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38 夜闇の防衛戦

 俺がどれだけ過去の想いに囚われようとも、時間は進む。


 日の落ちたトリギス砦には、かつてないほどの人の気配があった。勇者からの進言通りに集められた騎士と聖職者が砦に詰めている。


 今宵の空はどんよりとした雲に覆われていた。月も星も夜を照らしていない。それはつまり、光がなくなるほど強くなる吸血鬼が活動するのに最適な環境と言えた。

 そういうわけで、トリギス砦は今できる限りの警戒態勢を取っていた。俺たち勇者パーティーも起きて待機。俺の経験則から言っても、襲撃は今夜だと予想できた。


「僕の一言でこんなにも沢山の人が動くんだね」

「勇者の機嫌は損ねたくないんだろうよ。少なくともお前が何か失敗しない限り、王国はお前の意見を最大限尊重するだろうよ」


 それこそ機嫌を損ねて勇者に王国の乗っ取りでも画策されたら大変だ。俺のように。しかし、今回の進言が的外れだったなら次からは耳を貸してくれないだろう。


 ……しかし本当に俺の知る通りに歴史が動くだろうか。考えていると急激に不安になってきた。この世界は厳密には俺の知る世界とは違うものである、ということは以前ジェーンから聞いた。吸血鬼の行動パターンが変化する、ということは有り得ない話ではない。いやしかし、街が襲われるのを対策もせず見過ごしては下手すれば王国が危うい。


 吸血鬼の主、ウラウスは条件さえそろえば人類を滅ぼし得るほどの強力な個体だ。眷属を増やせば吸血鬼の軍勢の進撃を止めるのが困難になる。魔王軍全体が動き出す前に殲滅しておくべきだ。

 でも、進言が間違いだった時に責を問われるのは今度は俺ではないのだ。思えばどうしてあんなに無責任なことができたのか。俺が、俺なんかがオスカーの名声を汚すというのか。彼はまだ、罪に塗れていないというのに、この俺が。頭の中が混沌としてきて、思考が坩堝と化す。


「メメさん」


 ジェーンの無機質な声に思考が外界に向けられる。混迷した思索をひとまず脇に置くことができた。


「……なんだよ」

「いえ、なんかまためんどくさいこと考えていそうだったので声をかけました」

「……めんどくさいってなんだよ」

「貴女の立派な仲間たちの顔でも眺めたらどうですか?」


 ジェーンは問いかけには答えずに促す。俯いていた顔を上げると、彼らの顔が良く見えた。


 オスカーの顔には過去の戦いのような浮ついた様子は見られない。ただじっと夜空を見上げる表情は落ち着いていて、来るべき戦いにただ静かに備えていた。

 カレンはオリヴィアに話しかけていた。いつもながら陽気な姿だったが、適度な緊張感が見られる。不安などのネガティブな感情はあまり見られない。

 オリヴィアの落ち着いた様子はいつもとあまり変わらないようだった。ただそれは、初陣の時のような緊張から無口になっているわけではなく、カレンとの雑談を適度に楽しんでいるようだった。


「貴女が信頼されているからこそ落ち着いて敵を待っているのではないですか?」

「……そうか?」

「ええ、感情には疎い私から見てもそう見えますよ」


 信頼されている、というのは確かに嬉しい。嬉しいが、それは同時に畏れ多さと、失望されることに対する恐れを想起させる。俺の予想は間違っていたのではないか。俺のせいで勇者パーティーが批判されるのではないか。


「ああ、まためんどくさいこと考えてる顔してますね」

「……めんどくさいこと考えてる顔ってなんだよ」

「その、目がどんどん濁っていく顔ですよ。余計なことを考えている顔です」

「余計なことっていうか、考えなければならないことが多いだけだろ。俺が一番知ってるんだから。魔物のこと、戦いのこと、未来のこと、全部だ」


 そしてそれら全部を知っていて尚、俺は失敗し続けたのだから。


「なるほど、そういうことですか。それなら簡単です。私に任せてみてください」

「……はっ?」

「というか貴女は不自然なほどに人を頼らなすぎですね。一回言ってみたらどうですか? 失敗するのが怖い。戦うのは辛い。平穏に暮らしたい。別に恥じらうことでもありません。今の貴女は庇護されるべき愛らしい少女であり、戦う義務すら負っていないのですから」

「……そんな情けないことできるか」


 俺の言葉を聞いたジェーンはやれやれとでもいうように肩をすくめた。似合わぬ人間味のある仕草だった。


「情けないとかプライドとか、人間はそんな何の役にも立たないことが大好きですね。なぜですか?」

「なぜ、と言われてもな。それは俺自身が納得できるかの問題だ。理屈じゃない」


 そう、理屈じゃない。貧相な体で魔王軍を戦おうとしているのは、ただの私怨だ。──それから、仲間のためだ。思い浮かぶのはオリヴィアの赤い顔。カレンの満面の笑み。オスカーの情けない顔。


 理屈じゃなく、俺は俺の感情に従って戦おう。例えその末に、死が待っているとしても。

 ──本当にそうか? 俺はそんな綺麗な感情のために戦っているのか? それはただの遠回しの自殺に過ぎないのではないか。俺を監視する俺の自意識が問いかける。

 無垢とも言える信頼を俺に向けてくる仲間たち。それを裏切って俺は、破滅への道を喜々として向かっているだけじゃないか? 自問自答にはいつだって答えなんて出ない。ただモヤモヤとした気持ちが胸の底に沈殿するだけだ。


 視界の端で、俺の表情を観察するジェーンが、やれやれと溜息をついたのが見えた。





「来たぞ! 吸血鬼だ! 数え切れないほどいるぞ!」


 見張り役の兵士の鋭い声に立ち上がり、砦の北方を見やる。篝火にぼんやりと照らされた夜闇に映るのは、数多の影。羽を有して上空に位置しているもの。地上で列をなしてこちらに猛然と突っ込んでくるもの。


「敵に大規模な魔力の反応あり! でかいのが来るぞ!」

「相手は魔物だろ!? なんで魔法が飛んでくるんだ!」

「おい、魔法使いはいるか!? すぐに防御態勢を!」

「私が、出ます」


 混沌とした砦に響くその声は不思議なほどよく聞き取れた。その主はオリヴィア。静かに燃える瞳には決意が見られた。


 砦に夜空を覆いつくさんばかりの炎の矢の雨が迫ってきていた。流星のように飛んでくるそれは、直撃すれば頑丈な砦の壁でも容易く破壊してしまうだろう。魔族の扱う魔法に多い、大雑把で効果の高い魔法。迎え撃つのは、同世代最強クラスの魔法使い、オリヴィアだ。


「『今は亡き、慈悲深き水の神よ、畏れ多くもお願い奉る。願うは広大な空を覆い尽くす偉大な壁。あらゆる炎の厄災を退け我らに救いを齎す絶対の守り。我が魔力を以て顕現させたまえ。水の壁よ、我ら全てを守り通したまえ!』」


 長い詠唱を経て膨大な魔力を解放した。見る者が見れば感嘆のため息を漏らすほどの、完璧な魔法の発動。それに呼応して、砦を丸ごと覆うように半円状の水のドームが展開された。破滅をもたらすはずだった無数の炎の矢は、全てそれに阻まれあっけなく消滅した。視界に映る黒い空、全てが中空に浮かぶ水の向こうでユラユラと揺れていた。

 戦争中でも滅多に見れないほどの大規模な魔法だった。最高峰の魔法使い、宮廷魔法師にも匹敵するような完璧な魔法。流石オリヴィアだ。……しかし、この時期の彼女にこれほどの力があっただろうか。


 大規模な魔法に対する防衛魔法としては完璧だったが、水の障壁は入ってくる吸血鬼までは拒めない。翼を背負った人型が、次々と砦に飛んできていた。吸血鬼の群れの先陣を切るのは、翼の扱いに長けている、機動力のある個体だ。後からは、地上を走る吸血鬼が恐ろしいほどの数で迫ってくる。


 厳重な防御態勢を整えたトリギス砦でも危ういと思えるほどの戦力だ。そもそも吸血鬼は単体でも脅威とみなされる危険な魔物なのだ。それが徒党を組んで、戦略的に砦を落とそうとしてくる。勇者の進言に半信半疑だった騎士たちの危機感が高まる。


「大砲をすぐに稼働させろ! 足止めできれば十分だ!」

「待機中の騎士と聖職者を直ちに招集しろ! 出し惜しみできる状況じゃないぞ!」

「王都に伝令を走らせろ! 魔王軍の総攻撃の可能性もあるぞ!」


 一気に砦の緊張感が高まる。甲冑をガチャガチャと鳴らしながらせわしなく人が行き来する。大戦前の、人員が十分にいる時期だけあって、騎士の練度は高そうだ。これなら吸血鬼相手だろうと上手くやるだろう。

 夜間にしか十分に力を発揮できない吸血鬼相手の防衛戦は、夜の間砦を守り切れればこちらの勝ちだ。終わりの見えない籠城よりもずっと楽と言える。ただし、一体一体が強力な吸血鬼の攻撃は苛烈を極めるだろう。


 騒がしくなった砦の中で、素早く勇者パーティーの仲間たちに指示を送る。


「ジェーン、砦の上から全体の支援を行ってくれ。集団戦では大規模な魔法が鍵だ。飛行する個体を優先して狙ってくれ」

「お任せを」

「オリヴィアも同じだ。通常の魔法では決定打は与えづらいだろう。騎士たちが戦いやすいようにうまく援護してやってくれ」

「もちろんです。メメさんも気を付けて」

「カレンの神聖魔法は敵陣に斬りこむ時に必要だ。危険だが、一緒に突っ込んでもらう」

「任せて!」

「オスカー、死ぬ気でカレンを守るぞ。俺も出る」

「言われるまでもないよ」


 こういう時に勇者に求められる役割は一つ。敵の頭脳となっている個体の撃破だ。いくら勇者が優れた能力を持っていようとも百の魔物を同時に殺すことは不可能だ。勇者の個として優れている能力は、防衛戦向きとは言えない。それに、今回はウラウスという危険極まりない魔物がいる。きっと最初の魔法もあいつの仕業だろう。

 だからこそ俺たちの、勇者パーティーの戦いは防衛ではなく反撃だ。最も危険な所に赴き、敵の最も危険な存在を刈り取る。最短で最高の戦果を出す、危険なギャンブル。チップは勇者の命、それから人類の未来だ。


「それじゃあ、行くぞオスカー。人類の未来のために」


 拳を突き出すと、今回は力強い拳で返された。


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