IF メメのハッピーエンド ジェーンと共に
本編とは違う、もしもの世界線の話です
人類の宿敵である魔王は倒された。長かった戦争は終わったのだ。勇者パーティーは、誰一人欠けることなくその責務を全うした。
王都への凱旋を果たした勇者パーティーは、今は各々が新しい仕事に就いている。けれど、交流がなくなったわけでもなく、今でも定期的に大衆食堂に集まるような仲だ。
さて、魔王軍との戦いが終わっても、人間による魔道の探求は続く。それは同じ人間との小競り合いのためであったり、百年後に再び現れるだろう魔王の討伐のためであったり、あるいは日々の暮らしを少し便利にするためであったりと、目的は多岐にわたる。
王国における魔道の探求、その最前線と言えば王都の魔法学院だ。この学院には、魔王討伐以降ある変化が起きていた。魔王軍との戦いが終わったにも関わらず、生徒数が以前よりも増えているのだ。
元々、貴族子女以外の入学は難しい魔法学院は、入学者も限られていた。入学試験の突破が、普通の平民にはあまりに困難だったのだ。
読み書きと高度な専門知識を必要とする筆記試験。魔法の実技は、入学前から魔法の指導を受けていなければ合格は絶望的だ。
しかし、そんな血統主義的な学院も無視できない出来事があった。最近ようやく終結した魔王軍との戦いで、伝統に囚われない平民の魔法、実戦魔術の優秀さが証明されたのだ。
古典的な詠唱に囚われない柔軟性。固定観念を壊すような大胆な魔力の行使。実戦魔術の優秀さは、勇者パーティーのメンバーがそれを使いこなしていたことで注目されだした。
さらにその後、学院では日陰者として低俗とされていた実戦魔術を学んでいた平民出身の生徒たちが戦場で活躍しだすと、魔法教育の最前線を自負する王都魔法学院としては、教育方針について考え直さざるを得なかった。
加えて、勇者パーティーの一員という肩書きを引っさげたオリヴィアが、なんと魔法学院の理事長に就任。血筋に囚われない教育の実施を後押しした。
時代の流れ、それから柔らかい頭を持った理事長の就任によって、伝統を重んじていた魔法学院は、生徒の採用方針を変更。読み書きや魔法の基礎教育などの教養の不十分な平民でも入学できるような入試制度が採用された。
その結果、平民出身の少年少女を中心に生徒数は急激に増加した。平民として生まれたがゆえに生まれ持った魔力を腐らせていた彼らは、自分たちの持った才能を活かすべく、必死に勉学に励んでいる。
貴族子女ばかりだったかつての魔法学院とは違い、さまざまな場所から集った生徒たちの集う学院は、賑やかな喧騒に包まれていた。上品な言葉ばかりが交わされる静かな空間だった頃とは大違いだ。
頭の固い貴族であれば、伝統ある魔法学院に相応しくない光景だ、と眉を顰めたかもしれない。
けれど俺は、この騒がしい学院が好きだった。
教壇に立ち、真剣な表情をして俺の話を聞く生徒たちに語り掛ける。実戦魔術のA組の教室は今日も満席だ。もう授業にも慣れたもので、話すべき内容はすらすらと出てくる。
「──というわけで、魔術は魔法に対して詠唱が短く、消費魔力が少ないという点で圧倒的に有利だ。逆に、魔法は準備時間と魔力を余計に食う分その効果は魔術を凌ぐ。だからな、最近巷で聞く魔法と魔術の最強論争は不毛とも言える。優れた点が違うんだよ。もしお前らがその論争をしたいのなら、まずはオリヴィア理事長みたいに両方を極めてから物を言うんだぞ。……ああ、終わりか」
王都魔法学院に、今日の授業の終わりを伝える鐘が鳴る。俺は、生徒たちに課題を告げると、職員室へと向かうべく廊下に出た。
少しすると、廊下は賑やかな生徒たちで埋め尽くされた。廊下が狭く感じてしまうほどの生徒の多さだ。
魔王討伐の後、戦争中に実戦魔術を使いだした第一人者として、俺は魔法学院の教師となった。懐かしい教室に今は教師として配属されている。なんだか現実感がなくて、未だに夢でも見ているような気分だ。
「お、メメ先生! さよなら!」
「おお、さようなら。気を付けて帰れよ」
「あ、先生いたのか。小っちゃすぎて気づかなかった!」
「やかましいわ!」
挨拶を返しながら、生徒だらけの廊下を歩く。結局身長は全然伸びなかった俺は、自分よりも背の高い生徒の群れに潜り込むようにして前へと進んでいた。
すると、突然目の前に大きな影が立ちはだかる。
「メメさん、お疲れ様です」
「お、ジェーンか。お疲れ」
挨拶を済ませると、ノッポな背中が俺の前でくるりと回り、職員室の方へと歩き出す。その後ろに付いて歩くと、先ほどまでよりもずっと歩きやすくなった。
ジェーンは、扱う魔法の特異性が認められ、俺と同じように魔法学院に教師として雇われていた。今では俺とコイツの関係性は職場の同僚となっている。
前を向いたまま、ジェーンが話し始める。
「メメさんは相変わらず生徒の人気者ですね。羨ましいです」
「人気者っていうか舐められてるだけな気がするけどな。……全く、誰かさんがこんなちんまりした体にしてくれたせいだぞ」
「いやあ、その姿の方が、元の修羅みたいな風貌よりずっと接しやすくていいと思いますがね」
一理ある。しかしそれを認めるのも癪だったので、話題を変える。
「そういうお前は、とっつきにくい風貌のわりに人気者だよな。自由参加の講義、いつも満席だろ?」
「ああ、あれは私が人気というよりも講義内容が目新しいのでしょう。千年前の魔法のことなんて、私以外教えられないでしょうから」
ジェーンの伝える古代魔法の全容は、魔法学院に賞賛と共に受け入れられた。現代の伝統魔法の源流とでも言うべき、原初の魔法。伝統魔法を研究する学者たちは鼻息荒く彼の元を訪れ、今では彼の講義を最前列で聞いている。
そんな彼の大きな背中を見ていると、ふと生徒に聞いた話を思い出した。
「そういえばこの前生徒に聞いたぞ。女子生徒に告白されたんだって? やるじゃん、色男」
「まあ、そうですね。……正直、困るのですがね」
ジェーンの声音に、少し感情が籠った。
「おお? なんだ色男。自慢か?」
「いえ」
人混みをスラスラと進んでいた彼が、突如として立ち止まり振り返った。少し遅れて立ち止まった俺は、少し上にあるジェーンの顔を見上げる。
「私が貴女以外に惹かれる未来が見えないので」
気障なセリフを吐く彼は、相変わらずの無表情に見えた。でも、よく見ると口角が少し上がっているようにも見える。
「……三十点だな。顔が微妙」
冗談めかして言ってやる。俺の言葉を聞いた彼の表情には、あまり変化がなかった。何事もなかったかのように、彼はまた前を向いて歩きだした。
しかし、その背中は少し曲がっているようにも見えた。
「メメさんは男に厳しいですねえ。そんなんじゃ結婚できませんよ?」
「ほっとけ。というか俺が結婚できるわけねえだろ」
「いやあ、未来は分からないですよ。魂の在り方は体に引っ張られるものです。いつか心まで乙女になるかもしれません」
怖いことを言う。相変わらず、ジェーンの言葉には抑揚がなく冗談なのか本気なのかよくわからない。でも、さっきの告白紛いの言葉は冗談ではなかったらしい、ということは長い付き合いの俺には分かった。
「まあ、少なくとも今はこの関係で満足ですよ」
今までの会話で一番感情の籠った声だった。きっと本心なのだろう。
「勇者パーティーの誰一人欠けずに魔王討伐を達成して、メメさんが傷つくことがなかった。私とメメさんは、同僚の教師としてそれなりに仲良くやれている。それだけでも十分なくらいです」
「……そうだな」
「だから、多分私は今、幸せなのでしょう」
ジェーンは、喧騒に溢れた廊下でしみじみと呟いた。




