悟った者、悟る者
やばい……、行っちゃった。
一気に静かになった家の中で、おれは剛ちゃんの出て行った扉の辺りをボーッと眺めていた。
儀式がどれだけ重要なことなのかは、剛ちゃんの話を聞いてた時から何となく理解出来てたはずだった。けど、式柄村の人にとってそれはおれが思っている以上の使命感と、絶対に失敗できない緊張感があるんだと思う。おれ達を家に招き入れてくれて、真剣に話を聞いてくれた剛ちゃんですら、儀式に関わらせないのが何よりの証拠だった。それに他の村人だったら尚更、おれみたいな余所者の話なんて聞いてくれずに門前払いされるのが目に見える。
だったら無理やりにでも儀式が行われる場所に行って、あの女を止めなきゃいけないのに、剛ちゃんの雰囲気に何も出来なかった自分が歯痒い。
「あの……真千さん」
そんな時、横の方で桃野さんの声が聞こえる。
「うん? どうしたの?」
「あの……、剛さんの話し方からして、赤い着物の人が儀式に対して何かするんじゃないかって、わかってたような感じだったんですけど、どうしてわかったんですか?」
なんで? だって、おれが赤い着物の女が儀式を邪魔するかもって言って……
言ってない!
桃野さんの言う通りだった。おれは赤い着物の女が儀式を邪魔するって思ってただけで、実際に剛ちゃんに言ったのは、
―――赤い着物! 赤い着物を着た人知らない?―――
―――じゃあ、髪の長い人! 腰くらいまでの―――
これだけだった。
「あぁ……たぶん、剛ちゃんも半信半疑だったからだと思うよ?」
半信半疑?
その言葉に、おれはすぐに真千さんの方に顔を向けると、表情を少し曇らせた真千さんがおれ達の方を見ていた。
「半信半疑ってどういうことですか?」
「実はね……昨日のことなんだけど、うちの鍛冶場に誰か忍び込んだみたいなの。鍛冶で使う道具とか、竃の前に置いてた炭なんかが散らばってて、誰かが入ったのは一目瞭然だった。こう言うのもあれだけど、式柄村ってみんな仲良いのよ? だから、他の人の家にちょっと入るくらいなら日常茶飯事なんだけど、昨日のそれは……そんなのとは訳が違った……明らかに何かを探してたようなそんな感じだった。今までそんな経験もなかったし、あたしは村の誰かが忍び込んだんじゃ? って剛ちゃんにも言ったんだけど、剛ちゃんは村の人を疑うなって……、それに儀式の前の日ってこともあったし、結局本家の人にも誰にも言わなかったけどね……」
誰かが忍び込んだ……?
「そうだったんですか……。あっ、じゃぁもしかして!」
「うん。もしかしたら、あぁは言ってたけど剛ちゃんも半信半疑だったと思うの、そんな時宮原くんが赤い女の人! とか髪の長い人! 極めつけに、あの女が! なんて言ったもんだから、たぶん剛ちゃんもなんとなく気が付いたんだと思うよ?」
まじか……昨日そんなことが……?
頭に浮かぶ、赤い着物の女。にやりと笑ったその姿、鮮明に思い出していくその手には、確かに鎌のようなものが握られていたのを思い出す。
「あっ……、確かに鎌みたいなの持ってた!」
その瞬間、おれは思い出した記憶をなぞるように、真千さんに向かって呟いていた。
「鎌か……。村の人の鎌とか研いだり打ち直したりしてたから、おそらくその日も何本かはあったはずよ」
相変わらず曇った表情の真千さんが呟いたそれは、あの女が持ってる鎌がここから持ち出されたものだって考えるには十分すぎるものだった。
「じゃあ、あの女が持ってた鎌は……ここから盗んだ物?」
「話を聞く限りだと、その可能性はかなり高いわね……。まぁあたし達にとってはそれもだけど、村人が儀式に対してなにかしようとしてるってことの方が信じられないんだけどね……」
やっぱり、村にとって儀式ってのはかなり重要なことみたいだな……
「やっぱり儀式って村人にとっては大切なことなの?」
「もちろん。50年に1度の儀式を迎えられることはとても光栄なこと。だけどそれと同時に、絶対に失敗できないって使命感もあるから……村の人全員が儀式に懸ける思いってすごいと思う……いえ、思ってた」
そう言うと真千さんは、うつむくように顔を下に向ける。その表情はより一層曇っていたような、悲しいようなそんな感じだった。
やっぱり村の人にとって、儀式は相当大切なことなんだ。それだけに、村の人が儀式を邪魔しようとしてること自体が信じられないし、真千さんですらあんな様子なんだから、よほどのことなんだ……。だとしたら、仲が良い……つまり結束力が強い村の住人が、まさか村の大事な儀式を邪魔するなんて言われて、信じるか? いくら剛ちゃんがみんなに言ったとして……大切な儀式を前に結束を崩すようなことを言う、剛ちゃんのことをみんな信じてくれるのか?
村人である剛ちゃんが言ってくれたら、おれみたいな余所者が言うより信じてくれるんじゃないか? そう思ってた。けど、真千さんの話を聞いて、その様子を見た瞬間にその考えが間違いじゃないかって薄々感じてきた。結束力の強い村の住民が、村の大切な儀式を邪魔する。それだけでも有り得ないことなのに、それを村人が、それも儀式関わる人が言い出す……そうなったら、真っ先に批難されるのは剛ちゃんの方じゃないか? おんなじ村人を疑うのか? って、すさまじい剣幕で問いただされる姿が、頭の中に浮かんでくる。
やばい、これじゃ逆効果じゃないか? やっぱり行かなきゃ……バレないように、見つからないように……
「宮原くん、儀式が行われるのは、村の一番奥、坂の上にある御神殿よ」
「えっ?」
その声に、少しうつむき加減になっていた頭を上げると、さっきまで曇るような表情だった真千さんが少し笑みを浮かべながらおれの方をじっと見ていた。
「行くんでしょ? その女の人止めに」
えっ、なんで?
「なんで……わかったんですか?」
「そうね……、女の勘かしら? だけど教えてくれない? なんでここの村人でもないあなたがそこまで儀式のこと気にしてるの?」
「それは……」
真千さん達は千那のこと知ってた。だったら、信じてもらえるか? それに、なんだか真千さんには何もかも見透かされてる気がする。
「さっき、千那に耶千さんのこと聞いたって言いましたよね? その時に、耶千さんを助けて欲しいって言われたんです。そしてそれがおれ達が元の場所へ戻る唯一の方法だって……。そんな時、真千さんに会って色々話を聞いて行くうちに気付いたんです。呼ばれたのが儀式の当日で、耶千さんはその主役……、そしておれの前に現れて、目の前で人を殺した赤い着物の女。もしかしたらその女が儀式の邪魔をして、耶千さんが巻き込まれるんじゃないかって」
「人を殺した……?」
「はい。その人はおれ達が知ってる人でした。罪を犯して逃げているはずの人物……、その人を赤い着物の女は殺したんです」
「そう……だったんだ」
「だから、おれ達はあの女を止めなきゃいけない。儀式が成功しても耶千さんは助からないかもしれない……けど、おれ達はそれに賭けるしかないんです。その為にも、儀式が失敗することだけは止めたいんです」
聞けば聞くほど信じられないようなおれの話を、真千さんは時折相槌を打ちながら聞いてくれた。そしておれが話し終えると、さっきと同じように笑みを浮かばせて、ゆっくりと口を開いた。
「そっか……なら、早く行って? 儀式を成功させてちょうだい?」
その言葉が、一瞬信じられなかった。
あれ? 信じてくれたの? おれのありえなさそうな話。
「ここから、まっすぐ行けば村の中心、沢山の家があるわ。その中心にある大きな家が本家の式柄守家よ。あと、ここから見えると思うけど、村の両端には少し小高い丘があって、向かって左側が左代守家、右側が右代守家って言うの。この2つは本家に最も近い家柄で、儀式に参加する人達もこの三家の人達だけ……だから今家の外に出てる村人はほとんど居ないって考えてもいいわ」
外に出てる村人はほとんど居ない? どういうことだ?
「真千さん、儀式に参加するのが三家の人だけってのは分かりましたけど、村の人がほとんど居ないってどういうことですか?」
「儀式の時、というよりさっきの太鼓の音が合図なんだけど、儀式の時、三家以外の村人は家の中で儀式の成功を祈るってのが慣わしなの。さっきも言ったでしょ? 村人達にとって儀式は大切なもの、儀式に関するしきたりは……絶対なの」
「なるほど、だからその三家の人以外はみんな家の中。気付かれる可能性も低いってことですね」
「そういうこと」
だったら、その御神殿ってとこには比較的楽に行けるってことか。てか……真千さんこんなことおれに話して大丈夫なのか?
「あの……なんでおれ達にそんなことまで教えてくれるんですか? おれが言うのもあれですけど、これって教えちゃ駄目なんじゃ……」
「なんでかな……。たぶん、宮原くんがわたしの息子になんとなく似てるからかな?」
息子……?
「6歳の時に行方不明になっちゃったんだけどね……。でもなんとなく顔の雰囲気とか似てる感じがしてさ、最初会った時も、もしかして? とかって思っちゃった」
「そうだったんですか……」
なんかまずいことに触れちゃったかも……。
そう話す真千さんは、さっきと変わらず少し笑っていたけど、その目はなんだか悲しそうで無理にそうしてるんじゃないかって思ってしまう。
「ごめんなさいね。もう12年も前のことだから大丈夫よ。ほらっ、ボサっとしてないで早く行きなさい? 早くしないと儀式始まっちゃうよ?」
始まる? あっ、さっきの太鼓の音が合図だって言ってた!
真千さんの言葉に、今の状況が一気に頭の中に溢れ出してくる。
「あっ、はい! もっ、桃野さん!」
「あっ、うん!」
そう言うと、勢いよく立ち上がって靴のある段差に向かおうとしたけど、慣れない正座で足がおぼつかない。それをなんとか我慢してやっとのことで靴を履くと、ゆっくりと立ち上がる。
あっ、真千さんにお礼言わなきゃ……。
ゆっくりと真千さんが座っている方を振り向くと、真千さんが立ち上がっておれを見ていた。
「あの……真千さ」
「ねぇ、最後に聞いてもいい?」
お礼を言おうとした瞬間、おれの声は真千さんに遮られた。遮った真千さんの顔は、さっきまでのものと違って深刻というより、何かを感じ取っているようなそんな顔だった。
なんだろ? 真千さん雰囲気が……
「あなた達は一体、どこから来たの?」
どこから……?
「どこからって……さっきチラッと言いましたけど湯鶴って……」
「あっ、ごめんなさい。何年って言った方がいいかしら?」
「なっ、何年?」
なっ、何年って西暦のこと……だよな? でも言っても分かるのか?
そんなことを考えている間も、真千さんはじっとおれの方を見つめている。まるでそれは、どんな答えでもいいから早く答えろって急かさせているような、そんな気さえする。
「あっ、あの……信じてもらえないかもしれないけど、2018年。今から150年後です」
「150年……そっか」
あれ? 意外と反応が素っ気ない?
てっきり、驚かれるか否定されるか。そのどっちかだと思っていたのに、予想外の真千さんの反応にこっちが驚いてる内に、真千さんが、
「宮原くん。150年後、あなたの時代に式柄村はあるのかしら?」
かなり答えづらい質問をぶつけてきた。
うわ、答えづらい質問きた。ホントのこと答えていいのか? まずくないか?
真千さんの口から飛び出た、予想外の質問に即答なんてできなかった。少し口籠もるおれを目の前に、真千さんはさっきと同じ雰囲気のままずっとおれを見つめ続ける。その表情が、真顔を通り越してなんだか怖く感じてきて、おれは、
「あの……おれの時代、式柄村はないです。ないって言うより誰も知らない。おれの爺さん婆さんですら知らないと思います」
本当のことを言うしかなかった。その反応が少し怖かったけど、
「そっか……。教えてくれてありがとう」
それを聞いた真千さんは、さっき見せた笑みを浮かべながらおれに優しくお礼を呟いた。一瞬、それがどういう意味なのか分からなかった、けどよく考えてみたるとその意味がなんとなく分かるような気がしてた。
真千さんは全部わかったんだ。おれ達が来た理由、儀式を気にしてる理由におれが見た赤い着物の女。そして最後に聞いた、おれ達の来た時代と式柄村の存在。それでたぶん分かったんだ、今日の儀式が失敗するってことが。
「いっ、いえ。おれ達こそありがとうございました。色々教えてくれて、真千さんに会ってなかったらおれ達、あてもなく村をさまよってました」
「そう言われるとなんだか照れちゃうね。でもこちらこそありがとう。さっ、頑張ってきて。儀式を成功させて耶千ちゃんを助けてあげて?」
「はい! 頑張ってきます」
笑みを浮かべる真千さんにそう言って、お辞儀をするとおれは扉の方を向かって歩きだした。そして、おもむろに扉を掴むとゆっくりと引いていく。
真千さん達に会わなかったら、何にも分からなかった。村のこと、儀式のこと。だけど、おかげでやるべきことがハッキリした。まずは御神殿に行って、あの女を止めて儀式を成功させよう。そうすればきっと耶千さんが助かる。やろう。やってやろう絶対に。
そんな決意を胸に秘めて、おれは真千さん達の家から、1歩足を踏み出した。




