょうか?」


 ぞんざいに手を振ったメメ殿に、問いかける。黒い瞳は、ずっと俺の目を見ていた。


「単刀直入に言おう。ケビン、お前は明日から魔法学院に通え。推薦状はもう書いた」


 小さな口から出てきたのは、想像もしていなかった言葉だった。


「は?しかし、平民出の自分には魔道の学など──」

「騎士団長から許可は取った。お前が首を縦に振れば今すぐにエリートの魔法使いの仲間入りだ。よかったな」

「いや、しかし自分は騎士として……」

「お前には才能がある。魔道を極めれば、その細腕で剣を振るうよりもずっと人を助けられる。俺が保証しよう」


 人を助けられる。その言葉に、心が大きく揺れる。それは、俺が騎士になった理由そのものだ。けれど、それだけで唯々諾々と首を縦に振るほど俺は単純じゃない。


「なぜそんなこと──」

「あいっかわらず女々しい奴だな!お前が魔法学院で成功できなかったら、俺が何だってしてやるよ!いいから行け!」

「はい」


 ふん、とメメ殿は軽く鼻を鳴らすと、スタスタと去っていった。呆然と眺める騎士たちの目線など、気にも留めていない。こちらの事情など斟酌することもなく、ただ言いたいことだけ言って去っていった。まるで嵐のようだった。


「なあケビン、本当にあの英雄様がいいのか?」


 マイクの呆れたような問いかけ。もちろん、答えは決まっている。


「なんでも!してくれるって!」

「何期待してんだ馬鹿!」


 マイクの太い腕が俺の頭を叩き、いい音を鳴らした。



 ◇



 メメ殿と出会ったその日、俺は不思議な夢を見た。


 そこは戦場の一角のようだった。曇天の下の崖上にいる俺からは、眼下に広がる命の取り合いを一望できる。吹き付ける風の音にも負けず、怒号と慟哭がここまで聞こえてきた。


 なぜか魔法使いのようなローブを羽織った俺は、オスカー殿の背中を見ていた。戦場を眺めていた彼が振り返り、黒い瞳が俺を捉えた。

 目があった瞬間、不思議な確信があった。──これは、オスカー殿ではない。メメ殿の目だ。ボロボロで、壊れそうで、でもひたむきに前を向こうとしている、今にもバラバラになりそうな黒曜石。


「ケビン、捉えられたか?」

「ああ、黒髪の女、凄まじい魔力を持つ魔族。あれだろうな。捉えたぞ、魔王の姿」

「そうか。流石、遠見と探索の魔術だけはオリヴィアをも凌ぐ天才なだけあるな」

「だけは余計だ。それに、比較対象が我が校の主席様じゃあ俺なんて未熟者の魔術師だよ」


 軽口を叩く俺は、親し気にオスカー殿の姿をしたメメ殿と話していた。

 夢を見る俺に、ぼんやりとした記憶が流れ込んでくる。魔法学院での仲間たちとの研鑽。彼との競争。そして、戦地で散っていく同級生たち。


「本当に、あのヤバそうな魔王のところで突っ込むのか?」

「ああ。王国の騎士団は崩壊寸前。他国もこの期に及んで人間同士で争っている愚鈍さだ。いや、それも魔王の策略だったのかもしれないがな。──とにかく、もう俺がやるしかないってことさ」


 やるしかない、と勇ましく事を言う彼は、しかしその手を小刻みに震わせていた。

 俺は、そんな彼の背中を勢いよく叩いた。


「イッタ!何しやがるケビン!」


 憤慨しながら振り返る彼に、静かに語り掛ける。


「人類が滅ぶとしたら、それはきっとみんなが愚かだったからだ。だから、お前が背負う必要なんてねえよ、勇者様」

「──それでも、俺は勇者だ。人類の希望だ」


 頑なな彼の瞳は、自分が全てを背負っているのだと言っているようだった。


「……重症だなあ。何がお前をそうさせたんだ?」

「さあな。ほら、お前はさっさと下がれ。俺はあの魔王の首を獲って帰ってくる」

「馬鹿言うなよ。ここでお前と一緒に死ななかったら、俺はいつ死ねばいいんだ?」


 俺の言葉に、彼は目を見開いた。その瞳に、葛藤が生まれ、やがてそれは諦観へと変わった。


「……感謝はしないぞ」

「いらねえよ。俺の魔術を合図に突っ込む。いいな?」

「ああ」


 俺は彼と拳をぶつけ合うと、崖下へと身を躍らせた。


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