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宮原少年の怪奇譚 ~桜無垢の巫女~  作者: 北森青乃
第3章 渦巻く思惑
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走れ!

 



 井戸の中に消えていく寿敬さん。それをわたしは見ていることしかできなかった。もがきながら、縄のような物を掴んで、落ちないように必死だったんだと思う。けど、その縄は体を支えるどころか、一緒になって井戸の中へと消えていく。


「うわぁぁぁぁぁ」


 叫び声が、だんだんと小さくなってきて、


 パンって音と共に、木の破片と水が飛び散る。そして何も、何も聞こえなくった。


「あっ……寿敬おじさん? おじさん!」


 横で見ていた佐一くんが、井戸の方へ向かうと、そのまま手を掛けて中を覗き込む。でも、見た瞬間分かったんだと思う。真っ暗な井戸の中、どれだけ見ても寿敬さんの姿は見えないって。


 そんな佐一くんの姿を見ても……何も感じなかった。もちろん佐一くんのことじゃない、泣きそうなのは可哀相だって思う。けど、その落ちた人物……寿敬さんに対しては最初何の感情もなかった。そんなわたしに感情が浮かんできたのは、


「どっ、どうしよう! おじさん落ちちゃった」


 泣きそうな声で、佐一くんがこっちを見た時だった。


 落ちちゃった? どこに? 井戸に? 確かに……落ちた。


「どうしよう、おじさん……死んじゃう、死んじゃうの?」


 死んじゃう? 梯子もないだろうし、縄みたいな長いものもない。それに井戸に落ちたはずなのに、下には水があるはずなのに……もがく水の音すらしない。そんなの有り得る? 普通は有り得ない。けど、ここは普通じゃないんだよね……。たぶん、天罰が下ったんだよね。

 儀式をめちゃくちゃにして、耶千さんを傷つけた。その犯人が居なくなったこの瞬間、わたしの心は高揚感で溢れていた。


 耶千さん……やったよ? あなたが探してた人……見つけたよ。そしてその人は天罰を受けたよ。あなたが負の感情をその身に感じているなら、必ずその人は耶千さんの中に来るから。その時……思いっきり恨みを晴らして?


 目を瞑って、空を見上げる。なんだか心がすっきりとして、その余韻に浸りながらゆっくりとゆっくりと開いていく目の先、


「えっ……?」


 その異変に気付いたのは一瞬だった。


 さっきまで、薄暗かったのに……なんで明るくなってるの?

 いつからか分からない、どうしてなのかも分からない。けど、見上げた先に広がる空が、まるで夜が明けたかのような明るさになっていた。


 なんで? いつから? 朝が来たの? ついさっき夕暮れから夜になりかけって感じだったはずなのに……、もしかしてここでは時間って概念もバラバラなの?


 焦るわたしに追い討ちをかけるように、今度は、


 ドンッ、ドンッ


 太鼓の音が響き渡る。その太鼓の音は、紛れもなくさっきまで聞こえていた音と同じもの。その音が耳に入った瞬間、わたしは後ろを振り向いて御神殿を見つめた。


 うそ……太鼓の音? でもこれって儀式の最中に鳴るんじゃ……? 

 その音は、確かにさっきまで鳴り響いていたはずの太鼓の音。けど、今聞こえてきた太鼓はそれとは少し違っていた。


 でも、それだったら一定の間隔で鳴ってたはずだよね? でも、今は聞こえない……2回だけ。2回だけ……? あっ、

 2回だけ鳴り響く太鼓。わたしは……それをさっきを聞いていた。真千さんの家いた時、剛さんにこの村のこと、儀式のこと、耶千さんのことを聞いてたときに聞こえた太鼓。そして剛さんはその太鼓の音を合図だって言って、家を出て行った。


 儀式が始まる……合図。

 その太鼓の音を目安に、三家の人達は御神殿に集まって準備を行う。それは……儀式の始まる合図だった。けど、そうなると余計に頭がおかしくなる。


 おかしいよ……。なんでまたその合図が聞こえるの? 儀式は失敗したはずなのに、それなのに…………待って! うそでしょ?


 見つめる先にある御神殿。けど、その御神殿も、明らかにさっきとは様子が違うことに気付く。頭の理解が追い付かないわたしを、どれだけ追い詰めるんだろう。できれば気付かなかった方が良かったかも知んない。そうすれば、こんなに悩む必要はなかったのかもしれない。でもわたしはそれに気付いてしまった。見てしまった。


 月の色が……戻ってる……。

 御神殿の上から村を、わたしを見下ろす月。それは赤い色でもなく、桜色でもなくて……白っぽい色。それは、わたしが見慣れた月の色そのものだった。


 月の色も……戻ってる? てことは、やっぱり今は夕暮れなの? それだと、さっきの太鼓の音も少しは説明がつくけど……もしかして時間が戻ってるの?


 ガラガラガラ


 今の状況を理解するだけで精一杯なわたしの耳に、今度は引き戸の開く音が後ろから聞こえてくる。


 引き戸の音? しかも後ろってことは……。

 自分の後ろにあるのは右代守家のお屋敷だけ。誰もいないはずのお屋敷から聞こえてきた音の方を、わたしは急いで振り向くと、確かに玄関っぽいところが開いていた。それに引き戸を掴んでる誰かの指先も見てて、


 うそ……誰かいる!

 そんなことを思った途端に、


「緊張するー」


「なんであんたが緊張するんだよ」


「ちゃんと叩けるかなぁ」


御神水(ごじんずい)は冷たいからなぁ。我慢するしかないよ」


 聞こえてくる複数の声。


 やばい! こっちに来る? 隠れなきゃ!

 それが耳に入った瞬間だった、わたしは反射的に目の前にあったの井戸の影に滑り込んで、身を隠すように井戸に背を向けた。


 お願い、こっちに来ないで……。

 そんなわたしの願いも虚しく、だんだんと近づいてくる声。


 そのまま通り過ぎて……。お願い、お願い……。

 見つかりたくないって緊張感が、心臓をより速くさせる。鼓動が体全体に響いて、どうにかなってしまいそうだった。


「じゃぁ寿敬、留守を頼むな」


 えっ、寿敬……?


 会話の中で、その言葉だけがなぜかはっきりと耳に入った。


「はいよ。楓、頑張れよ」


 そして、それに続くように聞こえて来た声に、わたしは自分の耳を疑った。その声は、その声は紛れもなくさっき目の前で聞いてた寿敬さんの声そのものだった。


 寿敬さん? でも……さっき井戸に落ちたじゃない、なんで? なんでそこにいるの? さっきまで誰の気配も感じなかったのに、いきなり家から何人も出て来て、それだけでもおかしいのに……でも、さっきの声寿敬さんだよね? もしかして……本当に時間が戻ってる? 儀式が始まる前まで?


 目の前で起こっていることは、到底信じられないことだった。たしかにここに来て、有り得ないことに何度も遭遇した。時間が戻る……それはわたしたちが2019年から1869年の式柄村にいるのと似ているのは似てる。けど、いざそれが目の前で起こったら、それを理解するのには時間が必要だった。


 落ち着いて……落ち着いて……。とりあえず、時間が戻ったっていうのは多分間違いないよね? 現に周りの景色とか死んだはずの人が普通にいるし……ということは、今出てきた人達は御神殿に行くはずだよね? さっきそれっぽいこと言ってたし。だったら、わたしも……


「おばさん! 楓さん!」


 そんなことを考えてた時だった、井戸の向こう側から、いきなり佐一くんの声が聞こえる。


 えっ? 佐一くん……? あっ! たしか井戸の近くに居たはずだったけど、わたし自分だけ隠れちゃったんだ! どうしよう……。あれ? でも佐一くんは村の人なんだから、別に良いのかな? そっか、この人達に付いて行けば自分の家に帰れるかもしれない!


 佐一くんは、儀式が始まる前になぜか倒れてた。だからわたし達会って、それで巻き込まれて家に帰れなかった。だから……時間が戻った今だったら、間違いなく家に帰れる……そう思った。


「とりあえず急ぎましょ」


「うぅ、やっぱり緊張する」


「仕方ないだろう。咲送りの儀式はそういうものじゃ」


 聞こえてくる会話。けど、それは何かが、何かがおかしかった。


「ねぇ! おじさん? おばさん? かっ、楓さん?」


「光栄な儀式だけど……やっぱり耶千ちゃんが心配」


「こらお姉ちゃんのこと心配しなさいよ」


「二人とも静かにしな」


 あれ……? 佐一くんみんなに話し掛けてるよね? それなのに何で誰も反応しないの? 


 おそらく右代守家の人達、その人達の会話がわたしの背中を通り過ぎてって、その声は左の方から聞こえるようになった。わたしはそれを確認すると、井戸の陰からゆっくりと覗き込んで辺りを見渡してみた。そこに居たのは白い着物を着た女の人3人と男の人1人の後ろ姿。そして、その4人を追いかける佐一くんだった。


「ねぇ! どうしてみんな無視するの?」


 佐一くんが必死に話してるけど、4人は見向きもしない。それはまるで誰も居ないかのようだった。


「ねぇねぇ!」


 佐一くんはそう言いながら、1番左側を歩いている女の人に向かって手を伸ばした。それは女の人の右手に向かって一直線に向かって触れた……はずだった。けど、わたしの目に映ったのは前のめりに地面に倒れる佐一くんだった。


 えっ……なんで?


「うっ、嘘だ……触れない……?」


 自分の手を見つめながら佐一くんは泣きそうな声で呟く。もちろんわたしも見ていた。確かに見ていた……佐一くんが女の人の右手を掴もうと手を伸ばしたのも見た。そして右手を掴んだと思ったそれが触れることなく通り過ぎてしまったことも全部。


「あっ……あっ……あぁぁぁ!」


 どうして……佐一くんは触れないの? 訳がわからないよ……でも1番傷ついてるのは佐一くんだよね。

 佐一くんの大きな泣き声。その声が痛々しくて、可哀想で……わたしは佐一くんに声を掛けようと井戸の陰から身を乗り出そうとした時だった、


「うぁぁぁぁぁ」


 倒れていた佐一くんが立ち上がった思うと、大きな叫び声を上げながら御神殿の方へ向って走り出してしまった。


 あっ、佐一くん待っ……

 わたしはその後を追おうと、前屈みになって両手を地面に付ける。まるで短距離のクラウチングスタートのような格好で、佐一くん目掛けて走り出そうと足に力を入れた瞬間、


 ガラガラガラ


「良し……準備はできた。行くか」


 それは紛れもない寿敬さんの声。その声が耳を通って頭の中で響いて、体の動きを止めてしまう。そして反応してしまう。そしてわたしは訳も分からず反射的にその声のする方を振り向いてしまっていた。


 目の前に見える井戸、そこからだんだんと顔を上げていいて、徐々に奥の様子が見えてくる。青い着物、そして右手には見覚えのある鎌、そしてその人物の顔は……目のところが少し開いた袋のようなもので隠されていた。


 頭に袋……宮原くんが言ってた通りだ! それに右手の鎌、あれって……耶千さんが持ってたのと似てない?


「ん?」


 うわっ!


 何の前触れもなく、寿敬さんがこっちの方にいきなり顔を向ける。慌てて井戸の陰に隠れたけど、もしかしたらばれたかも知れない……そんな緊張感が体に広がる。


 大丈夫かな?

 近付いてこないか音に集中してみたけど、近付く足音は聞こえないし、物音すらしなかった。そんな状況に、少し安心して、


 何にも聞こえないし……大丈夫だよね?

 わたしは恐る恐る井戸の陰から右代守家のお屋敷の方を覗き込む。けど、その瞬間わたしは自分の過ちに気が付いてしまった。


 いない……いない!

 気付かれたくなくて、陰に隠れた。気付かれなかったら、寿敬さんの後を追って、どこかでなんとか止めて御神殿に行くのを阻止することもできた。だから、気付かれなかった……それは良かったのかもしれない。けど、わたしは過ちを犯していたんだ。それは……一瞬でも寿敬さんから目を離したこと。現に寿敬さんの姿はなくって、それはすでに御神殿に向かったってことだった。


 それに気付いたわたしは、勢いよく立ち上がって辺りを見渡したけど、寿敬さんの姿は見当たらない。


 やばい! 見失った! わたしの馬鹿! 目を離すべきじゃなかったんだ! 

 不甲斐ない自分を責めながら、必死にどうするべきか頭の中で考えたけど……答えは1つしか浮かばなかった。


 儀式が始まる前、寿敬さんよりも早く御神殿に行く。

 チャンスはあったのに、結局は行き当たりばったりの方法。実際、御神殿に行ってからどうやって寿敬さんを止めるかなんて考えてもいない。けど、行くしかなかった。それしか方法がないから。


「じゃぁ……行こう!」


 わたしはそう呟くと、御神殿に向かって走り出した。寿敬さんを何としても止める! それだけを胸に秘めて。




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