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36 でえと

 体調不良といえども部屋のベッドでただ寝ている、というのも非常に退屈だった。太陽ももう登り切った頃だ。朝食時に感じていた不快感が収まってきた俺は、読書の続きでもしようかとベッドを立った。

 ちょうどその時、部屋の戸が荒々しく叩かれる。このノックの仕方はカレンか、と思いきや、返事も待たずに扉を開けたのは、意外にもオリヴィアだった。何かいつもと様子が違う。紅潮した頬。普段、深海のように落ち着き払った碧眼は今、興奮に開き切っていた。


「体調は戻ったようですね!?メメさん。でえと、というものをしましょう!」


 開口一番、不自然なほどハイテンションなオリヴィアが、たどたどしい口調で似合わぬ言葉を言い放った。


「……はっ?で、デート?なんでそんな言葉がオリヴィアから……」

「カレンさんに聞きました。庶民のみなさんは、好き合っている二人でどこかに出かけることを、でえと、と言うのでしょう?」


 間違いではない。しかしそこには間違いなく無視できない誤解があった。


「いや、オリヴィア、好き合っているというのはな……」

「なんですか!?私にあんなことをしておいて、私のことなど好きではないなどとおっしゃるのですか!?ひどいです!」


 いや、なんのことだろうか……。オリヴィアは自分の発言に恥ずかしくなってさらに頬を赤らめていた。雪のように白い肌は、今ではすっかり秋の紅葉のような色合いになっている。可愛い。いや、そうではなく。


「どうしてそんなことを急にオリヴィアが言い出したんだ?」

「細かいことは良いのです。さあ、この服に着替えて、行きますわよ!」


 その大胆さはカレンの姿を彷彿とさせた。きっとこの突然の行動はカレンの差し金なのだろう。オリヴィアに誤解のある形でデートという概念を教えたのも。

 何事にも生真面目なオリヴィアは、一度思い込むと突っ走っていく傾向がある。今回もカレンか誰かに何か吹き込まれたのだろう。俺を元気付けてきて、などと言われただろうか。


 やたらとテンションの高いオリヴィアに向き直る。高揚した様子の彼女は、俺のものらしい服を抱えていた。


 ……いや待て。なんだその全体的にフリフリの可愛らしさを全面に出した服は。なんだその短いスカートは。そんな女の子みたいな服を俺に着ろというのか!?


「待て!そんな服俺は着ないぞ!」

「パートナーのコーディネートもでえとの一環なのでしょう?いいから着てもらいます。『風よ、彼の者を生まれたままの姿にせよ』」

「違う!それもデートの様式かもしれんがその強引なのは絶対違う!やめろおおおおお!」


 有無を言わせず、オリヴィアはあれよあれよという間に俺を着替えさせた。



 ナルティアの南側、宝石類やアクセサリーを売っている区画は静謐な雰囲気に包まれている。未来にはここが阿鼻叫喚の地獄になるとはとても思えないほどの静けさだった。


 そんな街の中を、オリヴィアと二人で歩く。彼女に無理やり手を引かれるのが恥ずかしくて、俺は諦めて彼女の後ろを歩くことにした。彼女の歩きには迷いがなく、どこか目的地があるようだった。


「なあオリヴィア、やっぱり俺の格好変じゃないか?めちゃくちゃ見られてるんだが……」

「それは今の貴女が魅力的だからでしょう。試しに男性に笑顔で手でも振ってみては?きっとその場で求婚してきますわ」


 彼女は男をなんだと思っているのだろうか……。


「ひゃっ!」


 唐突に突風が吹いてきて、反射的に丈の短いスカートを抑える。


「チッ、おっしー」

「赤じゃないか?今の赤色じゃなかったか?」

「馬鹿、それはスカートの色だろ。惜しかったなあ。後少し」


 声に反応して顔が赤くなったのが分かった。辛うじてスカートを戻すと、周囲からがっかりした声が聞こえた気がした。声のした方をにらみつけると、男たちが視線を逸らしてそそくさとその場を立ち去っていった。クソ、スカートじゃなければ走っていってハイキックを顎にお見舞いしてやれたのに……。



 しばらくすると、ずんずんと前を進んでいたオリヴィアの足が止まった。


「おそらくここでしょうか」

「『シュムック』……。ああ、昨日女主人が言ってた店か。確かにこれみたいだが……なんの用が?」

「行きますわよ」

「あちょっ、手引っ張んなくても着いてくって!」


 無理に振りほどくのも気が引けて、幼子のように引きずられて入店する。

 白で統一された店内は、静けさと上品さを醸し出していた。清潔な店内の棚には、アクセサリーの類が並べられている。小さなサファイアの嵌められたピアス。トパーズの琥珀色の光が上品な美しさを出しているネックレス。ルビーが紅く光る髪飾り。


 以前ならみじんも興味が湧かなかったそれらに、少し心惹かれている自分に驚く。

 堂々とした足取りで入店したオリヴィアは、早速物色を始めた。むむむ、と唸るその様子は真剣だ。


「お、オリヴィア、終わるまで外で待っていようか?」

「いえ、お待ちを」


 オリヴィアは白金色の髪飾りを持つと、俺の方に近づいてきた。髪にひんやりとした金属が押し当てられる感覚。


「ふむふむ、赤髪には合いませんね」

「あ、あの……」


 止める暇もなく、再び真剣な様子で物色を始めるオリヴィア。ほどなく、一つのアクセサリーを持ってきた。それは小さな髪留めだ。白銀の中心に、小さな蒼。サファイアの嵌め込まれたそれを、オリヴィアは再び俺の頭に当てがった。


「良いですね、これにしましょう。店主、これを買いましょう」


 再び向こうに行ってしまったオリヴィアを呆然と眺める。一体なんだったのだろうか。慣れた態度で慇懃な店員とのやり取りを終わらせる。買い取った髪留めを持ったオリヴィアがずんずんとこっちに近づいてきた。


「メメさん、少し動かないで下さいませ」


 髪に何か付けられる感触。いつの間にか目の前に差し出されていたオリヴィアの手鏡で自分の顔を見た。未だに見慣れない自分の可憐な顔。その額をさらけ出すように、髪留めが存在した。

 初めは綺麗だ、と素直に思った。赤色の中にポツンと存在する蒼色は、小さいながらも存在感を示している。しかしそれが自分の顔だと思うと、少しの嫌悪が這い上がってくる。


「いかがですかメメさん。中々似合っていると思いませんか?」

「あ、ああ。……わざわざこのために?」


 オリヴィアの意図を図りかねて問いかける。彼女は少し微笑むと、穏やかに語り始めた。


「私、貴女のことは結構好きです」

「ヒェッ……あ、うん、ありがとう……」


 突然の言葉に飛び上がる心臓。――あの時のオリヴィアの死に顔がフラッシュバックする。


「礼節があるようで荒々しい在り方も、遠いようで近い不思議な距離感も、箱庭で生きてきた私には新鮮で、とても魅力的に映ったのです」

「あ、ありがとう。その…………ありがとう」


 ……俺の語彙力はどこに行ったのだろうか。沸騰する頭は受け答えすらまともにできない。


「でも、だから、自分を大事にしない貴女は嫌いですの」

「……」


 急速に脳髄が冷える。それは、いつかどこかで聞いたセリフだった気がした。


「だから、貴女に戦い以外の自分の価値を見出して欲しかったんです。その髪飾り、貴女の可愛らしさを良く引き出していると思いませんこと?」


 オリヴィアは魅力的に微笑む。他人を思いやる、高潔な精神。眩しくて目を逸らしてしまいそうだった。その笑みを見て思い出すのは彼女を看取った数多の記憶。君にそんな風に気にかけてもらうような価値は俺にはないのだ。


「あら、また私の嫌いな表情をしていますね」

「ひゃ、ひゃめろオリヴィア、離せ」


 白魚のような手が伸びてきて、両側からガチッと頬を挟まれる。サファイアのように、青空のように、澄んだ瞳と無理やり目を合わせられる。全てを見透かすような奥深さ。


「貴女の心は本来、宝石のように透き通ったものだったのでしょう。どうしてその輝きを自分で濁らすのです?」

「……俺には、責務があった。今もある」


 脳裏に浮かぶ、仲間の死に顔。


「貴女はいったい誰に、それを背負わされているのでしょう?」

「……分からない」

「貴族階級に生まれた小娘の戯言ですが、責務とは、他人に強制されるものではなく、自分の誇りを守るために、自分のために背負うものなのではありませんか?――少なくとも、自分を傷つけるために背負うものではありません」


 嗚呼、やはり君はいつでも貴族の理想像の体現だ。己の義務を知り、弱者にはためらわず手を差し伸べる。ノブレスオブリージュとでも言うべき、高潔な精神。それは陽光のように眩しくて、目を焼かれそうだった。


「……そうだな」


 肯定する言葉を吐きながら心中で否定する。その理屈は、正しい君の理屈では、罪深い俺は救われない。


「言葉では届きませんか。では……」


 オリヴィアは少し腰を屈めると、俺の手を取った。困惑する俺をよそに彼女は俺の額にくちづけをした。


「なっ……なん……」

「意趣返し、ですわよ?恨むならお酒に酔った自分を恨んでくださいませ」


 真っ赤な耳を隠すように、オリヴィアが足早に立ち去る。背を向けたままで、彼女が語る。


「では、私に大事に思われている貴女を、大事にしてくださいませ」


 颯爽と去っていた彼女を呆然と眺めていた俺は、店先に立ち尽くしてしまった。心臓はしばらくバクバクと鳴り続けていた。ようやく顔の熱が引いて、冷静な思考が変わってくる。


「それでも、俺は――」



 ◇



 彼女の燃えるような赤髪は、その気質を良く表していると思った。何かに憑かれたようにその命を戦いに燃やし続ける。だから、その炎に、一点の青が欲しかった。サファイアの蒼は、紅蓮のような頭髪に良く似合っていた。彼女が戦いのためにしか生きられないというなら仕方ないだろう。でも、せめてその心の片隅に、それ以外の心を持って欲しかった。わずかでも普通の少女のよう願望を持ってほしかった。宝石を愛でるような、青空を眺めて心を落ち着かせるような、そんな普通の少女のような側面を持ってほしかった。


 髪飾りを彼女の前髪に取り付ける。紅色の中で堂々と光る蒼は、悪くなかった。


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