57 氷雨の戦い
先日ジェーンが魔王軍を一掃した日以来、魔王軍との戦闘は散発的に発生していた。規模は比較的小さいとはいえ、その勢いは苛烈で、全く油断はできない。今回俺たちが参加するのもその一つ、人類と魔物の生存競争だ。
冷たい雨が、草原に降り注ぎ、視界を白く染めていた。生憎の雨にもかかわらず、魔物たちの勢いは全く衰えることはなかった。連日襲撃をかけてくる狼の形をした魔物たちは、倒しても倒しても湧いてきて、俺たちをうんざりさせた。
「クソッ!こいつら死ぬのが怖くないのか!?」
「気を抜くな!一人死んだら陣形が瓦解するぞ!」
雨と同様に絶え間なく襲い掛かってくる四足歩行の化け物たちに、騎士たちの声にも苛立ちがのっている。
悪天候で視界の悪い中だが、彼らは上手く戦っていた。決して突出せず、上手く固まって防衛ラインを構築している。白刃が閃くたびに、獣たちは血を流して倒れ伏し、そして同族の足場となった。
「フッ!──ああクソ、キリがない!」
氷雨にかじかむ手で剣柄を握りしめ、魔物を打ち倒す。四足歩行の狼たちは、頭部が人間の腰程度の高さだ。しかしその低身長ゆえに、下半身に向かって突っ込んでくる突進は脅威だ。足に嚙みつかれ引きずり倒されれば最後、喉笛を噛み切られるまで抵抗することなど不可能だろう。
だから、対抗する人間たちは皆姿勢を低くし、決して足を取られないようにする。腰を屈めながら魔物と相対する皆の表情は真剣だ。誰か一人死ねば、それだけ戦いが不利になる。それが分かっているからこそ、逸らず、冷静に立ち回っている。
しかし、どれだけ気を付けても予想外が発生するのが戦場という場所だ。
「おい!一匹抜けたぞ!」
切羽詰まった騎士の声。見ると、俺たちの展開する前線をすり抜けて、一匹の魔物が後方部隊へと突進していた。人間領の守護者たちに緊張が走る。今日一番の危機。
雨で視界が悪い中では、精密な制御を必要とする魔法による攻撃が難しい。そんな状況下で、素早い魔物が聖職者と魔法使いで編成された後方部隊へと襲い掛かれば、誰も止められなくなる。下手をすれば、一匹相手に壊滅する可能性すらあった。
しかし、そんな時でも頼りになる彼女の名を呼ぶ。
「──オリヴィア!」
「『雷鳴よ、地を這え!』」
溜めの短い魔術を十全に扱えるオリヴィアは、その一匹を決して逃さなかった。紫電が地を這うように走ると、狼の体に直撃した。
「──キャンッ!」
断末魔を上げて倒れる魔物。伝統に囚われない魔術だからこその戦果。オリヴィアのお手柄だった。
「ありがとうございます!」
「かたじけない!次は通しません!」
緊迫していた空気が、一瞬安堵に包まれる。感謝の言葉を短く伝えた騎士たちは、すぐに視線を前に戻し、一層の集中力を持って戦い始めた。
「てりゃあああ!」
「メメ!前代わって!」
「いい!お前は騎士たちの援護を欠かすな!」
雨も魔物も、全くその勢いが衰えることはなかった。冷たい雨に晒されながらも、人間たちは驚異的な集中力で魔物を撃退していた。
灰色の空の下、怒号と甲高い鳴き声が混ざり合い、騎士たちの甲冑に付いた返り血は瞬く間に雨に洗いながされた。
魔物たちの断末魔が数えきれないほど響いた後、ようやく戦いは終わりを迎えた。
「ワオオオゥ!」
雨中に獣の遠吠えが響き渡る。それを合図に、狼たちは一斉に踵を返し、魔物領の方へと去っていた。勝どきは上がらない。もう声を上げるほどの元気は、誰にも残っていなかった。
魔物たちが退散してから、騎士たちは最低限の見張りを残して、あっという間に兵舎へと帰っていった。
冬の雨の中長時間戦っていたのだ。体が冷えて仕方なかったのだろう。見張りを押し付けられた騎士たちは、仕事を押し付けた同僚たちに恨みがましい目を向けていた。
俺たち勇者パーティーも、足早に雨から避難した。集まるのは、宿の共用スペースの暖炉の前だ。俺たちの泊まる宿は、観光客の激減によって勇者パーティーの貸し切りのような状態になっている。そのため、いくら共用スペースを占有したところで、文句の一つも言われなかった。
燃え上がる暖炉の火は、外気の寒さをものともせず、暖かい空気を提供していた。
みんな手を暖炉に近づけて幸せそうな顔をしている。例外はジェーンだけだ。彼は一人傍らに立ち、この寒い中なぜか氷をバリバリ齧っていた。……あいつ、寒さとか感じないのか?
「結構倒してるはずなんだけど、どんどん攻めてくるね。あの狼たち、どれだけ数がいるんだろう」
「数が多いうえに連携まで取ってくるからな。うっとおしいことこの上ない」
うんざりとした様子で言うオスカーに、心から同意する。イーアロスを守る戦いは、当初の想定よりもずっと長引いていた。
理由はやはり圧倒的な狼型の魔物たちの数の多さだ。もう三日は戦っていて、かなりの数を殺している。それでもその勢いは全く衰えない。いつ見ても、魔王軍の物量はすさまじい。ジェーンの魔法による被害は、決して少なくなかったはずだが。
他の皆の顔にも、どことなく疲労の色が窺える。敵は決して強くない。しかし断続的に襲撃をかけてくる狼たちに、仲間たちも、共に防衛にあたる騎士たちにも疲労の色が見えた。
「なんかさっき騎士の人たちが話してたんだけど、ワーウルフの姿が確認されたってさ」
「ワーウルフって?」
興味深そうに、カレンが聞いている。そうか、ワーウルフはあまり知られていない魔物だったか。
「狼と人間の容貌を足したような魔物だな。二足歩行の狼とも言える。それと、狼たちの指揮も取れる厄介なやつだ」
「へえ……人狼とはまた別物なんだね」
「別物だが、一緒に行動していることも珍しくないな。……ワーウルフがいたのなら人狼の出現も警戒したほうがよさそうだな」
人狼の最大の特徴は、満月の夜以外は人間と変わらない容姿をしていることだろう。人間領に紛れ込んでいることも少なくなく、魔王軍のスパイとして活動されると非情に厄介だ。狼たちが攻めてきていたことから、どこかにいる可能性は考えていた。しかしワーウルフがいたとなると本格的に警戒する必要があるだろう。
「騎士たちにも進言したほうがいいな。トップは……チッ、アストルのやつは来てないのか。話を通すのがめんどうだな」
騎士たちはその気位の高さから、平民の話などまともに聞かないやつも多い。(オリヴィアが出向いた場合、騎士のことに女が首を突っ込むなとやんわりと言われて追い返される)合理主義者の騎士団長様なら話は早かったんだが……。
「あ、それならこの前アストルさんが騎士団内に勇者パーティーの言うことに従えって命令を出してくれたってさ」
「……本当か?」
騎士団長といえども、騎士団の中で家格が最も高いわけではない。だから全ての騎士が素直に言うことを聞くわけではなく、上から命令を出すとそれなりに反感を買う。
そんなリスクを押してまで、勇者の肩を持つとは珍しい。少なくとも俺の時はそんなことしてくれなかった。
「……訓練つけてる間にオスカーにほだされのか?」
俺ではなく彼だったからこそ、あいつは勇者を信じることにしたのか?
答えは分からない。ただ、俺よりもオスカーの方が上手くやった。その事実だけが俺に分かることだった。
「……いや、僥倖だな。じゃあオスカーから騎士団に人狼のスパイがいる可能性について報告しておいてくれ」
「分かった」
思案はひとまず飲み込み、今考えるべきことを考える。
なんとなしに見た暖炉の炎がちろちろと動き、その下の薪がぱき、と小気味良い音を立てて崩れる。
「……そろそろジェーンの大規模魔法でも見せつけてやって牽制するのもいいかもな。ジェーン、できるか?」
「この場はさほど魔法陣の展開に向きませんから、この前の規模では無理ですね」
「……古代魔法ってのも不便なものだな」
以前聞いた話によれば、大規模な古代魔法の発動には、地脈の魔力を魔法陣によって吸収して使うそうだ。そのため、発動には準備期間と都合の良い土地が必要となる。ジェーンがこの前の超大規模魔法を放ったダラム山は、魔法陣を敷くのに適したものだったそうだ。
「それじゃあこれまでと変わらずに牽制目的じゃなく殲滅目的で魔法の行使を頼む」
「承りました」
頷くジェーンに不安の色は見られない。
……しかし、消耗戦となると騎士たちの士気もそうだが、皆の体調も心配になってくるな。オスカーは体力があるだろうから心配はしていないが、オリヴィアやカレンなどの後衛は特別体を鍛えているわけではない。俺が気にかけるべきだろう。定期的に体調について聞いておこう。
「……大丈夫、だよな」
終わりの見えない、敵の底の見えない戦いは、疲労との戦いだ。今まで優位な戦いを続けていた勇者パーティーにとって、受難の時となるかもしれない。




