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10 オリヴィア①

多くの人に作品を見てもらっていることが分かると、執筆の励みになります 

ありがとうございます


一章の主要人物は彼女が最後です

 件の勇者パーティーに勧誘したいオリヴィアは、今の時期には魔法学院に在籍している、優秀な魔法使いだ。王都に設立されている魔法学院では主に貴族の子女が魔法の扱いを学んでいる。警備は厳しいが、王城からの推薦状を見せればあっさりと通された。


 繰り返しの過去において、紆余曲折を経て数年ここで魔法を学んだことのある俺は、慣れ親しんだ校舎を迷いなく進む。廊下は貴族子女の居場所だけあって清潔に保たれている。生徒を満足させるために下働きが多数雇われている。


 目指すのは多数の生徒で賑わっている「伝統魔法」の教室ではない。追いやられるように隅にこぢんまりと設立された「実戦魔術」の教室。見慣れたそれを見て胸に浮かぶのは懐かしさ、安心、失ってしまった悲しさ。

もはやここは俺にとっての居場所ではない。そんな過去はこの世界に存在しない。だから、それを郷愁と呼んでいいのか分からなかった。力を籠めてその扉を開け、俺はまた何度目か分からない初めましてを始めた。





 魔法学院には大別して二つの流派のようなものがある。一つは圧倒的主流である伝統魔法派。伝統ある貴族家が特に修めるものであり、長い詠唱と高い効果が特徴だ。魔王軍との戦争の際には特に拠点防衛に高い適正を示すこととなる。率直な言い方をすれば、まわりに肉壁がいなければクソの役にも立たないので、前線に立つのにはあまり向いていない。


 主流である伝統魔法と比較してマイナーなのが実戦魔術派だ。詠唱などの伝統や見栄えを重視せず、最短で最高の効率を出すことを目指す、人や魔物を殺すことを念頭に置いた魔術だ。戦争になれば最も役立つのはこの派閥だ。

 ただ、いかんせん修めている人材があまりにも少ない。血統の質が大きく影響する魔法の世界の人間は貴族が9割を占める。伝統魔法の練度は貴族のステータスになる。結果貴族子女がほとんどの魔法学院の生徒はほとんどが伝統魔法派だ。おまけに実戦魔術を野蛮な技術と見下している。





 魔法学院を支配する保守的な空気は戦争に移行するにあたっては邪魔でしかない。そのことに気づいた俺は一時期その空気を変えようと、王に頼んで魔法学院に通っていたことがあった。勇者という肩書はあれど、元は単なる村人だった俺は選民思想の蔓延る伝統魔法の教室には入れなかった。学院で迫害され続けている実戦魔術の教室で、俺はオリヴィアに会った。


 美しい少女だった。迫害され、誰もが下を向いているその教室で、いつも彼女は背筋をまっすぐに伸ばし前を向いていた。魔力の高い平民や貴族の落胤の中で彼女は正当な貴族然とした振る舞いを崩さなかった。俺にとっては身分の低い人間を見下す凡百の貴族ではなく、彼女こそが最も貴い身分の存在に見えていた。





「オリヴィア・バーネット様ですね?初めまして。陛下からの推薦を受けて貴女を訪ねました」

「ああ、噂の勇者様でありましょうか。初めまして、オリヴィア・バーネットと申します」

「いえ、勇者殿はあちらです。私は粗相なきよう仲介を任されています」


 オリヴィアの視線がオスカーの方を向く。オスカーはどうしてよいのか分からないらしく、にへらと愛想笑いのような情けない笑みを浮かべた。横にいるカレンがちょっと呆れたような目で彼を見る。


 その様子を見たオリヴィアが少し目を細めた。迫力のある端正な顔立ちが一層迫力を増す。己の品位を示すように、見事な金髪を隙なく編んでいる彼女はキツめの美人顔も相まって睨みを効かせるとかなり怖い。そして誰よりも貴族らしさを追い求めている人間だ。そのため、弱腰や情けなさ、曖昧さを見せる人間に嫌悪感を示すことが多い。


 まして勇者という肩書には、先頭に立って大勢を先導するような、古典的貴族のような役目が求められることもある。彼女も当然それを知っているだろう。


「栄光ある勇者パーティーにご招待いただいたことは大変光栄ですが、私のような半端者が本当に必要ですの?」


 俺の目を見てオリヴィアが話す。オリヴィアは学院でおよそ唯一と言える、伝統魔法と実戦魔術の両方を学ぶ生徒だ。彼女は半端者と言ったが、どちらの欠点も良く知っている彼女は戦争において最も頼りになる魔法使いだった。


「学院唯一の生徒だから必要なのです。私たちは伝統に囚われた魔法使いも、反骨心だけで修練している実戦魔術師も必要としません。貴女のように誠実に魔法に向き合っている方が必要なのです。貴女の評判は聞き及んでいます。成績は今期トップ。授業で教われることは全て習得していて、その上で学院の在籍期間中は自主研究に励んでいるとの話でした。きっと貴女ほど優秀な生徒は他にいないでしょう。ぜひ、貴女に力を貸していただきたいと思っております」


 言うと彼女は若干顔をそむけた。これは常に相手の目を見ている彼女には珍しい反応だ。良く見れば耳がほんのり赤くなっている。努力の量に比して認められた経験の少ない彼女は誉め言葉に弱い。周囲にはほとんど知られていないことだったが、率直に言えば結構チョロかった。正直かつての俺は、悪い男にあっさり騙されそうだなと少し不安に思っていたほどだ。


「そ、そこまで言うのなら貴族として協力するのもやぶさかではありません。しかし私、安い女ではなくってよ?」


 王城からの援助についてのことや、待遇についていくらか擦り合わせを行うと、彼女は勇者パーティーの一員として戦うことを約束してくれた。そうして俺はまた、彼女を死地へと連れていくことになった。





 この世界には存在しない記憶。俺の頭にだけ残っている夢の出来事のようなものだ。


 王立魔法学院、実戦魔術の教室は今日も熱気に満ちていた。分厚い書籍を開き、時々何事かメモしている生徒。魔術理論について侃々諤々の議論を繰り広げる生徒たち。自らの手で魔術の可能性を探る勤勉な生徒たち。


 ここにいるのはみな貴族社会からは排斥された、訳アリのつまはじきもの。貴族の隠し子、家業を継げなかった子ども、そして、先日王都に来た元村人の勇者。肩書は様々だったが共通点が一つ。血統ではなく己の魔法の才覚一つで秀才集う王都魔法学院への入学を果たした金の卵たちだった。


 騒々しい音を立てながら、教室の前の扉が勢いよく開く。扉の前には二人の男子生徒がいた。扉の近くにいる生徒が興奮冷めやらぬといった様子で声を張り上げる。


「オリヴィア、オリヴィアー!大変だ!」

「何ですの騒がしい。そんな大声を出さなくても聞こえています」


 名前を呼ばれて振り返った少女は、どこか陰のあるつまはじきものの生徒たちの中で異彩を放っていた。丁寧に手入れされて編み上げられた見事な金髪。美しい顔は少し怒ったような表情を作っていて、細められた目が威圧感を出している。「氷の公爵令嬢」の異名に違わぬ氷点下の冷たさを感じる表情だった。


「そ、そんなに怒らなくても……。いや、オスカーがマルロに決闘を申し込まれたんだよ!あいつらオスカーのことを農民だなんだと馬鹿にしているからな。血統でしか自分を誇れないあの馬鹿どもの鼻を明かすチャンスだぞ!」

「お口が少々悪くてよ?……しかし、それは確かにチャンスではありますね。マルロの増長は最近目に余るものがありましたから」

「俺が勝てればって話だろ?俺まだここに入って二か月だぞ?魔術には自信ないなあ」


 鼻息荒く語る男子生徒の後ろにいたもう一人の男子生徒――まだせいぜい人生20周目程度の未熟な俺――が自信なさげに話す。その様子を見たオリヴィアの眉がわずかに吊り上がる。


「オスカー、誰より才能に恵まれている貴方が弱気でどうするんですの?……仕方がありません、私がギリギリまで特別授業を付けて差し上げましょう。感謝してくださいませ?」

「オリヴィアの特別授業かあ……めちゃくちゃ厳しそうだな……」


 俺のボヤキを聞きつけたオリヴィアの目がさらに細まった。最初に彼女から学んだことは、美人の睨み顔はとても怖いことだった。



 それから決闘までの二週間、オリヴィアは付きっ切りで俺に決闘に使えそうな魔術の使い方について教えてくれた。


「違いますわ!貴方の頭、どこかに穴が開いているのではなくて!?」

「どうして同じところを毎回間違えるんですの!?いいですか?氷の魔術は固体を構成する魔術。必要なのは明確なイメージですわ。分かったらその出来損ないの万年筆みたいな氷柱を早く消してくださいませ!」

「悪くありません。その調子で精進してくださいませ。……その気持ち悪いにやけ顔をやめなさい!」


 授業が終わったらすぐに二人で夜まで教室に籠って繰り返し魔術の練習をする。予想通り厳しかったけれども、とても充実した時間だった。素人だった魔術はたった二週間でみるみる上達した。

 多くの時間を共に過ごして、俺の魔術の上達に一緒に一喜一憂する。記憶に残るのは、教室に積み上げられた魔導書のインクのにおい。それからオリヴィアの厳しいながらも温かみのある言葉。あれが最も幸福だった15歳の秋だったと言っても良いだろう。



 そして決闘当日。冷え込んできた晩秋の一日としては珍しく温かい日差しのある昼間だった。決闘相手のマルロに指定されたのは学院の中心に位置する中庭。中庭を一望できる校舎のテラスには野次馬がたくさん集まっていた。

 この学園の大半の生徒は伝統魔法派の貴族子女だ。ほとんどがマルロに惨めに負ける平民の俺を嘲笑うために来ていた。血統を信奉する彼らにとっては、ただの村人から勇者という英雄的な肩書を得た俺は認めがたい存在だった。


「おいお前ら!誰かあの自称勇者様にも賭けろよ!これじゃ賭けが成立しないだろうが!」


 決闘で賭けをしようとしたらしい生徒達の下品な笑い声がテラスに響いた。どちらが卑しい平民なのか分かったものではない。それでも当時の俺にとっては自分を嘲る声はプレッシャーだった。嫌な想像が頭を巡る。失敗した時のことばかりを考えて、全て投げ出したくなる。唐突に、強張った肩にオリヴィアが優しく手を乗せてきた。珍しい彼女のボディタッチに驚く。


「あんな貴族崩れを気にする必要はありませんわ。前を向いて、自分が為すべきことを粛々と成してくださいませ」


 何者にも左右されることのないような、凛とした声だった。優しくて、でも前に踏み出す勇気をくれる言葉。今でもなお俺を支えてくれている言葉。小さく頷いた俺は、憧れた後ろ姿を真似るように、真っすぐに前を向き、背筋を伸ばして、中庭の中央に向かった。マルロは余裕綽々といった態度で俺を待っていた。


「よく逃げ出さずにここまで来たな。今からでも泣いて許しを請うのはどうだ?」

「冗談じゃない。お前程度に勝てずに魔王に勝てるか」

「――ちょっと見ないうちに生意気になったな。後悔させてやるよ」


 唇を無理やり上げて慣れない煽り文句を口にすると、マルロは想像以上に憤っている様子だった。今まで馬鹿にされても下を向くだけでロクに反撃もしなかった自称勇者様に歯向かわれたのが不快だったらしい。



 向き合う距離は10mほど。決闘は開始前から魔法を準備することが許されている。マルロは既に準備した魔法で古びた杖の先端を光らせている。開始の合図を待つ数秒は時間の経過がいやに遅い。脳裏に浮かんでは消えるのは、オリヴィアとの特訓の日々。彼女が見せた貴重な笑顔。


 仲介を買って出たオリヴィアの指がコインを弾く。床に金属が撥ねる硬質な音と同時に二人同時に動く。行動が早いのはやはり最初から魔法を準備していたマルロだ。


「『穿て』」


 起動のキーとなる一句を口にするだけで強力な魔法が発動する。事前準備ができる状況において伝統魔法は優れた能力を発揮する。

 マルロの放った炎は大神暦の伝承にしか存在しない伝説の生き物、龍を象っていた。魔法で作られた業火は中空で勢い良く燃え上がっており、放水されたとしても鎮火しそうになかった。その顎が俺を捉えんと、矢のような勢いで迫ってくる。


 でも俺はその魔法を知っている。マルロが最も自信を持っている魔法。最初に放ってくるのはオリヴィアの予想した通り。だから俺は最も効果的な一手を打てる。


「『氷で形作られた龍殺しの剣よ、敵を打ち砕け』」


 短縮された詠唱から顕現した氷の剣は伝承の龍殺しの大剣を象っていた。鋭利な刀身には冷気がうっすらと漂っている。氷で作られた剣を振り下ろす。龍の頭部に直撃した剣は炎を一刀両断する。

 破壊音も、断末魔もなく、ただ静かな消滅。先ほどまで凄まじい熱気を放っていた炎は、煙だけを残して霧散した。氷の剣は役目を果たした。龍殺しの伝説はここに再現された。マルロの顔が動揺に歪む。この機を逃す手はない。


「『氷柱よ』」


 突き出した右の手のひらから伸びた氷柱がまっすぐに伸びていく。目視できないほどの速度で伸びていったそれは、マルロの左胸に付けられたバッジを寸分たがわず撃ち抜いた。俺の勝ちだ。どよめきと、それをかき消すような歓声が青空の元響き渡った。



 その日の実戦魔術派の教室はお祭り騒ぎだった。各々で教室に食料を持ち込んでの大宴会。日頃から目の敵にしてくる伝統魔法派、その筆頭を打ち負かしたとあって誰もが祝福してくれていた。


「最高だったぞオスカー!!」

「負けた時のマルロの顔を見たか?渋柿を食っちまったみたいなクシャクシャの顔!」

「うん、ありがとう、みんな」

「勇者様に乾杯!この様子じゃ魔王とやらもあっさり倒せそうだなあ!」


 酒なんて一滴もないのに、誰もが酔っ払ったように恍惚とした表情で俺を褒めたたえる。最高の気分だった。祝福のシャワーを浴びて、酩酊のような感覚を覚えていた。


「勇者様に乾杯!この様子じゃ魔王とやらもあっさり倒せそうだなあ!」


 悪気はなかったのだろう。しかし最後の一言を聞いて急に酔いが醒めたような気分になる。自分がまだ何も成し遂げていないことに気づいてしまった。熱が引き冷静な思考が戻る。そうだ、オリヴィアにも感謝を伝えなければ。冷えた頭に真っ先に浮かんだのは彼女のことだった。



 騒がしいのが好きではないらしいオリヴィアは、教室の隅っこで開けっ放しの窓からの夜風に当たっていた。風に乗って蜂蜜色の髪がふわふわと揺れる。騒がしい教室の中でこの一隅だけが別空間であるかのような静けさだった。こちらに気づいたオリヴィアが夜景から目を離し、こちらを見る。


「オリヴィア、本当にありがとう。今日勝てたのは君のおかげだ」

「いいえ、貴方の努力の結果ですわ。私はその手伝いをしただけ。……私などに構わず仲間の輪の中に加わって来てくださいませ」


 真っすぐに俺の瞳を見つめる碧眼にほんの少しの寂しさを見つけたような気がした。オリヴィアは俺の横をすり抜けて、出口に向かおうとしている。背中を見つめていると、初めて彼女が自分よりもずっと小さいことに気づいた。なかば無意識に、この場を去ろうとするオリヴィアの手を取っていた。今、手を取らなければならない気がした。思ったよりもずっと小さい、温かい手。


「えっ?あの」

「俺は君と、オリヴィアと喜びを分かち合いたいんだ。決闘に勝てて嬉しいのは、もちろんいけ好かない貴族様の鼻を明かせたこともあるけど、オリヴィアの教えが正しかったことを証明できたことが嬉しかったんだ」


 オリヴィアの細くて繊細な手を握ったのはあの時が初めてだった。夜風が優しく彼女の髪を揺らしていた。あの時のオリヴィアの恥ずかしいような照れたような表情を見た時から、俺はオリヴィアに恋していることを明確に意識した。

 戦争が本格化した後も、オリヴィアは勇者パーティーの一人として戦ってくれた。そんな彼女に告白できずにうじうじしていた俺に、彼女の方から告白してくれたのはそれから二年後のことだった。


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