災難続き
『大佐、私はゾニアと申します。ゾニア・ジェンドゥー。どうぞ私の事はゾニアと親しく、できれば妻のようにおよびくださいまし』
目を覚ました私に、ゾニアは努めてにこやかにそう名乗った。
ネクロニズムで甦らされた私は、その時彼女を酷く罵倒したようにも思うし、あるいは泣いてしまったようにも思う。
私の居た国はこの技術に否定的で、凝り固まった宗教観を持っていた。ゾンビ、アンデッドというものは死者への冒涜であり、来るべき終末の時に魂は遺体に戻り復活する為、戻るべき体のない魂は永遠に神の身元に戻れないのだと教え伝えられていたのだ。
だからその時私ははっきりと、もう天国には行けないのだと感じたのだ。手足がなく、胴体の半分ちぎれた私はそのように言葉をたどたどしく伝え、私を殺してくれるように彼女に頼み、そして。
『……もう、終末の時は来ました。もう、神様はいないのです大佐』
私が外に出たいのは、未だにそのことを受け入れられないというのもある。理解をしても感情が受け入れられない、時間だけはたくさんあって、どれだけの否定できない材料を積み上げられてもそれはついに飲み込むことができなかった。
何より、あのゾニアの酷く切なげな顔が胸に今も残っている。
私は、外に出て、無事であることを確かめ、暗く冷たい地中から彼女を太陽の外に連れ出してみたかった。
ひた、ひた、と頬に伝わる冷たい感触で目を覚ました。
意識が飛んでいたようだ、アンデッドとなってから意識的、あるいはゾニアがそうしなければ得られない時間の飛び方だ。
体に痛むところはないが、腹部に強い違和感を感じて手を当てると、腹腔が一部破損しており、中身がやや零れているようだ。
幸い、行動に支障のない部位であったので、腹に手をあてて内容物を元の位置に戻しておけば大いなる科学の力によって自己修復が可能である。フェムトマシンが全身を血液が如く駆け巡り、編まれた体は多少の怪我くらいならカバーしてくれるのだ。
私は頭を振って立ち上がった。
やや意識が朦朧とするのはおそらく強制転移による再構築での弊害だろう。アンデッドでさえこれなのだから、ゾニアへの懸念がより増すというものだ。
「ゾニア……」
「うぷっ、た、大佐。こっち、こっちこないでくださ、おぇぇぇええ……」
ゾニアはすぐ傍にいた。
というか動けないようだった。
再構築により負担が人間には大きいというが、意図しない転移により顔色は真っ青で出来るだけ私から距離を取ってげえげえと吐いている。
見たところ手足と頭の位置はおかしくなっていないし、顔こそ青いが吐しゃ物に血液は混じっていないので、一時的な体調不良のようだ。
そこらへんは私よりも彼女の方が詳しいので、私として出来る事はできるだけその無様な姿を見ないでやる事である。
無様にげぇげぇしているゾニアから目をそらし、今いる場所を観察する。
どこだここ。
ゾニアから聞いたのは、危険の少ない起伏に富んだ森の中のはずだ。
ところがどっこい、今我々がいる場所はどうみたって洞窟の中である。深くはないが少々奥まっており、奥の方は八畳間程のフロアが広がっている。
天井が高い為歩き回る分には支障がないが、少々手狭に感じてしまう。
しかしながら、私の関心は洞窟でなく、奥のフロアの真ん中に台座されている物にあった。
「並列世界座標転移装置……ではないな」
見た目はよく似ている。
手のような台座に乗った水晶、というところだが、問題はその水晶の中にはるはずの機械がなく、ただひたすらに霧のようなもやもやが中に立ち込め、その中心に奇怪な石が浮いていた。
それは特に輝きもせず、艶消しでもされたかのような漆黒で見ているこちらが不安になりそうだ。
まるでそこだけ穴が開いているかのような有様に、私はそれに注意深く触る事なく周囲をぐるりと一周した。
「……ハンネス大佐、すいません。落ち着きました」
口元を抑えたゾニアが顔色はそのままに寄ってくるのに、私は静かに背中をさすって、アイテムボックスから水を差しだしてやる。
受け取って口の中を洗い、隅に吐くと彼女は今度こそ澄ました顔で私の隣に立った。
彼女が15歳の時からの付き合いだが、こういうところは女性らしくてかわいいものだ。
「体調は?」
「些か酷い船酔いではありましたが無事です。内臓がひっくり返るかと思いましたがこの程度で済んで幸いでした。ですが……座標はかなりずれてしまったようですね」
「そうだな、森にしては緑がない。苔くらいだ」
「これも『並行世界転移機』のようではありますが、いささか妙ですね。本来ならば私たちの世界を繋げるゲートとして、見目はまったく同じものがこちらに現れるはずなんですけれど」
ゾニアはしげしげとそれをのぞき込んだ。
危ないものに近づく気はないらしく、私を盾にしつつ、じっくりと外観から中身を観察していく。
やがて目に見える危険はないと思ったのか、もう少しだけ、半歩だけ近寄ってその水晶の中身にある石をよく見ようと近づいた。
「うわっ?」
ぺかっと、奇妙な石が光線をだしてゾニアの額を照らした。
ぎょっとして彼女の腕を引き後ろに庇うも、時は既に遅い。私が近づいて覗いた時は何もなかったのにどういうことだ。
もしや対生物のみに機能する兵器かなにかなのか?思わずゾニアの長い前髪をかきわけて額を確認したがすべらかな肌色が広がるばかりだ。振ってみたが中身が爆発した様子もない。
ぴこん、と変わりらしい音を立てて、その機械は水晶に簡素な文字を映し出した。
『ダンジョンマスターとしての登録を完了しました』
「ダンジョンマスター?」
ダンジョンマスターとはなんぞや。
いや、言葉は分かる。ゲームや書籍で見たことがあるからだ、いわゆるRPGでよく冒険させられる不規則に伸びる洞窟だったり、塔だったり、とかく区画が多く敵対生物がわんさかいて主人公に戦闘経験を積ませるスポットの大ボスってことだろう。しかし、なぜその名前が今ここで。
困惑する私をよそに、同じように困惑していたゾニアが低い呻き声を上げた。
「う、ぅぅうう……?!」
「ゾニア?ゾニア!大丈夫か?しっかりしろ!」
頭を抱えて俯いたゾニアに、私は慌ててコートを脱いでその上に彼女を座らせた。
顔色は多少マシにはなっていたが、額にうっすら汗を浮かべて唸る姿は見ていて不安になってしまう。
アイテムボックスには残念ながら万能薬のようなものは入っていない。
ゾニアは大概の病を克服するワクチンを年に一度予防接種で取り込んでいる、ましてや異世界に行くとなるのだから健康状態のバイタルは最上のものであるはずだ。
となると物理的な支障が出ているのかもしれない。そうなると私の手には余る、人体の破損方法ならともかく人体の治療方法は私にはインストールされていないからだ。
例の水晶を壊すべきかもしれないが、あまりにも不確定要素が多すぎる。
横になると少しマシになるのか、呼吸が少しづつ落ち着きだしたゾニアを見下ろしながら、私は彼女の背をなで続けようとした。
しかし、その行為は途中で切り上げられる。
「ーーーーーー」
「ーーーーーー」
けたたましい足音が複数。近くできるだけで約十体の生命体がこちらに向かってきている。
原生生物か、どうか。大きさは子供くらいの恒温動物だ、鼻息荒くこちらに向かってきているのに気づいて、ゾニアを見る。
連中はもう洞窟の前まで来ているようだった。
一瞬考え、私はゾニアを水晶の後ろ側に隠した。
単純明快にゾニアは今体調がよくない、敵対生物だった場合私より強ければ彼女はそのまま殺されてしまう。
この水晶に関しては正直不審さしか感じないが、この洞窟での人の体を隠せるほどの障害物ともなるとこれくらいしかないのだ。背負って動く事も考えたが相手の実力が分からない以上共に行動して敵に身をさらすのはここに彼女を置いていくより危ない事だと判断した。
ゾニアを水晶が彼女に反応した距離より少し離れた位置に隠して、私は洞窟の入口の方へと足を進める。
集団はもう洞窟の半ばまでやってきていた。
それは醜悪な小人だった。緑の肌、低い背丈にとんがった鼻、顔と言わず体と言わずぶつぶつとした黒いイボや痣のある醜い小人、棍棒を携えて私の前に立つ彼らに、私の頭の中でひとつの生き物を導き出す。
「ゴブリン、か。本格的に夢物語になってきたな」
「レククデゲクデダ!」
ぽつり、と呟いた言葉にゴブリン似の原生生物は酷く反応した。
それは種族名を言い当てられたからというよりかは、獲物を見つけた興奮からの叫び声だった。
「クコユラアウ!」
「トコアエレラトコ!」
「アウレデオラ!」
「アウレデオラ!」
「アウレデオラ!」
よれた獣の皮を手に騒ぐゴブリン似の原生生物の言語は全く持って私には理解できない。
ゲームの中にゴブリンといっても、作品によって千差万別だが、特にこのゴブリン似の原生生物……めんどくさい。ゴブリンは蛮族気質のようだった。
私を見て意気揚々と雄たけびを挙げて蟻のようにこちらに群がってくるゴブリンを見て、私はひそやかなため息をついて背中に手を伸ばした。
めりっと嫌な音を立てて、背骨に付属する外装パーツが外れ、取っ手を強く握りしめるとそれに呼応するように獰猛なモーター音と共に刃がチェーンと共に回って火花を散らす。
回転式背鋸刃大剣、私の背丈ほどもある、私の体内に収納された武器の中でも飛び切り攻撃威力の高いものだ。小手調べなんかするつもりはない、慎重に慎重を重ねていきたい。
突然の武器の登場に、ゴブリン達は一瞬気おくれしたようだった。
棍棒と大剣では分が悪い。だが、飢えか、あるいは向こう見ずな蛮勇か、あるいは両方がゴブリン達に引くという事をすぐには教えてはくれなかったようだった。
『回転式背鋸刃大剣』はライトもないこの薄暗い洞窟の中で、ゴブリン達が構えた棍棒ごと、前の三匹の首を削ぐように跳ね飛ばした。
首が簡単に飛んで、黄色っぽい肉の断面から青い血が吹き出るのを冷静に見ながら、私は更に踏み込んだ。
首が落ちる前に、呆気に取られ、事態も飲み込めないままにこちらをヤギのような目で見るゴブリンの頭を返す刃で切り飛ばす。
遠心力に乗って後ろへと飛んでいく首が、すぐ後ろにいたゴブリンの胴体に当たって、ようやっと状況を理解したのか先ほどの勇んだ声はどこへやらというほど甲高い悲鳴があがった。
ゴブリンはどんなゲームでもまず最弱の部類に入るモンスターだ、弱い生き物は得てして逃げ足が速い。
前の四匹があっという間に殺されたのに理解をして残りの六匹が一気に逃げ出そうとするのには、野生の生き物らしい生死への渇望は見張るべきものがある。それと同時に仇討ちなどにいきり立たないあたり協調性や仲間意識などは低い生き物だと見ていいだろう。
だが、逃げられて後から多くのゴブリンを引き連れられては困る。
だから、私は彼らを逃がす事はない。久々の……というか死後初めての戦闘だ、それなりには華やかに飾りたいじゃないか。
肉が裂けて骨が伸びる、肩関節が外れて、筋線維が引き延ばされ腕が倍のリーチを得る。痛みはなく、ただ純粋に射程が伸びた。
『回転式背鋸刃大剣』の刃渡りも加えて、刃は容易く一番後方を走る二匹の胴体を叩き潰すように捕らえる。
回転する刃の合間に脂肪と血管が絡まって、聞いたこともないような絶叫が上がった。
アンデッド相手にスパーリングをすることはあるが、なるほど、生きている。
仲間の悲鳴に押されるようにして先頭を走る四匹の足に力が入るのが見えた。洞窟の出口はすぐそこだ、そこから出られてしまえばゾニアが弱って動けない以上私としても追いようがない。
なので私は、まだ彼らの同胞が絡みつく『回転式背鋸刃大剣』を力いっぱい投げつけた。
刃の回転はそのままに、しかし勢いよく飛んでいったそれは、まるでブーメランのように滑空し横薙ぎに必死に走るゴブリン達へとぶつかっていく。
勢いは衰えず、一匹は顎から上を失い、一匹は胴を半分ほど切り裂かれ、一匹は持ち手の所に強かに頭を打ち付けた。
がしゃん、と音を立てて洞窟の入り口の前を『回転式背鋸刃大剣』が塞ぐ。
倒れた『回転式背鋸刃大剣』は抑える者がいないため、モーターが回転を促すままに刃を大人しくさせることもなく、誰にも通させないというようにその場で暴れ散らかす。
あと一歩、というところで出られそうだったゴブリンが、その動き回る刃に恐れをなして立ち尽くすのをみながら、私はゆっくりと彼の背後につき、優しく肩をたたいた。
おそるおそる、ゴブリンが私を見上げた。
好戦的な表情はなりをひそめて、緑色の顔は青ざめているようにも見える。
にこり、と私は笑って彼の頭に手のひらを置いた。
「すまないな、逃がすわけにはいかないんだ」
砕いた骨は、思いのほか軽い感触がした。