VSリーダーゴブリン
今までのゴブリンと違い、リーダーゴブリンは私という外敵の脅威を最初から理解しているようだった。
構えに隙はなく、油断をしないように緊張の糸を張っている。
私はしばらく彼を眺めたのち、『回転式背鋸刃大剣』を地面へと突き刺した。
ゴブリンのリーダーという事だが、手駒が弱いから親玉もそんなに……、というケースはこの手の蛮族には意外とない。
彼らは狩猟民族だ、知能が低く洞窟住まいだが、だからこそ彼らは何よりも悪知恵も含めた強さを重んじる。
どんな動物でも強い個体というのはそれだけで発言権があるものだ。暴力という物は自然社会において万物に通じる権力そのものである。
「来いよ」
だから、私はここで徹底的に彼らの意思を挫こうと思う。
「自信があるのだろう?来いよ、ハンディキャップくらい背負ってやろうじゃないか」
「バシコレクシウシラレコユン!」
武器を置いた私を見て、明確に舐められていると理解したのだろう。リーダーゴブリンの表情が見る見るうちに強張って目尻が釣りあがる。
蛮族にだってプライドがあるようだ。奥に引っ込んでいたゴブリン達が、私が武器を置いたという事にありもしない勝機を見出したのか瞳に希望を輝かせてリーダーゴブリンをゴブリン語で応援しだす。
リーダーゴブリンは武器持ち、私は素手。単純な目で見ればリーダーゴブリンの方がよっぽど有利だ。
「おっと」
素手で手を広げる私に対して、リーダーゴブリンは愚直に真っすぐに突っ込んでくる。
型も何もない、振り被られた粗削りな一撃はそれでも鋭く、今まで積んだ練度を知らしめるようだった。
胸を狙った一撃に一歩下がるようにして避ければ、そのまま手首を返して胴を打とうとしてくる。
片腕で止めれば棍棒を引き、硬い膝が飛んでくる。
体躯が小さいため、胴というよりは太もも辺りへと向けられた攻撃は再びもう一歩下がる事で空振らせた。体勢が大きく崩れたリーダーゴブリンの腹を軽く軽く蹴ると、転がるようにして後ろに飛び、苦し気に呻きながらリーダーゴブリンはそれでも立ち上がる。
追撃はしない。
「アウレデシウシラレンユン!アウレデシウシラレウッシラレンユン!クコレデシコオクレククデゲクデ!シウトクアエデアウレデユウ!」
ぎらぎらと殺意のみなぎる目で睨み、棍棒を握りしめるリーダーゴブリンが乱杭歯をむき出しにして、怨嗟の声を上げる。
いいようにあしらわれているのが分かっているのだろう。追い立てるように叫ぶゴブリン達の無責任な応援を背に、リーダーゴブリンは再び突進を始める。
頭の悪い猪プレイに、何度か付き合い、リーダーゴブリンを転がしては避け転がしては避けを繰り返す。
徹底的なまでに実力差を分からせる、そんなつもりで行われる舐めプに、天罰が下ったのかもしれない。正直にいって今思い返せばこの時の私は調子に恐ろしく乗っていた。
ゾニアの手を借りたとは言えど、戦闘用アンデッドとして存分に力を誇示できる事に目がくらんでいたともいう。
両の手程の回数を転ばされたリーダーゴブリンを、もうそろそろ頃合いかと思って止めを差そうかと考え始めた時だった。
「ん、ん?」
突如として、リーダーゴブリンの動きがよくなった。
いや、良くなったなんてレベルではない。間違いなく別人と言っていい程、腕の振りがあまりにも素早くーーー。
「ガァアアアア!!」
まるで吸い込まれるように棍棒が振られて、私の首を強かに打ち据えた。リーダーゴブリン程度の攻撃が通るはずもないのに、衝撃が一気に首の中を通り抜けていき耳の奥で低い破砕音が聞こえる。
痛みはない、ただせりあがるような不快感が一気に広がり、首の位置があからさまにおかしくなる。
「 」
声が出ないまま膝をつく私にリーダーゴブリンが勝ち誇った雄たけびを上げた。
それに合わせて、ゴブリン達も先ほどの怯えっぷりが嘘のように狂喜に満ちた歓声を上げる。この時リーダーゴブリンは間違いなく彼らの英雄だった。
恐るべき侵略者を打倒して、彼は緊張の糸が切れたのか、あるいは興奮が続いているのか大股でこちらに近づいてきた。ごつごつとした緑の手が、肩を掴む。
「ギャハハハハハ!!」
もし彼がもう少し賢かったなら、何故私が膝をついたまま倒れないのかを考えただろう。
もし彼がもう少し注意深かったなら、何故私が防御をしなかったか考えたかもしれない。
でもどちらにせよ、彼には圧倒的に足りなかった。アンデッドと戦うという事がどういうことか、普通の人間と勘違いしていた彼が首を折っただけで勝利したと思う事を咎める事はナンセンスだ。
「ハ……?」
肩に置かれた腕を掴めば、リーダーゴブリンの勝ち誇った顔が凍り付くのが分かった。
当然だ、首は折れていて、完全にぶらぶらと揺れてしまっている。折れた骨がぐちゃぐちゃになっていて、癒着するまでは多少時間がかかりそうだ。
掴んだ手はそのままに、空いた手の方で首の位置を無理やり戻す。明らかに鳴ってはいけないような嫌な音がして、私は片手で変な風に倒れないように首を抑えながら言葉を失っているリーダーゴブリンとその取り巻きを見下ろした。
「いやすまない、本当にすまないな。いい経験になったよ、なるほど、どうあがいても勝てるだろうと思ったんだがこんな事もあるんだな」
本当に驚いた。
ゴブリンのナイフも、矢も体を傷つけるには至らなかった。アンデッドに意外と火の次に打撃武器は有効ではあるというのはB級ホラーでもお馴染みの話ではあるが、首の骨を一撃でへし折られるとは一切思っていなかった。
どう考えても私の落ち度だ。身も知らぬ場所、異世界である。
私が住んでいた世界の常識が、異なっているのは当然であるのは当たり前であるのに完全に舐めていたのは私だった。
「死なないんだ、アンデッドだからさ。うん。ありがとう、ゾニアに報告できることが一つ増えたな。こういうのはやはり戦ってみないと学べない事もある」
感謝している。嘘じゃない。
首をへし折られていて、生きていたら私は完全に即死だった。それも完膚なきまでにだっさい負け方である。アンデッドだから勝てたようなものだ、相手に対しての敬意と理解が足りていなかった。
初戦として苦い結果となってしまったが、それでも得る物は大きい。
掴まれたリーダーゴブリンがようやっと思い出したかのように抵抗を始める。
爪を立てて、叫び、身をよじり、唾を吐いて全身を使って足掻くのに私は優しく笑いかけた。
「ごめんなあ」
そしてそのままリーダーゴブリンを掴んだ手を大きく振り上げて、冷たい岩肌にめり込むほど彼の体を叩きつけた。
水風船が破裂したかのような音を立てて、愉快な壁画と化した英雄様の姿にゴブリン達はどこか遠い物を見るような顔で立ち尽くしている。
唯一ぺちゃんこにならず、衝撃でもげてしまったリーダーゴブリンの手を投げ捨てて、私は刺さったままの『回転式背鋸刃大剣』を引き抜く。
ぎゃあああん、とリーダーゴブリンが上げられなかった断末魔を代わりに上げるように回転しだす刃を見せつけるようにして、私は緑色の雑草をしばき倒す事にしばし従事するのであった。