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47 理想と現実

 騎士の詰所での事情の説明は長引いた。当然だろう。平和だった王都のど真ん中で、突然人が爆散したのだから。中々信じてもらえなかったところを、勇者パーティーの名前を出すなどしてようやく納得してもらった。結局のところ帰れたのは、日も傾いてきた頃だった。


 時間はかかったが最終的に何が起こったのか納得してもらえたらしい。これなら大神教の散発的な襲撃(信者の暴走とも言う)に対して王都が無防備になることはないだろう。詰問は面倒だったが、今日の成果だ。

 しかし、夕暮れの帰路につく俺の脚は重かった。仲間の前で人を殺した記憶。驚愕する仲間たちの顔。過去の記憶と重なるそれは、俺の気分を重くさせた。


 ゆっくりと宿に帰り、意図的に誰にも会わないように一直線に自分の部屋に向かう。斜陽に照らされる宿の廊下には人の気配はなく、静けさだけが俺を迎えていた。

 ほとんどずっと座っていただけの肉体はさして疲労していないはずだったが、俺の瞼はひどく重かった。


 何もする気になれない。俺は部屋に着いてすぐ汗ばんだ服を乱雑に投げ捨てると、体に軽く清浄魔術を掛けてベッドに入った。瞼を閉じてから眠りに落ちるのに、さほど時間はかからなかった。





「あ、あれ!?メメちゃんなんで裸なの!?」

「んあ……?」


 起きたら既に日が落ち、そして日が昇った後だったらしい。朝日を受けて顔を白く輝かせたカレンが俺のタオルケットを引っぺがしていた。……ちょっと寒い。


「うわほっそ、しっろ……。あ、メメちゃん、昨日そのまま寝たでしょ!服がめちゃくちゃ散らかってるよ!」


 タオルケットを俺の体に掛け直すと、カレンが世話焼きの姉のように、怒った風に言う。プンプンしながらも散らかった衣類を畳み始めた。そこには少しも蟠りなんて感じられない。

 過去の、彼女ではない彼女との決別を思い出す。優しい彼女は、最後まで俺が人間を殺すことを肯定することはなかった。

 その様子がかつて決別した彼女の姿と重ならなくて、俺は不思議に思った。


「……なあカレン、昨日の件、何とも思ってないのか?」


 聞くと、カレンは少し動きを止めて俺の方を見た。こちらを向いたカレンの顔が日光に照らされ、一層白く見える。その表情には陰りはなかった。


「確かに、メメちゃんが突然人を殺しちゃったことには驚いたよ?でも、あれが最善の行動だったことは流石にアタシでも分かったから、咎めるなんて偉そうなことはできないよ」


 淡々と述べていたカレンは、でもね、と少し口調を変えて続けた。


「一言、アタシに、皆に、伝えて欲しかったな」


 切実な想いを孕んだその言葉に、俺は簡単に返答することができなかった。それはあの日、ウラウスを倒して意識を失った時の、頼ってほしいという言葉と似たものを感じた。皆を頼れ。皆に伝えて欲しい。その正しい願いに、俺は言葉を返すことができない。そうするには、俺の過去の罪は重すぎた。


「……」


 また、何も言えない。カレンはそれを予期していたように、俺の衣服を畳み始めた。彼女の背面にはずっと陽光が注いでいて、背中すらも白く輝いていた。





 ノロノロと新しい服を着ていると、再び部屋の扉が開いた。


「カレン、メメは見つかった?……うわあ!」


 着替えながらオスカーの声に振り替えると、顔を真っ赤にした彼の姿があった。


「馬鹿!馬鹿オスカー!ノックくらいしろ!」


 なぜか怒ったカレンが手に持っていた俺の服を投げつける。それは寸分違わずオスカーの顔に直撃し、彼の頭の上にのった。……いや、俺の服……。


「ご、ごめん」


 落ち込んだ声でオスカーが謝り、服が顔にかかったまま部屋を出ていった。……いや、俺の服……。


「メメちゃんも!少しくらい隠して!?」


 カレンが向き直って、悲鳴のように言う。下を見て自分の恰好を確認する。下は下着のまま。上半身は中途半端にシャツを着ていて、腹がだらしなく出ていた。


「……ああ、ごめん」

「気のない返事だなあ……」


 オスカーに見られたところであまり何も感じないからな。感覚としては鏡に映る自分の姿を見るようなものだろう。……違うか?



「オスカー、もういいぞ」


 服を着て、オスカーを招く。彼はおずおずと扉を開き中に入って来た。


「なんでメメちゃんの服を大事そうに持ってるわけ?」


 カレンがジト目でオスカーを見る。いや、カレンが投げたんじゃ……。しかしオスカーは反論するでもなく気まずそうに顔を逸らした。……なんだその後ろめたそうなリアクションは。



「……オスカー、ちょっと話をしよう」


 俺の少し硬い口調に、オスカーも真面目な雰囲気になった。ベッドに腰かける俺の前に座って、こちらを見上げてきた。


「昨日の件、覚えているな?」

「もちろん」


 忘れるわけもないか。平和な街の中で突如爆散する人間。笑顔の下に隠した殺意と狂気。


「これからああいうのが増えることが予想される。……対処できるか?」

「うん」


 真剣な表情のオスカーは、もうすでに答えを見つけていたように返してくる。


「……お前の周りで人が傷つくかもしれない。……大丈夫か」


 問うと、少し表情を崩したオスカーが笑った。


「メメは結構過保護だよね」

「過保護……?」

「うん。僕のこと、虫も殺せないとでも思ってる?」


 思っていない、と即答できなかった。オスカーは再び真剣な表情をすると、自分の想いを語り始めた。


「メメ、僕が戦えるのは皆のためだからなんだ。初代勇者様みたいに世界のために、なんて大それたことは考えられない。カレンが笑っていられるために。メメが幸せになれるために。オリヴィアが自由にいられるように。ジェーンが想いのために生きられるために。そんな身近な理由のためなんだ」


 続く言葉は俺の、オスカーに抱いていた夢想とも言える妄想を打ち砕くものだった。


「そのためなら、僕はきっと人も殺せるよ。……僕は清廉潔白な勇者様じゃないからね」


 少し自嘲気味に笑った。しかしそれは卑屈さを感じさせない、確かな自信に溢れた宣言だった。


「メメは僕のことを少し見くびっていたんじゃない?」


 いたずらっぽい笑みを見せるオスカー。返す言葉もなかった。全くの図星で、俺と彼の違いをまざまざと見せつけられた気分だった。それは嬉しい。オスカーがこんなにも逞しくて、たまらなく嬉しい。

 ──嗚呼、俺はどうして罪を重ねる前に彼のようになれなかったのだろうか。





 バッドエンドの記憶 狂気の伝播





 王都の一角、騎士たちに言われるがままに防衛任務に就いた俺は、未だに覚悟を決めかねていた。今回の敵は魔物ではないのだ。ただ騙されただけの、普通の人々だ。それを殺すことへの忌避感を、俺はどうしても拭えていなかった。


 外出を制限されている王都の人通りはまばらだ。屋外にいるのは、せわしなく道を歩く、武装した騎士たち。それから極小数の一般住民らしき人影だけだ。

 閑散とした大通りを見ていると、嫌でも緊急時であることが感じ取れる。やはり王城は、数日中には王都に大神教徒の襲撃があると読んでいるようだった。街全体にどこか不安げな雰囲気が蔓延っている。その独特な空気は俺の精神までも苛み、見回りの任務を無意味に疲弊するものにした。



 事が起こったのは、月のない夜だった。その時見張りをしていた俺は、疲労感に伴う欠伸を噛み殺しながら人のいない通りを歩いていた。長時間の見回りに伴う倦怠感、それと眠気が集中力を奪っていた。それゆえ、俺は悲劇のはじまりに気づくことができなかった。


 静寂の夜に突如爆音が響き渡った。魔力の高まりのような予兆の見られない、物理現象としての爆発。鼓膜が破れんばかりの大音量は、どうやらすぐそばで爆ぜたものらしかった。あまりにも突然の事態に硬直し、しかし騎士たちの怒号にすぐに我に返る。


「来たぞ!マルキン通り!急げ!」

「あれだけとは限らない!他の場所にも伝令で最大限の警戒を促せ!」

「馬鹿野郎必要ない!爆音で全員飛び起きてるよ!」


 爆心地には、中から血の垂れる甲冑が転がっていた。騎士の犠牲者。先ほどまで何でもないように俺の隣を歩いていたであろう彼は、あっさりと屍になった。


「明かりを灯せ!」


 叫びに呼応して、魔法で作られた光源が中空に展開する。そして、俺たちは驚愕することになる。既に街には、多数の不気味な黒ローブの姿があった。その手には剣や斧などが握られ、敵意を明確にしている。間違いない、大神教の信者たちだ。


「多数いるぞ!間違いない、手引きした奴がいる!おい、内通者は誰だ!?」

「内通者!?おい、それは誰だ!?俺は誰を信用すればいい!」


 騎士たちに動揺が広がる。最近の王都では、大神教の侵攻を警戒して人の出入りを制限していた。門では素性と荷物の検査が厳格に行われていて、不審人物が爆発物や刃物など持ち込めるはずもなかった。

 こんなにも多数の敵が出てきたのは、内から手引きした者がいるのは明白だった。しかし、今それを言うのは混乱を生むだけだ。続々と響く爆発音も相まって、動揺が彼らの間に伝播する。


「落ち着け!小隊内での連携を密にせよ!内通者については後で考えればいい!おい、そこの騎士、止まれ!何を……ガッ」


 騎士の上官らしき人影が諫めようと声を荒げると、それに近づく顔を隠した甲冑姿があった。真っ直ぐに近づいたそれは、騎士の鎧の隙間に長剣を突き刺した。浮足立つ騎士たちに、更なる混乱の種が撒かれる。


「裏切者だ!内通者がそこにいるぞ!捕まえろ!」

「どこだ!?探せ!」

「アイツだ!早く殺せ!」

「貴様かああ!」

「違う!今の奴が内通者だ!ガアアアア!」


 突如出現した王国の甲冑に身を包んだ敵に翻弄される王国の騎士たち。元々魔物との戦いのスペシャリストである騎士たちは、近年人間同士の戦いがなかったこともあり、人間との戦いの経験値に乏しい者が少なくない。知性の劣る魔物ばかりを相手にしていた年若い騎士たちにとって、こんな搦め手で攻め込まれるのは初めてだったのだろう。


 黒ローブは騎士たちの混乱の間に暗躍しているようだ。彼らの主な目的は攪乱のようだ。少しでも多く騎士が同士討ちするように声を上げ、爆発物を街中に仕掛けている。秩序あった王都の通りが、爆音と断末魔に包まれる。爆発した住居の壁面が崩れ、通りに瓦礫が落ちてくる。混沌とした王都には、もはや安全地帯など存在しなかった。時間が経つにつれて騎士だけでなく、住居に籠っていた一般住民にも被害が出る。


 俺もまた戦いに加わったが、正直な所どうして良いのか分からなかった。魔法使いまで倒されているらしく、王都の光源はどんどん減っていて、周囲の状況が分かりづらくなっていた。

 黒ローブの姿も近くに見えず困惑していると、突然騎士が襲い掛かってくる。暗闇の中でなんとかそれを視認した俺は、辛うじて剣を弾く。


「お前か裏切者!」

「違う!よく見ろ!お前たちの妬んでいる勇者のツラを忘れたのか!」

「うるさいうるさいうるさい!王国に仇成す者は全て殺さなければ!」


 その騎士の様子は、とても正気とは思えなかった。開き切った瞳孔は、俺を見ているようでどこか遠くを見ているようだった。鍛錬を重ねた騎士のものとは思えない、ふらふらとした剣を弾く。そのまま騎士の頭部を掴んで、思い切り地面に叩きつけた。屈強な騎士と言えども勇者の力には耐えきれず昏倒する。


「どういうことだ……?何かの魔法か……?」


 よく見れば、俺の周囲の騎士たちはみな正気を失っているように見えた。かつての味方どうしで罵声をぶつけ合いながら切り結ぶその姿は、大神教の狂信者と変わりないように見えた。しかし魔力の気配はない。よく見ると、夜闇にはぼんやりと霧のようなものが舞っていた。魔法によらない、薬物による混乱の誘発。


「やめろ!そんなことしてる場合じゃない!」

「貴様に指図されることではない!平民勇者は黙っていろ!」

「クソッ、こいつもか……」


 殺すわけにもいかず、甲冑の上から拳をぶち当てる。カーン、と高い音を立てながら、金属が中まで衝撃を伝え、正気を失った騎士は卒倒した。

 しかし、これではキリがない。周りを見れば、もはや暴徒と化した騎士が多数。それから街を破壊して回る黒ローブ。放っておけば、一般住民にも多大な被害が出てしまう。



 騒動を鎮圧するために、黒ローブと騎士たちを昏倒させながら周囲を見渡す。混沌とした王都を鎮めるために走り回っていると、俺は決定的な瞬間を目撃してしまった。


 光に照らされた視界の先には、襲い掛かる黒ローブと、尻もちをついた子どもの姿。おそらく、家出してしまったのだろう少年が、戦場となった王都に取り残されていた。家族に反抗した些細な冒険の対価は高くついた。黒ローブが剣を振り上げ、子どもを殺そうとする。しかし、俺ならまだ最悪の結果を避けることができる。石畳を蹴って、黒ローブに飛び掛かる。


 ──ギリギリだ。殺すしかない!


 初めての明確な殺人の決意はしかし、体には伝わりきらなかった。自分の剣が人間を殺すさまを一瞬想像してしまう。躊躇し、わずかに鈍る右腕。首元へ振り下ろしたはずの聖剣は、黒ローブの右腕を吹き飛ばすにとどまった。鮮血がシャワーのように吹き出る。それは黒ローブの右肩、それから──子どもの首からだった。


「ああああああああ!」


 守れなかった。黒ローブの絶叫と、俺の慟哭が混じり合う。それがあまりにも不快で、俺は黒ローブを睨みつけた。彼は焦点の定まらない目でこちらを見てきた。


「お前お前お前!俺様の!これからとっておきのおもちゃで遊ぶはずだった俺の右手を!せっかくいい子どもの死体が手に入ったのに!これじゃあ目玉を引き出すことも、脳髄を覗くこともできないじゃないか!ウウウ……いたいよお……」


 おいおいと、さも悲しそうに泣く男。おぞましいことを言うその言葉には偽りの気配は一つとしてなく、それが歪んだ真実だったことを示していた。

 俺は自分の決定的な過ちを思い知った。俺は、こんな人間を殺すことを躊躇って、子どもを殺してしまったのか?先ほどの瞬間がフラッシュバックする。首を綺麗に両断されて、倒れ伏す子どもの体。涙と絶望を湛えた悲痛な顔。それを思い出した俺は、頭が沸騰するほどの怒りを覚えた。それは目の前の男に対するもの。それから自分へのものだった。


 不自然なほどに感情が昂る。怒りのままに聖剣を振り上げた俺は、躊躇いなくその男の首を撥ねた。それが俺にとって初めての殺人で、そしてそれが大義ではなく単なる自分の怒りのために行われたものだったことを、俺は嫌という程よく覚えている。


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