夢と現実
気が付くと、おれは川の真ん中に立っていた。目の前には大きな山、左の方には川岸と砂利道、右の方にはなんか木がいっぱい生えてる。そんな景色に……なぜか懐かしさを感じる。
とりあえず川岸へ行こうとしけれど、足は全然動かない。何回か力を入れても結果は全然変わらなかった。何がなんだかわからず、ひたすらそれを繰り返していた時だった。突然体が川の中へと引きずり込まれる。
どうして沈んだのか、何に引っ張られているのか。そんな思考なんてすぐに吹っ飛ぶ。
水面に行かないと、顔を出さないと……そんな危機感が溢れ、両足をバタつかせて必死にもがく。口からは空気が漏れて、すぐ近くに水面が見えるのにどれだけ頑張っても届かない。それどころか、徐々に沈んでいく。水面の光が段々と暗くなる。ゆっくり、ゆっくりと。
「ぷはっ!」
大きく息を吐き出すと、目の前には見慣れた天井が広がっていた。ゆっくりと上体を起こして自分の部屋を見渡して見たけれど、昨日までとなんら変わりないことに少し安心する。
朝から嫌な夢を見たもんだ、しかも溺れる夢とは。
溜め息をつきながら枕元に置かれたスマートフォンを手に取ると、表示された時間は6:10。アラームを設定した時間の20分前だった。大きなあくびを出しながらベッドの上に膝立ちして、閉まっているカーテンを勢いよく開けると、所々から見える湯煙にそれを照らす朝日。葉取りに最高な快晴がそこには広がっていた。
そんな温かい日差しに気分が良くなったところで、
「ふぅ」
1つ大きく息を吐くと、徐にベッドを後にする。そして向かった先はタンスの前。着ていたシャツと短パンを脱いでカゴの中に放り投げ、タンスの中から着替えを取り出すと……あっと言う間に着替え完了。
長袖のインナーにポロシャツ、スウェットのズボン。畑仕事に行く時のいつものスタイルに身を包むと、机の上に置いていたお守りをポケットに入れて……おれは颯爽と部屋のドアを開けた。
「おっ、おはよう。なんだ、今日は早いな」
ドアを開けると、廊下の先には親父が立っていた。丁度1階から上がって来たみたいで、なんか驚いたような顔をしている。
「おはよー、たまたまだよ」
まぁ、いつもギリギリまで寝てるやつが珍しく早起きしてたら驚くよな。
ドアを閉め、頭をかきながら答えると、ゆっくりと階段の方へ向かう。
「やっぱりか! それが毎日だといいんだけどな」
「それは無理!」
「ふっ。あっ! 飯ちゃんと食えよ。7時には行くからなー」
「はいよー」
すれ違いざまの親父の話に軽く返事しながら、おれはゆっくりと階段を降りていく。そしてそのまま真っすぐ向かった先は風呂場だった。
正直、どっかに出掛けるわけじゃないから髪とかどうでもいいんだけど、その辺親父がめちゃくちゃうるさい。あとからガミガミ言われるのもめんどくさいし、さっとやるか。
洗面台の前に着くとポケットに入れたお守りを置いて、さっと顔を洗い、ちゃちゃっと寝癖を直す。髭は……今日はいいか。
簡単に身支度を終え、次に向かったのは台所。そしてその引き戸を開けると、テーブルの周りには朝ご飯が並べられていた。引き戸の音に気が付いたのか、流し台で洗い物をしている母さんがこっちに顔を向ける。
「おはよう。今日は早いね」
いつもと変わりない挨拶だが、母さんの表情も親父と同じでどこか驚いている様に見えた。
やっぱり毎日毎日遅刻ぎりぎりまで寝ているやつが、いつもより早く、しかも夏休み中に早起きしてきたとなると、驚くのも無理ないとつくづく感じる。まあ、直す気はないけど。
「親父も言ってた」
「やっぱり? まさか起こされる前に起きてくるとは思わなかったよ」
「ははっ、たまにはね」
そう言いながら、おれは冷蔵庫の中から生卵を1つ取り出す。今日はなんとなく卵がけご飯を食べたい気分だった。
自分の椅子に座り、茶碗にご飯を盛ると真ん中にくぼみを作って生卵を投入。置かれた味噌汁を横目に、適度に醤油を垂らせば、TKGの完成。黄身を箸で割るとトロリと溢れて、それがご飯に染みてきてやっぱり最高だ。
『------故の容疑者は未だに見つかっておらず……』
TKGを食べていると、居間にあるテレビから朝のニュース番組の音が聞こえてくる。
「この犯人まだ捕まってないんだな」
「そうみたいね。かれこれ1ヶ月位は経つのにねぇ」
その内容は1ヶ月前に起こったトラックと乗用車の衝突事故。ぶつかったトラックの運転手はそのまま逃げたらしいけど、もう顔も割れてるのに逃げるだけ無駄じゃない? 余計に罪が重くなるのに……。
恐怖なのか、ただただ逃げ延びたいのか、おれには容疑者の心情が全然わからない。
「ごちそうさま」
「はいはい」
そうこうしている内にTKGはあっと言う間に胃の中に収めると、食べ終わった茶碗とお椀、お皿を重ね、流し台へ持っていく。
あれ? そろそろ時間じゃね?
「自分で洗うから、母さん着替えてきたら? もう7時になるし」
徐に時計を指差すと、それを見た母さんは少し慌てた様子で、
「あっ、本当だ! じゃあよろしく」
と言い残すと急ぎ足で台所を出て行った。そんな姿を横目におれはスポンジに洗剤を付け、茶碗を洗いだす。その後ろでは、まださっきの事件についての報道が続いていた。
よっと、バッチリ完了。じゃあ行こうかな? っとその前にテレビ消さないと。
洗った茶碗を棚に戻すと、おれはテレビの前に向かう。小さなテーブルに置かれたリモコンを手に取り電源を消すと、カラフルだった画面は一瞬で真っ暗に。そしてそこに映り込むのはおれと……
着物を着た少女……
「!!」
その瞬間で背中に寒気が走る。反射的に自分の右足らへんを見たけど、そこには誰もいない。もう1度テレビの画面を見ても、そこにはおれしか映っていなかった。
画面から目が離せない。そしてはっきりとわかるほど心臓の鼓動は速くて、リモコンを持っている右手は小刻みに震えて止まらない。
なんだよ今の……誰だよ……。
一瞬で起きた恐怖と驚きに、足は動かないし、声も出ない。
確かに、おれの右側に……。
もう1度ゆっくり右足のあたりを見たけれど、誰もいない。額から1滴、汗がこぼれて頬を伝う。それは顎で一旦止まると、少しして床へと落ちていく。
「透也? なにしてるの? 行くよー」
その声にハッとする。我に返るような、時間が動き始めるようなそんな感覚。
「わ、わかった! 今行く!」
あれほど出なかった声があっけなく口から出て、動かなかった足は自分の言うとおりに動かせるようになっていた。リモコンをテーブルに置くと、1歩また1歩と後ずさりをしながら、思い切ってテレビを背に向ける。
まだ鼓動は収まらない。それを振り払うように急いで廊下に出ると、玄関は開いていて親父の軽トラックが停まってるのが見える。下駄箱から自分の靴を取る手はまだ震えていた。きっと顔も硬いままなんだろう。
落ち着け、落ち着け、あれは見間違いだ、勘違いだ。
心の中で必死に否定しながら、落ち着こうと何回か深呼吸すると、徐々に鼓動が遅くなるのを感じる。手の震えはまだあったけど、寒気は収まってきてたし、さっきよりだいぶマシになってきたことに少し安心する。そして最後にもう1度大きく深呼吸すると、おれは玄関を後にした。