目の前を
行っちゃった……。
あんな小さい声が、宮原くんに届く訳なかった。あんな酷いことを言った人の声なんて聞こえるはずがなかった。分かっていたはずなのに、誰もいなくなったその場所が寂しくて、悲しくて、自分の心に残ったのはモヤモヤした後悔だけだった。
「お姉ちゃん……」
横から聞こえてきた聞き覚えのある声。顔を向けた先にいたのは、井戸からこっちを覗き込んでいる佐一くんだった。
あぁ、佐一くんがいたことすら忘れてた。あんなに可愛いって思ってたのに、それすら忘れちゃうなんて……。めちゃくちゃひどい姿見せちゃったよね……。
心配そうな顔の佐一くんを見ただけで、自分がどんな様子でどんな姿だったのか大体わかる。そんなのを目の前で見せられた佐一くんに申し訳ない気持ちと、思うがままに吐き出した自分への失望感と後悔しか浮かばなかった。
「大丈夫……?」
「大丈夫だよ。ごめんねみっともない姿見せちゃって」
「そんなことないよ。僕だって……隠れることしか出来なかった。あのままだったら僕、お姉ちゃんを……」
これ以上、佐一くんを心配させないように無理矢理笑顔を作ってみたけど、それは逆効果だったかもしれない。佐一くんが何を言おうとしているのかは、なんとなく分かった。こんな小さい子にそこまで責任を感じさせてしまったのも、全部……全部自分のせいだってことも。
わたしって最低だ。本当はわたしが守らなきゃいけないのに……。宮原くんがわたしを守ってくれたみたいに、佐一くんを守らなきゃいけないのにそれが出来なかった。けど、今わたしと佐一くんは運良く生きてる……。今からでも……間に合うかな……? 佐一くんを……宮原くんを守れるかな?
「心配しないで……。わたし達今こうして生きてるじゃない? あんな状況で助かるって凄いことだと思う。もちろん、助けてくれたのは宮原くんなんだけどね……」
「そうだよね……。でもお兄ちゃんどっかに行っちゃったよ?」
その言葉が、胸に突き刺さる。その痛みに耐えながら、
「そうだね……お姉ちゃん酷いこと言っちゃったから……。お姉ちゃん悪い人なんだよ」
それを誤魔化すように答えるしかなかった。
「……そんなことないよ? お姉ちゃんは優しい人だよ」
えっ?
わたしは自分の耳を疑った。同調したり、言葉を詰まらせて無言になるって思ってたのに、まさかそれを否定されてるなんて考えてもなかった。
「やっ、優しい……?」
「そうだよ? 最初会った時僕不安だった、怖かった。目の前に見たことない人がいて何されちゃうんだろうって。でも、お姉ちゃんは笑顔で僕を見てくれて……僕の目線で、僕に寄り添って、話し掛けてくれたんだよ? その雰囲気が心地よくって、だから怖いって気持ちもだんだんなくなったんだ。だから、お姉ちゃんは悪い人なんかじゃないよ」
そう言って、ニコって笑った佐一くんの顔。その無邪気で綺麗な笑顔が、どこかで見たことのあるようなそんな気がして……、
なんか見たことある……。この無邪気な感じ。誰だっけ…………あっ、真言……?
その瞬間、佐一くんの笑顔と真言が重なる。
ちょっと生意気なところもあったけど、わたしに付いて来てあんな素敵な笑顔見せてくれたっけ……。
真言と遊んだこと、旅行に行ったこと、喧嘩したこと、一緒に笑ったこと。それらが頭の中に広がってきて、気付いたらわたしは無意識のうちに笑っていた。
「やっぱり、お姉ちゃんは笑っている顔が1番だよ」
そんな顔に気付いたのか、佐一くんの声が聞こえる。相変わらずの笑顔が、まるで真言に言われているようなそんな気がして、続けざまに、
『姉ちゃんらしくないな~。わたしの知ってる姉ちゃんはしっかりしてて、真面目で優しくておまけに綺麗でスタイル抜群な自慢の姉ちゃんなんだけどな~』
そんな真言の声が、耳に頭に全身に響き渡った。幻聴なのかもしれない、気のせいかも知れない。けど確かに聞こえた真言の声が、自分の体に溢れていた悲しみとか後悔とかそんなものを少しずつ包み込んで、消してくれる。嘘じゃない自分の感情そのままに、わたしは笑っていた。
そうだよ……。そうだよ。わたしお姉ちゃんなのに真言や佐一くんに励まされて……おねえちゃん失格だった。でも、おかげでスッキリしたよ。
「まだ……間に合うかな? 宮原くんにちゃんと謝ってない」
「間に合うよ! 絶対!」
佐一くんの明るい声がものすごく心強くって、その声が佐一くんを、宮原くんを守りたいって思う気持ちを余計に奮い立たせる。
酷いこと言っちゃった……その事実は変わらない。だったら……心の底から謝ればいい。宮原くんが許してくれるか分からないけど、それでもわたしは付いていく。そして、みんなを守りたい、もう守られてばっかりじゃいけないだ。自分を守って、みんなも守る。そして、宮原くんを元の世界に帰す。これが、宮原くんへの恩返しなんだ。それが出来るまで……絶対に諦めない。諦めたら真言に笑われちゃう。
「じゃあ……行こう。宮原くん追い掛けに!」
その言葉に、佐一くんが大きくうなずく。わたしはそれを確認すると、両手を地面に付いてゆっくりと体を起こしていく。左足の傷が少しヒリヒリするけど、そんなのもうどうでもよかった。両足に感じる地面の感覚、それをじっくり踏みしめながら、宮原くんがいなくなった方を見つめると、
真言……見ててね。
右手をギュッと握り締めた。




