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56 この世界の女神

 貴重な王都での休日を過ごしていたある一日のことだった。俺は珍しいことにジェーンに呼び出されていた。

 彼が待ち合わせに指定したのは、王都の国立図書館だった。歴史書、様々な記録、魔法の教本など、貴重な書物を多数収めている王国随一の図書館であるここは、一般人の立ち入りは原則的に禁止されている。しかし俺たち勇者パーティーは、その立場を利用して出入りすることが可能だ。


 利用者が限られていることもあり、国立図書館の中はいつも静かだ。足音を立てることすら憚られる空間を、ひっそりと歩く。静謐の空間に時折どこからか紙を捲る音が聞こえてきて、それがどこか心地よい。

 王国中の歴史書の類が集められている、二階の一角。ジェーンはそこで、いくつかの本を用意して俺を待っていた。


「それで何の用だ?このあたりにある本なら、繰り返しの間にだいたい読んだぞ」


 歴史書、特に魔王軍との戦いの歴史については、何か学べる事はないかと読み込んでいた時期があった。その内容も未だに覚えている。正直一般的な貴族と同じくらいにはこの国の歴史には詳しいつもりだ。


「それは知っています。しかし、この世界に来てからは足を踏み入れていないでしょう?なので、私が確認していたのです。この世界と私たちのいた世界の差異、違いについて」


 その言葉に、俺は久しぶりに今いるこの世界と、俺の繰り返した世界は違う存在であることを思い出した。あまりに知識通りに、変わりなく進んでいく歴史に、そのことを忘れかけていた。


「そうか、なるほど。それで、何か分かったのか?」

「はい、これを見てください」


 ジェーンが取り出したのは、俺にも見覚えのある王国公式の歴史書だ。その巻は歴代の勇者の活躍について触れたもので、俺の前、九人の勇者の活躍について、正確に記録されている。パラパラとページを捲りながら、彼は俺に語り掛けた。


「勇者様が歴史書にどのように語られているのか、貴女は覚えていらっしゃいますか?」

「ああ、歴代勇者の主要な活躍、特徴、それから勇者パーティーのメンバーくらいなら空でも言えるぞ」

「それなら分かるでしょう。歴代勇者についての記述に、相違点が確認できました。いくつか違いは確認できましたが、決定的なのはこのあたりでしょうね」


 彼が示したページは、二百年前、八代目の勇者の活躍の記録だ。名前をミランダという。彼女は勇者の中でも優秀と評されている人物だが、その狂気的と言える戦い方が有名な人物だ。

 俺の知る伝承によると、その身を切られ、燃やされ、潰されようとも笑いながら敵を倒していくような人物だったらしい。その恐ろしい姿は味方からも恐れられ、「血塗れのミランダ」と畏怖を籠めて呼ばれていたらしい。


「ここにあるように、彼女の異名が変わっていますね。『博愛のミランダ』。相手の肩書きに関わらず平等に接する、優しい心を持った勇者だと伝えられていますね」

「……俺の知る歴史とはずいぶん違うな」

「そうでしょう。他の勇者も、幾分か記述が変わっていますね」


 他のページを指さしながら、彼の説明が続く。俺の知るよりずっと早く魔王を倒せた九代目の勇者。戦いを終えた後に王国に叛逆することのなかった七代目の勇者。魔王討伐後にひっそりと姿を消した五代目勇者。その他、勇者の活躍について多数の記述の差異が読み取れる。


「違いがないのは初代勇者だけですね。彼の偉業だけが、全く変わらず語り継がれている」


 最後にページの最初のあたりを指して、ジェーンはそう言った。


「歴史書の記述が違うってのはよく分かった。それで、お前は何が言いたいんだ?」

「──結論から申し上げましょう。この世界の勇者たちは、やり直し、時間遡行を経験していない可能性が高い、ということです」

「……ほう?」


 勇者という存在は、皆多かれ少なかれやり直し、時間遡行を経験している、というのは以前女神からも聞いたことだ。しかし、この世界の勇者が違うとでも言うのだろうか。


「私の記憶の中では、歴代勇者の中で繰り返しを経験していないのは初代勇者のジャウェンだけです。そしてその彼だけがその歴史に変化がなく、それ以降の勇者たちの活躍は皆何かしら変化がある。そして、彼ら二代目以降の勇者の人格面の記述については覚えがあります。おそらく、彼らはみんな一周目の時の性格のままで、魔王討伐を終えている」


 ジェーンはそこまで言って、一呼吸置いた。そして、本題に触れる。


「おそらく、この世界の女神は禁忌に触れていない。時間や生死を操るという大神の禁じた事をしていない。言い換えれば、女神はまだ壊れていない。千年前の大神との約定を違えずに、ただ世界を見守っている。──そしてそれはきっと、今代の勇者についても同じなのでしょう」

「何が言いたい?」

「前に言った、この世界の勇者が繰り返しをしないという仮説がより確実になった、ということです。この世界のオスカーさんは、繰り返しをしない」


 それは、ハードだな。前に聞いた時と同じことを、思う。繰り返さずに、あの魔王を倒す。失敗し続けた俺には、想像もできないほどの難題に感じる。


「しかし、同時に良い知らせもあります。女神が禁忌を犯していない、要するに壊れていないということは、女神の持つ力は私たちの知る以上のものでしょう。つまり、勇者に授けられる力も増します。──オスカーさんは、貴女以上の力を授かっているでしょう」

「本当か?あいつの力が俺よりも上だなんて感じたことないけどな」

「百年かけて勇者の力の制御の仕方を学んだ貴女と一緒にされても困るでしょう。素質が上か下か、という話です」


 口を閉じたジェーンは、突然俺の顔をじっと見つめ出した。何か言うことを躊躇うような、らしくない仕草。


「なんだよ」

「──だから、貴女が彼に劣等感を持つなんて見当違いですよ」


 言葉に、詰まる。


「……お前なんぞに見抜かれるなんて、そんなに分かりやすかったか?」


 吐き出すように、言葉を紡ぐ。表情を取り繕う気力もなかった。きっと情けない顔をしている。

 ジェーンが本を閉じ、パタン、という音が静かな図書館に響いた。


「いえ、むしろ分かりづらかったですね。しかし、考えてもみてください。貴女の人生全てを知っている者はもうこの世界には私以外存在しません。──私は、今や貴女の全てを理解する唯一の者ですよ」


 そう言って向けられる瞳に籠っているのは、いったいどんな感情なんだろうか。心配か、興味か、同情か、それとも恋情か。そのいずれも不快に思った俺は、顔を背ける。


「ただ俺の来歴を知っているだけで理解したと言い切られるほど、俺は単純な人間じゃない」

「そうですかね。……いえ、ご不快にさせてしまったなら、申し訳ございません」

「別に謝ることもないが」


 そう、謝ることなんてない。悪いのはきっと、見当はずれの感情を抱いている俺の方なのだから。


「お詫びついでに、この前できたカフェ行きませんか?」

「お前実は謝る気ないだろ」

「美味しいスイーツが好評らしいですよ」

「……行く」 


 ジェーンが少し口角を上げた。……なんだか腹の立つ表情だ。



 ◇



「ここですね」


 指差したのは、色とりどりの装飾で明るい雰囲気を醸し出している、王都の人気店だ。店内には若い客がたくさん並んでおり、甘ったるい匂いが店外まで漂ってきていた。


 しばらくそれを眺めていたメメさんは、こちらを訝しげに見てきた。


「お前、なんでこんな店知ってたんだ?」

「メメさんが知ったら目をキラキラさせて喜ぶと思いまして」

「……そんなことないだろ」

「いえ、結構嬉しそうですけどね」


 見たまんまを告げると、メメさんは自分の頬を手で押さえた。女になってからの彼女が甘い物を好むようになったことはよく知っている。それを少し恥ずかしがって隠したがっていることも。


「いいから、とっとと入ろうぜ」


 足取りは早く、彼女のワクワクとした気持ちを表しているようだった。


 若い女性特有の甲高い声がそこら中から聞こえてくる店内で、彼女は一心不乱にケーキを掻き込んでいた。


「おお、見ろジェーン!あの席の山盛りのパフェ!あれうまそうだぞ!」


 後方の客を眺めてはしゃぐ彼女の姿は、外見通りの幼さに見えた。そのキラキラした目が他に向いているのがもったいなく感じて、私は声をかける。


「メメさん、自分の分も食べましょう」

「おお、そうだった」


 くるりとこちらを向く彼女の後頭部で、一纏めにされた髪がふわと揺れた。今の彼女なら、簡単に機嫌を損ねることもないだろう。私は、少し踏み込む。


「もう、悪夢は見ていないのですか?」

「……ん?ああ」


 言葉少なく答える彼女の声には覇気がない。私の言葉よりも、目の前のケーキに夢中なようだ。以前の彼女なら、自分の弱さについて言及されたなら怒りそうなものだったが。


「……なんでそんなこと聞くんだ?というか、お前にそんなこと話したか?」

「私は元々貴女の懐に入っていた女神像ですよ。寝言の一つや二つ聞いていますよ」

「ああ、そうだったな……ムグッ……過去を回想することは、減ったかもな」

「……それは、いいことですね」


 彼女が最も苦しそうな顔をする時。それは過去を回想している時のようだった。それがなくなったというなら、それはきっといいことだ。

 手元の紅茶を啜り、ケーキに夢中な彼女の様子を観察する。フォークを動かす手は早く、みるみるうちにケーキが小さくなっていく。


「そういえば、お前はまた女神像の姿に戻ったりするのか?」


 聞いているわりに興味無さげに、彼女は問いかけてきた。


「無理、とは言いませんが戻ることはないでしょうね。魂の移し替えはそれなりに手間のかかる魔法なので」

「じゃあ、お前はずっとその体で生きていくんだな」

「そうですね」


 生きていく、と言われてもあまり実感は湧かなかった。この意識が稼働しはじめて千年

 近く。今更百年足らずの人生を過ごすというのも、なんだか不思議な感覚だ。


「……つまり、少なくとも一人は、貴女のことを理解している人間が傍にいるということですよ」


 語り掛けると、彼女は静かにスプーンを置いた。

 ずっと楽しげだった彼女の雰囲気が変わる。私は踏み込みすぎたことを後悔した。


「さっきも言ったが、俺のことを知っているってだけで理解しているって考えるのは傲慢なんじゃないか、人でなし?」


 瞳に映るのは、混じりっけのない拒絶の色。柔らかくなったとはいえ、彼女は彼女だった。その相変わらずの様子に、ため息交じりに言葉を吐き出す。


「相変わらず、人に頼ることや人に助けられることは苦手そうですね。まあ愚かな貴女らしいですが」

「うるせえ」


 つんとそっぽを向く彼女の頭に渦巻くのは、きっと長い時間の中で培われた自責の念だ。だから私は、今できる最大限の歩み寄りをする。


「何かあったら、私に相談してもいいんですよ。愚痴だって構いません。私は貴女の役に立ちたいのですから」


 返答はなく、彼女の視線はこちらを向くことはなかった。彼女のフォークが少し乱暴にケーキをつつく。


 ──ああ、頑固で、愚かで、やっぱり愛おしい。


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