14 バッドエンドの記憶 被食
今までで一番醜悪なバッドエンドの話です
オークは人間と豚の見た目を足して二で割って、図体を人の三割増しにしたような風貌の魔物だ。知能が低い代わりに高い生命力を誇っている。強敵ではないが倒すのに一苦労する魔物、というのが一般的な認識だ。
しかし何事にも例外というのは存在する。「美食家気取りのオークたち」、そしてその首魁であるデニスは、著しく知能が発達したオークだ。彼らは陣形を組み、恵まれた体躯を最大限利用して人間を打ち倒す。種族特有の生命力に加えて、戦いを理解している頭脳を持っている彼らは非常に厄介な相手だ。通常の騎士団や冒険者程度では太刀打ちするのは難しいだろう。
そして彼らの最悪な点は、人の肉を好んで食べるという点にある。本能のままに近くにいる人を襲うことがある通常のオークと違い、彼らは人肉を食らうという目的意思を持って計画を練り、無防備な辺境の村を襲う。襲われた村の人間の末路は悲惨だ。「美食家気取りのオークたち」、特に首魁のデニスは人が恐怖に歪んだ顔を見ながら人肉を食らいたいという最悪の性癖を持っている。襲われ、連れ去られた後で村人は絶望する。たっぷりと時間をかけて、自分たちの迎える結末をじっくり理解させられた上で少しずつ体を貪られる。
初めてデニスたちと戦った時の俺は完璧に敗北したと言って良いだろう。
分厚い雲が太陽を覆い隠していた。昼下がりだった。報告のあったオークの集団の生息地のすぐ近く、なだらかな丘の傍らの窪みに隠れるように集まっている俺たちの上空はぼんやりと薄暗く、どこか不安な気持ちにさせる。
「勇者殿、騎士団の方は準備整っております」
高価そうな鎧に身を包んだ騎士の一人が俺に声をかける。引き締まった顔には、仄かに村人ごときに従わなければならないことへの屈辱が滲み出ている。俺だって好きで従えているわけではないのだが。
「それでは行きましょうか。俺がカレンと一緒に敵陣に突撃しますので、騎士団の皆さんは敵を逃すことのないように包囲をお願いします」
カレンを一人にするわけにはいかなかった。平民を見下している騎士団のことだ。田舎の村出身のカレンをちゃんと守ってくれるとはとても思えなかった。
「分かっております」
「それでは――何の音でしょう?」
悲劇の始まりは既にそこまで来ていた。違和感を覚えた時には遅かった。見上げる丘の上、その頂上からは巨大な岩が俺たちを踏みつぶさんとばかりに転がってきた。突如目の前に現れた命の危機。予想外の事態に騎士たちは動揺した。
「退避だ!急げ!」
「しかし荷馬車が……」
「馬鹿者!置いて逃げろ!死にたいのか!?」
「カレン!こっちだ!」
巨石の着弾。轟音と共に肉の潰れる嫌な音がする。見なくても何人も死んだのが分かった。窪みの中ほどまで這い上がれた騎士たちは、なんとか生き残れたようだ。命の危機から逃れた面々に一瞬弛緩した空気が流れる。しかし本当の危機は既に自分たちに迫りつつあった。辛うじてカレンの手を引いて逃げることのできた俺は窪みの上を見る。そこには食欲にギラギラと目を光らせるオークたちがいた。
戦端の開き方としては最悪だった。オークたちの動向を観察していた騎士の斥候はいつの間にか奇襲され壊滅。あまつさえ人質にされる始末だった。奇襲するはずだった俺たちは奇襲を受けることとなった。オークという種族への侮りがあったのだろう。辺境の村を荒らしている程度のオークに戦略など分からない、と。
過ちの代償は大きい。不利な体勢に立たされた騎士たちは一人、また一人と倒されていく。騎士団の練度は決して低くなかったが、高所で包囲網を作っているオークたちを相手するうちに疲弊していき、打ち倒されていった。そして殺されるわけでもなくどこかに引きずられていく。
迫りくるオークを前に聖剣を振るい続けていた俺にもその光景は見えていた。目的不明の行動に恐ろしさを感じる。殺されるという恐怖だけではなく、何が起こっているのか分からないという未知への恐怖。それを振りほどくように聖剣を振るう。輝く刃は嘘みたいな切れ味で、オークの分厚い腹部をもあっさり切り裂く。血に塗れた刃はいささかも切れ味を落とす様子もなく、次から次へとオークの命を奪う。しかし高揚はない。いくら倒しても敵が減っているように見えない。あまりに数が多すぎる。
どこかでカレンをここから脱出させなければ。俺の頭にあるのは、もはやそれだけだった。勝ち負けなんてどうでもいい。カレンを、どこか。一番大事な幼馴染だけは何としても守るのだ。恐怖のあまり思考が最悪を回避することに集中し始める。振り下ろす剣先が揺れる。余計なことを考えたせいだろう。後方のオークからの剛腕による投石に気づかなかった俺は頭に直撃したそれで意識を失った。
肉がちぎれる音、不快感を催すくちゃくちゃという咀嚼音、耳をつんざく断末魔。それから血の匂い。それらが俺の意識を覚醒させた。
「やめてやめてやめて!!いたいたいいたいたい!!」
「嫌だ!!食べられるなんていやだ!!助けて女神さま!大神さ……」
「ああああ!左手!俺の左手!返せよおおおお!」
最悪の目覚めをした俺は最悪の光景を目にした。人がオークに食われている。騎士たちが。村人が。貴族も平民も、男も女も等しく食われている。足から、手から、腹から、泣き叫び赦しを乞う頭から。
捕まった人間は例外なく手足を鎖で縛られていて動けなくされている。醜悪な食事風景を見せられている生き残りは、悲痛な表情で泣き叫んでいるか、絶望して一言も喋らないかのどちらかだ。信じ難い光景に呆然としていた俺ははたと我に返る。そうだ!カレンは!?
「あら、目覚めたの勇者様、おはよう。私が指導者、オーク美食団のデニスよ。凄かったわね、孤軍奮闘。私の仲間が結構死んじゃった」
「カレンは!カレンはどこに!?彼女はただ純粋に女神に仕えているだけの聖職者なんだ!頼む、彼女だけは……」
「最後まで連れてた女の子のこと?それならここに……」
デニスと名のった醜悪なオークが巨体の後ろの何かを振り返る。よかった彼女は無事だったんだ。何も悪いことなんてしてない彼女が死ぬなんてあり得ないのだ。
「首から下は全部食べちゃった。ごめんね?」
「――え」
見慣れた栗色の髪。無造作に掴まれた顔の首から下には何もなかった。光の無い目は恐怖に限界まで開かれている。頬にはいくつもの涙の跡。唇は真っ青で、大きく開かれた口はこちらになにかを伝えようとしている気がした。
「いやあ、あなたの健闘を称えて最期に感動の再会をさせてあげようと思ってたのよ?でも、あなた全く起きなかったじゃない?我慢できずに足から味見したんだけど……想像以上に良い声で鳴くのよこの子!体を齧るたびに、おすかー、おすかーって可愛く泣きわめくものだから、ついつい調子乗って食べ進めちゃったの。気づいたら息がなかったのよ」
耳から入ってくる不快なダミ声が理解できず、ただ目の前でブラリブラリと揺れる生首を見つめることしかできなかった。見慣れた首から下には何もない。
カレンのほっそりとくびれていて、けれども時々お腹周りを気にしてぷにぷにと触っていたあの体は、暖かったあの手のひらはどこにいったのか、そればかりを考えていた。
「なんで……どうして……」
「理由?彼女が死んだ理由?まあ彼女の絶望顔が最高だったこととか悲鳴が綺麗だったこととか色々あったけど……一番の理由は、あなたが私たちに負けて、食われる彼女の目の前で呑気に寝てたことじゃない?」
「――貴様アアアアア!!」
言われたことを理解できた瞬間に体の奥が熱くなる。涙がとめどなく出てきた。目の前の巨体のオークに際限なく怒りが溢れてくる。体は前に行こうとしていたが、足枷がそれを阻む。金属が足首に強くめり込んだ。歯を磨り潰さんばかりに食いしばる。どれだけあがこうと何もできない現実は変わらなかった。
「無駄よ。勇者様用の特別仕様だから。それよりも、あなたも良い顔で絶望するじゃない。間違いなくこの子とお似合いよあなた。喜びなさい?」
玩具のようにプラプラとカレンの絶望に歪んだ顔を揺らしながらオークが嗤った。揺らされた頭部から何かが落ちる。見覚えがあった。天真爛漫な彼女に似合うと思って贈った、向日葵の髪飾り。
「放せ豚野郎!!お前の汚い手でカレンに触れるな!」
「豚野郎じゃなくデニスと名乗ったはずだけど?というかせめて女郎でしょう。このキュートなリボンが見えないの?」
大きな顔に不釣り合いな赤くて小さいリボンを指さしているらしかった。人を殺しておきながら人間みたいな態度を取るコイツが許せなかった。その不快な声を黙らせて、できるだけ惨たらしく殺してやりたかった。
しかし今は優先すべきことがあることに気づいていた。憤怒を必死に抑え込んで、殺してやりたい相手に情けなく懇願する。
「頼む……カレンは女神教の信徒なんだ。せめて埋葬して大神の元に送ってやってくれ……俺をどうしてもいいんだ……だから代わりに、せめて彼女を安らかに眠らせてやってくれ」
自分の言っていることの情けなさにまた涙が出る。女神教の教えでは、正しく生き、死んだ人間は土に埋葬されたのち、大神の待つ理想郷へと行ける、と伝えられる。せめて彼女に安らかな死を。彼女の清らかな魂に安寧を。
「自分の死も顧みずなんて健気なんでしょう。そういうの嫌いじゃないわよ?」
「……ッ!それじゃあ!」
デニスは穏やかそうにニコリと笑ってみせると……カレンの首を大きな口に放り込んだ。
「アア……」
「あなたが殺した私の仲間の数は二十人。どうして慈悲なんてあると思ったの?ああ、やっぱりあなた良い顔で絶望するわね。……もう食べる!我慢できない!」
「アアアア!いたいいいい!……早く!早く殺せ!」
デニスが近づいてきて、血の匂いのする口を大きく開けた。俺の右手は手首から先がすっぽりなくなっていた。想像以上の激痛に視界が歪む。わずか一部分で既に耐え難い痛みだった。これ以上の痛みがあるなど想像したくもなかった。そしてカレンが受けた痛みを想像して心まで痛くなった。口の端を血で汚しながら、デニスが満足げに咀嚼しているのが見える。
もうどうだって良かった。食われても良かった。殺してほしかった。この地獄が終わって、カレンのところに行けるならそれで良かった。
「つれないのね。……二十人分の死の痛みを味あわせてあげるから安心なさい?」
絶望に際限なんてなくて、絶望の下にはさらに深い絶望があった。足が食われ、腸を食われ、耳が食われる。一つ一つに違う痛みがあって、そして俺の体はその程度では死ななかった。
数十分前に食われた足が再生する。また食われる。デニスにとって俺は無限に肉を生み出す家畜のようなものだっただろう。涙はとうに枯れた。喉が潰れて悲鳴すら出なくなった。時間の感覚は途中でなくなっていた。数時間が経ったのか、数日だったのか。あるいは数年だったのかもしれない。永劫にも思えた地獄の苦しみから解き放たれたのは、前触れもなく女神の神域に戻された時のことだった。