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40 最古の吸血鬼

 メメの攻撃を受け止めたウラウスは、今度は僕の方に文字通り飛んできた。風を切るその速度は今まで見たどんな魔物よりも早い。辛うじて見えた、突き出してきた鋭い爪を辛うじて聖剣で受け止める。後ろに吹き飛んでしまいそうなほどの衝撃。なんとかその場にとどまる。

 ウラウスの、同性でも惹かれてしまいそうな美しい顔がすぐそばに迫る。近づいたから分かる、邪悪な気配と濃厚な血の匂い。死を予感させる雰囲気は、相対しているだけで圧倒されそうだ。


 それでも、後ろに下がるわけにはいかない。後ろにはカレンがいる。絶対に彼女を守る。僕の戦う理由はそれだけでも十分なのだ。

 勇ましい決意とは裏腹に、その足が地面を抉りながら滑っていく。獰猛な大猪の突撃を受け止めているような、とんでもない力だった。

 押し切られる。そう思った瞬間に、ウラウスの背後からメメがすごい勢いで迫ってくるのが見えた。人体を容易く両断できそうな大剣の振り下ろし。当たった、ように見えた。


 僕の体がいきなり前につんのめる。ウラウスの体はいつの間にかその場から消え失せていた。否、体を霧にしたらしかった。事前に聞いていた吸血鬼の特徴を思い出す。強力な吸血鬼の特徴、一時的に体を霧にして移動できる。

 状況を察した僕とメメは、すぐにカレンとの距離を詰める。今最も警戒すべきことを考えた結果だった。


 案の定、カレンの背後に禍々しい気配が現れる。霧から実態を取り戻したウラウスは、鋭い爪をカレンに振り下ろす。

 突き出した聖剣とぶつかり合って、硬質な音を響かせる。やはりその爪は、人類最強の兵器を以てしても斬れる気配はない。ウラウスの背後からメメの豪快な横なぎが迫っていた。ウラウスは重力など存在しないかのようにふわりと避けると、一度距離を取った。


「ハハッ。泥臭い攻撃は醜くていけないな!」


 ハリのある声が辺り一帯に響き渡る。気品を感じさせる、嫌味な声だった。


「ハッ、死肉を貪る吸血鬼が何ぬかしてんだ」


 メメの挑発が耳に入ると、ウラウスは眉を吊り上げた。


「死肉を貪る!そんなにも下品な表現で我々の食を表されてたまるか!我らはただ、血を飲むという食事の一つのアクセントとして貴様らの肉を食ってやるに過ぎない。あまり下品な表現は止め給え。不愉快だ」


 ウラウスが言いながら腕を軽く振るうと、信じられない規模の竜巻が起こった。天に昇るようなそれは、一瞬でメメの小さな体を包むと、遥か上空まで連れ去っていった。


「メメ!」

「卑しい人間らしく、地に堕ちて死にたまえ」


 暴風で全く近寄れなかった。風がやむと、重力に従って彼女が墜落を始める。慌てて駆け寄るが、距離が遠い。受け止めることが、助けることができない。

 しかし彼女の矮躯が地面に勢い良く衝突するその直前、竜巻を再現するように、上向きの強烈な風が発生した。メメの魔術だろう。彼女は上手く風を操って、辛うじて手足を使って着地した。

 未熟な僕の意識がメメのほうに向いているうちに、ウラウスはいつの間にか次の魔法を完成させていたらしい。僕たち三人に向けて、凄まじい勢いの濁流が迫る。災害としか言いようのない、人の力を超えた現象。それに反応したのは、またしてもメメだった。


「『土塊よ!何物も寄せ付けない障壁となりたまえ!』」


 僕らの身長よりも遥かに高い壁が反り立つ。濁流は土壁にせき止められたらしかった。見たことのないほどの魔法の応酬に手も足も出ず、呆然と眺めていると、いつの間にかメメが僕の近くまで来ていた。

 彼女の暴風に晒された赤髪はいつも以上にボサボサだ。竜巻に巻き上げられた泥で顔は真っ黒。連続で魔術を行使したせいで呼吸は荒く、肩を上下させている。しかし、その黒い瞳だけは、夜闇の中で爛々と輝いていた。今のメメの端正な顔からは、殺気すら感じた。


「オスカー、この前見せた氷の障壁は今出せるか?」

「うん、でもあんな大規模な魔法防げないよ?」

「お前とカレンだけを守れれば十分だ。できるな?俺は次の攻撃で仕掛ける」


 短く要件を伝えると、メメは素早く僕のところから離れていった。カレンを守るのは僕に一任されたらしい。急にプレッシャーが僕の胃に重くのしかかってくる。

 思い出せ、僕の鍛錬を。自信を持て。魔術はイメージだ。カレンを守るんだ。それだけは、守ることだけは、あの辛口なオリヴィアにも褒められたじゃないか。

 緊張に鼓動を早める僕に、次の厄災が迫る。今度は、先ほどの土の壁への意趣返しのような土石流だった。大量の土砂の中には大ぶりの岩石が複数含まれている。まともに食らえば人間などあっさり死んでしまうだろう。


「『氷よ!我らを守る障壁となれ!』」


 震えを必死に抑えながら詠唱する。あまりにも小さな、等身大の盾。でも、僕にとって一番自信のある魔術。

 土砂が、殺到した。氷にヒビが走り、甲高い悲鳴のような音を上げる。時折岩石が直撃して、鈍い音を立てる。永劫にも思えた数秒後、それは泥の奔流を抑えきり、ついには僕とカレンの身を守りきった。


「『光よ!』」


 どこかから響く鋭い声。以前にも見た、メメの目くらましの魔術が発動する。夜闇を切り裂く光が迸る。それはウラウスの目元で爆発し、ひるませた。これまでウラウスが見せなかった、決定的な隙。息を潜めていた様子を見ていたカレンは、その瞬間をしっかり捉えた。


「『女神よ、彼の者に天罰を与え給え!』」


 これまでの戦いで何度も繰り返された光弾。それはウラウスの体に確かに届いた。しかし、僅かに浅い。見えないながらも必死に身を捩ったウラウスは、決定的な一撃を辛うじて右手で受け止めた。手首から右手が吹き飛んで、その美貌が苦痛に歪む。それまで余裕を見せていたウラウスの動揺。

 ひるんだウラウスに、メメが舞った。


「死に晒せ!」

「くっ……」


 メメの大剣は違わず頭部へと迫っていったが、辛うじて、無事だった左腕に受け止められた。僅かに決定打には届かなかったメメが、仕切り直しとばかりにこちらに戻ってくる。


「……なりふり構っていられんか。我が同胞よ!我らの天敵がここにいるぞ!打ち倒せ!」


 遮るもののない戦場に、その怒声は響き渡った。その号令に応じて、周囲の気配がこちらに近づいてくるのが感覚で分かった。多数の血に飢えた視線を感じる。敵陣の真ん中で、僕たちは吸血鬼たちに囲まれてしまったらしかった。


「オスカー、カレン!周りの雑魚を任せた!」


 振り返りもせずに僕らに呼びかけて、メメはウラウスへと飛び出していった。脇目も振らず一番危険なところに突っこんでいくその様子は、いつ見ても変わらず危うい。


「カレン、すぐに終わらせてメメを助けよう!」

「うん!」



 ◇



 極めて強力な個体であるウラウスに自由に動かれてはカレンの身が危ない。プレッシャーをかけて魔術を使う隙を与えないために、防御を捨てて攻勢に出る。ウラウスの鋭い殺気が全身を突き刺す。心地よい感覚に、俺の唇が捲りあがり醜い笑みを作った。


「うっとおしいぞ羽虫!」

「蝙蝠も似たようなものじゃねえか!さっさと堕ちろ!」


 爪と大剣がぶつかり合い、闇の中で火花を散らした。ウラウスに常に張り付いて、魔法を発動させる余裕を与えない。二人を守るためにはこれしかない。ウラウスは余裕を演じるのをやめたらしく、地上に降りてきて俺と打ち合い始めた。その体にピッタリくっつくように、斬撃を叩き込む。

 しかしその代償に俺の負傷が増えていく。爪が腕を掠めて鋭い痛みを感じる。跳ね上がった長い脚が顎を直撃して頭が揺れる。気絶しそうになるのを必死に堪える。ウラウスの攻撃は苛烈になる一方で、生傷は加速度的に増えていった。


 しかし、状況としては悪くない。後ろにはオスカーとカレンがいる。俺が時間を稼いでいる間に、二人が周囲の敵を蹴散らしている。彼らの姿は俺には見えないが、それは確信できた。そしてカレンの手が空けば、こんな吸血鬼など敵ではない。


 そして、なによりも、この痛み!罰!全身が訴えかけてくる絶え間ない痛みが俺を幸福の絶頂へと誘う。安酒などよりもずっと気持ちの良い酩酊感。嗚呼、脆弱で罪深いこの体に呪いあれ!

 血が流れるほどに、表情を取り繕うのが困難になっていく。口角は上がりっぱなしで、気づけば笑い声が飛び出していた。


「ハハハ!楽しいなゾンビ野郎!お前の爪の冴え最高だぞ!」

「気持ちの悪い顔をしおって。野犬のようだぞ人間。そんなに死にたいのなら一人で野垂れ死にたまえ」


 心底軽蔑したというウラウスの表情。そうだ、俺を蔑め。俺もお前が最高に嫌いだし、死ぬほど恨めしい。

 幸せになる価値のない俺にふさわしいのは、痛みと軽蔑だ。

 決して、決して信頼なんかじゃない!


「気どるなよ亡霊!」


 俺の叫びに応えるように、唸りをあげる剛腕が俺の耳元を掠める。死がすぐそこにある実感。最大の救いである終わりと背中合わせの状況は、俺の居場所が戦場であることを教えてくれる。


 飛び出して打ち合うたびに鮮血が飛び散る。その大部分は俺の体から噴出したものだ。出血し続ける体は痛みを訴え続けていたが、舞うのに不都合はなかった。体が傷つくたびに俺の脳は快楽に犯され、冴え渡っていく。爪の先端まで見える。ウラウスの表情の変化を細部まで読み取って、次の行動を予想できる。


「ちょこまかとうっとおしいぞ駄犬!さっさと地にひれ伏せ!」

「──ッ」


 予想外の動きだった。長い手が伸びてきて、爪先が肩を浅く抉る。傷は浅いが凄まじい衝撃だった。体が吹き飛ばされ、無防備な体を晒す。


「『風よ!』」


 即興の魔術でなんとか体を動かし、致死の一撃を辛うじて避ける。着地して一呼吸置く。しかし、そのまま休んでいる暇もなさそうだった。


 ウラウスの急速な魔力の高まり。ここで大規模な魔法を放たれるわけにはいかない。すぐさま俺は体当たりするように突進する。

 何度目か分からない、大剣と爪の激突。とうに感覚を失った両手は、なんとか柄を手放さなかった。ウラウスは未だ余裕そうな表情。今のは危なかった。もう少し遅かったらカレンを殺されていたかもしれない。

 俺が殺されるのは良い。ただ、カレンやオスカーが俺の目の前で殺されるのは許容できそうになかった。不安に胸が食いつぶされそうだ。あまりの焦燥に、無策にウラウスに突撃していきたくなる。


 落ち着け俺。焦ってもいいことはない。カレンとオスカーをこいつと戦わせるわけにはいかない。俺が死ぬのは今じゃないだろう。

 ウラウスの視線は時々カレンの方に向いている。彼女を殺す隙を探しているようだ。あの時とは違う。今度は、守る。


「いい加減堕ちたらどうかねボロ雑巾女。諦めれば我々の血液タンクくらいにはしてやるぞ?処女の血は美味いからな」

「気色悪いこと言ってんじゃねえぞ。お前が人間の血を吸う機会なんて二度と訪れないぞ」


 戯言を交えながら、本気で剣と爪を打ち合わせる。ウラウスの長い脚が跳ねあがってきたので、俺の脚を合わせる。右足に走る鈍い衝撃。それだけで思わず大剣を取り落としてしまいそうだ。


「戦力差は分かっているだろう?諦めたらどうかね」

「……ッ!」


 数えきれないほど得物を打ち合わせて、殺意をぶつけ合う。しかし傷を負うのは俺ばかりだ。全身が悲鳴を上げている。


 それでも、と俺は夢にまで見た宿敵を殺意を籠めて睨みつける。俺には復讐の機会が与えられている。それはとても恵まれていることだ。

 惨たらしく殺されたあの日のカレンにはそんな権利与えられなかった。彼女だけでなく、あらゆる人間がそうだ。だから、俺に諦める権利なんてないのだ。そんな権利は勇者になった時に失ったのだろう。あるのは前に進む義務だけだ。


「なぜそんな瞳をする?貴様の如き卑しき人間が何を背負うというのかね」


 突然、ウラウスが抽象的な問いを投げかけてくる。どこか、オリヴィアのものにも似た問い。それは挑発というよりも、単純な疑問であるようだった。知能の高い魔物によく見られる、遊びや余裕といった無駄、人間らしさの発露。好都合だ。時間を稼げる。


「俺が背負うのは、人の想いだ。好悪問わずな。お前みたいに自分に対する無根拠な自信ではない」


 聞いておきながら、ウラウスは嘲笑する。自信満々に。傲慢に。


「人の想い!面白くない冗談だ。そんな不確定で曖昧で、何よりも下らないもののために、貴様は地を這いつくばってでも進むとでも?」

「お前がそれをどう思うのかなど関係ない。俺にとってはそれが価値があるというだけだ」

「フン、理解できない考え方だ。そんな偽善者ばかりだから無責任で愚かな人間はここまで蔓延ったのか?」

「人間の存在意義なんて知らねえよ。ただ、俺とお前は天敵同士で、殺し合う必要がある。それだけだろう?」

「……やはり野蛮だな。会話が成立したと思った私が馬鹿だったよ」


 その嫌悪に呼応するように、ウラウスの爪は一層鋭さを増して俺に襲い掛かってきた。辛うじて弾いた大剣の柄がびりびりと震え、取り落としそうになる。

 しかし、それでも、こんな奴に負けるわけにいかない。優等種族気取りの傲慢なコイツに、人間を蹂躙させるわけにはいかない。弱っていく体を叱咤するよう叫ぶと、再び突撃する。


「オオオオオ!」

「……まだ力が衰えぬか」


 大丈夫だ、戦える。戦場にいる限り、俺の罪を罰せられている限り、俺の頭は少しでも長い酩酊を求めて最適の動きを選べる。醜く、生き汚く、戦う。





 戦いの喧騒響く夜闇に火花が舞い散る。疲労と出血を重ねた体は熱を失いつつある。俺の終わり、心臓が動きを止める時が刻一刻と近づいているようだった。その予感に恐怖し、そしてどうしようもないほど期待する。嗚呼、死が近づいてきている。醜い俺に罰を、救いを下さんと、首筋に迫ってきている。


 決定的な異変が起きたのは、何度目かわからない、唸る剛腕をいなした時だ。多幸感に浸り続けていた俺は気付かなかった。自分の体の危険信号の変化に。


「あ?」


 体がグラッと揺れる。手足が言うことを聞かない。隙だらけの状態を見逃すはずもなく、無防備な腹部に、爪が深々と突き刺さる。


「ガアアアア!ハッ!ハハハハハ!」


 臓腑を搔きまわされるような痛み。今までとは決定的に異なる、死を覚悟するような激痛。剛腕に持ち上げられた俺は身動きを取れそうになかった。しかし──


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