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59 狼の王者

 人間領への攻撃を継続している狼たちは、エーギ山脈の南側、とある森の中を仮の住処としていた。人の手の入った様子のないそこは枝が伸び放題で、昼でも薄暗い。しかし、そこを駆ける狼たちに迷う様子はない。


 今日の人間領への攻撃を終えた狼型の魔物たちは、自分たちが忠誠を誓う首領の元に集っていた。


「……減ったな」


 集う狼たちの様子を見てポツリと呟いたのは、二足歩行の狼、とでもいうべき魔物だった。ワーウルフ。狼型の魔物たちの上位種とでも言うような存在だ。数十いるワーウルフ。その中で首領としての地位を確立しているその魔物は、名をクヴァルと言った。


「初日から損耗が止まりません。もう既に群狼隊は四割が死亡した模様です」

「……くそっ」


 配下のワーウルフからの報告を受けたクヴァルは、同胞の死を心から悼む。彼らは四足歩行で言葉も話せないが、紛れもなくクヴァルの同胞だった。


「……やはり、あの魔王に従ったのは間違いだったのでしょうか。もしや、我らの力を削ぐためだけにこの作戦を……」

「くどいぞ。あの魔王は強い。だからこそ、我らは従属の道を選ぶと決めたであろう」


 しかし、とクヴァルは言葉には出さずに思う。我らワーウルフが加勢すれば、同胞にあんな絶望的な戦いを強いることもなかったのに、と。


 ワーウルフは、狼たちよりも知能も身体能力も優れた魔物だ。ワーウルフが戦場まで出向けば、狼たちの統率を取ることも可能となる。数が数十しかいないという欠点はあるものの、一体一体が強力な魔物であり、多数の人間を相手にしても遅れを取ることはないだろう。


 しかしワーウルフは、魔王の命により人間たちとの交戦を禁じられていた。魔王曰く、現段階の作戦で必要なのは少しでも人間たちの戦力を探ることなのだと言う。ワーウルフのような貴重な戦力を失うと、今後の侵攻に差し支える。クヴァルはそう説明されていた。


 強者であるワーウルフの出撃を禁じ、弱者である狼たちを無為に死なせる。そんな味方を見捨てるような作戦に、同胞の間でも不満の声は多い。


 首領であるクヴァルの制止がなければ、ワーウルフたちは魔王に反乱を起こしていただろう。それでも尚、クヴァルが魔王に従う理由はただ一つ。あの魔王は、あまりにも強すぎるのだ。反乱など起こせば、同胞はたちまち皆殺しにされてしまう。

 ワーウルフの首領とはつまり、人狼種の中でも最も強い個体のことだ。最強のワーウルフであるクヴァルだからこそ、魔王との歴然とした力の差に、気づいてしまった。


 魔王と初めて会った時、魔族の各種族の長たちが初めて魔王の元に招集された時のことを思い出す。





 長い間主不在のまま放置されていた魔王城には、約百年ぶりに灯りが灯っていた。既に招集された魔族の各種族の長たちが玉座の間に集い、豪華な造りの玉座には、今代の魔王が座っていた。

 ただの人間の女のような容姿の魔王は、冷めた目で集う魔族を眺めていた。


 ──勝てない。クヴァルは、魔王の眼を見たその瞬間、直感した。その冷然とした瞳は、同族を見る目ではなく、下等種を見つめる嘲りの瞳だった。それは傲慢さゆえの奢りではなく、事実として自分たちを下等な存在だと見ているようだった。


 突如、集った魔族たちの中からダンッ、と不満を示すように床を叩く音がした。


「貴様のような小者が魔王として我らを従えるだと?ふざけるな!」

「ほう、不満か?」


 クヴァルと同じように、魔王の瞳に嘲りの色を認めたのだろう。怒号を上げながら立ち上がったのは、巨人種の長だった。

 その図体は異形ぞろいの魔物の中でもひと際大きく、立ち上がるだけでも天井に頭がつきかけていた。人間の三倍はあろうかという背丈で、魔物としては比較的小柄な、人間程度の身長の魔王を見下ろす。憤怒に燃える瞳と冷徹な瞳が交錯する。


「貴様の如き、小さき者が玉座に座るなど、我ら巨人種は決して認めんぞ!」


 彼ら巨人種の、図体の大きい者に従うという習性は有名だ。例えば先代の魔王などは小柄だったため、巨人種は服従を拒否し、人間領侵攻にも参加していなかった。

 そんなプライドの高い彼らを、図体の決して大きくない魔王が玉座の間まで呼びつけたのだ。何事もなく巨人種の長が従うわけがなかった。


「ほう?ではどうするのだ?」

「貴様が我らに服従を要求するというのなら、ここで死んでもらう!」

「そうか。では貴様とはここでお別れだな」


 巨人種の長が吠える。魔王は冷静にそれに応えた。

 魔族による魔王への反乱。歴代の魔王の時にも少なからず起こったことだ。過去には、反乱によって魔王の首が挿げ替わったことすらある。魔王とは、必ずしも魔族の中で最も強い者とは限らないのだ。

 今代の魔王の力を図る良い機会だ。周りの魔物たちはそう判断し、巨人種の長を止めることはなかった。


 巨人が歩を進める。巨体が足を踏み出すたび、魔王城の頑丈な床が震える。図体の大きさはそのまま破壊力に直結する。ただ歩くだけでこれほどの地響きを鳴らす巨人種の長の一撃は、一体どれだけの威力なのだろうか。想像力を働かせた魔物たちは、戦慄した。


 ゆっくりと歩いていた長い足は、徐々に歩幅を広げていき、やがて走り出した。地響きを鳴らしながら長い脚で駆け、一瞬で魔王に肉薄した巨人種の長は、勢い良く大きな棍棒を振るった。

 人間程度の身長の魔王に、その三倍はあろうかという巨躯の巨人種の長が迫る。魔物たちは、激突の瞬間を見逃すまいと、魔王の姿に集中した。そして、誰もが自分の目を疑うこととなった。

 恐ろしいほどの破壊力の籠められていた棍棒は、何の前触れもなく動きを止めた。


 ──全ての魔物が愕然とする。魔王は、攻撃に対して全く動かなかった。防いだ。あの膂力では並ぶ者のない巨人種渾身の一撃を。真正面から。魔法だけで?しかし、どうやって。


 魔王が何をしたのか、誰にも分からなかった。巨人種の長も呆然としていた。沈黙。凍り付いた時間の中で、魔王だけが悠然と言い放った。


「貴様のような木偶は要らんな。死ね」


 魔王の目の前に黒い光が迸ったかと思うと、巨人の体が宙を舞った。大きな音を立てて魔王城の床に倒れ込んだ巨人種の長は、もう息をしていなかった。


「なっ──」


 死んだ。その膂力だけでなく、耐久力も魔物の中で随一の巨人種が、あっさりと死んだ。その事実は集った魔物たちの肝を冷やした。自分たちも、あの魔王の魔法一つで簡単に殺されるかもしれない。生存本能の訴えかける命の危機に、身を震わす。


 凍り付いた時間の中で、厳かに、魔王が宣言する。


「聞け我が下僕たちよ、叛逆者の末路は今示した通りだ。まだ歯向かう愚か者は、今ここで手ずから殺してやろう。出てこい」


 出向く者などいるはずもなかった。血の気の多い魔物たちは、魔王の正体不明の力を目にして、一瞬の内に抵抗する意思を失っていた。

 この日、魔王は一瞬にして魔族を掌握したのだ。





 回想し、改めてクヴァルは確信する。あの魔王に歯向かっても、殺されるだけだ。今はまだ粛々と、作戦をこなすべきだ。あと三日だ。同胞を無意味に殺される日々は、三日で終わりを迎える。そうすれば、気高き狼たちの反撃を始められる。魔王は未だにワーウルフの出撃を禁止している。

 しかし、満月の夜ならば、ワーウルフは魔王を黙らせるほどの戦果を持ち帰ることができるだろう。満月の夜とは、ワーウルフの獣性が高まり、高い能力を発揮できる日だ。月光の力を借りて、大戦果を持ち帰り、魔王に直談判する。そうすれば、狼たちが消耗品の如く浪費される日々を終わらせることができる。


 一人昂るクヴァルは、月に吠える。月が満ちる時、人狼種が最も力を発揮できる夜は、すぐそこだ。


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