34 カレンの焦り
カレン視点
天秤に、女神に、只管に祈る。祈りには雑念がはいってはならない。浮かべるのはただ女神への祈り、世界が平和であるようにという純粋な願いでなかればならない。それでも、今のカレンには祈りに集中することができなかった。
いまいち集中できないままに、教会を出た。やはり先日のことを気にしているらしい。彼女はそう自己分析をして、自分のするべきことを結論付けた。
「……良し!」
やはり直接頼むべきだろう。うだうだと考え続けても仕方ない。アタシは早速、まずはメメの元を訪れることにした。
「メメちゃーん、いるー?」
メメちゃんに割り当てられた部屋のドアをノックする。彼女は外で鍛錬している時以外は部屋にいることが多かった。中から、空いてるぞ、という静かな声が聞こえた。
扉を開け中に入ると、備え付けの椅子に腰かけたメメちゃんの姿が見えた。手元のテーブルに開かれているのは、何やら分厚い書籍。ページに目を落とす彼女の眉間には、少し皺が寄っていた。調べ物だろうか。
「ごめん、邪魔だったかな?」
「いや、問題ないよ、どうしたんだ?」
話しかけると、髪をかき上げながら顔を上げ、落ち着いた様子で尋ねてくるメメちゃんは、見ている書籍も相まって、なんだかすごく大人びて見えた。堂々たる態度は、相変わらず小さくて可愛らしい容貌とのギャップがすごい。
……そんなところにオスカーも惹かれたのだろうか。幼馴染の、想い人の様子を思い出す。彼女と鍛錬した後、仲良さげに二人で帰ってくる彼の姿。
お互い口は悪いけど、そこには仲の良い友人に向けるような好意的な感情があったように見えた。友人に向ける感情といえ、好意は好意だ。気が気でない、というのが正直なところだった。今までオスカーの周囲には同年代の女の子はいなかったのだ。慣れない状況に、考えれば考えるほどもやもやとした気持ちが湧いてきてしまう。そんな焦燥に駆られて、自分でも思いもよらぬ行動に出てしまった。
「……メメちゃんは、オスカーのことが気になっていたりするの?」
気づけば、全く言う気のなかった言葉が口をついて出てきた。すぐに後悔がじんわりと頭を巡る。いったいその答えを聞いてどうするというのか。
しかし、メメちゃんから予想していたいずれの答えも返ってこなかった。
「…………はっ?」
彼女には大変珍しい、ポケッとした顔だった。鳩が豆鉄砲を食ったような、という言葉が似合うような、間の抜けた顔。何を言われたのか分からない、と顔全体が訴えかけてきていた。しばらくして正気に戻ると、すぐに怒涛の言葉が返ってくる。
「い、いやいやいやいや!あり得ないだろ!どうやったらそういう話になるんだよ?だいたい、あいつだぞ?弱気で、剣を振るうのもまだ覚束なくて、すぐにビビるオスカーだぞ?」
慌てたように早口で喋る彼女の表情からは、色気のようなものはみじんも感じなかった。少なくとも男女としてどうという感情はないらしい。やっぱりアタシの思い込みだったらしい。やたらとムキになって否定する彼女の様子に、そっと胸を撫でおろす。それには安心したが、同時にその物言いに少しムッとした。
「で、でもいいところもいっぱいあるもん。優しいし。真剣な顔すると結構かっこいいし!メメちゃん知らないだけだし!」
「……あ、ああ、悪い悪い。言い過ぎだったよ」
視線を逸らしながら謝る彼女の顔が少し赤い。何か恥ずかしいことでもあっただろうか?
「その、俺にはそういう恋愛どうこうみたいな気持ちは無いから、遠慮せずに自分の気持ちに従ってくれ」
「な、なんのことかな?」
今度はアタシが赤面する番だった。まさか、花より団子、色気より食い気、といった言動のメメちゃんにまで、私の気持ちを見透かされているとは思わなかった。咄嗟に否定する私を、何やら優しげな眼で見つめてくる。
見返して、彼女の黒い瞳がオスカーの瞳によく似ていることに気付く。優し気に細められた瞳は瞬き、次の瞬間には呆れたような目でアタシを見ていた。
「……そんなことを聞くためにわざわざここまで来たのか?」
「ああ、違う違う!ジェーンさんって普段どこにいるのか知らない?」
「ん?ああ、最近なら大通りの店を冷やかしにいってるらしいぞ」
言われた通りに大通りを探すと、その姿は案外すぐに見つかった。メメの兄を名乗った男、ジェーンの長身は人混みの中にいても目立つほどだ。何やら店先で商品を物色している彼に声をかける。
「ジェーンさん!何してるんですか?」
「ああ、カレンさん。私は特に目的なくぶらついているだけですよ。何か用ですか?」
「その……ちょっと話をしませんか?」
ジェーンさんは特に否定もせず素直に付いてきた。ところ変わって、宿のフロント。備え付けのテーブルに二人で座る。しかし座ってもなお背が高い。
目線を少し下にして、ジェーンさんは丁寧な物腰で応対してくる。正直なところ、最初は長身で無表情な彼が少し怖かった。でもメメちゃんと話している様子を見ていると、悪い人ではないようだった。
(メメちゃん以外には)礼儀正しくて、怒ったりもしない。というかあまり感情を見せない。だから今回は、彼に思い切って話しかけようという気になった。
「実は……この前の雷の神聖魔法、あれを教えてほしくって……ダメですか?」
「……それは何故?」
心底分からない、という風にジェーンさんが首を傾げる。
「なぜって、そりゃあアタシだって皆の役に立ちたいし、昨日みたいなのがいっぱい来るかもしれないんでしょ?だったらアタシだって強くならないと!」
「しかしあれはかなり特殊な魔法です。私ができれば十分なのでは?」
「でも、でも、アタシは聖職者なのに何にもできなかったし、皆を助けることができなかった!」
思い出すと、自然言葉が震えた。夜闇に浮かんでいた黒い影。アタシが倒すはずだった。自信のあった神聖魔法が当たればすぐに祓えるはずだった。でも、魔物に神聖魔法を当てることは想像よりもずっと難しかった。
だから彼の操った雷の神聖魔法をアタシも使えるようにならなければならなかった。そうしなければ皆に、オスカーに置いて行かれてしまうような気がした。
「なるほど、焦りがあって、私に頼み込んできた、と。残念ながら私の魔法は人に伝授できるようなものではありません。今の魔法とは体系が違いすぎますから。お力になれず申し訳ありません。……ご用件は以上でしたか?」
「……」
感情の感じられない、一定の間隔で紡がれる言葉に、何も言えなかった。焦っている、というのは全くその通りだった。申し訳なさそうに少し頭を下げたジェーンさんが席を立つ。下を向いて、黙ってそれを見送る。引き留めるような理由も思いつかなかった。
「おいバカ、顔だけのイケメン。そんな状況でその場を去る奴がいるか」
いつの間にか、メメちゃんがアタシのすぐ後ろに来ていた。素振りから帰ってきたばかりなのだろうか。木剣を肩に乗せて、額に少し汗がにじんでいる。しかし疲労を感じさせない声で、呆れたように、ジェーンさんに話しかけていた。
「お前はやっぱりまだ人でなしだなジェーン。興味はあるくせに感情を理解できてない」
メメちゃんはいつもよりも不機嫌な様子でアタシの対面に座ると、アタシの目を見て話し始めた。黒い瞳と目が合う。
「なあカレン、君が元々なんで女神に祈りを捧げていたのか思い出してみてくれないか?」
優しく問いかけられて、考える。何故祈りを捧げるのか。なぜアタシが聖職者の道を志したのか。
きっかけは実に単純だった。五つか六つの頃だっただろうか。いつものようにオスカーと追いかけっこをしていたアタシは、彼とはぐれてしまった。一人になって、日が傾いていることに気付いた。
幼いアタシはそれが恐ろしかった。逢魔が時の、不安になるような橙色の斜陽も、長く伸びた自分の影も。泣きそうになりながら必死にオスカーを探した。そうして見つけたのは、日暮れの村はずれにポツンと佇む教会だった。
自らの長い影から逃げ込むように教会に入ったアタシを迎えたのが、女神様の石像だった。
――運命の出会いだと思った。それはどうしようもなく美しかった。ステンドグラスから差し込む西日に照らされたその顔は、こちらに微笑んでいるように見えた。アタシを守ってくれるように。安心させるように。
ただそれだけだったのだ。偶然、それで興味が湧いたから、神父さんに色々話を聞いた。この石像はどういうものなのか。女神様とはどういう存在なのか。人間はどうやって女神様への信仰を表現するのか。話を聞くうちにどんどん女神様について知りたくなって、信仰を捧げたくなって、気づけばアタシの芯には、女神様への信仰が常に存在していた。
「……大それた理由なんて何もないよ。信じたいから、アタシは祈りを捧げている」
「……そうか。そんな、カレンの純粋な心が今扱っている神聖魔法を形作っているんだろ?だったら、その在り方を歪めてまでカレンが強くなろうとする必要なんてない。……我欲にまみれた信仰なんてロクなものじゃない」
どこか遠くを見ているような目をして、メメちゃんが言った。
「……俺はカレンの純粋な信仰の籠った神聖魔法の光が好きだよ。カレンには今のままでいて欲しい。血に塗れた戦いなんかのために君の清い信仰をゆがめる必要なんてない。魔物との戦いなんて、経験を積めば嫌でも上手くなっていくもんなんだよ。そして経験を積む時間は、何があっても俺が作ってやる」
温かい光を湛える黒曜石のような瞳は、やっぱり小さな体には不釣り合いなほどに大人だった。
彼女の言葉を反芻する。私の、自分の信仰の形を歪めない。自分の芯を曲げない。
――言われてみればそうだ。私にとって信仰とは、求めるものではなく、ただ当たり前に存在しているものだったはずだ。神聖魔法と治癒魔法はあくまでその結果だ。自分を捻じ曲げて追い求めるものじゃない。
自然と彼女の言葉が胸にスッと入ってくる。ずっと一緒にいた無二の友人に言われたように、不思議なほどアタシの内面を的確に捉えた言葉だった。焦燥が、不安が自分の中でゆっくりと縮んでいく。アタシは自然な笑顔で礼を言うことができた。
「うん、ありがとう!」