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11 オリヴィア②

時間軸コロコロ変わってます

なんかこう、過去と現在の交錯?みたいなのをですね……


相手の頬に手を添える仕草っていいよねっていう話です

 同じ卓を囲んで食事を取ることは、およそ全人類に共通する親睦を深める効果的な方法だろう。勇者パーティーの人員がオリヴィアを入れて四人になった晩、俺たちは食事会をしていた。


 比較的安値で量の多い食事を出していることが評判の食堂。店内の酔っ払い達の喧騒が賑やかな空気を形成している。どこか高揚した四人は水の入ったジョッキを持って、乾杯をした。公に酒を飲めるような年齢のものはここにはいない。

 (王国では、酒を子どもが飲んではいけないという法律はあるが、特に厳しく取り締まっているわけでもなく、未成年、18歳以下の飲酒はスラムなどでは結構行われている。けれども中流階級の集まるような食堂では未成年飲酒は周りの大人が咎める程度には許されていなかった)


 乾杯して、ジョッキの水を流し込む。個人的には酒の方が飲みたい気分だった。皿の上には何かの肉の揚げ物、塩の染みた芋など、見るだけで食欲がわいてくるような大衆料理が載っていた。

 この体になってからは食欲も人並みには出てきている。揚げ物を口いっぱいに頬張ると、カリッという音と共に、熱々の肉汁が口腔を蹂躙した。


 戦争が本格化する前の王都は総じて文化のレベルが高い。食もそうだが衛生、芸術など様々な面に整備が行き届いている。しかし戦局が悪化すると景色が一変する。人のいなくなった食堂では萎びた芋と、アルコール度数の高さだけが売りの安酒しか出なくなり、街は全域がスラムのように荒廃する。


 隣を見ると予想通りオリヴィアが初めて見る大衆料理に慌てふためいている。


「オリヴィア様、それは取っ手のようになっている骨の部分を素手で掴むのです」

「し、しかし、それはあまりにはしたなくありませんの?」

「郷に入れば郷に従え、です。庶民の食堂なのですから、その作法に従うのは、はしたないことではないでしょう?」


 諭すと、オリヴィアは意を決したように揚げ物をむんずと掴むと、小さく口を開けてそれを入れた。よく見ると口の端がわずかに吊り上がっている。お気に召したようだ。相変わらず思わぬギャップを見せて俺を魅了するのが上手な少女だった。


「メメちゃんは色んなことに通じているんだね。王様の前でもすごい堂々としてかっこよかったし」


 様子を見ていたカレンが親しげに話しかけてくる。


「経験だけは人より重ねているんだよ。慣れれば誰だってできるさ」

「そうかな?……そもそも、メメちゃんは今まで何をやってきたの?」


 いずれ聞かれると思った、自分の過去。この世界の俺にはそんなものは存在しない。俺のやってきたことは、全部誰の記憶にも残らず水泡のように消え去った。良いことも悪いことも、友情も愛情も、罪も。突然15歳の少女として生を受けたのだ。だから俺の過去について俺は何も語れない。


「うーん……秘密だな」


 踏み込んでほしくない、と遠回しに伝える。カレンは大人しく引き下がってくれた。カレンに本当のことを言えないことに、心が少し軋んだ。いつものことだ。誤魔化した俺は、無理やりに話題を変える。自分のせいで賑やかな食卓に沈黙が降りるのは嫌だった。


「これで前衛役が二人、治癒魔術師が一人、魔術師が一人。最低限の人員は揃ったと言っていいだろう。ひとまずはこの4人で勇者パーティーを結成、魔物との闘いで経験を積んでいこう」

「少なすぎるような気もしますけれど……それに経験豊富な大人をスカウトしなくてよいので?」

「下手に増やして内部抗争でもされたら困る。色んな立場の人間が集まります。それから、多かれ少なかれしがらみに縛られた大人は今は要らないでしょう」


 どこかでしたような説明を繰り返すと、貴族社会を見てきたオリヴィアは納得してくれたようだ。


「というか、メメさんはその華奢な体であの大きな剣を振るのですか?」

「ああ、腕力だけなら騎士にも負ける気はないぞ……です」

「その取ってつけたような敬語は今は結構ですわ。好きなように話してくださいませ」

「ああ、そう言ってもらえると嬉しい」


 礼節に厳しいオリヴィアに合わせて口調を変えていたが、本人から必要ないと言われた。どうにも、この賑やかな食堂で畏まって喋ることには違和感を覚えていたので、正直助かった。初対面の相手でも遠慮なく話しかけられる社交的なカレンがオリヴィアに話しかける。


「でも、オリヴィアさんは貴族の家の人なんでしょ?遠出とか許されるの?」

「私は特殊な例なのでご安心を。幼い頃から奔放だったので本家からはいろいろ諦められていますの」

「そんなことあるんだ……」

「貴族様っていうのも色んな人がいるんだね」


 オスカーがしみじみといった様子で呟いた。オリヴィアはかなり特殊な例だ。彼女の場合は本人が優秀すぎて、家の人間が中々口出ししづらいのだろう。

 魔法学院主席卒業確定のエリート様なら研究者のような、自分が望む道へ進むことも難しくない。変に干渉して縁を切られたら困るのは公爵家の方だ。


 そこまで思い出して、そこまで彼女について良く知っているということを思い出したからだろう。その夜、回想のような夢を見た。





 俺が魔法学院に入学して、オリヴィアの同級生として改革を目論んでいたのは、まだ人間社会に希望を持っていた頃だ。人生を繰り返すうちに見えてきた不条理。魔法の最先端である王都の魔法学院で、伝統に縛られて自由な魔術の研究ができていないという事実。どうしても変えたかった。大勢の命を救うために。そこで俺は、俺にとっての理想を彼女に見た。


「貴方が農民にしては賢いのは知っているけれど、貴族に噛みつくのは止めておきなさい。ただでさえ決闘騒ぎから目の敵にされているのですから」

「でも、オリヴィアだってあいつらの言ってることが間違っているのは分かっているだろう?」

「貴方が間違っているとは言っていないわ。貴族に噛みつくのは後ろ盾のある私に任せておきなさい」


 自分が泥を被ってでも、不条理を、間違いを正すことを躊躇わない。あの時の俺はそんな彼女に惚れていたのだ。それは尊敬の感情が大きく含まれた恋だった。

 結局のところ、本格的に魔王軍との戦争が始まるまでの数年では魔法学院の不条理を克服するには至らなかったが、残せたものはあった。俺とオリヴィアの進めた魔術の研究は王国の魔術のレベルを向上させるのに大きく役に立った。そして数年が経ち、戦争でもオリヴィアは俺の隣で戦ってくれた。





「なぜ!?どうして俺を庇った!」

「あらあら、私が告白したことも忘れてしまったのかしら?」


 錆びついた風が頬を撫でる戦場の片隅。魔物だった肉片がそこら中に散らばっていた。血の海の中心にはぽっかり穴が開いていて、人間の男女二人がいた。俺の腕の中で力なく倒れるオリヴィアの胸からは禍々しい槍が突き出ていた。血がとめどなく溢れてきて、彼女の頭部を膝の上に乗せている俺の服を濡らした。


 彼女の体を蝕み続けている槍には強力な呪いが掛かっている。背中から胸元を貫いているそれは、外傷を与えるに留まらない。体の中から摘出することもできず、肉体から寿命を吸い取り続ける。頑強な勇者をも死に至らしめ得る特別性だ。教会に行くか、聖職者が複数いなければ、治療は不可能だった。血は止まる気配なんて全くなく溢れてきて、それに合わせるように彼女の顔から赤みが消えていく。もうじき、彼女の命はついえるのだろう。


「俺なら死ぬことはなかった!俺が……俺が、受けるべきだったんだ。君を傷つけたくなかった……」


 胸のあたりを貫かれたような痛みに絶えず苛まれる。肉体の痛みには慣れても、心が痛む感覚にはいつまで経っても慣れる気がしなかった。

 鼻の奥が熱くなって、雫が彼女の新雪のような真っ白い頬に落ちる。やめろ。お前のせいだろう。お前に泣く資格などあるものか。血の匂いのする手の甲で涙を拭っても、すぐにまた目の奥から涙が零れ落ちてくる。


「死ななくっても痛いでしょう?心も、体も」


 オリヴィアの手が弱々しく伸びてきて、疼痛を訴え続ける胸のあたりにそっと触れた。その言葉は久しぶりに聞いた。まだ繰り返しも十回にも満たなかった頃、カレンが気遣わしげにかけてくれたのと同じ言葉。人ならざる超常の肉体を持つ俺を、同じ人間であるように気を遣ってくれた。俺の胸に触れていた手が力なく落ちる。手を伸ばすこともできなくなった彼女は、静かな声で最期の言葉を伝えてくれた。


「……私はもうここまでのようですが、魔王はもう、すぐそこでしょう?……終わらせてきてくださいませ、私の勇者様」


 静かな、最期の懇願。結局我儘なんて全然言ってくれなかった彼女のただ一つの願い。血の気の引いた真っ白な頬に手を添えて、くちづけをする。目を閉じてそれを受け入れた彼女は、もう目を開けなかった。胸の痛みはかつてないほどのものだった。いっそ恨んでほしかった。お前のせいだと罵って欲しかった。……そんなにも、慈愛に満ちた表情で逝かないで欲しかった。



 そうして、魔王の元に向かった俺は、約束を果たせなかった。惨めに負けた俺は、最愛の人の最期の頼みも聞くことができなかった俺の生は、浅ましくも続いている。あの後も彼女とは何度も共に戦ったが、彼女とのくちづけはあの時が最後だった。





 涼やかな朝風が肌を撫でるが、額の脂汗は引きそうになかった。とびっきり嫌な夢を見た時には体を動かすに限る。じっとしていると胸のあたりの疼きでどうにかなりそうだった。ベッドから飛び起きた俺は宿の中庭で早朝の素振りを始めた。大上段に構えた剣を真っすぐに振り下ろす。断続的に響く風切り音を聞いていると心が静まってくるのが分かる。


「ごきげんよう、朝から熱心ですのね」


 先ほどまで夢の中で聞いていた、懐かしい凛とした響き。オリヴィアの声を聞くと、落ち着いていた心があっさり乱れる。振り下ろした剣先が揺れた。


「あ、ああ、ご機嫌ようオリヴィア様」

「フフッ、どうしてそんなに動揺しているの?音が聞こえていたけれど、随分と熱心に素振りをなさっていたのね。……あら、血だらけ」


 オリヴィアの意外に長い腕がスッと伸びてきて、俺の手首のあたりをガシリと掴んだ。薄くて小さい俺の手ひらは、剣を初めて握る小娘のようにマメが潰れて、血で染まっていた。隠し損ねた。


「……貴女はどこか心に余裕が無いように見えますね。何をそんなに焦っていらっしゃるの?」


 初めて聞く問いではなかった。初めてオリヴィアを死なせた時からは特に、何度も聞かれてきたことだった。余裕などできるはずもなかった。あの時から俺は今までずっと、彼女との最期の約束に囚われたままだ。


 今までなら彼女の問いは、ちっぽけなプライドや、人類の希望たる勇者として弱音は吐けない、そんな意識から答えられなかった。しかし今は。勇者でなければ、彼女を守る男ですらない。ちっぽけなプライドは、自縄自縛を生む自意識は不思議と揺らいでいた。

 そよ風が頬を撫でた。風がやむのをゆっくり待ってから、俺はささやくように、思っていることを口に出した。


「……このままでは魔王を倒せない。多くの人を、大切な人を殺してしまう」

「……それは、貴女が背負うことではないのではないですか?」


 確かに、今はそうだ。でも、背負わないわけにいかない。オリヴィアの死に顔を思い出す。微笑を浮かべた、穏やかな最期。俺が魔王を倒すことを疑いもしなかった。


「そうなのかもしれない。そうかもしれないけど、でも、未熟な勇者と、腐った王国では魔王には勝てない!皆死ぬ!カレンも!オリヴィアも!俺のせいで!俺が!情けないから!俺が!君との約束を果たせないから!」


 叫んでいることの支離滅裂さに気づいて我に返る。


「……ごめん、変なこと話した」


 失敗した。また、オリヴィアに困ったような顔をさせてしまった。二度とこんな表情をさせまいと感情を制御していたのに。気持ちを飲み込む練習をしていたのに。じわりじわりと自己嫌悪が這い上がってくる。ふと顔をあげるとオリヴィアが俺の目を見つめていた。その目はいつかのように慈愛に溢れていて、胸が苦しくなった。


「少し落ち着いてくださいませ。……少なくとも今の貴女が目を向けることは結成されたばかりの勇者パーティーを安定させることではありませんの?」

「そうだな……」


 それは確かにそうだ。外泊もしたことのないお嬢様のサポート、パーティー内の軋轢の回避など俺が気に掛けなければならないことは多い。結局のところ、破滅を知る俺と知らない彼女らとの意見の相違は変わらないのだ。何度もやってきて分かりきっていたことじゃないか。暗澹たる気持ちになって彼女に背を向ける。


 しかし、歩き出そうとすると後ろから手がニュッと伸びてきて、俺の頬を摘まんだ。


「はに?」

「あら、思った以上に柔らかい。ぷにぷにしていて触り心地が良いですわ。百点満点です。誇っていいですよ?」


 急なボディタッチに顔が熱くなる。冗談めかした言葉が聞こえてくる。恋人だった時以来の間近で見る真っ白な両手が無遠慮に頬を蹂躙してきた。


「はっ?にゃにを……や……にゃめろ」


 オリヴィアの手を捕まえようとするが、するりするりと避けられる。そしてまた頬を無遠慮に摘まんだり撫でたりしてくる。くすぐったい感触に、強張っていた表情筋が緩む。


「それくらい、柔らかい表情の方がいいですよ」


 いつの間にか、彼女は目の前に立っていた。頬に手を添えたまま、少し目線を下げて俺の目を覗いてくる。真剣な表情だ。俺を貫く蒼い瞳は何もかも見通してしまいそうなほど澄んでいた。


「――余裕のなさは、最初に顔に出るものですわ。だから、せめて笑っていてくださいませ」


 決闘の秋のような、俺の背中を押してくれる言葉。俺は照れやら恥ずかしさやらで何も言えず、颯爽と去っていくオリヴィアの背を見送った。若干歩くのが早いところを見ると自分でやっておいて照れているようだ。


 ああ、やっぱり好きだなあ。昔の感情が蘇ってくる。しかし昔とは何か決定的に異なる感情。抱きしめたいという感情は浮かんでも、キスをしたいという感情は不思議と浮かんでこない。

 きっとそれは、男が女に恋をするような感情ではなく、尊敬できる人間に対する好意のような感情。女に生まれ変わって、俺が失ったものを実感した。


 自分の頬を掴むと、無理やり口角を上げてみた。いびつな笑み。けれども、不思議と気分は少しマシになった気がした。


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