27 女神の眷属、ジェーンの興味
筆がノッてしまったので今日投稿します
クオリティは如何に
ジェーンは、メメを少女にした張本人(?)だ。当初は木製の女神像の姿をしていたが、現在は人間の肉体を得ている。無表情ながら整った顔立ち、それから人混みの中でも頭一つ抜けるほどの長身が特徴的な男の姿をしている。
ジェーン、と今は名乗っているその個体には、名前などついていなかった。ただ女神に従う眷属の一つ。時代によっては天使とでも呼ばれるような、人ならざる超常の存在だった。その眷属の仕事は、主に人間の世界の観察だった。
人の住まう下界の様子は奇怪だった。数多の人が、生まれて、愛し合って、諍い、死んでいく。皆等しく愚かで、ジェーンには何が違うのか分からなかった。
あまりに長くを生きてあまりに多くを見てきた。感情という機能を擦り切らしたジェーンには、人間が何が楽しくてそんなにも笑っているのか分からなかった。百年もせずに死ぬことを知っていながら、どうしてそんなに生を謳歌できるのか分からなかった。興味も湧かなかった。人の基準に照らせば、その超然とした思考は悟り、とでも言っていいかもしれない。
そんな人でなし、とでも呼ぶべき存在にも、ある時興味が芽生えた。それが今はメメと名乗っている、十代目勇者、オスカーの存在だった。
勇者、という存在は、女神の加護を受ける最も強い肉体を持つ人間だ。そして、何度死のうと時間を遡ってやり直せる存在だ。勇者の大義は、百年周期で現れる魔王の討伐だ。
そして初代の勇者以降、歴代の勇者たちは、多かれ少なかれやり直しを経験している。
殺し合いの繰り返し、死ぬという経験を何度もすること。その過酷な使命は、勇者たちの精神をすり減らした。
ある勇者は喚いた。もう無理だ。諦めたい。女神は彼の記憶を消すと、戦闘技術を頭に直接埋め込んで、神域から過去へと送り返した。
ある勇者は訴えた。あんなものは人間の手には余る。女神様が直接倒してくれないか。そんなことを言われても、神が直接世界に干渉することは不可能だ。三禁によって禁じられているからではない。
直接世界に干渉すれば、その力の規模によって世界が壊れてしまう。女神はその発想が二度と出ないように勇者の頭を弄ると、神域から過去へと送り返した。
ある勇者は過酷な記憶に耐えかねて、壊れたように動かなくなった。女神は勇者から感情という機能を取り上げて、ただ魔物を殺す機械と化したそれを送り出した。
困難を極めたが、最後には皆魔王を討伐せしめた。しかし、長くを生きた勇者は皆、どこか心を壊していった。膨大な記憶に耐えきれず廃人になる者。人間の征服をたくらむ者。皆何か歪みを残して余生を過ごした。
そんな残酷な歴史の流れの中で、ただの村人だったオスカーが勇者になった。その時代の魔王は、桁違いの強さだった。当人の力もさることながら、並外れた統率力を見せて、まとまりのない魔族を支配していった。彼はそんな魔王の前に、かつてないほどの数の悲惨な結末を迎え、やり直しを経験していった。
合わせて百年以上の戦いの繰り返し。誰よりも過酷な経験だっただろう。彼の前の勇者の繰り返しは、せいぜい十数年だった。それでもほとんどが心を壊していった。
勇者としてのオスカーが弱かったわけではない。ただ、彼の前に立ちはだかった魔王は、歴代でも最も強かった。悪辣な加虐趣味の魔王の前に、彼の心はどんどんと摩耗していく。弄ぶように仲間を殺されて、大事なモノをことごとく引き裂かれ、そして凄惨に自らの命を散らした。
しかし、他の勇者と決定的に異なる点が一つ。彼の心は決して人間らしさを手放さなかった。彼は善人ではなかった。嘲笑しながら魔物を打ち倒し、必要であれば仲間である人すら殺した。
しかし、それに対する後悔だけは意固地に持ち続け、自分の心を苛んだ。常に悔やんでいた。
その苦悩は他の勇者とは違っていた。生と死を繰り返していくと、勇者はどんどん合理的になっていき、余計な感情を挟まなくなっていく。最適解のみを選び、犠牲は鑑みない。合理のみを行動の基準とするその姿は、永くを生きた神に近い、と言ってもいいだろうか。彼女の言葉を借りれば、人でなし、といったところだ。
そんな中で彼だけが、誰よりも繰り返した彼だけは、人間らしい感情を頑なに持ち続けた。合理的な行動を選びつつ感情でそれを否定し続けた。十代目の勇者、平凡な村人だったオスカーの精神はいずれの勇者とも異なった。それは勇者として愚かだったのかもしれない。魔王を倒すのには不要なものだったのかもしれない。しかしその愚かさは、ジェーンに千年ぶりに興味という感情を起こした。
ジェーンのいた世界にはある時終わりが来た。魔王の生みの親である叛逆神の妨害。それによって勇者の過去への転送が失敗した。神域に眷属たちのどよめきが走る。女神が神らしからぬ狼狽を見せた。
しかし、すぐに神らしく合理的な判断を下す。勇者が死に、魔王が生きているこの世界はもう終わりだ。次の勇者を送り出すまでの百年の間に人類は滅亡するだろう。信仰する人間の絶えた世界では女神は存在し続けられない。大神亡き今、女神の存在は人間の信仰によって維持されていた。叛逆神と女神の代理戦争の勝敗は決した。女神とその眷属の、千年以上の存在は終わる。
だから他の世界で、勇者である彼だけやり直させる。女神は迅速に決定した。もう彼には女神の恩恵は届かないだろう。送り出すのは完全に別の平行世界。あちらには別の女神がいて、別の勇者がいる。それでもこの勇者を送り出す。それは最悪の魔王に脅かされる世界を、救うためだったのかもしれない。あるいは、せめて彼だけでも救いたいという、人間らしい感情の発露だったのかもしれない。
そうして、新たに生まれ変わった勇者は、かつてとは違う姿でジェーンの前で目を覚ました。血のように紅い髪。可愛らしい顔。すっかり縮んだ四肢。そして、暗く淀んだ、それでも微かに人間らしい光を孕んだ黒い瞳を見た時に、ジェーンは歓喜した。この人間を観察し続けられることに。
「ちょっ、お前、早い早い。もう少しゆっくり歩いてくれ」
「ああ、小さな歩幅に合わせるのを忘れていました。申し訳ありません」
からかっても、メメはジトッと見返してくるだけだった。少し自分の揶揄に耐性が付いてしまっただろうか。残念だ。
言葉が途切れると、二人の足音だけがその場に響いた。大きな歩幅で歩いていた足音が、その間隔を狭める。武具店の並ぶ通りから少し離れて、周囲には人気がない。喧騒の遠ざかった王都の路地には、独特の静けさがあった。
ジェーンは後ろを歩く彼女の様子を眺める。大股で歩く姿は男らしい大胆さがあったが、小さな歩幅は少女のそれだった。何も知らない者が彼女を見ても、その矮躯の人間離れした膂力で、大きな剣を細枝のように軽々と扱うとは思わないだろう。
ぼんやりと見ていると、黒い目にじろりと睨まれる。瞳の迫力に反して、顔立ちは愛らしいままだ。
「お前、いつまでも俺を挑発してると、いつか痛い目に合わせてやるからな」
「それは楽しみですね」
小さな体を目一杯使って鮮血をまき散らす戦闘時の大胆さとは対照的に、その心の在り方は年頃の少女のように、否、それ以上に脆くて壊れかけだ。毎日のように過去の記憶を悪夢に見ている。因縁のあった魔物などに逢うと、その心内は嵐のように荒ぶっているようだった。どうしてそんなにも頑なに過去に縛られているのか、ジェーンには理解できなかった。
だからこそ、彼なりに手を差し伸べたのだ。人間は恋人や婚姻という関係を形成して、互いに支え合って生きているらしい。彼女を支えたいと思って、恋人という関係の形成を提案した。自分が適役だと思った。彼女の過去を全て知るのは今や自分だけ。どれだけの時間戦ってきて、失ってきて、悩んできたのか知っているのは彼だけなのだ。
しかし千年を生きた彼の感覚はどうやら人の感覚とはずれていたらしい。彼のプロポーズの真似事は「下手くそ」と笑われてしまった。
彼としては単なる利害からの提案を断られただけのつもりだった。しかし内面には今までにない変化が訪れていた。モヤモヤした、嫌な感情。恋とは似て非なる興味を拒否されて、思い悩む彼の姿は、まさしく人間のそれだった。
「……なあジェーン、俺とお前の知っている女神はどうなったんだ?」
沈黙していた彼女からの唐突な問いかけ。意外だった。女神を毛嫌いしていた彼女がそのことを気に掛けることは。
「貴女という勇者が完全に消えたあの世界の人類はもう終いですからね。女神もそれに合わせて消滅するでしょう」
「……そうか」
その声には、一言では言い表せない複雑な感情が籠められていた。
「過ぎたことです。時間を遡ることもできない今の貴女には関係のないこと」
「そんなことは分かっている」
分かっていないようだから言っているのだが。ジェーンは心の中で溜息を漏らした。ああ、やはり性別すら変わっても彼女は変わらない。愚かで、めんどくさくて、責任感が強くて、人間らしくて、興味深い。