58 湯けむりと幸せ
大地を踏みしめる音が重なり、戦場となる大地に土埃が舞った。多数の騎士たちと共に、俺たち勇者パーティーは今日も今日とて人類の敵、魔物と相対していた。
最近の相手は、ずっと狼の姿をした魔物たちだ。四足で大地を駆けるその動きは素早く、油断すれば喉笛を嚙み切られてしまいそうだ。
目の前には、群れと言うべきほど大量の狼たち。黒々とした獣が群れる姿は、一つの巨大な影にも見える。
瞳に殺意を滾らせ、地を這うように突撃してくる狼。その姿を捉えていた俺は、飛びかかってくるタイミングに合わせて、四足歩行の影に大剣を突き出してやる。猛スピードで突っ込んできた狼型の魔物は、俺のカウンターに対処できず、小さく鳴き絶命した。
自分の周りに敵の姿がいないのを確認して、周囲を見渡す。仲間たちは──大丈夫そうだ。しかし俺たちのやや後ろ、前線で戦う騎士たちがやや苦しそうだ。
「カレン、破邪の結界で騎士どもを援護してやれ!」
「任せて!『聖なる女神にお願い奉る──」
長い詠唱を経て、カレンの規格外の神聖魔法が展開する。半透明の壁が、相対する騎士と魔物の間を隔てる。聖なる力の籠った障壁に激突した狼たちは、一瞬にして体を灰と変えて消えていった。やはり、低級の魔物相手なら破邪の結界はとても有効だ。自分の百年の積み重ねで得た知見が正しかったことを改めて確認する。
「グルルルル……」
カレンの神聖魔法を警戒するように、狼たちが足を止める。──狙い通りだ。
「オリヴィア!」
「はい!『氷よ、我が敵を穿て!』」
待っていた、と言わんばかりにオリヴィアの魔術が打ち出される。これまで俊敏な狼たちに翻弄されていた彼女は鬱憤が溜まっていたのだろう。その威力は凄まじく、魔物たちは矢の如く殺到する氷柱に一瞬にして体中を穴だらけにされて絶命していった。
「メメ!こっちの数が多い、支援をお願い!」
「応!『炎よ、爆ぜろ』」
俺の魔術が空中で爆ぜた。爆炎が狼たちの進路を塞ぐ。一瞬止まる獣たちの足。その隙を逃すオスカーではなかった。
「はああああ!」
裂帛と共に振り下ろされた聖剣が、素早く魔物の首を刈り取っていく。その動作は堂に入っていて、とても戦場に経って一年足らずの新人には見えない。勇者という名に恥じぬような、堂々たる活躍だった。
「勇者パーティーに続け!騎士の意地を見せるぞ!」
「おおおおお!」
俺たちの働きに触発されたらしく、騎士たちの動きにも勢いが戻ってきた。士気の高さは戦場での優劣に直結する。次々と絶命していく魔物たち。やがて、みるみるうちに前線は上がっていき、狼たちはその数を激減させて魔族領の方角へと逃走していった。
「やったぞ、俺たちの勝利だ!」
「勇者様、助けてくださりありがとうございます!」
「勇者パーティー万歳!」
勝利の歓喜に湧く騎士たちの多くが、オスカーへの感謝を告げていた。熱狂の中心にいる彼は、それを照れくさそうに受け取っていた。皆に慕われる、あるべき勇者の姿がそこにはあった。
一通り感謝の言葉を受け取ったオスカーが、こちらに歩いてくる。少し疲れたような顔をしているが、その足取りは軽い。
「人気者だな、オスカー」
俺とは違って。……いや、これは必要のない感傷か。
「や、やめてよメメ。僕だって皆のおかげでここまでやってこれたことくらい良く分かっているよ。……というか本来ならメメも感謝を受け取ってもいいと思うんだけどね。どうしてあんなに騎士を嫌うの?」
……さすがにオスカーには気づかれていたか。百年以上の繰り返しの経験上、どうしても俺は騎士たちを好きになることができなかった。それが態度に出ているからだろう。騎士たちは俺には近寄ってこない。俺からも必要以上に近寄らない。
「……仲良くする必要もないだろ。騎士は騎士。俺たちは俺たちだ。人気者はお前だけで十分だ」
「ハァ……。メメはそういう変に強情なところがあるよね」
よくわかってるじゃないか。オスカーの呆れたような目は、しかしどこか温かさを孕んでいた。それがひどくムズ痒くて、俺は足早にその場を後にした。
終始優勢だった戦いがあっさりと人類の勝利に終わり、俺たち勇者パーティーは休息することになった。
イーアロスで体を休めると言えば、王国民はそのほとんどが温泉を思い浮かべるだろう。俺たちも例外ではなく、カレンやオリヴィアなどはいそいそと温泉へと向かった。……俺を連行して。
「なぜ皆で!温泉なんだ!別に俺1人で来たって良かっただろ!」
「四の五の言わないでくださいませ!ほら、バンザーイ」
甲斐甲斐しく世話をしてくるオリヴィアにされるがままに、服を脱がされていく。くっ、屈辱だ。かつて冷酷無比の勇者と王国中に恐れられた俺が、こんな幼子みたいな扱いを受けるなんて!
「うわあ、何回見てもほっそーい。どこからあんな力出てくるの?」
既に衣類を脱ぎ終わったカレンが俺の二の腕をふにふにと触ってくる。ひんやりと冷えた彼女の指がくすぐったい。
「や、やめろ。それは俺の特異体質みたいなものだ。触っても何も分からんぞ」
「ふーん」
「やめろって!」
くすぐったいからやめて欲しい。しかし俺の顔を窺ったカレンは、いたずらっぽい笑みを浮かべると、俺の腕を撫でる速度をさらに上げた。な、舐められてる……。
くそ、思えばカレンはこうやって俺を揶揄ってくることが増えた気がする。……ここらで一つ、反撃でもしておこうか。
「カレン」
「ん?──あっ」
彼女の華奢な肩を押すと、彼女はあっさりと倒れ込んだ。床に倒れ込む前に、彼女の後頭部に手を回して受け止める。華奢な体を横抱きすると、彼女の顔が近くに迫った。さらにぐいと顔を近づけてやると、彼女の潤んだ瞳が良く見える。
「俺のこと撫でまわしたんだから、覚悟はできてるんだよな?」
「……ど、どういうことかなメメちゃん。何か顔が怖いよ」
彼女のまっさらな肢体が目の前に無防備に横たわっている。その事実は、俺に無くしたはずの欲望をもたらしてくれる気がした。生唾を飲み、陶磁器でも扱うように彼女の頭をそっと持ち上げる。
「ふー」
「ひぁっ!く、くすぐったいよメメちゃん」
耳元に息を吹きかけると、顔を赤くしたカレンが弱弱しく声をあげる。……なんだろう、普段快活な彼女の弱った顔を見てるとゾクゾクするな。
「ふっ」
「ひぁぁ……勘弁してよメメちゃん、さっきのことは謝るからさ」
「カレンならやめろって言ってもやめないよな?」
「そ、それは……」
言葉に詰まった彼女の髪を掻き上げてやる。心なしか、彼女の吐息が大きく聞こえる。上気した頬がほんのり赤い。潤んだ瞳がこちらを弱弱しく見上げてくる。
「──もっと、くすぐったいことしてやろうか」
「メ、メメちゃん……」
弱り切った、だけど何か期待するような声を上げる彼女の唇を、俺は──
「──お二方?」
絶対零度。そうとした形容できない声がした。尋常ではない気配に恐る恐る振り返ると、そこには完璧な笑みを張り付けたオリヴィアの姿があった。
「ひえっ」
目が、笑ってない。カレンの先ほどまでとはまた違った怯えを感じさせる声が後ろからする。オリヴィアの恐ろしい様子に、俺もまた唾を飲み込む。俺は断罪を待つ罪人のように、彼女の唇が次の言葉を紡ぐのを待った。
「……早く、行きますわよ」
硬直した空気は、オリヴィア自身によって壊された。足早に、彼女は浴場へと向かっていった。
「……こわかったぁ」
心底安堵した、というように、カレンが声を上げる。その言葉に心から同意する。確かにあれは怖かった。
体の汚れを落とし、湯の中に身を沈める。温泉は有名なだけあって広くて大きい。俺たち三人入ってゆったりするスペースは十分にあった。
湯の中に身を沈める。こうしてゆっくりしていると、気分が落ち着き、疲れも取れてくるような気がする。立ち昇る湯けむりを眺める。体が芯から温まるような心地よさに、大きく伸びをしていると、カレンがしみじみといった様子で話かけてきた。
「ふぅ……王都の浴場も広かったけど、イーアロスの温泉はそれ以上だねえ。開放感が気持ちいいー」
「観光地として有名なだけあるな。……今は人がいないが」
「イーアロスは特に魔王軍と開戦してからの客入りが激減しているらしいですわね。前回の戦争でも魔王軍との戦いの最前線でしたからね。戦いが終わるまでは、イーアロスが賑わうことはないのかもしれないですわね」
王国の北部に位置するイーアロスは昔から観光地として有名だ。温泉も人気のはずだが、浴場には俺たち以外の客の姿はなく、がらんとしていた。きっと常であれば浴場には人が溢れかえり、賑わっていたのだろう。魔王軍との戦いの影響は、こんなところにも出ていた。
話が終わり、少しの沈黙が下りる。水音を聞きながら体の力を抜く。あまりの心地良さに、なんだか自分の体が水に溶けていくような感じすらした。
唐突に、カレンが言葉を紡ぎだした。その声音には、なんだか彼女らしからぬ大人っぽさがあった。
「──でもさ、こうやって静かな温泉でゆっくりとしてると、この瞬間だけは平和だなあ、って感じがするんだよね」
「……平和か?ついさっきまで戦ったばかりじゃないか」
訝しんでカレンの方を見ると、彼女は慌てたように手を横に振った。
「あっ違うの。今が平和だって言ってるわけじゃないの。アタシだって、今までの戦いで何人も目の前で亡くなった人、助けられなかった人を見てきたからね。これでも戦争の、命の取り合いの怖さとか、虚しさとか、ちょっとずつ分かってきてるつもりだよ」
少し口調を早めて、彼女は言った。その言葉には、実体験を経た者にしか出せない重さがあった。治癒魔法を扱う聖職者である彼女のことだ。戦場にいて、きっと何回も助けられなかったことがあって、何人も見送ってきたのだろう。
しかし、それでも、彼女は言葉を続ける。
「……でもさ、ううん、だからこそ、……今この時、この瞬間が、どれだけ貴重で儚いか分かるっていうかさ、なんていうんだろ──今が、幸せだなって!」
そう言って、彼女は笑った。幸福を噛み締める喜びに、喪失を恐れる恐怖が少し混ざったような笑み。それがひどく大人っぽくて、俺は彼女の顔をまじまじと見つめてしまった。
「へ、変だったかな」
しばらく見つめていると、彼女は少し顔を赤らめて聞いてきた。
「ああいや、違うんだ。なんていうか、大人になったなぁってさ」
「ムム、出会って一年もしていないのにその感想、アタシのことどれだけ子どもだと思ってたの?」
「ハハ、ごめんごめん……ふふっ」
むくれる彼女の顔が、先ほどまでの大人っぽい表情とかけ離れていて、つい笑ってしまう。それを見た彼女は、ますますむくれていってしまった
幸せは、立ち昇っては消えていく煙みたいに儚いのかもしれない




