35 バッドエンドの記憶 ウラウス
グロ注意?
今までで一番吐き気を催すバッドエンドの話
以前見た夢の続きを見る、ということは俺にとってそれほど珍しいことでもなかった。
なぜなら、俺の見る夢とは大抵過去実際にあったこと。それには必ず続きがあって、終わりはない。俺がここで生きている限り、俺の見る悪夢に終わりはない。
そういうわけで、今日も俺は悪夢を見ていた。それは俺が吸血鬼と化したカレンを斬り捨てた後のこと。最古の吸血鬼、ウラウスと初めて遭遇した時の記憶だ。
俺は背後から牙を突き立ててきていた吸血鬼を振り向かないままに斬り殺した。女神の加護を受けた体は吸血鬼の牙などでは死ななかった。しかしそんなことはどうでも良かった。
「ァアアアア!やり直しやり直しやり直し!女神!今すぐ俺を過去に戻せ!やり直しだ!」
屍の転がる地獄でみっともなく喚く。カレンのいない世界に価値など感じられるはずがなかった。女神からの返答はない。しかし、俺の自分勝手な望みが間違っていることはすぐに思い知らされた。
助けを求める悲鳴を聞く。眼前には巨漢の男に覆いかぶされ、命を散らす直前の女。力の入らない体を叱咤して駆け寄り、無心で一閃する。女に覆いかぶさっていた眷属は力なく崩れ落ちた。
「ああ、ありがとうございます。勇者様!」
純粋な感謝と勇者という呼称。その言葉に気づかされる。何を勝手に諦めようとしていたのか。そうだ。俺は勇者。人類の希望。魔王に唯一対抗できる人間。諦める資格などあるものか。助けた女は止める間もなくどこかに逃げ去っていった。
鮮血をまき散らして倒れ伏したカレンの遺体を、そっと地面に横たえる。瞳はもう明かりを灯さず、心臓からは未だに泉のように血が噴き出していた。それを最後に一瞥すると、俺は希望でも復讐心でもなく、ただ自分の責務に従って、地獄の深いところへと歩を進めた。
それからの俺がどうやって進んだのか覚えていない。何体、否、何人斬ったのか曖昧だ。ただ、手に残る肉を絶つ感覚だけがべっとりと残っていた。
そうしてたどり着いた。悲劇の元凶。吸血鬼の主、ウラウスのもとに。話には聞いていた。吸血鬼には種族を統べる王がいると。その個体は勇者といえども倒せるか分からない強力な魔物であることを。
「おお、表情が険しいぞ、卑しき勇者よ。私に会いに来たのだろう?拝謁を喜び給え」
他の吸血鬼とは比べ物にならないほどの存在感だった。同性でも色気を感じるほどの美貌。人形のように完璧な比率の目鼻は今、ひどく嬉しそうに歪められていた。気取った笑い方。それを気に掛けるほど、俺の中に余裕は残っていなかった。
「――ッ、貴様のせいでっ!」
「おお、野犬のような勇ましさだな。――醜い」
激情のままに飛び出した俺を迎えたのは、爪でも牙でもなく、土の奔流だった。魔法で生み出された、身長を遥かに超える土に一瞬で体を囚われる。予想外の事態になすすべもなく自由を奪われる。魔物が人間以上に魔法を使いこなし得ることを、その時に俺は初めて知った。大量の土に流され、口に、鼻に、耳に、土砂が侵入してくる。
「カッ……」
奔流に流された俺を襲ったのは、衝撃以上に息苦しさだった。魔法で生み出された土が口と鼻に侵入し、呼吸を妨げている。四肢を動かすこともかなわず、反撃などできるはずもなかった。
「くっ……ゴホッゴホッ」
「おお、泥まみれではないか!汚らしいぞ勇者!どれ、流してやろう」
覆っていた土が突如消え、這いつくばり呼吸を整える俺に、今度は土石流のように濁流が押し寄せる。津波を生み出す、大規模な魔法。水に蹂躙された呼吸器が、再び酸素を求めて悲鳴をあげる。
ウラウスの攻撃に対して俺は無力だった。聖剣はあらゆる魔物を切り裂くが、魔法は斬れない。俺には離れた位置にいるウラウスへの攻撃手段がなかった。
そもそも俺の知っている魔物とは、その優れた身体能力で突進してくるような存在だった。こんなふうに魔法を扱う存在ではなかった。
魔法を自在に扱うものと、剣を振るうしか能のない俺。俺とウラウスの勝敗は決したも同然だった。
みっともなく地面に這いつくばり、咳き込み続ける。酸素の不足した頭には、もはや眼前の敵へ立ち向かう気概すら残っていなかった。くらくらとした頭が、生きるためだけに呼吸をさせる。
「ハッ……ハッ……」
「ハハッ弱い!腰で無用の長物となっている聖剣も泣いておろうぞ」
今度はウラウスの足元から植物の蔦が伸びてきた。力の入らない俺の手足に、蔦が巻き付く。なすすべもなく俺の体が持ち上げられた。
「退屈だぞ勇者。少し私を楽しませてくれ」
ウラウスは近場に転がる人間の死体を無造作に持ち上げると、乱暴にその腕を引きちぎった。
「ほら、私たちが愛してやまない血だ。飲め」
「グッ……」
蔦が俺の首に巻き付き、締め付け始めた。息苦しさに耐えきれず、呼吸を求めて口が開き、それを突っ込まれる。
「――ンンン!」
「血の飲み方にも嗜好というものがあってな?肉ごと食らうそれはスタンダードながら悪くない味わいなのだ」
最初に感じたのは、むせ返るような鼻孔を蹂躙する血の匂いだった。遅れて喉元に絡みつく生々しい肉の食感。今までに感じたことのないほどの嫌悪感を伴う吐き気を催した。しかし吐き出すことは敵わない。
蔦が俺の頭を固定しつつ顎を強烈に抑え込んでいて、口を開くことができない。錆びた鉄のような匂いと気持ちの悪い食感から逃れることができない。ウラウスは揶揄うように俺の鼻を手で摘まんだ。
必然俺の呼吸が苦しくなり、抗うことのできない生理的反応として嚥下する。喉を過ぎる肉塊。
「ウッ――オエエエエ」
そして、耐えきれず吐いた。血の色をした吐瀉物が俺の足元に降り注ぎ、異臭を放ち始めた。
「ハハハハハ!醜い!あまりにも醜いぞ勇者!」
哄笑するウラウスの前に、俺は抵抗する気力すら失っていた。蹂躙された呼吸器は既に生命を維持するのに精一杯で、反撃のために駆け出すことは叶わなかった。
「さあ!まだあるぞ!今度は心臓を絞って新鮮な血を飲ませてやろう。私もお気に入りの方法だぞ」
俺の口の中で無造作に取り出され心臓が雑巾のように絞られる。先ほどの数倍濃厚な血が口腔に侵略し――
「うわあああ!?オエッッ、ウウウウウウ!!」
自分の絶叫で目が覚めた。無我夢中で口の中のものを吐き出そうとした。空っぽの口から唾液だけが飛び出してベッドの脇に飛び散った。
日はまだ登り切っていなかった。薄明かりの空に残る闇に僅かに恐怖を覚える。しかし俺は急いでトイレに向かった。
トイレで座り込み、嘔吐を続ける。鼻の錆びた鉄の匂いが消えない。昨日食べた肉が、僅かに形を残したまま吐き出された。それを見てまた吐き気が強まる。這いつくばる自分の姿は、どこまでも情けない。
どれくらいそうしていたのか分からなかった。胃の中身を出し尽くしてトイレから出た時には、空には夜闇は少しも残っていなかった。
「メメ、顔色悪いね。どうしたの?」
「ああ、少し目覚めが悪かっただけだ。気にするな」
重い体を引き摺って向かった朝食の席では、食欲はみじんもわかなかった。なんとか水だけを流し込んでいく。
「メメちゃん体調悪いの?いつもはあんなに食べるのに」
「ああ、ちょっとな」
「……ちょっとには見えませんね。少しベッドで休んだ方がよろしいのではないでしょうか」
今日は魔物との実戦を含めた戦闘訓練を予定していた。しかし顔色が悪いと皆から止められて、俺はあてがわれた私室へと押し込まれた。
夢如きに動揺してしまう不甲斐ない自分が情けない。前々から感じていたが、やはり俺の精神に変化が生じている。以前なら過去の記憶に悔やむことはあれど、体調まで崩すようなことはなかった。
精神は、魂は、肉体の在り方に引っ張られる。今の俺の容易く崩れる心の在り方は、確かに幼い少女のそれだった。
やはり、俺がこの体で再び生を受けたことそれ自体が罰だったのだろう。胃腸の不調を感じながら横になり、確信を深める。
何度やってもダメで、皆を殺してばかりの俺に課せられた、生という罰。それは俺の臓腑にずっしりとのしかかり、キリキリと痛んでいた。




