24 魔法戦
「本当にやるのか?怪我させてもしらんぞ」
「貴女こそ。負けて泣く時は私の胸を貸して差し上げましょう。頭を撫でてよしよしと慰めてあげますよ、お姫様」
「……ちょうどいい!お前は前から気に食わなかったんだ!すぐにそこに這いつくばらせてやる!」
わざとらしく挑発する言葉に俺のやる気が増した。せっかくなので今までの恨みを晴らそう。主に勝手に女にされた恨みとか。散々からかわれた恨みとか。
オスカーとチャンバラした時と同じ、王都のそば。背の低い雑草は今日も風にゆらゆらと揺れていた。相対するジェーンは既に詠唱を済ませ、魔法を待機させているようだ。直立している体には既に巨大な魔力が渦を巻いているのが感じ取れる。
こちらの準備はなし。即応が得意な魔術は、敵の魔法を見てから対処した方が有利だ。
仲介役のオリヴィアが、二人の様子をうかがってから、コインを弾く。硬貨が彼女の手の甲に落ちるその瞬間、ジェーンの低い声が響いた。
「『命じるままに、我が敵を打ち倒せ』」
土塊が盛り上がった。彼の周囲の地面が急速に捲りあがる。構築されたのは土の巨人。ゴーレムなどと呼称されるそれは、人間の五倍ほどの巨体を持っている。その魔法は俺の苦手な手合いだった。
魔術使いが魔法に破れるケースとしては、力押しで圧倒されることがほとんどだろう。対処法が分かってもどうにもできないほどの魔力の質量。ゴーレムはまさしくその手合いだ。木の幹のような太腕が迫ってくる。
「『氷よ!あらゆる敵を拒絶しろ!』」
展開されたのは分厚い氷の壁。しかしそう長くは持つまい。剛腕の一撃を受けて、甲高い悲鳴のような音を立てながら氷が徐々に崩壊してきている。僅かな時間で対抗策を考えなければ。
土の巨人を観察する。造りの甘い部分は……ない。憎たらしい程に完璧だ。核にあたる弱点は……見えない。であれば、足回り!
「『巨なる氷柱よ!破壊をもたらせ!』」
魔力がごっそりと体から抜けていく感覚。ゴーレムの巨腕にも匹敵するほどの巨大な氷柱が現れる。生み出されたそれは、直ちに射出される。鋭利な先端が土の巨人の脚部に直撃した。何かが砕ける音。砕け散った氷が空を舞いキラキラと光った。遅れて土の破片。巨人の足もまた、氷のように砕け散っていた。重量を支えられなくなった巨人が自沈する。迫っていた拳も俺には届かなくなった。反撃の好奇。
「『光よ』」
放たれた光の玉は一瞬で飛んでいき、ジェーンの顔の近くで爆発した。陽光の如き眩い光が眼球を直撃した。しばらくは何も見えないはずだ。一気に近づく。魔法に長けた相手には近づくのが一番手っ取り早い。大規模な魔法の行使は自分の体を傷つける危険性があるのだ。
だからインファイトに持ち込む。魔法の決闘といっても、とどめを魔術で刺せばいいだけの話だ。極論魔術で作った剣で叩けばいい。
剣を携えるように、氷の柱を手のひらから生やす。風を切り、一気に表情まで見える距離まで近づいた。そこまで来てから違和感を覚える。防御のための魔法を使う気配がない。視界を奪われたらひとまず身を守る魔法を使うのが定石のはずだが。
様子を窺うと目が合った。目が、見えている。
「――大神に創られた汚れなき泥人形よ、完全なる肉体を持って蘇り給え」
俺の様子が見えていたジェーンは余裕を持って魔法を構築できたらしい。重々しい詠唱。ジェーンのすぐ手前、俺の進行を遮るように、水を含んだ泥が急速に人の形を作っていく。
完成されたそれは、先ほどの巨人と違いひどく小さい。四肢や顔の大きさなど全て、人間と変わらなかった。しかしその泥人形の禍々しい存在感は先ほどのゴーレムの比ではなかった。
泥だけで形成された、目鼻のないのっぺらぼうの顔がこちらを向く。表情なんてないのに、泥から剝き出しの憎悪が伝わってくる。
その動きは一瞬だった。瞬く間に目の前に泥の拳が迫る。間一髪、身の危険を感じる攻撃を氷柱で弾く。かなりの硬度を持たせたはずの氷はあっけなく砕け散った。手に伝わった衝撃は途方もなく重い。
後ろに大きく飛び、一呼吸置く。
「模擬戦でなんてもん出してんだ……!」
「そういえば貴女の泣き顔はまだ見ていなかったので。泣かしてやりたくなりました」
「人でなしが……『絶対零度の氷よ、あらゆるものを切り裂く絶対の刃となれ』」
相手の本気に合わせるように、再び手のひらに氷柱を形成する。刃渡りは一メートルほど。しかし込められた魔力が、密度が先ほどとは桁違いだ。先ほどの拳程度では決して砕けず、研ぎ澄まされた氷刃は人体に振るえば骨すら絶つだろう。今の俺の本気の魔術。
俺の気が研ぎ澄まされ、土人形を操るジェーンの無機質だった瞳が細められる。
「――そこまでです!」
しかし、渦巻く殺気はぶつかり合う直前に霧散する。仲介人のオリヴィアの凛とした声が響いた。
「これ以上続ければ命の危機があると判断いたしました。お二人とも熱くなりすぎです」
オリヴィアの冷静な声に強張っていた肩の力を抜く。我に返った俺は氷柱をひっこめた。いつの間にか本気になっていた。ジェーンの泥人形も形を失って地に還っていた。
「兄妹喧嘩にしては本気が過ぎませんこと?見ごたえはありましたが……」
「いや、悪い。確かに冷静じゃなかった」
「私も少し熱くなりすぎましたね。ご心配かけて申し訳ありません」
二人で反省の言葉を口にする。正直あれ以上ヒートアップしていたら周りへの被害も考えずに続けていたかもしれない。
ジェーンもシュンとした顔を作り、わざとらしく肩を落としていた。……いや、あいつは反省してなさそうだな。
オリヴィアの元へと戻ると、彼女はやや興奮気味に今の魔法戦について語り始めた。
「メメさんの状況に対応する魔術も素晴らしかったですが、ジェーンさんは珍しい魔法を使いますね」
「私が使うのは、今では古代魔法と呼ばれる代物ですからね。あまり知られていないと思います」
「古代魔法……。話には聞いたことはありましたが、見るのは初めてですわ。確か、かなり特殊な詠唱と才覚が必要で、その分大きな魔力消費と高い効果が特徴だとか」
「詳しいですね」
オリヴィアの言う通り、ゴーレムの魔法はあまりメジャーではないだろう。土魔法は基本的に動かない建物などを作ることのできる魔法だ。操って動かすような使い方は滅多に見れない。そんなことができる魔法使いは、現代にはほとんどいないだろう。
それよりも問題なのは次の泥人形だ。かなり危険な気配を纏っていた。オリヴィアは知らなかったようだが、あれは三つの禁忌、三禁に触れる可能性のあるかなり際どい魔法ではなかっただろうか。
大神に創られた直後、人間が最も神に近かった頃の肉体を再現した泥人形の創造。解釈によっては不遜にも命を創りだしたと取られてもおかしくない。歴史を辿れば禁術に指定されていてもおかしくないだろう。ジェーンは、女神の眷属は、大神を畏れないのだろうか。
「――しかしあそこで視界を奪ったメメさんの判断も素晴らしいものでした!……メメさん?」
「あ、ああ。俺みたいな魔術でしか戦えないやつは真っ向勝負しても優秀な魔法使いには勝てないからな」
男の肉体の頃ならいざしらず、今では経験頼りの小手先の技術を使って、ようやくジェーンと肩を並べられるといったところか。
「あれ、でもメメちゃんはこの前アタシたちに魔法を見せてくれたよね?」
横で話を聞いていたカレンが尋ねてきた。田舎の村ではお目にかかれなかった魔法に興味があるらしい。
「実戦で使いやすいのは基本的には魔術のほうなんだ。応用しやすいからな。それに俺は魔法の長ったらしい詠唱をあまり覚えてないからな。魔術の方が得意だ」
「暗記が苦手ってだけなんじゃ……」
違うのだ。長々と神を讃える魔法の詠唱があまり好きではないので、覚える気にならなかっただけなのだ。
しかし、それを説明するわけにもいかないので黙って受け流した。カレンにアホだと思われた気がする……。
「魔法も魔術も一長一短ですからね。メメさんほど動ける人なら詠唱に取られる時間がもったいないと考えるのも自然な事でしょう」
「ああ、そうとも言うな。剣技の間に使える魔術の方が俺にあっている」
「へえ……。魔法を使える人って皆後ろの方から攻撃してるイメージだったなあ。メメちゃんみたいに斬りこむ人もいるんだね」
「メメさんは特殊例です。普通魔法を生業として扱う人間は生涯魔法の研究と研鑽に費やしますから。大抵が研究者のような人間です」
魔法使いは、研究者というか一人では何もできないお貴族様、とも言える。奴らは魔王との決戦のために魔法の研鑽をしているにもかかわらず、戦場の過酷な環境に耐えられないことが多い。
粗悪な食事にベッド。いつ敵が来るのか分からず安眠もできない。さらに一日中馬車で移動することもある。慣れない環境に魔法使いが体調を崩すことも珍しくない。
千年近く魔物との戦いに明け暮れていたのだから、王国はこの問題にもう少し真剣に取り組むべきだと思うのだが。




