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30 紫煙と狼煙の夢、それから羨望

夢の話から

 どれだけ絶望の淵にいようとも、そこにごくわずかでも希望がある限り、人間は生き続けることができるらしい。まったく、妬ましくなるほどの逞しさだ。その事実は、勝手に絶望して勝手に諦めかけていた俺を叱咤してくれた。まだ終わっていない。希望が一握でもある限り、人間は死なない。




 俺が聖剣を抜いた年から五年が経った。繰り返してきた俺の長い生の中でも生存時間最長記録だ。既に人類の生存圏最後の防波堤である王都が、魔王軍の総攻撃に陥落して二年が経つ。

 人間と魔族の戦いは人間の大敗北に終わった。ほとんどの人間はそう思うだろう。大陸にある国家はすべて魔王軍の侵攻に既に敗退し、主要な都市は全て魔王軍の管理下にある。


 人間もまた、ほとんどが管理下に置かれている。魔王軍の人間領占領においては、人間の愚民化政策が行われていた。曰く、人間が思想を持つことは決して許されない。ただ日々の仕事についてのみ思考し、その合間に子を作ることのみを考えるべし。

 人間が秘密を持つことは決して許されず、あらゆる行動は魔物の監視下に置かれた。抵抗した勇敢な者はことごとく斬って捨てられた。神学者や歴史学者、そして旧国家の指導者たち。知識人たちはそのほとんどが問答無用で殺された。人類反攻の大義は奪われた。何度かあった大規模な反乱も、あっさりと鎮圧されている。生まれながらに魔物の下僕であると定義付けられた人類は、新秩序の絶望の中で、奴隷のような生活を送っていた。


 主な仕事は農業や畜産など、魔物の食を支える仕事だ。誰もが、肉体を極限まで酷使して体力の限界まで働かされる。激務に奔走する人々は仕事の合間に子作りをして、後は泥のように眠っている。

 そして魔物に従順な人間ですら、魔物の気まぐれで殺されていく。気に食わない表情だったから。醜かったから。酒がまずかったから。骨を引き抜かれて、血を吸いつくされて、四肢を引き裂かれて、殺されていく。


 人類は終わった、とほとんどの人間は思っているだろう。しかしそれは違う。勇者たる俺が生きている限り、まだ終わりじゃない。


「何黄昏れてんだよ勇者様、昔の女のことでも思いだしたのか?」

「馬鹿言うな。いまさらそんな思い出に浸ってられるかよ」


 揶揄うような声色で男が俺に話しかけてくる。顔を向けると数少ないレジスタンスの生き残り、ジャックがこちらに近づいてきた。元はスラム街の孤児。今ではレジスタンスの幹部の一人。野卑な言動で遠ざけられがちだったが、仲間と認めた人間には不器用な優しさを見せていた。

 近づいてくる彼の泥だらけの靴が何かを踏みつける。それは絵画だった。幾度も踏みつけられたそれは泥だらけで、もはや何が描かれていたのか判別できない。ただ豪奢な額縁だけが、それなりの価値のある絵だったことを教えてくれた。


 旧王都の外壁近辺。荒れ果てた、草木一つ存在しない不毛の地。遮るもののない北風が肌に突き刺さった。黒い地表には多数の轍が刻まれている。王都から慌てて逃げだした貴族たちの馬車のものだろう。王都に繋がる主要道路だったこの地には二年前から整備の手が入った様子はない。俺はその傍ら、平たい大きな石に腰かけていた。ジャックが確かめるように俺に問いかける。


「本当に今日、やるんだな?」

「ああ、これ以上待ったら、例え魔王の首を獲っても人類の再興は不可能になる。これ以上玩具のように人間が殺されるのを傍観しているわけにはいかない」

「そうかよ。相変わらず責任感が強いことで……ほら、必要だろ?」


 ジャックの汚れた手に握られたのは安物の煙草。白い紙袋に入ったそれは、もう十本も残っていない。今では生産されていない貴重品だ。それをひったくって唇の端に咥える。


「『火よ灯れ』」

「相変わらずとんでもねえ魔術の無駄使いだな」


 呆れた様子のジャックもまた、煙草を咥えこちらに差し出してきたので、火を灯す。煙をくゆらす二人の間に沈黙が落ちる。ふと、不快な匂いが鼻孔をくすぐる。北風が安酒の匂いを運んできた。


「ジャック、お前昨日も飲みやがったな?臭いぞ」

「あ?バレたか。まあ、明日死ぬかもしれないって日の夜に飲まずにいられるほど俺は強い人間じゃねえんだよ、勇者様」

「別に俺だって……いや、まあ作戦に支障がないならそれでいい」

「作戦なんて大層なものねえじゃねえか。旧王城にまだ残ってる戦力全部突っ込んで魔王様の首を頂戴する。それだけだろ?」


 ジャックはやれやれとでも言いたげに肩をすくめた。レジスタンスは死者の多さから、もはや作戦行動を取れるほどの人員はいない。魔王の位置を把握する、ただそれだけのために、残っていた人員の九割を失った。

 今回の作戦はレジスタンスの人間にとっては自殺も同然の無謀だ。それでも俺に賭けてくれた。きっと人類の希望である勇者が魔王を殺してくれる。きっと全部上手くいく。蜘蛛の糸のように細い、その希望を信じた。


「お前はそれでいいのか?今なら逃げ出しても見逃してやるよ」


 ジャックに冗談めかして問いかけると、意外にもあっさり笑い飛ばされた。


「ハッ!今更何言ってんだよオスカー。レジスタンスの鬼の団長の名が泣くぜ」

「もう維持するべき組織はないも同然じゃねえか。人を掟と恐怖で縛り付ける必要もなくなった。もう俺が冷血漢ぶる必要もないんだよ」


 煙草を咥える。吸い込んだ不健康な煙が体に染み渡った。戦いの経験もロクにない人間がほとんどだったレジスタンスの取り纏めは困難を極めた。俺は団長として厳しい規律を作った。

 任務の成功には褒章を与え、失敗には徹底的に罰則を与えた。魔物に降伏しようとする者を見つければ、見せしめに処刑することすらした。そこまでしなければレジスタンスは空中分解すると俺は判断した。魔物の支配する世界において、レジスタンスは信頼と親愛ではなく、規律と恐怖によって辛うじて成立していた。


「結構みんな感づいてたぞ。お前の根が案外優しくて、自分で下す命令に傷つくめんどくさい奴だってこと」

「やめてくれ。……もう確かめようもないことじゃねえか」


 煙をもう一度大きく吸って、天に向けて吐き出す。紫煙はぼんやりと宙に浮かんで、風に吹かれながらも天へと消えていった。


「皆の準備はもう整ったのか?」

「もうできてるはずだ。後はお前の合図だけだぞ」


 これ以上待っても状況は好転しない。苦しいだけだろう。レジスタンスの命を賭した一世一代の大博打。しかし俺だけが失うものを持ち合わせていない。


「そうか……それじゃあ行くか、ジャック」

「ああ、地獄まで付き合ってやるよ。腐れ縁のオスカー」


 ジャックが突き出してきた拳に己の拳を打ち付ける。じんと痺れる感覚。まだ半分以上残っている煙草を地面に落とし、踏みつける。俺の魔術で空高く打ちあがった火球が、上空で激しく爆発する。荒々しい反撃の狼煙。人類最後の魔族への抵抗開始の合図だった。


 そうして、地獄の底に垂らされた蜘蛛の糸は千切れた。嫌な事ばかり思い出す。夢見が悪い。


 



 以前戦ったオークのデニスたちを倒した以上、魔王軍は既にある程度の準備を整えていると考えた方がいいだろう。

 あの「美食家気取りのオークたち」は魔王軍にとっては、使い捨ての駒での威力偵察だ。彼らがみな立派な大斧を担いでいたのは魔王軍による援助だ。元々強力な魔物だったデニスたちに武器を授け、それから少しの知恵を授け、そうして人間領で暴れさせる。


 しかし冷酷な魔王は、あのオークたちを魔王軍に組み込むことはしなかった。中途半端な知性を持って自律行動しだすオークたちのような魔物など魔王軍に組み込んでも役に立たないと判断したのだろう。

 現場の指揮官たる魔王軍幹部には、戦況を正しく把握する知性と、魔王に対する盲目的な忠誠が求められる。それは魔王のどんな理不尽な命令も、理不尽と理解しながら肯定して従う二重の思考だ。プライドや拘りは、盲信の邪魔になる。デニスたちが適役でないのも頷ける。


 次に取る魔王軍の行動は知っている。飛行能力を持つ吸血鬼による偵察。本格戦争前の暗闘だ。

 先のオークの一件は単に人間の戦力を軽く図っていただけだ。今回は人間領の地理や騎士団の練度、それから勇者の脅威度を図るために魔王軍も本腰を入れてくる。





 勇者パーティーの一行はナルティアの街のすぐ近く、ここのところ飛行する魔物の目撃が相次いでいるトリギス砦を訪れていた。トリギス砦は王国北部の西側、小高い丘の上に位置していた。少し高い位置から周囲を見渡すように配置された頑強な砦は、外から見るものに威圧感を与える。その威容、はすぐ近くに位置するナルティアの街を魔物から守るような位置に存在する。この砦がある限り、街に魔物が侵入することは難しいだろう。


「しかし、勇者パーティーの皆様のお手を煩わせるようなことではありませんよ?ただ少し魔物の数が増えてきたというだけのこと。珍しくもないことです」


「いえいえ、私どもも未だパーティー発足から日が浅く、未熟もいいところ。実戦経験を積ませていただけるのであればこちらからお願いしたいくらいです」


「ハハ、若いのに礼儀正しいことですな。では、力を貸してくださるというなら喜んでお願いいたします」


 老齢の騎士は好意的に夜間の砦での滞在を許してくれた。騎士階級特有の下らないプライドに足止めされるかと思ったが、人格者の騎士とコンタクトを取れたようだ。

 しかし本当に不思議だ。過去の経験から、騎士といえば、自分たちの役目を奪う勇者を目の敵にしていてもおかしくないのだが。

 顔に皺の刻まれた騎士の目を伺うと、違和感があった。なぜか生温い視線。瞳に映る感情は……孫を見つめる爺のような、慈愛。



「――納得がいかない!俺は戦うためにここに来たんだぞ!」


「まあまあ、それだけ貴女の容姿が可愛らしいということですよ。これからも騎士たちを籠絡し続けたらどうです?人気者になれますよ」


「馬鹿言うんじゃねえよ。中身がこれで籠絡なんてできるかよ」


「案外コロッと騙されそうですが。ほら、この前もナンパされてたじゃないですか。しかも一日に二度も」


「どっちも目が腐ってたんだろ。いやほんと、なんかの間違いだって……」


 思い出しても嫌になる、男の目。情欲の籠った視線とはあそこまで不快だったのかと驚愕した。なぜかカレンやオリヴィアに謝らなければならない気がしてきたものだ。話しながら歩いていると、先ほど通された応接間の扉が見えてきた。

 部屋に入ると、オスカー、カレン、オリヴィアが揃っていた。三人で何事か話している。少し距離が縮まっただろうか。良かった。


「――お帰りお二人さん!協力してくれって?」

「ええ、すんなりと。カレンさんの思惑通りでしたね」

「でしょ!やっぱり、おじいちゃん騎士様にはメメちゃんを向かわせればうまくいくって!」

「……」


 実際うまくいってしまったのだから文句も言えない。気持ちを切り替えて、空いていた椅子に座ってこれからの話を始める。


「確認されている飛行能力のある魔物だが、その特徴から俺は吸血鬼の類だと考えている」


 吸血鬼は魔物の中でも知性の発達した種族で、戦うとなれば例外なく厄介な相手となる。個体数は少ないが、一体一体が強力だ。


「吸血鬼っていうと、あの人型で、人の血を啜っちゃう強いやつ?」

「ああ、オスカーの想像通りだ。夜行性で、蝙蝠のような羽で飛ぶことができる。そして、吸血鬼は神聖魔法を弱点としている。カレンには言うまでもないだろうがな」

「もちろん!魔を祓うのは聖職者たるアタシの役目だね!」


 聖職者の扱う、魔を祓う神聖魔法とは、女神の権能、悪性の裁きを一時的に代行する魔法だ。吸血鬼のように、魔物の一部には神聖魔法が極めて効果的だ。

 この神聖魔法が有効かどうかは、三禁の一つ、「大神以外が命を創ってはならない」にどこまで反しているか、に左右される。

 言うまでもなく、魔物は元を辿れば全て叛逆神に創られた存在であり、三禁に反している。女神の作った聖剣の権能であれば、全て問答無用で裁ける。


 しかし、ただの人の身で扱える神聖魔法にはそこまでの権限はない。明確に三禁に反していることがはっきりしている場合のみ、神聖魔法は対象に裁きを下すことができるのだ。


 例えば先日戦ったオークは、神聖魔法では裁けない。魔物の中では比較的人間に近い進化をしているからだ。あれは半分は豚だが、半分は人間だ。

 ただし、先日オスカーがやったように、聖剣の権限を解放すれば裁きを下すことも可能だ。


 裁きの基準の一つは、蘇った命であるかどうか、だ。吸血鬼とは罪深い人間の死体が蘇った存在として知られている。吸血鬼に血を吸われた人間は、一度命を失い、それから吸血鬼、その眷属として蘇る。その歪んだ肉体と魂の在り方は、神聖魔法でも容易く裁けるほどに不自然な状態だ。


「だから、オスカーと俺はカレンみたいな後衛の身を守るのに徹するべきだろう。今回の個体は飛行能力を持つタイプだ。どうせ上空に剣は届かないしな」


「私の魔法もあまり効かないのでしょうね」


「そうだな、高い魔力を持つ吸血鬼の魔法への耐性は高い。一緒にカレンの身を守ることを考えて欲しい。……そういえばジェーンは神聖魔法を使えるのか?」


「ええ、もちろん。ただの人間よりは高い適正があるはずです。まあ最も、そこのカレンさんには負けるでしょうね」

「えへへ……」


 素直に照れるカレン可愛い。……いや、今考えるべきはそれではない。


 ジェーンは女神の眷属を名乗っていた。その魂は神のものに近い。神聖魔法は女神の存在に近づくほどに使いこなすことができる。距離というより、魂の高潔さ、とでも言えば良いか。綺麗な、高位の魂であるほど神聖魔法の使い手としての実力は上がっていく。


 人間は信仰心を高めて魂を磨き女神に近づくが、ジェーンはそもそも女神の眷属として生まれてきたのだ。最初から魂の在り方が女神のそれに近い。であれば、神聖魔法をそれなり以上に使いこなすだろう。対吸血鬼戦の貴重な戦力と思っていい。


 これならばきっと、今の勇者パーティーでも吸血鬼相手に不足はないだろう。

 それに、と今の勇者パーティーの様子を思い返す。オスカーの青い決意、カレンの真っすぐな瞳、オリヴィアの凛とした立ち姿。正しくて優しい彼らはきっと、人を守る戦いにこそ力を発揮するだろう。俺の在り方とは大違いだ。


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