33 死者の熱狂
寒々とした魔族の生存領域の東部、あまり日の当たらない山の中腹に、吸血鬼たちの集落とでも言うべき住居の集合地帯は存在する。領土を示すように張り巡らされた鉄製の柵の内側は、生い茂る木々がなくなり、荒涼とした大地を晒していた。
日光を嫌う吸血鬼たちの寝床は主に地下だ。柵の中には、所々に地下への入り口となっている穴が見える。そしてその集落の一番高い所、山頂に一番近い位置には、それらを見下ろすように聳え立つ古城が存在していた。それはまさしく、支配者、王たる者が住むに相応しい城だった。
山の中に唐突に現れる小奇麗なその城は、装飾も立派で、立地に目を瞑れば人が住んでいてもおかしくなかった。ただ奇妙な点が一つ。夜闇に聳えるその城は、人の気配があるにも関わらず、外から明かりが見えなかった。
日がすっかり沈んで吸血鬼の活動時間となった現在、三階建ての城内には、集落にいる全ての吸血鬼が集められていた。集まった人型たちは、顔だけを見れば美男美女揃いだった。されど隠し切れない血の匂いを漂わせる人外たる彼らが敬意を持って仰ぎ見るのは、三百年を生きる最古の吸血鬼、ウラウスだ。
彼らの主は、ただ座っているだけで色気を醸し出すような美貌を惜しげもなく晒して、玉座に威風堂々たる様子で腰かけていた。顎を僅かに上げ、同胞を見下ろすその姿は一国の王のようだった。
「ナハルが死んだ」
重々しい響きで、ウラウスが告げる。吸血鬼たちの間にざわめきが走る。ナハルは彼らの中でも長寿の個体。基本的に長寿であるほど強い吸血鬼の中で、彼は実力者として一目置かれていた。
「今代の魔王の命令に従った結果だ。彼は偵察などという軟弱な作戦のために、死んだ」
その言葉には隠し切れない怒りが籠っていた。それは古い同胞が死んだことへの悲しみと、魔王という自分たちの上位者に対する不満から発せられたものだ。
「殺したのは今代の勇者パーティーのようだ。忌々しい神聖魔法の使い手が複数存在していたようだな」
吸血鬼たちは忠実に偵察任務を果たしていた。ナハルが交戦を始めた時点でそばを巡回していた吸血鬼が接近。身を隠してその様子を観察していた。ナハルにトドメを刺したのは、長寿の吸血鬼でも見たことのない、空を貫く神聖魔法だった。それは、吸血鬼にとって本能的な恐怖を覚えるような恐ろしい稲妻だったという。
その情報を聞き及んでいた吸血鬼たちは、自分たち以外の、神聖魔法を苦としない魔物が勇者パーティーを倒しに行くのだと思っていた。しかし、最強の吸血鬼は宣言する。
「そして、我らの天敵がいることを分かっていて、私は宣言しよう。我々は、魔王の力なぞ借りることなく勇者パーティーとやらを殺し尽くす、と」
再び、吸血鬼たちがどよめき始めた。今度のものは先ほどよりも大きい。その困難さはもちろんだが、それ以上に、それはほとんど魔王に反旗を翻すと言っているのと同義だったからだ。
今代の魔王は徹底的に魔族の戦力を管理したがっている。許可を得ない侵略を決して許さず、現在は徹底的な偵察任務にのみ力を注いでいる。今吸血鬼が人間領に攻め込んだなら、厳しい罰が下されるだろう。
その慎重な策略は、先代までの無策に、野蛮に、力に訴えた侵略を繰り返す魔王たちとは全く異なる戦略だった。
一部の血の気の多い種族からは既に不満が漏れていた。魔王が生まれたのにどうして攻め込まないのか。早く人間の肉を食わせて欲しい。人間の豊かな領土を奪い取ろう、と。
吸血鬼たちもまた、多かれ少なかれ不満をいだいていた。貯蓄された血ではなく、鮮血を吸いたいという本能は、日に日に高まっていた。おそらくナハルが偵察任務中に交戦し始めたのも、吸血衝動を抑えきれなかったのだろう、とウラウスは見ていた。
吸血鬼にとって吸血衝動を抑えるのは、人間がいつまでも眠ることを我慢するようなものだ。気持ちの問題ではなく、我慢し続ければいずれ生理的限界が来る。
ウラウスの宣告は続く。その静かな声に、聞く者たちは自然と背筋を伸ばしてしまう。
「皆も良く自覚しているように、我々は凡百の魔物とは違う。前大戦を生き残った我らは皆百年以上を生きる強力な種族だ。決して、決して犬死していいような卑俗な存在ではない」
吸血鬼という種族は元を辿れば人間の死体だ。吸血鬼が人間の領土に攻め込み、その血を啜ることでしか誕生しない。だからこそ、魔族領に住む彼らが同胞を増やすことができるのは、基本的に魔王が生まれ、共に侵略を始めた時だけだ。
そういう事情から、先代の魔王のいた百年前から、吸血鬼たちの顔ぶれは変わっていなかった。それはつまり、長寿であるほど強くなるという性質を持つ吸血鬼たちは今、恐ろしいほどの強さになっているということだった。
静かだったウラウスの声に感情が籠り始める。
「それにも関わらず……あの魔王は、あの冷血の王は、ナハルの死を報告しても、交戦を避けた偵察を徹底させろなどと!ただそれだけを私に言いつけるだけだった!死んでいった同胞への労りの言葉一つもなかった!」
その言葉には隠しようもないほどの憤怒が籠められていた。報告した時の魔王の様子を思い返す。ただ道具を消費しただけのような冷徹な瞳。思い出すだけでもウラウスは屈辱に震える思いだった。
吸血鬼は凡百の魔物とは違う。その肉体は鋼鉄のような頑強さを持っていて、永く生きて獲得したその知性は、時に人間の賢者を凌駕する。吸血鬼は、同胞ナハルはこんなところで死んでいい存在ではなかった。
力強い声で、美貌の吸血鬼は呼びかける。勇ましく、傲慢に、これ以上なく頼もしく。
「良いか我が同胞、我がはらから!今代の魔王は腑抜けだ!臆病者だ!故にこそ、見せつけてやるのだ!ナハルの復讐をする!勇者パーティーを我らだけで打倒し、奴など不要であることを証明してやる!我らの神に認めさせるのだ!魔を統べる王たるに相応しいのは吸血鬼の王、このウラウスであることを!」
極めてプライドの高い吸血鬼にとって、ウラウスの行動方針は垂涎ものだった。自分たちだけで人間領を侵略することで、大量の血を啜ることができる。さらに、歴史上誰もなしえなかった勇者パーティーの討伐という栄誉を果たすことで、自分たちこそが最強の種族であることを知らしめることができる。
ウラウスは饒舌に畳み掛ける。
「見返してやるのだ!あの戦略家の真似事をする魔王を!偵察任務などという軟弱な作戦に我らの高潔な血を消費した愚か者を!
知らしめてやるのだ!我らこそが最強の種族であり、他の魔族全ては我らに首を垂れて分け前を乞うべきなのだと!」
その言葉に、吸血鬼たちの抑えきれなくなった熱が爆発した。夜闇に浮かび上がる城の中からは、湧きたった異形の雄叫びが聞こえてきていた。
◇
「つまり、ほどなくこのトリギス砦、そしてナルティアの市街に吸血鬼の総攻撃が迫ってくると?」
「はい。我々の得た情報からそう判断しました。間違いありません」
老齢の騎士の問いかけに対して、オスカーが真っ直ぐに目を見て頷いた。勇者から直接言葉を伝えれば、どれだけ高位の騎士であっても無碍にはしづらい。しぶしぶながらも従ってくれるだろう。例えその言葉が、俺に言わされているものであっても。
不自然に各地で報告される飛行する魔物の目撃情報。先日の吸血鬼との戦闘。ここまでの情報が揃えば、全知ならざる俺でも、何度も繰り返した人生経験から次に起こる事態を推測できる。
今からだいたい二週間たらずで、トリギス砦へ、というよりもその南方に位置する街、ナルティアへの吸血鬼の総攻撃が迫ってくる。この砦が落ちれば街まで遮るものはない。ここを守らなければ、きっと俺の夢に見たナルティアの街に具現化する地獄は、現実のものとなるだろう。
「ただちにこちらの資料の通りに聖職者と騎士をこちらに手配してください。今の防備では耐えきれません」
「しかしな勇者殿、それだけの人を動かすとなるとそれなりの手間が……」
「吸血鬼に人の多いナルティアが落とされれば、そこから大量の吸血鬼が生まれてしまいます。何卒、ご英断を」
「お、お嬢ちゃんに言われちゃ仕方ないなあ。分かった分かった」
この耄碌騎士……!老齢の騎士は相変わらず俺を、孫を見るような目で見ていた。
いや、落ち着け俺。とりあえず目標を達しただけ良しとしよう。冷静に、クールに、礼を言って何事もなかったようにこの場を去ろう。
「ありがとうございます。ご厚意に感謝申し上げます」
「見てオスカー。メメちゃん、笑ってるけど頬がひくひくしてるよ」
「うん。あれはだいぶ頭に来てるね。僕と訓練してる時もたまにああいう顔してるよ」
聞こえているぞ幼馴染二人組。オスカーは後で訓練と称して木剣でタコ殴りにしてやる。カレンは……カレンはまあいいか。




