表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/107

62 勇者の戦い方

 僕がメメに教わったことは多くある。剣の振り方、魔術の使い方、戦場での立ち振る舞い、心の持ち方。彼女の知識は多岐にわたり、未熟な僕を導いてくれた。その中でも印象に残っているのは、戦いへの考え方だ。


「いいか、オスカー。お前は強くなった。剣の腕はそこらの騎士には負けないだろう。魔術の腕だって、勉強を始めて一年も経っていないとは思えないほどだ。でもな、オスカー。だからこそ、お前は戦いに飲まれちゃダメだ。戦いに、殺しにロマンや悦楽を求めるな。戦いは娯楽じゃない。俺たちはやりたいからじゃなく、必要だから殺すんだ」

 その言葉は、不思議とどの教えよりもずっと僕の頭にすんなりと入って来た。初めて戦いに赴いた時からずっと感じていた戦いへの忌避感。それを肯定してくれるような考え方が、僕は好きだった。





 勇ましい遠吠えが冬の晴れ空に響いた。いつもと変わらず、怒涛の勢いで攻めてくる狼たち。それに対処する騎士たちも、もう流石に手慣れた様子だ。綺麗に隊列を組んで、一体一体倒している。

 しかし、いくら騎士たちの動きが洗練されてきているとはいえ、犠牲はゼロでは済まない。


「──ロビン!クソッ、1人持っていかれた!」


 声に振り替えると、1人の騎士が狼に足を噛まれ敵陣に引きずり込まれる所だった。人間1人引きずっているにも関わらず魔物の動きは素早く、あっという間に姿が見えなくなる。


「ダメだ、アイツは諦めろ!」

「しかし──」


 騎士たちの間に狼狽が走る。そこにいる人間たちは決断を迫られていた。仲間を見捨てるか否か。

 しかし、連れ去られた彼を助けに行くには、北側、敵陣のど真ん中に突っ込んでいく必要がある。あまりにも無謀。きっと、見捨てるという判断が正しい。誰も口にはしなかったが、騎士たちはそう予感していた。

 ──しかしそれは、ここに凡人しかいなかった場合だ。


「僕が、行きます」


 女神の加護を受けた勇者の体なら、救出は決して不可能ではない。深呼吸を一つして、気持ちを落ち着ける。大丈夫、僕ならできる。聖剣を振るい狼たちを蹴散らすと、僕は敵陣のただ中へと走った。



 進むべき道は、血の跡が教えてくれた。どうやら連れ去られた騎士は、足を噛まれ決して浅くない傷を負っているらしい。赤の示す道を、ひたすら走る。時折狼たちが飛び出してきたが、僕は足を止めずにそれらを斬り捨てた。

 やがて赤い線を追って辿り着いたのは、森の中だった。人間の居住地からやや離れたそこは、人の手が行き届いておらず、木々から枝葉が好き勝手に伸びて道を塞いでいた。


 視界が悪くなったので、走るスピードを少し緩め、周囲への警戒を強める。生い茂る枝葉を掻き分けて、血の匂いの元へと走る。どんどんと強くなってくる血の匂いは、連れ去られた彼の負傷の深刻さを物語っていた。急がなければ。


 走りながら、迫ってくる枝を払いのける。野生そのままの森は、いくら勇者といえど走りづらい。枝が顔を叩き、木の根に転びそうになる。


 足元と前方の両方に気を取られていた僕は、それの接近に気づくのが遅れてしまった。


「ハッ!」

「──なっ!?くっ……」


 突如、正面の木の陰から飛び出してきた腕を、何とか避ける。鈍い痛みが走り、頬のあたりに切り傷ができる。振り返り、足を止めて剣を構える。すると通り過ぎた木の陰から、殺気立った人型の影が出てきた。──気づかなかった。


「なかなかいい勘をしているではないか。少しは期待してもいいか?」


 その影は、二足歩行の人型のフォルムをしていた。しなやかな全身は体毛に覆われ、獣じみた印象を受ける。そして狼の顔面にも似た顔は、獲物を狩る肉食動物のような鋭い光を灯していた。ワーウルフ。メメに聞いた特徴通りの魔物が、目の前に立っていた。


「騎士の人は……」

「弱者の心配か?残念ながら手遅れだったな」


 ワーウルフが視線を斜め後ろへと向けた。その先を見ると、狼が騎士の甲冑を剥ぎ、中身の肉体を食らっているところだった。首筋からは血がとめどなく溢れていて、彼がもう手遅れであることを示していた。

 ──間に合わなかった。落胆はひとまず飲み込み、自分の目の前に立っている魔物に意識を集中させる。


「……せめて、仇くらいは取らせてもらいますよ」


 聖剣を構え直すと、ワーウルフは獰猛に笑った。どのみち、目の前のこの魔物を倒さないと、僕はこの場を去ることはできそうになかった。相対しているだけでビリビリと伝わってくるプレッシャー。背中など向ければ、一瞬のうちに首を刈り取られてしまいそうだ。


「ゆくぞ!」


 地を蹴ったワーウルフは、一瞬にして僕の目の前に来て爪を振り上げていた。聖剣を上にかざし、衝撃に備える。爪が聖剣に当たる。重い一撃は刃に弾かれ、甲高い音が鳴った。ワーウルフが態勢を崩す。


「ハアアア!」


 逆襲の好機。聖剣を振り下ろすのは間に合わないと判断した僕は、腹部めがけて右足を振り上げた。──当たった。しかし手ごたえがない。

 僕のハイキックを見たワーウルフは、素早く後ろへと下がっていった。足場が悪いにも関わらず、その足取りには隙がない。追撃の機会を見失う。視線を鋭くこちらに向けたまま、ワーウルフが口を開く。


「──良い動きだ。まだ荒いが、確かな研鑽を感じる」

「……戦っている間におしゃべりなんて、随分余裕ですね」


 彼の言葉からは、こちらに対する敬意のようなものが窺えた。魔物が人間に向けるにはあまりに不自然な感情。


「余裕?違うな。──嬉しいんだよ。俺の積み上げた武を披露する機会が、今ここに最高の形で現れた。……我々の交戦はまだ禁止されているが、不意の遭遇だ。クヴァルの奴も文句は言えまい」


 1人興奮したようにブツブツ呟くワーウルフは、突如こちらに向き直った。


「貴様、名をなんと言う」

「……オスカー」

「よろしい!俺の名はカクサル。勇者を倒し歴史に名を刻む俺の名前、よく覚えておけよ」


 ニヤリと笑うカクサルの口元から、鋭い犬歯が覗いた。



「先手はもらうぞ、今代の勇者!」


 野性味のある突撃を仕掛けてきたのは、またもやカクサルの方からだった。しかし、先ほどのような単調な攻撃は仕掛けてこない。カクサルはその身をかがめたかと思うと、四足歩行のような体勢で突っ込んできた。


「その動きは、狼たちで散々見ましたよ……!」


 突撃に対して、素早く横に躱して、剣を突き出す。狼型の魔物はだいたいこれで対処できた。

 しかし、ワーウルフのカクサルはひと味違った。直線に走っていた体は、突如僕の方へと急カーブしてきた。


「なっ──」


 衝撃。低姿勢のカクサルに、足を掴まれる。鋭い爪が皮膚に食い込み、痛みが走った。僕の決して軽くないはずの体が持ち上げられる。僕を持ち上げたまま、カクサルは走り、手近な木に思いっきりぶつけてきた。


 先ほどの比ではない衝撃が背中に走った。呼吸が止まり、視界がチカチカと点滅する。

 拘束を解かれた僕は、体に力が入らずその場に座り込む。

 大きなダメージに呻く僕の上体に、カクサルが両手を伸ばしてきた。その手先には鋭い爪があり、僕の首くらい簡単に切り裂けそうだ。

 眩む視界でなんとかそれを捉えた僕は、その毛むくじゃらの腕を掴む。


「ほう、しぶといなオスカー」

「体の頑丈さは僕の数少ない取り柄なので……!」


 なんとか、強がりを言う。そうだ。この体の性能だけなら、あのメメにすら勝ちうる。未熟者の僕が胸を張って誇れる数少ない強みだ。彼女がどれだけ血に塗れようとも笑っているのなら、僕がこの程度でくたばってたまるか。

 腕を握りつぶすつもりで、手に力を籠める。カクサルは掴んだ手を振りほどき僕の首に手をかけようと力を籠めてきている。


 純粋な腕力勝負。膠着状態が数秒続く。


「……ッ!」


 腕の痛みに僅かに身じろぎしたのは、カクサルの方だった。一瞬力が緩んだのを見逃さず、腕を押し返す。形勢逆転。体勢の崩れたカクサルに、すかさず座ったままで足払いをかける。

 バランスを崩したカクサルは無防備な体を僕に晒していた。すかさず、足元に転がる聖剣を拾い上げ、胸の中央めがけて突き出す。──獲った!


「……まだだ!」


 しかし、そこからのカクサルの動きは僕の想像を超えてきた。カクサルが右腕を突き出してくる。僕はその腕ごと胸を突き刺そうとした。しかし、右腕に接触した聖剣は、それを貫くことはなく、不自然に軌道を逸らした。


「ッ!?」


 軌道の逸れた聖剣は、カクサルの右肩を切り裂くにとどまった。今のは……武術……?魔物が扱うにはあまりに不釣り合いな技。負傷して少し下がったカクサルは見たか、と得意げに笑った。


「我らが人狼戦闘術の真髄を見たか?貴様のように力任せで我らを圧倒するような化け物を相手取るための技だ」


 興奮気味に語るカクサルは本当に楽し気で、心の底から戦いの技術を披露できることを喜んでいるようだった。


 ああ、やっぱりそうか。カクサル楽しそうな様子を見ていると、自分の心が冷え込んでいくのを感じた。


「……理解できない」

「何?」

「いえ。ただ、あなたの楽しい時間はもう終わりにしましょう」


 聖剣を握りしめる。あまり決着を長引かせると敵の増援が来るかもしれない。だから今ここで終わらせるのは、きっと合理的判断だ。

 積極的に攻撃を仕掛けてきていた先ほどまでなら、詠唱する隙もなかった。しかし、今なら。カクサルは手傷を負い、僕の出方を窺っている。彼我の距離は十歩程度か。おそらく、足りる。口を開く。今度は無駄口を叩くためではなく、この戦いを終わらせるために。


「『天におわす我らの女神にお願い奉る。正義たるユースティティアの権限をこの剣に宿し、地に蔓延る悪を──』」

「な、なにを!?やめろ!」


 カクサルが詠唱に慌ててこちらに駆けてくる。しかし、その俊敏な動きを以てしても間に合いそうになかった。


「『──聖剣よ、我が前に立ちはだかる魔を裁き給え』」


 聖剣が、その輝きを増していく。人の世に落とされた神の道具は、今ここに本来の権能を取り戻そうとした。

 この世のものとは思えないほどの神々しい光が、目の前に迫って来たカクサルを照らす。やがて、得物の交錯する距離まで近づく。僕は、眩い光を放つ聖剣を、真っすぐに振り下ろした。


「おおおおお!──なっ!?」


 カクサルが先ほどと同じように聖剣に右腕を突き出してきた。しかし、逸らせない。権能を解放した聖剣は、あらゆる魔物を断つ。それはもはや地上の生き物には抗うことのできない、神の御業だった。


 手始めに、正義の剣は小細工などものともせずに、カクサルの右腕を両断した。抵抗はほとんどなく、バターでも切っているようだった。

 研鑽を積み重ねた技があっさりと打ち破られたカクサルの顔が驚愕に染まる。そのまま、光り輝く刃は顔面を真っ二つにした。致命傷を負ったカクサルの体が、力なく倒れる。顔面の破壊は、いくら屈強なワーウルフといえど耐えられなかったらしい。


 死に際のカクサルの口がパクパクと動く。卑怯者。そう言っているようだった。


「卑怯……?──命の取り合いに卑怯も高潔もあるものか!」


 絶叫は、僕以外に誰もいない森に虚しく響いた。騎士を連れ去った狼は、いつの間にかどこかに逃げ去ったらしい。

 叫んだところで、僕の胸の内にあるモヤモヤとした感情が消えることはなかった。戦いに、殺し合いに、特別な価値なんてあるはずがない。武を披露できて嬉しい? そんなふざけた理由で命を奪ってたまるか。どうして命の取り合いをあんなにも楽しそうにできるのか、僕には全く理解できなかった。


「……帰らないと」


 感傷をひとまず胸に仕舞い、僕は聖剣を鞘に納めた。役割を果たした黄金色の刃は、もう神々しい光は灯していなかった。


 聖剣の権限解放。やったのはオークたちと戦った時以来だろうか。やはりすさまじい疲労だ。体中の魔力、活力を全て持っていかれたような気がする。今の状態で敵と会えば、僕はあっさりと敗北して殺されてしまうだろう。本来こんな敵陣のど真ん中で使うような力ではないのだろう。それでも、僕はあの魔物とあれ以上会話をしていたくなかった。


 騎士の亡骸を担ぐ。僕が助けられなかった人。僕の失敗、罪。それを持ち帰るべく、僕は森の中を駆け出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ