IF メメのバッドエンド 貴女は私の特別
本編とは違う、もしもの話です
「ジェーンは!?」
「……亡くなったよ」
オスカーの言葉を聞いた途端、自分の体の力が抜けるのが分かった。思うように動けず、満身創痍の体を床に横たえる。
ただ負傷していて体が限界を迎えたというだけではない、何か自分の中にある大事な力が抜けていくような、決定的で致命的な感覚。しかしその喪失に抗うことすらできなかった俺は、ただ力なく瞼を閉ざすことしかできなかった。
◇
私がメメさんのお見舞いに行けたのは、あの戦いの日から五日経った時のことだった。
狼たちとの決戦で、今までにないほどの重症を負い、未だに安静にしているというメメさん。彼女が今どんな風に過ごしているのかを聞くと、カレンさんは、力なく首を横に振り、オスカーさんは悲し気に笑っていた。そんな仲間たちの態度に、悪い予感はしていた。
一度立ち止まり、深呼吸。病室のドアを開ける。メメさんはベッドから上体を起こして窓から空を見上げているようだった。昼下がりの太陽が、真上からメメさんを照らしていた。
振り向き、私の姿を認めたメメさんは、目だけで私にベッドの隣の椅子に座るように促してきた。私に対して丁寧な態度をあまり崩さない彼女らしからぬ行動に少しの違和感を覚えながら、メメさんの傍らに腰を下ろす。静かに私を見つめた彼女は、問われるまでもなく自分の状況について語ってくれた。
「……もう戦えない、ですの?」
「ああ、腕力も魔力もすっかりなくなっちゃってさ。年頃の娘となんら変わらなくなっちゃったよ」
力なく笑うメメさんの目には、深い諦観が沈殿しているようだった。彼女を突き動かしていた何かが尽きたように、その体には覇気がなく、ともすればこのまま消えてしまいそうだった。
メメさんの体の状態は思っていたよりもずっと悪いようだった。信じがたいことに、彼女はその規格外の身体能力、それと魔力をすっかり失ってしまったらしい。
その影響で、入院期間も今までの負傷以上に延びている。メメさんが今まで何度も重症を負ってもすぐに戦いに出れるほどに回復していたのは、その体の凄まじい自己治癒力が大きな働きをしていた。今回はそれがない。
カレンさんは相当に腕の良い治癒魔法術者だが、治療には手間取っているという。メメさんの腹部の火傷跡は、一生残るのだそうだ。
「でもさ、この火傷跡は、なくならなくて良かったんだよ」
メメさんが入院着を捲り、見るからに痛々しい火傷跡を私に見せながら、彼女は暗い表情で言った。
「きっとこれは、俺がジェーンを殺してしまった罪人であることを証明する烙印みたいなものなんだよ。──俺があいつを忘れないための目印、と言ってもいい」
そう言うメメさんは自分の中で完全にそれを確信しているらしく、私はその独白に口を挟むことができなかった。きっと、その言葉に口を挟めるのはもう死んでしまった彼だけだ。
病室に重い沈黙が降りる。私はかける言葉を思いつかず、ただメメさんの暗い顔を見ることしかできなかった。
再び、彼女が口を開く。
「本当、何もできなくなったんだ。今まで必死になってできるようになったこと、全部だ」
ぽつりと、消え入りそうな声で彼女は呟いた。
「剣術だって、最初はまるで素人だったんだ。それでも、実戦を繰り返すたびに少しずつ上達していった。俺の剣は、オリヴィアが想像するよりもずっと長い期間でようやく身に付いたものなんだよ。それが今では何の役にも立たない。それから、オリヴィアとは魔術についていっぱい話しただろう?あれもそうだ。俺の魔力はすっかり消え失せて、今じゃ火の一つも起こせやしない。──必死に努力して、俺の魔術の先生に誇れるほどの腕になったっていうのにな」
魔術の先生、と言いながら、彼女は私を見ていた。その顔はひどく悲しそうで、見ていられなかった。
私が目を逸らすと、彼女は目線を窓の外へとやった。その目はどこか遠くを見ていた。そのまま、ぽつりと呟く。
「……俺、どうしてまだ生きているんだろうな」
──その言葉を聞いた瞬間、私はほとんど無意識に彼女を抱きしめていた。華奢な体を包み込むように、きつくきつく、抱きしめる。腕の中の彼女は、かつてないほど小さかった。
「どうして……そんなことを言うんですの……?」
「オリヴィア……俺はもう、君に心配してもらうような人間じゃないんだよ。勇者パーティーの一員になれるような特別な人間じゃない。立派な君なんかとは、もう関わる価値なんてない人間なんだよ」
そう言ってメメさんは笑顔を作るように顔を歪ませた。心からそう思っていることが分かる、切実な声だった。
「……勇者パーティーの一員になれるような特別な人間であることが、そんなに重要ですの?」
「ああ、俺の悲願のためにも、重要だったんだ。もう、それは叶わないけどな」
「私と関わるのに、価値を地位もいりません。どんな貴女でも、私は変わらずお付き合いできます」
「でも、俺は特別なんかじゃ──」
「──!」
思わず、立ち上がってしまった。私を見上げるメメさんの瞳は、わずかに潤んでいるようにも見えた。ああ、本当に、彼女らしくもない。
自分が言うべき言葉を、言いたい言葉を、瞬時に考える。弱っている彼女に、自分の言葉を伝えるのは正直怖い。もしこれで拒絶されたらと思うと、不安で胸がいっぱいになる。
それでも、言わなければ。私の特別な貴女を、貴女に否定させたままにはさせないために。
彼女の黒い瞳をしっかり見据えて、私は言葉を紡ぐ。
「いいですかメメさん。貴女がどんな人間であろうとも、私にとっての特別は貴女なのです!」
彼女が目を見開いて私を見ている。その瞳には、今まで見たことないほどの複雑な感情が渦巻いているようだった。そう。どこか遠くを見ないで。私を、今ここにいる私を見てくださいませ。
「貴女に自覚はないかもしれませんが、公爵令嬢という特別な人間である私を、ただの、1人の人間である私として見てくれたのは貴女が初めてですの!それに!私の大切に思う貴女を大切にしてほしいと、以前も申し上げましたわよね!?あの気持ちは今だって変わっておりません!」
「でも俺は、もう何もできなくて──」
「いいえ、そんなことありません!確かに貴方は、多くを失い、色々なことができなくなったのでしょう。──それでも、私はそばに居て欲しいのです!」
私の言葉に、メメさん顔を上げる。面白いほどに驚愕に満ちた顔だった。
「……今の俺じゃ、君に釣り合わないよ」
「私に釣り合うのが誰なのかなんて、私が決めます。誰にも、貴女自身にだって文句を言うのは許しません」
「今の俺じゃ君に何もしてあげられないよ」
「何かしてほしいのではなく、私の傍に居て欲しいのです」
「迷惑をかけるかもしれない」
「貴女の言う迷惑程度、問題ありません」
「でも──」
「もう!男らしくて勇ましくて、でも可愛らしい貴女はいったいどこに行ってしまったんですの?」
私は手を広げて、彼女の頬を両側から抑えた。私に押さえつけられるあまりタコのようにすぼめられた彼女の唇が、何か言おうともにょもよと動く。
彼女の反論を物理的に抑え込んだまま、私は言いたいことを言うことにした。
「──だから、私と一緒に生きてくださいませんか?」
その言葉を伝えた途端、メメさんの目から一筋の涙が流れた。透明なそれはツツ、と真っすぐ頬を伝った。
「俺、生きていてもいいのかな?」
「当然です。たとえ世界すべてが貴女を否定したとしても、私が貴女を肯定しましょう」
「そっか。……ありがとな」
メメさんは私の胸に顔を押し付けると、静かに泣き始めた。
それは、私の初めて見るメメさんの無防備な姿だった。
◇
長かった冬が終わり、王国にも春が来た。季節が変われども、私たち勇者パーティーのやることは変わらず、魔王軍と戦い続けていた。
「ハアアアアア!」
迫りくる魔族たちを相手に一歩も引かず、オスカーさんが最前線で聖剣を振るう。黄金色の刃が躍るたび、魔物や魔族が命を散らしていく。──しかし、少し劣勢だろうか。
「オスカーさん、援護を!『氷よ、我が敵を穿て!』」
「ありがとうオリヴィア!」
ジェーンさんとメメさんが勇者パーティーからいなくなってから、オスカーさんは一層逞しく、頼もしくなっていた。剣の腕はかつてのメメさんを既に越しているように見える。私に教わっている魔術の習熟も順調だ。
彼なりに、仲間を死なせてしまったことに思うところがあったのだろう。身長もぐっと伸びた彼は、かつてのメメさんと同じくらい頼もしかった。
「騎士の皆さん、力を貸してください!一気に攻め落とします!」
「おう!」
後ろに控える騎士たちに勇ましく呼びかけるその姿は、まさしく人類の希望である勇者といったところか。
勇者の獅子奮迅の働きもあり、今日の合戦はあっさりと魔族軍が退き、私たちの勝利となった。
夕日に照らされながら、自分の宿の部屋へと向かう。体は疲れていたが、彼女にまた会えると思うと、足は自然と早くなった。
素早くドアを引き、部屋へと入る。中にいたのは、メイド服を着たメメさんだった。
「おかえりなさい、オリヴィア」
メメさんが優雅にお辞儀をする。……上位貴族の接待もできそうなほどの綺麗な仕草だ。仕込んだ私も鼻が高い。
「ただいま戻りました、メメさん」
「紅茶を入れる準備はできてるぞ」
「お願いいたします」
小さく頷いた彼女は、手慣れた様子で紅茶を入れはじめた。部屋に紅茶の香ばしい匂いが立ちはじめる頃、彼女が目線を下にやったままで話しかけてくる。
「……しかしオリヴィア、何も俺がメイド服を着る必要はないんじゃないか?」
「雰囲気作りだと申したでしょう。私が社交界に復帰したら、貴女にはその恰好で付き従ってもらうのですから。それに、良く似合っていますわよ。男が見たら放っておかないくらい」
「そんな馬鹿な男いないだろう」
はは、とまるで私が冗談を言ったかのように、彼女は笑った。
……相変わらず、警戒心が欠落している。かつての彼女なら襲い来る男など一蹴できただろうが、今の彼女は見た目通りの可憐で非力な少女だ。私が守らなくては……。
「できたぞ、お嬢様」
ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、紅茶の入ったカップを音を立てないように丁寧にソーサーに置く。ふんわりと漂ってきた紅茶の香りが、私の気持ちを落ち着かせた。やはり、メメさんと一緒にいる時間が、私は一番好きだ。
礼を言おうかとメメさんを見上げる。すると、ちょうどその後ろにある夕日が目に入り、逆光で彼女の顔が見えなくなった。
私は問いかける。
「──メメさん、貴女は今、幸せですか?」
「ああ、オリヴィアと一緒にいれて、俺は幸せだよ」
相変わらず夕日が眩しくて、彼女の顔は良く見えなかった。それでも、その口元が笑っているのはよくわかった。
「私も、貴女と居られて幸せです」
無力になり、悲願を遂げられず、仲間を死なせ、それでも満面の笑みで「俺は幸せだ」と言えるのか。答えは彼女の胸の中に




