16 一番の理解者
肩の荷を代わりに背負う話です
王国では、北に行くほど魔物が出やすいと言われている。人に害をなす魔物は北に位置する魔王領から流れてきているからだ。
このオースティン大森林も魔王領から流れてきた魔物が多く住み着いていることで有名な場所だ。鬱蒼とした森林内部には多数の魔物が潜んでいて、精鋭騎士でも奥まで入るのは難しいとされている。しかし人里が近く物資の補給が容易であることもあり、魔物との戦闘経験を積むために騎士や冒険者などが訪れることも多い場所だ。
「『炎よ、我が敵を撃ち滅ぼし給え』」
オリヴィアの短く短縮された詠唱から、小さく抑えられた火球が飛ぶ。猪の形をした魔物の鼻っ面に命中したそれは、勢いよく破裂して命を奪った。彼女が最も適正があるのは氷を用いた魔法だが、天才肌の彼女はそれ以外も器用にこなす。
「凄いですね!オリヴィアさんがいれば魔物に負ける気がしません!」
「この程度、女神様に祝福された勇者であるあなたならできるはずですわ」
オリヴィアが不機嫌そうに返事をする。勇者の、あらゆる才能が与えられるという特徴は有名だ。武術も魔法も魔術も治癒魔法も、誰よりも速く上達する。だからといってすぐに熟達者と同等になれるかと言われれば、そこまでではない。
オリヴィアは何も知らないオスカーに少し不満があるようだ。今の彼女を見ていると、初対面の頃のとげとげしい様子を思い出す。
実際のところ、実戦経験をしていないにも関わらずここまで戦えるのはオリヴィアくらいだ。魔法も魔術も長所と短所を理解してうまく使いこなす。あとは体を鍛えてもう少し機敏に動けるようになればそうそう遅れを取ることはないだろう。
物思いにふけっていると背後から物音がする。振り向きざまに剣を突き出すと、狼の形をした魔物が突っ込んできたので串刺しにする。
「メメさんは随分戦い慣れていらっしゃいますね」
「剣の扱いにはいくらか覚えがある。前線で斬り結ぶのは任せてくれ」
力任せだった剣技は、いつの間にかそれなり以上の技量になっていた。しかし以前とは比べ物にならないほど腕力が落ちていることには気を付けなければならない。過去の俺の剣技は祝福を受けた身体能力を以て膂力で相手を圧倒することを前提に成り立っていた。
そして得物も聖剣ではない。ただ形状の似通った大剣。悪い剣ではないが、聖剣の頑丈さと切れ味にはまったく及ばない。直近の戦いを終えたら新しい得物を探すべきだろうか。そこまで考えて、そろそろ姿を現すだろう強敵を相手に未熟な彼らが戦えるのか不安になる。
他の面々の様子を見る。カレンの治癒魔法はそつがない。元々村で治癒魔法で人々を助けてきたのだ。加えて大自然を駆け回って育ってきたカレンは田舎育ちらしい脚力を持っている。幼い頃散々やった鬼ごっこで見せた健脚は戦場でも彼女を助けるだろう。
最後にオスカー。肝心の勇者様は、正直なところ見ている俺まで恥ずかしくなってくるような拙さだ。剣を振る速度、踏み込む足の力強さは既に常人のそれを大きく超えている。しかしその優れた能力をまったく活かしきれていない。丈の長い聖剣に振り回されている。まだ勇者として身体能力を自分のものにしきれていない。俺に一太刀浴びせた時の気迫や勢いはどこにいったのやら。
「オスカー、自分の周りにある力に集中しろ。勇者の力を使いこなせなければその剣は使いこなせない」
「えっ……うん分かった」
俺の助言を聞いたオスカーが目を閉じると、目に見えない力が集まっていくのが分かった。勇者の人外の身体能力の源は、空気中や地面にある微細な魔力だ。優れた魔法使いでも完全には掌握できないそれを、無意識のうちに自分の身体能力の強化に充てる。女神の祝福を受けた体はあらゆる自然を味方につける。
彼の周りの空気が変わった。見るものが見れば一目で身の危険を感じるような膨大な力の高まり。オリヴィアの生唾を呑む音が聞こえた気がした。
力を充実させたオスカーは、飛び出してきた猪型の魔物に聖剣を振り下ろす。周囲の木が倒れんばかりの暴風を生み出して、猛烈な勢いで振り下ろされた聖剣は見事に魔物を真っ二つにした。
そして、オスカーは勢い余って頭から地面に突っ込んだ。嫌な沈黙の中に、べちゃり、と情けない音が響いた。
「ハア……」
その溜息は俺の口と、オリヴィアの方から聞こえた。
「ま、まあ、しばらくは私とメメさんでも十分対処できると思いますから、そんなに焦る必要はないかと存じますわ」
あまりにも落ち込んだ様子を見かねたオリヴィアがオスカーをフォローする。思わず溜息を付いてしまったことに多少の罪悪感があったのだろう。
とはいえ、このままでは多く人を救えないことになる。一周目の俺は自分の未熟さゆえに夥しい数の犠牲を出したのだ。だから今回は、俺が奮闘する必要があるのだろう。勇者パーティー初めての本格戦闘は彼らが思っているほど遠くない。今から一週間もすれば、北東の村がデニス率いる「美食気取りのオーク」の一団に占拠されたという報告が入る。北西での魔物の大量発生に騎士団を派遣していた王国は対応に困り、結成間もない勇者パーティーに協力を要請することになる。そこで俺たちは、最初の戦場を見ることになるだろう。
「何落ち込んでんだ、泥まみれの勇者様。顔の泥ならさっき俺が魔術で取ってやっただろう?」
「メメ……」
いかにも落ち込んでます、という哀愁漂う背中を見つけて、つい話しかけてしまった。他の二人は近くにいないようだ。今のうちに少し話しておくべきか。
「お前の考えていることを当ててやろう。皆の前で勇者への期待を裏切ってしまった。このままでは皆を守れない。勇者の名に恥じない戦いができると思えない。そんなもんだろ?」
「……魔術っていうのは心も読めるの?」
「できないとは言わねえ。今度やり方を教えてやろう。今回に関してはそんなの必要がないほどお前が分かりやすく情けない顔してたってだけだ」
「容赦ないなあ……」
苦笑いをする顔には隠し切れない不安が見え隠れする。それを見た俺に浮かび上がってきた感情は、同情でも憐憫でもなく、怒りだった。
どうしてお前が勇者の重責を負っている。それは俺のものだ。一人で背負い込もうとしている態度にイライラが募る。きっとそれは、同族嫌悪であり自己嫌悪だった。
だから、今の彼にありきたりな励ましを口にしても何の意味もないことは分かっていた。安易な慰めなんて口にしない。お前なら大丈夫だなんて口が裂けても言わない。大丈夫じゃなかった過去の俺が今ここにいる。
「――数日前まで平凡な人間だった奴がなに全部背負った気になっていやがる」
「え?」
「なんでお前が皆を守れる気になってるんだよ。お前なんてこの前まで剣も握ったこともなかったただの素人じゃねえか。人を殺したことだってない、平和な社会で暮らしていた平凡な人間だ。違うか?」
「でも、僕は勇者だし……それにこの前盗賊団と戦って……」
「戦って、誰一人殺さなかった。そうだろ?」
俺自身の記憶通りにこいつが動いていたなら、あれが初めて剣を取った時だったはずだ。人を傷つけることは許容できたが、最後まで人を殺すことはできなかった。そんな甘い人間だった頃の俺がこいつだ。
「なんでそれを……」
「見れば分かる。いいか?そんなヘタレに世界の命運を全部任せる、なんて言うやつがいたらそいつの采配ミスなんだよ。もしくは間違っているのは世界だ。お前は所詮一人じゃ何にもできないガキなんだろ?何をいっちょまえに責任を背負った気になっていやがる」
「でも僕はただの人じゃなくてって、選ばれた勇者で……」
その表情が、義務と期待を背負って不安に圧し潰されそうな過去の自分に重なった。だから俺は、お前を特別な人間になんてしてやらない。使命を果たす人間はこの俺だ。情けないお前なんかじゃない。
「何が勇者だ!くじ引きみてえな適当なやり方で人類の救世主を選びやがって!いいか?女神のお告げなんて嘘っぱちだ!世界を救うのはたかが15年程度しか生きてねえお前なんかじゃねえ!俺だ!人生全部魔王を殺すために費やしてきた俺なんだよ!」
ここまで言ってもオスカーはまだ懐疑的な表情だった。まだ重責を背負って苦しい、という表情だ。俺の苛立ちが際限なく高まっていく。
「でも、魔王を倒せるのは聖剣だけって……」
「その棒切れ貸せ!」
「あっ!ダメだよ!」
「――ッ……」
見慣れた聖剣の柄を握ると、とたんに手のひらが焼けるように熱くなった。勇者以外が聖剣に触れると、例外なくそのあまりの熱さに取り落としてしまう、とは聞いていたがこれほどとは思わなかった。
額から脂汗が噴き出す。熱は体全体に伝わり、骨の髄まで地獄の業火で焼かれているようだった。でも掴んでいられる。この体は勇者の残滓を魂に持っている。常人以上勇者未満の聖剣適合者だ。
「俺だって魔王を殺せる!」
痛みは意思と怒りで打ち消す。剣先を太陽に向けるように振りかざして、渾身の力を込めて振り下ろす。嵐が来たかのように木々が揺さぶられ、聖剣に両断された幹は綺麗な切れ目を作って真っ二つになる。
「あっちー……」
「なんでこんな無茶したの!?」
あまりの熱さに聖剣を取り落とす。手のひらは焼け爛れて元の肌の色は見る影もなかった。オスカーが心配そうな顔でこちらに近づいてくる。こいつに心配されるとなんだか腹が立った。
「分かったか?お前の代わりなんて、ここにいるんだよ。魔王を倒すなんて大それたことを考えるのは俺みたいなのに任せておけ。分かったら無意味に焦るんじゃねえ。……遠くを見据えるんじゃなくて、できることから一個一個覚えていくんだよ。どうせお前は一遍に多くのことを覚えて急成長するような器じゃねえんだよ。だから、できることを全力でやる。分かったか?」
「……うん」
……その表情ならきっと大丈夫だ。俺と同じ結末なんて俺が迎えさせない。勇者の使命なんて俺に任せて幼馴染といちゃついていやがれ。
思い出すのは悪意なんて少しもない、純粋に意気消沈した俺を励ます言葉。
「オスカーならきっと大丈夫。アンタなら何とかしちゃうって、アタシ信じてるから!」
「大丈夫、貴方は女神様に選ばれたんですから。きっと成し遂げます」
仲間たちにかけられた言葉を今でも忘れられない。彼女たちの信頼を裏切った。人類の滅びの運命をなんとかすることなんてできなかった。やはり俺ではダメなのではないか。何度もそう思った。でも俺しかいなかった。なんとかできるのは。魔王を打ち倒す力を与えられたのは、俺しかいなかった。
死ぬ気で頑張った。死んでも頑張った。何回もやって、何回も皆を死なせた。繰り返すたびに温かい言葉が肩に重くのしかかり、俺を一層惨めにさせる。
だんだんと俺は仲間と距離を置いて戦うようになった。その方が楽だったのだ。守るもののなくなった俺は、以前よりもずっと自由に戦場を駆けまわれた。最短で、最高の結果を。犠牲なんて気にしていられなかった。その何倍もの犠牲を俺は出し続けていたのだから。
過去に戻れば全部無くなる、なんて都合の良いことは考えられなかった。悲痛な断末魔を、失った人たちの号哭を、覚えている。その感情が、死が、全部無かったことになったなんて俺が思って良いわけがない。一度だって忘れたことはない。俺の心は過去に縛られ続けていたのだろう。愚かな俺は前に進んで、罪を、背負う重石を増やしつづける。なんと愚かな生だろうか。