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5 もう一人の自分 勇者の誕生

誤字報告ありがとうございます

助かりました


 平和な村で暮らしていた少年オスカーは、この村で生き続けて、猟師である父親の後を継いでいくものだと思っていた。何の変哲もない暮らし。黒髪に黒目の、凡庸な見た目。幼馴染はよく見れば結構カッコいいよ、なんて気を使って言ってくれた。それだけでよかった。父と母がいて、隣に幼馴染がいて、それだけで十分だった。勇者になんてならなくて良かった。



 劇的な変化が訪れたきっかけは村に聖剣による勇者選定の噂が届いたことだったのだろう。その噂曰く、今年15になる少年少女の中に勇者に選ばれる者がいる。勇者になる者だけが聖剣を石から抜くことができる。

 神殿に納められている聖剣の元には毎日各地から訪れた少年少女たちが行列を作っているらしい。オスカーとカレンも今年で15だ。村人たちは彼らが神殿まで行くことに喜んで賛成してくれた。小さな村の中で金を出し合い、神殿まで向かう馬車の乗車賃を工面してくれた。


「凄い行列だね。アタシはなんか人混みに酔ってきちゃったかも」

「もう少しで先頭まで着くから頑張ろう?」

「うん、ありがとう」


 隣で若干顔色を悪くしているカレンの様子を伺う。きめ細やかな茶髪は首のあたりで三つ編みにされて、肩の下あたりまで垂れている。三つ編みは元気の良い時には動き回る彼女の動きに合わせて勢い良く上下する。今はぐったりした様子の彼女に合わせるようにしんなりとしているように見えた。面白いもの、興味深いものが目の前に現れると、まん丸に開いて、キラキラと輝きだす深緑の瞳も今は伏せられている。


 帰る前にどこかで彼女を休ませよう。少年はそんなことを思いながら列の先を眺めていた。列は長かったが、止まることなく進み続けていた。先頭に近づくにつれて周りの少年少女の期待は高まっているようだった。御伽噺にも語られる勇者の選定。もしかしたら自分は特別な人間だったのかもしれないという期待。思春期である15の少年少女にとってそれはあまりに甘美な妄想だった。


「ねえ、もし本当に勇者様に選ばれちゃったらどうする!?」

「――決めたぞケビン!俺は勇者になったらお姫様と結婚する!」


 浮かれ切った喧騒。けれども彼らはみな列の先頭まで辿り着くと、しばらくして肩を落として帰っていく。一方の少年はそのような期待とは無縁だった。村にいた時には見たことのないほどの人の数。それを見れば勇者に選ばれるかもしれないなんて、全く思えなかった。自分はなんの変哲もないただの村人だ。それでいい。そう思っていた。

けれども、ついに列の先頭に立ち、聖剣を握った瞬間異変に気付いた。手元から伝わる異様な存在感。突如熱を帯び始めた聖剣は自分の手に吸い付くようだった。何かに導かれるように、そのまま聖剣を持ち上げる。神殿にたくさんの驚きの声が響いた。



 それからは怒涛の日々だった。すぐに少年は王城への招待状を受け取った。昨日まで村人だった少年はこの国の心臓部に入ることが決定された。村に帰って半信半疑だった村人たちに王城からの招待状を見せた。みんなお祭り騒ぎだった。この村から勇者が出たのだ。英雄の村になるのだと。


「未来の英雄様に乾杯!」

「いやあ、まさかあのオスカーが勇者だなんて!世の中分からねえなあ!」

「頑張れよ、オスカー!なに、お前ならできるって!俺は信じてるからよ!」


 少年が村を立つ前夜は宴だった。大人たちは楽し気に酒を飲み、無邪気に、無責任に少年に激励の言葉を送る。少年は嬉しく感じると同時に、少し前まで気安く話していた大人たちが遠くにいったような気がして少し寂しく感じた。


 それでも自分がもはやただの村人ではないことも分かっていた。聖剣を持ち帰った日から明らかに体が変化した。飛んでいく虫の動きを正確に目で追える。腕力が急に増した。水汲みの効率は以前の比べ物にならなかった。外見上の変化はあまりなかったが、自分の体が別物に作り替えられているようだった。神殿の人間の説明によれば、数日で女神の祝福が体に行き渡るらしい。祝福といっても平凡な村人だった少年には、あまりありがたいものだと思えなかった。祝福を捨てて勇者の任から降りるか、と問われればあっさりと了承しただろう。人類の希望たる勇者という肩書はそれだけ重かった。





 一人で王都に向かうつもりだった少年にとって、幼馴染のカレンが一緒に付いていくと言って聞かなかったことは想定外だった。人当たりの良い彼女だが、同時に自分の決めたことはテコでも変えない頑固者という側面も持っていた。


「アンタがなんて言おうと付いていくから!」

「遊びじゃないんだよ?僕といれば、絶対に戦いに巻き込まれるんだ。……死ぬかもしれない」


 初めて口にした。幼馴染の拒絶。しかし今だけは。彼女を危険に晒すなんて耐えられない。でもその思いは、彼女も同じだった。


「でも……アンタが死ぬかもしれない。そう思ったらこの村でのんびりと暮らしているなんてできない。アンタの無事を平和な村で悶々と祈りながら今までの暮らしなんてできっこない!……きっと、アタシが女神様に祈り続けていたのはきっとこのためだったんだよ」


 毎日欠かさず真摯な祈りを捧げている彼女の神聖魔法の腕は近隣の村でも噂になるほどだった。治癒魔法に代表される神聖魔法は、信仰心の強さで練度が決まると言われている。大人が匙を投げた重症の患者を魔法一つで治癒してのけた時には彼も驚いた。強い意志の籠った彼女の瞳を見て、少年は説得を諦めた。戦いの場を見れば怯えて村に帰ってくれるかもしれない。そんなことを呑気に思っていた。戦場を甘く見ていたのは少年も同じだったことに気づくのはすぐだった。



 王都まではなんと領主夫妻の馬車で送ってくれるらしい。馬車には馬に乗った鎧姿の男が何人も付いていた。護衛の騎士たちらしい。急に貴族のような扱いを受けた少年は恐縮した。豪華な造りの馬車の中、正面に座るのは生まれながらの貴族。最初は村人だからどんなに馬鹿にされるのだろうかとビクビクしていたが、話してみると案外自分たちと変わらない人間のように見えた。「田舎領主なんて平民の生活と大差ないわ」なんて上質な布で作られた衣装に身を包んだ夫人が、冗談めかしてにこやかに言っていたことが少年の印象に残った。馬車がいよいよ王都に着こうかという頃、轟音が馬車を襲った。盗賊団の襲撃にあったのだと理解できたのは横転した馬車から這い出ることができた後だった。



 齢15で勇者というあまりに重い役目を背負わされた少年にとって、盗賊団との戦いは初めての実戦だった。身が竦んだ。怒号や風切り音、命を散らす者の最期の叫び。平和な村で暮らしていた少年には全てが未知で、たまらなく怖かった。その場にいる誰よりも頑丈な体を持っていても、少年の心は弱いままだった。それでも少年は剣を持ち戦場に立った。後ろには家族、姉と慕った幼馴染がいる。逃げるわけにはいかない。


「おお?なんだ、犯しがいのありそうな女がいるじゃねえか。――おいそこのクソガキ、どけ。殺すぞ」


 盗賊の中でも特に身汚い男だった。ぼろきれのような服に脂ぎった茶髪。落ちこぼれた騎士である大半の盗賊団員たちと違い、スラム街に生まれ、他人から奪い続けて生き長らえてきた男はその身に野蛮な暴力性を醸し出していた。

そんな男が幼馴染を傷つけようとしている。少年は大切な幼馴染を守ろうと思った。けれども体が思うように動かない。本物の敵意に、悪意に遭遇するのはこれが初めてだったのだ。平和な村で暮らしていた彼にとってそれらは未知の存在だった。怖かった。男の野獣のような瞳も、人の肉を容易く引き裂く剣先も。


「どけっつてんだろ!ぼうっとしてんじゃねえぞ」


 男が少年の肩を乱暴に押す。されるがままに少年は転げた。そのうちに男が幼馴染の元にたどり着く。


「お友達の前で犯してやるよ。いやあ、こんな美味しそうな上玉がいるなんてラッキーだったぜ」


 男の脂ぎった顔が欲望に醜く歪む。幼馴染の顔は怯えていた。恐怖に目を見開き、顔は遠くからでもわかるほど青白く、唇は小刻みに震えている。助けなければ。意思に反して足は石のように動かない。体は小刻みに震えるばかりでちっとも動いてはくれない。


 その時幼馴染の目がこちらに向いた。唇が動く。助けて、と言われていることに気づいた。少年は初めて幼馴染に助けを求められた。いつも不甲斐ない自分を助けてくれるのはカレンだった。彼女に手を引かれ、臆病だった自分を引っ張ってくれた。でも今は違う。少年は特別な人間になったのだ。きっと自分の体が作り変えられたのも、この時のためだったのだ。大切な人が目の前にいて、自分には助ける力がある。噓のように体が軽い。軽快に動く体は重たかった聖剣を高々と掲げ、男の右腕を裂いた。


「ガアアアアア!このクソガキ!」


 男が殺意に満ちた瞳をこちらに向けてくる。それを真っ向から受け止める少年にはもはや恐怖や怯えはない。急に勇者に相応しい心が宿ったわけではない。少年には未だに世界を救う決意もなければ、人類の希望となる実感も湧かない。けれども、目の前の大切な人を救える程度には、勇者だった。



 それからの少年は英雄の片鱗を見せていたといっていいだろう。目の前の男を打倒してすぐに、劣勢だった騎士たちと共に戦い始める。圧倒的だった。祝福を受けた体は敵の攻撃を一切寄せ付けず、ともすれば拳一つで敵を沈めていった。


 幼馴染を守ることができた。多くの盗賊を捕らえることができた。しかし、自分の目の前で多くの騎士が亡くなっていった。積みあがった死体は自分の未熟さを証明していた。

 そんな地獄の中、少年は本物の英雄の姿を見る。小さな体が舞うたびに敵が悲鳴を上げて倒れ伏す。赤髪が躍る様は獰猛な狼を思わせた。その少女の体は自分よりも遥かに小さかった。それでいて誰よりも速く、力強く、そして恐ろしいほど合理的に敵を屠っていった。小柄な少女の強さは確かに少年の憧れたものだった。しかし同時に、少年には、少女の強さはひどく不安定で危ういものに見えた。



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